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伊桜らな
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Novels by 伊桜らな

国宝級イケメンの華道家は、最愛妻への情愛が抑えられない。

国宝級イケメンの華道家は、最愛妻への情愛が抑えられない。

 日本舞踊家の家に生まれ、自身も師範を持つ百合乃は日本舞踊家として指導をしたりして充実した毎日を送っていた。ある日、父からお見合い話をされ顔合わせすることになる。顔合わせ当日、やってきたのは亡くなった姉と婚約者だったイケメン華道家・月森流家元の月森郁斗だった。  
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Chapter: 17.幸福な愛を、君と。
あの夜、張るお腹と多量出血した私は救急車で搬送された。なんとかお腹の子は無事で切迫流産の可能性があると言われ、安静にするために五日間の入院となっている。今は二日目だ。 「はぁ」 ベッドに運ばれて入院着に着替えるとすぐに張り止めの点滴を打たれた。説明はあったが、いろいろ動揺してしまい分からなかった。 だけど、何故か常に運動会後の筋肉痛みたいなのがあってすごく硬いものを噛んだ後のアゴの疲れみたいな……そんな感じが続いている。 副作用なんだろうけど辛い。 赤ちゃんのためなら、と思うようにしているが動悸とか発汗やらと症状がある。 それに一番辛いのは、あれから報道されているニュースのことだ。 「熱愛……かぁ」 郁斗さんと京都支部代表の娘さんの熱愛報道。最初は信じていなかったけど、あの日からずっと報道されていて精神がすり減っていくのを感じていて情緒不安定が続いている。 この日、何度目かの溜め息を吐くと病室のドアがノックが聞こえて返事をした。 「こんにちわ〜百合乃さん」 「あ、茉縁ちゃん。来てくれたんだ。ありがとう」 やってきたのは茉縁ちゃんで、食事会ぶりだ。あの時、勝手がわかっているアキさんには家の留守を任せた結果、救急車を呼んでくれて救急車に乗って病院まで付き添ってくれたのは茉縁ちゃんだった。 その時、名前を鳳翠と呼ぶのはややこしいので本名で呼んでもらうことにして私も親しみを込めて“さん”付けから“ちゃん”付けにしている。お友達みたいで少し嬉しい。 「ううん。退屈してるんじゃないかなって思ったので、来ちゃいました。友達で百合乃さんと同じくらいに入院で退屈だって言っていたのを思い出したので……それに今日はお伝えしたいことがあったので」 「伝えたいこと?」 「今日の十三時、ドラマと同じテレビ局でやっている【昼から|1《ワン》!|2《ツー》!|3《スリー》!】という情報番組、知ってます?」 「えっと、新人アナウンサーがMCをしている番組だよね? よく見るよ」 「良かったです。理由は言えないですが、きっと見てくださいと言われましたので……あ、友人の時も持って行ったのですけどキューブパズルを暇つぶしになるといいかなって思って持ってきたのでよかったら遊んでください」 茉縁ちゃんはそう言って私にそれを渡した。昔やってことがあるパズル
Last Updated: 2025-05-12
Chapter: 16.郁斗side
「これはどういうことなんだ!」 目の前のスマホには俺と京都支部での案内役だった女性が二人で写っている記事が表示されていた。 「……俺も何が何だか分からない」 「は?」 俺は現在、自宅近くのとある一室で友人で百合の兄の蒼央と向かい合い尋問されている。 こちらに着いたのはつい一時間前のことで新幹線から降りてすぐに蒼央に捕まり連行され、何がなんだかわからないままここに連れられてきた。 その時も何が何だかわからなかったが今も全く、こんな記事が出ているなんて知らなかった。 「理由や事実かはどうであれ、結果記事になった。ちなみに、この記事は百合は知っている。まだ俺も会っていないから状況はわからないが」 「……っ……」 百合ちゃんが……だけど、ネットニュースになっているのだから知っているか。それにお互いそれぞれ有名になっているのだから、そろそろテレビのニュースになっている頃か。 「なんで、会ってないのに蒼央が知っているんだ」 「食事会の最中にネットニュースを見たらしい。その時いたのは郁斗が呼んだ出張シェフの瀬戸さん、月森家の家政婦アキさん、郁斗の弟子のミヤビくん、百合が呼んだ脚本家の本郷くん、俳優の里谷さんと舜也さんだ。もう皆帰るところだった時間だったので全員揃っていた」 「……そうか」 「それと黙っておくのはフェアじゃないから言っておくが、百合が救急車で運ばれた」 え?百合ちゃんが!? 「無事なのか!? 大丈夫なのかっ? もしかして俺のニュースのせいかっ」 「それは違うと先生も言っていた。切迫流産の可能性があるから入院することになった。郁斗のせいではないが、今すぐ百合に会わせるわけにはいけない。郁斗に熱愛報道が出たのは事実だし、一瞬でも辛い思いをしたことも事実。結婚を許した時の条件を忘れているわけじゃないんだよな?」 「忘れていない。忘れることなんてあるわけないだろう」 「当たり前だ。郁斗は、なんとしてでも早急に解決させろ。家はメディアがいるから帰れない。百合は、うちに連れて行く。安静がいいらしいからな」 だが、どうやって解決させればいいんだ……ネットニュースになっているならテレビでも報道されているかもしれない。 「わかった。よろしく頼むよ」 そう俺がいえば部屋のインターフォンが鳴った。部屋に入ってきたのは絢斗だった。絢
Last Updated: 2025-05-12
Chapter: 15.ネットニュース
ドラマが始まり、早いことで最終回を迎えていた。クランクアップはつい先日に終えたばかりだ。第一話の放送以来、実家には教室への入会希望や入門体験が絶えず来ているらしく兄は事務の人と嬉しい悲鳴をあげているらしい。 私はというと妊娠四ヶ月に入ろうとしていて検診も順調で、二週に一回だったのが次からは四週に一回にと言われたばかり。まだ報告は身近な人にしか報告してない。今後のお仕事については、ドラマが終了したタイミングで安定期に入るまでは日本舞踊の師範としてのお仕事を少しずつセーブし始めようと千曲の当主である父と次期当主の兄に相談して決めたばかりだ。 「やっぱり俺、明日のお仕事はキャンセルしようかな」 郁斗さんは今日から月森流華道会京都支部の展覧会に行くことになっている。これは妊娠する前から決まっていたことだし、彼は家元だし一泊二日だから問題ないと思う。 「何言ってるの? 私は大丈夫、お義母様も来てくださるし、病院の送迎は綾斗さんがしてくれます。郁斗さんは心配しないで郁斗さんのお仕事をしてください」 「そうだけど……心配なのは心配なんだよ」 「それにまだ報告が出来てないんですから、キャンセルしたら色々模索されます」 「そうだな。終わったら早く帰るから、おとなしく待っていて」 そう言って私に頭を撫でてから渋々出かけて行った。郁斗さんを見送ると、お仕事もお休みだしやることがあんまりなくてテレビをつけた。 朝の情報番組を見ながら昨夜にフィルターボトルにて準備していた氷出しの玉露を取り出してグラスに注いだ。それをちびちびと飲んでいると、スマホが鳴った。 スマホの画面には数少ないグループラインで新しいグループの表示が見えた。茉縁さんと本郷くん、舜也さんのグループラインだ。その下に【里谷茉縁】と表示されておりそれをタップする。すると、トーク画面が出てきて、こんばんわというスタンプとメッセージが出ていた。 【こんばんわ、里谷です。お疲れ様です。本日、夜、最終回を迎えます。そこで、打ち上げも兼ねてですが、都合が良ければドラマを一緒に見ながら食事でもどうですか?】 打ち上げに食事会……なんと魅力的なお誘いなの!誰かと食事会だなんてあまり経験がないからとても嬉しくてワクワクしてしまう。 早速、郁斗さんに聞いてみよう……今、妊娠中だし安定期前に外で食事なんて
Last Updated: 2025-05-12
Chapter: 14.ドラマと報告
妊娠が分かった夜、私は家でくつろいでいた。 体調は病院に行ったからかとてもよく、悪阻の症状はいまのところはない。 「あの、郁斗さん……これは?」 「あ、うん。さっき、電子書籍で買った本に妊娠初期にいい食べ物が載っていたからそれ見て作ったんだ」 テーブルの上にはまるで定食ですか?と思える料理が並べられている。定食屋さんかなと思えるくらいにずらっと並んでいて、どれも美味しそうだ。 「ありがとうございます、郁斗さん。美味しそうです」 「でしょう? 悪阻の症状ないみたいだから普通の食事にしてみたんだけど、食べられないなら残していいからね」 主食はたんぽぽチコリ入りのご飯に、副菜にはほうれん草のお浸しとモロヘイヤとお豆腐の味噌汁、主菜は蒸し鮭でデザートにはヨーグルトが並べられている。お茶は朝仕込んでおいた氷出し煎茶だ。普通に淹れると、カフェインが豊富だが氷や水の低温で抽出すればカフェインを抑えられるといわれているため今の私にはぴったりのものだ。 相変わらず郁斗さんのご飯はどれも美味しくて、ご飯屋さんができるのではというくらい盛り付けも綺麗。 「美味しかったです。郁斗さんのご飯ならずっと食べられます」 「それは良かった。顔色もいいし、安心したよ」 「心配かけてしまってごめんなさい。今更ですけど郁斗さん、お仕事は大丈夫だったんですか?」 「大丈夫。ホテルの方は早く終わってね、打ち合わせをしていただけだから。あ、打ち合わせはもう纏まっていたし今日は元々終わっていたから」 それなら良かったけど、私のために中断して帰ってきたなんてことは申し訳なさすぎる。郁斗さんにも、お仕事で関わっている方にも。 「まぁ、打ち合わせ今回は初回だしいつもお仕事させていただいているところだから勝手がいいんだ。だから気にしないで」 「はい」 「仕事も大事だけど、もっと大事なのは百合ちゃんだから。じゃあ、お片付けするから百合ちゃんはお風呂入っておいで」 私もお片付けをすると言ったが、お風呂沸いたからと言われてしまい私はお風呂に直行することになった。 お風呂から上がり、テレビのあるソファに座れたのはドラマが始まる十五分ほど前だった。 「百合ちゃん、飲み物持ってきたよ」 「ありがとう。郁斗さん……これは、カフェラテ?」 「コーヒーじゃなくて、たんぽぽチコ
Last Updated: 2025-05-12
Chapter: 13.お茶会
ドラマ撮影が始まって一ヵ月が経ち、放送第一回目が始まる日を迎えていた。宣伝で、茉縁さんと舜也さん二人が朝から有名な情報番組【月→(から)金までmorning】にゲストで出演していた。 『本日から始まるドラマ、“花明かり”から里谷茉縁さんと舜也さんがきてくださいました――』 アナウンサーが二人を紹介し二人も「おはようございます」と挨拶をしている。こうやってみると、本当に今日からドラマが始まるんだなぁと実感する。 『どんな話なんですか?』 『えー……私が演じる美咲は普通にいるOLは求婚され入籍直前で婚約破棄をされるのですが、日本舞踊に出会って日本舞踊に魅せられていく話です』 それから予告映像が流れる。 「百合ちゃん、どうぞ」 「あ、ありがとうございます。郁斗さん」 私のいるテーブルの前にコーヒーの入ったマグカップが郁斗さんによって置かれる。さっきまでコーヒー豆の挽く音がしていたから彼が淹れてくれたのだろう。いつもならいい香りだと思うのに、今日は何故か香りがきつい、気がする。どうしてだろうか…… 「このコーヒー百合ちゃん好きだって言っていただろう? だから買ってきたんだ」 「ふふ、ありがとうございます」 私はマグカップに口をつけ、一口飲む。香りは苦手だけど、相変わらず美味しい。 「そういえば、今日はお祖母様と約束してるって言っていたよね? 本家に行くのかい?」 「はい。もうドラマのお仕事終わっているのでテレビ局には今日は行かないので。それにお祖母様にお誘いをいただいて……ドラマが放送されるお祝いだって言っていました。でも郁斗さんはお昼はお仕事なんですよね?」 「うん。結婚式を挙げたホテルでパーティーがあるから会場ディスプレイを頼まれてね」 「そうなんですか、頑張ってくださいね」 郁斗さんはツアーが終わっても大忙しで、会場ディスプレイや展覧会の花に家元としてのお稽古とお仕事がたくさんある。本当は私が付いて支えるべきなんだろうけど私も忙しかったのは言い訳か……だけど、ドラマが終わったら師範の仕事は引き継いでもらい華道の方に力をいれていこうと思っているし彼のお手伝いもできるようになるだろう。 「本家行くなら俺が送って行くよ。顔を見せようと思ってるんだ」 「ありがとうございます、郁斗さん」 「全然。それより、百合ちゃん。調子悪
Last Updated: 2025-05-08
Chapter: 12.撮影とおかえり
クランクインからひと月が経った。私は現在、撮影場所で日本舞踊監修としてのお仕事をしているが、今は見学中だ。準備期間は長かったのに撮影はもう半分は終わってる。 「なんとも贅沢だなぁ」 目の前で、俳優さんが演技をしている。普段の指導している時の彼らとは別人のようで、すごい。 本当は、日本舞踊のシーンがない時は来なくていいんだけど見たくて来てしまっている。迷惑にならないように隅っこだけれども。 「お疲れ様です! 鳳翠先生」 「茉縁さんもお疲れ様です。とっても良かったです」 「ありがとうございます。でも撮り直しですね、多分」 茉縁さんはそう言うと、監督がいる方を見た。 「納得してない顔してるから――」 「おーい里谷さん! ちょっとこっち来てー」 彼女の言う通り、監督が彼女を呼ぶ声が聞こえてそちらに行ってしまった。 それからも昼まで見学しているとスマホがブーブーと震えた。スマホの画面を見れば郁斗さんからメッセージ通知が出ていた。それをタップすると、LINEのトークページが開く。 【今、帰って来ました。テレビ局の近くにいるんだけど時間が合えば迎えに行くよ】 え!帰るの三日後って聞いていたけど早く終わったのかな。 【帰ってくるの三日後って言ってませんでした?】 【仕事は昨日のパフォーマンスで終わりだったんだ。他の仕事は急いで終わらせてきたんだ】 そうなのか。せっかくだし、迎えに来てもらおうかな…… 【じゃあ、お迎えをお願いできますか?一緒に帰りたいです】 そうメッセージを送ると、話し合いが終わった本郷くんに近づき声を掛ける。 「本郷くん、私帰りますね」 「月森さん。あ、わかりました。……じゃあ、下まで送りますよ」 「えっ、でも私勝手に見学に来た人ですし……本郷くん、さっきまで演出家の方とお話をしていましたよね?」 さっきまで監督の隣にいる演出の人と話し合いをしていたし、忙しいのではないだろうか。ただ声をかけただけなんだけどなぁ 「もう終わったから。それに早めの昼にしようと思って一階のカフェに行くから」 「それならいいんですけど……」 了承すると、本郷くんは荷物を持ってくるからと控え室に行ってしまったので私はスマホを見ると【良かった。近くに来たら連絡する】とメッセージが来ていた。 なので【了解です
Last Updated: 2025-05-01
聖女としてきたはずが要らないと言われてしまったため、異世界でふわふわパンを焼こうと思います!

聖女としてきたはずが要らないと言われてしまったため、異世界でふわふわパンを焼こうと思います!

家業パン屋さんで働くメルは、パンが大好き。 いきなり聖女召喚の儀やらで異世界に呼ばれちゃったのに「いらない」と言われて追い出されてしまう。どうすればいいか分からなかったとき、公爵家当主に拾われ公爵家にお世話になる。 衣食住は確保できたって思ったのに、パンが美味しくないしめちゃくちゃ硬い!! パン好きなメルは、厨房を使いふわふわパン作りを始める。
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Chapter: もちもちベーグル
もちもちベーグル 「おはようございます、今日からよろしくお願いします」 あれから一週間経ち、私は念願だった厨房で働かせて貰えるようになった。 「あぁ、よろしくな。メル嬢」 ただ、条件がついたんだけど――。 『厨房で働くのはいいんだけどね、俺たちの養女にならないかな』 『養女? オスマンさんの、娘になるってことですか?』 『そう。今、メルちゃんは微妙な立場なんだよ。異界人であり聖女である、庶民のようで庶民じゃない。公爵家にいるからね』 「改めて、メル・フタバ・セダールントです。皆さまよろしくお願いいたします」 「メル嬢、まずは皿洗いと下ごしらえからな」 「はい」 私は、セダールント公爵家の養女になったけど厨房では見習いから始めることにした。料理長からはパン担当でいいと言われたけど、それはオスマンさんからの条件のひとつでもある。 「ディーン、教えてやれ」 「は、はい……! メル様、よろしくお願いいたします!」 ディーンという青年は先日|王都学園《アカデミー》を卒業したばかりで銀色の髪をマッシュヘアの可愛らしい子だ。 「こちらこそよろしくお願いします!」 「えっと、それじゃあじゃがいもの皮むきからやろうか」 じゃがいもなら得意だ、昔カレーにハマってたときがあったんだよね。 「じゃあ……ってできるね、だよね」 「はい、よくやってたので」 なんか申し訳ない、と思っていると私の前にボンっと置かれた。 「メルにはこれだ、剥き方も綺麗だし今日はじゃがいも係な」 「わかりました」 じゃがいもを無心で皮を剥いていき、あっちの世界でいう乱切りをした。それを調理部門に持って行ったりしてなんだか学生時代していた飲食店のバイトのようで楽しかった。 「メルちゃん、ご飯食べよう」 「うん」 それからお昼ご飯を食べると、私は自分の部屋に戻った。 *** 十四時になり私は厨房に戻ると、パン生地を広げて生地を伸ばして棒状にし輪っかに形成して閉じる。閉じ目を下にしてそれを十個ほど作ると、鍋に水を貯めて沸騰させる。蜂蜜を少し入れると、生地をお湯の中に入れて片面ずつ二十秒ほど茹でる。 「何作ってるんですか? メルさん」 「うん? ベーグルよ」 「ベーグル? あ、石窯に入れますか。俺やりますよ」 アルくんは鉄板を持ち、それを
Last Updated: 2025-06-12
Chapter: 舞台裏1/思い出のフレンチトースト
「――まだ、部屋に篭っておられるのか?」 「はい、あれから一度も……食事もいらないと言われてしまいました」 ――ここは王宮。玉座の間。そこにいるのは男性が二人。公爵家当主であるオスマン・セダールントと国王陛下であるレクサス・エリザベス・エミベザだ。 「本当にジーク(あやつ)は……聖女様を追い出すなど」 「私は、私欲でメル様に頼ってしまいました。申し訳ありません」 「だが、怪我を負った者は元気なのだろう?」 「はい、傷などなかったかのように……それに、一年前に倅が怪我によって受けた症状も完治いたしました」 オスマンの息子・ギルバートは、昨年の討伐で大きな怪我を負い後遺症が残った。半年間のリハビリを経て三ヶ月前に復帰したばかりだった。 「ほぉぅ……」 こればかりはオスマンも驚いた。医者ですらもう治らないだろうと言われていていたし、前よりは劣るが討伐にいけるようになった時は奇跡だと言っていたほどだった。 「やはり、聖女だからか……?」 「それはまだ分かりませんが、あれほど見事な聖魔法は見たことがありません。ですが、メル様がいた世界には魔法自体が存在しないらしいのです。自分から不思議な力が現れて戸惑われているのでしょう」 「そうか。オスマン、聖女様を頼む。何か必要ならば言ってくれ」 陛下はそう彼に言うと何かを考え込むような表情になった。 「御意」 オスマンはそう答えると玉座の間を去った。 *** 「旦那様、お帰りなさいませ」 オスマンが公爵邸に帰ると、もう二十時だった。 「ただいま……」 出迎えてくれたのは妻のエミリーと休暇中のギルバートだ。 「メルちゃん(彼女)の様子は変わらないかい?」 「ライラから聞いた話ですが、まだ部屋にも入らせてもらえないとのことです」 「えぇ、私も外から声をかけてはみたんですが返答すら返ってきませんでした」 ライラには返事するが「一人になりたい」と言うだけ。数日前まで笑顔を見せてくれたのが夢だったように思える。 「あの、旦那様。これメルちゃん……いえ、メル様に作ったんです」 「それは?」 料理人のアルベルトは「前に賄いで作っていただいたんです」と笑みを溢した。 「……君はメルちゃんと仲がいいのかい?」 「仲がいいというかお師匠
Last Updated: 2025-05-08
Chapter: 2.ふわふわの丸パンとヒール
[ふわふわの丸パンとヒール] 翌朝、ウキウキしながら起きると早いけど昨日作ったパルムの瓶を見に行くことにした。部屋に入ると、被せた布を取り、蓋を開けた。開ける瞬間に炭酸のようなシュワっとした音が聞こえた。一度匂いを嗅ぐと、あぁこれだ……と感動する。 「異世界にも酵母菌はあるんだなぁ」 私は瓶に蓋をし、上下に振りまた布を被せた。それを数日繰り返した。今まで退屈だった日々が、こっちに来て初めて充実している。 「あっ! メル様っこちらにいらしていたのね!」 「あ……ライラ。ごめんなさい。でもね、やっと出来たのよ!」 「……え?」 これで、ふわふわなパンが出来る! 「今から、パンを作るのよ!」 私は、すぐに行動した。すぐに厨房に行き、少しだけ使わせてもらえるようにお願いをした。 「メル様、何をされるんですか?」 「ふわふわのパンを作ろうと思って」 料理人さんに小麦粉にバター、卵とミルクをもらった。小麦粉を山にして真ん中を開けるとその中に卵とミルクを入れてそこにパルムの酵母菌を入れる。それを粉っけがなくなるまで捏ねる。捏ね終え、濡れ布巾を生地に被せ寝かせる。 「バター柔らかいかなぁ」 バターが柔らかくなったのを確認し生地に練り込み、一つの塊にする。また、布巾を被せると寝かせからパンチをした。 「メル様!? 一体何を……」 料理人さんの声は気にせずに、再び濡れ布巾を被せて一次発酵をする。 「温かい場所に置いておきます」 「えぇっ!? それだと腐りませんか!?」 「大丈夫ですよ」 それから一時間ほど経ち、二倍ほどに膨らんだらガス抜きをする。生地を八個に分けて丸く丸めると、鉄板に乗せた。 「今から焼くんですか?」 「いえ! 今からまた布巾を被せます」 「またですか? 時間かかるんですねぇ」 濡れ布巾を被せると、また温かい場所で二倍になるまで二次発酵をする。 「あの、石窯を温めてもらってもいいですか?」 「はいっ! もちろんです!」 料理人さんに石窯を温めてもらっている間に生地は二倍になったので、布巾を取り料理人さんに焼いて貰うように頼んだ。 しばらくすると、厨房内は香ばしい懐かしい匂いが漂ってきて笑みが溢れる。 「美味しそうですね! いただいてもいいですか?」 「
Last Updated: 2025-04-27
Chapter: 1.硬すぎなパンと酵母菌作り。
「メル、食パン焼き上がったから持っていって」 「はーい」 厨房にいるお父さんに言われ焼き上がった食パンをトレーに置き、お店に運ぶ。 「食パン焼き立てでーす」 食パンを並べてからハンドベルを鳴らす。すると、お店のドアが開きお客様が入ってきた。 「いらっしゃいませ!」 「メルちゃん、おはよう。今日も一斤ください」 お父さんが営むパン屋【lumière(リュミエール)】は天然酵母を使ったふわふわパンで有名で近所からは勿論のこと、市外からも来てくださるお客様もいる人気店だ。 「はい。ありがとうございます」 私、双葉(ふたば)愛瑠(める)はパン屋【lumière】の一人娘でありこの春に製パン専門学校を卒業したばかりのブーランジェだ。 「メル、クロワッサンも焼けたよ」 「あっはーい!」 お父さんに返事をしてお客様に「何か有ればお呼びください」と言い厨房へ向かった。 夢だったお父さんと一緒にブーランジェとして働くことも叶って、充実した毎日を送っている。 楽しくて楽しくて、仕方ない。 「お父さん、前掃いてくるね」 「おぅ、ゴミも出しといてくれ」 お父さんが指を差したゴミと箒を持って裏口を出ると、見たことのない模様が地面に描かれれば私を光が包んだ。 *** 「――お目覚めですか? 聖女様」 眩しさがなくなり目を開けると、思い切り起き上がった。周りを見渡せば、全く知らない光景が広がっている。 「聖女様?」 それに目の前には知らない女の子が心配そうに見ていた。 「あの、誰でしょうか?」 「すっ、すみません! 私は、侍女のメリッサでございます」 「じじょ?」 優しく微笑むメリッサという女の子は何故か聖女様と私を呼んでいる。 聖女ってなんなのか、それにここはどこなのか知りたいのだけど…… 「その“聖女様”ってどういうことでしょうか? それにここはどこでしょう?」 「ここはヴァルシア大陸の三大大国のひとつ、エミベザ王国です」 「は、はぁ」 ヴァルシア大陸?エミベザ王国?そんな国、知らない…… 「私、ジーク様にお伝えしてきますね!」 「えっ、ちょっと待って!」 メリッサは私の声をスルーをし、部屋を出ていった。放置されても困るんだけど、と考えているとそれから
Last Updated: 2025-04-27
結婚白紙にされた新幹線パーサーは、再会した御曹司ドクターに求婚されました。

結婚白紙にされた新幹線パーサーは、再会した御曹司ドクターに求婚されました。

新幹線のパーサーをしている望月花耶はある出来事で傷心中。一夜を共にした相手の間に子供が出来、責任を取るために婚約したが入籍日に白紙にされる。悪阻で倒れそうになり助けられる。 休憩室で目が覚めると、懐かしい人がいて…。
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Chapter: 番外編②
朝の光が障子を通して柔らかく差し込む。 花耶はまだうとうととしたまま、隣で寝息を立てる伊誓さんを見つめていた。寝顔は穏やかで、どこか少年のようなあどけなさを残している。 「……おはよう、花耶」 低い声で囁かれ、花耶は目を開ける。 伊誓さんはすでに起き上がり、窓の外の景色を眺めていた。 「おはようございます……」 花耶が小さく返事をすると、伊誓さんは振り返り、にっこりと微笑む。 「君と一緒にいると、朝の空気も特別に感じるな」 「私もです……伊誓さんと一緒なら、毎日が幸せです」 花耶は布団の中で体を伸ばし、伊誓さんの腕に触れる。手を絡め合い、互いの温もりを確かめるその瞬間、まるで時間がゆっくりと流れているように感じられる。 「……花耶、今朝は何を食べたい?」 「えっと……旅館の朝食、楽しみです」 「そうか。じゃあ一緒に行こうか」 二人は手をつなぎ、まだ静かな旅館の廊下を歩く。廊下の畳の感触や、朝の光に照らされる障子の温かさに、花耶は心が落ち着くのを感じる。 朝食の席で、二人は小さな笑顔を交わしながら食事を楽しむ。 「伊誓さん、昨日の夜……」 花耶は小さく言葉を切ると、恥ずかしそうに目を逸らす。 「うん? 何だい、花耶」 「昨日は……ありがとう、楽しかったです」 伊誓さんはにやりと笑い、花耶の手をそっと握る。 「俺もだよ。君と一緒にいると、何でもない時間さえ特別になる」 その言葉に、花耶は自然と頬を赤く染める。 朝食後、二人は旅館の庭を散歩する。 青空の下、花の香りが漂う庭園で、伊誓さんはそっと花耶の肩に手を置き、隣を歩く。 「こうやって二人で過ごす時間、もっと長く続けばいいのに」 「私も……ずっと、伊誓さんと一緒にいたい」 互いの言葉に笑顔を交わしながら、二人の距離はさらに縮まっていく。 そして、花耶は小さな声で「愛してます」と囁く。 伊誓さんは耳を赤くしながら微笑み、そっと唇を重ねた。 新婚旅行の朝は、甘く、柔らかく、そして濃密に二人の時間を包み込んでいた。  ***ラウンジでの穏やかな時間が落ち着きを見せる中、伊誓さんは花耶の手を取り、膝の上にそっと置いたまま、視線を深く合わせる。「花耶……今日、このまま君と二人きりでいられる時間を、もっと特別にしたい」その言葉に、花耶の心臓は跳ねる。胸の奥でじんわ
Last Updated: 2025-08-13
Chapter: 番外編①
朝の光がカーテンの隙間から柔らかく差し込む。花耶は、まだ少し眠そうな目をこすりながら、隣で静かに寝ている伊誓さんの肩越しに小さく微笑んだ。陽咲はベビーベッドで眠っている。小さな胸が上下するたびに、花耶の胸も自然と温かくなる。 「……いいなぁ、この時間」 思わず呟くと、伊誓さんは眠ったまま小さな笑い声を漏らす。花耶は静かにベッドから抜け出し、陽咲のいるベビーベッドへ向かった。柔らかい毛布の中で小さく丸まっている娘を見つめると、胸の奥がじんわりと温かくなる。 「おはよう、陽咲……今日も元気だね」 そっと手を伸ばし、産毛の柔らかさに触れる。小さな手がふと花耶の指に絡まり、彼女は思わず笑顔になった。「もう、こんなに人を愛せるんだ……」と。 陽咲を抱き上げると、まるで小さな命全体を包み込むような気持ちになる。伊誓さんがまだベッドに横たわっている中、花耶は静かにリビングへと移動し、朝食の準備を始めた。パンを焼き、フルーツを切り、温かい紅茶をカップに注ぐ。そんな些細な日常も、今は愛おしい。 「花耶……起きてたのか?」 背後から低く柔らかい声が聞こえ、振り返ると伊誓さんが半分眠ったまま立っていた。少し髪が乱れ、まだ眠そうな瞳が愛おしくて、花耶は自然と微笑む。 「陽咲が起きちゃう前にちょっとだけ……朝ごはん作ってたの」 「そうか。ありがとう」 伊誓さんはそう言って、花耶の背中に手を回す。軽く抱き寄せられると、心がふわっと温かくなる。情熱的な愛というより、日々の小さな優しさが積み重なった穏やかな幸福感。それはまるで、ぬるま湯に浸かるような安心感だ。 「ねぇ、今日の予定って特にないよね?」 「そうだな……久しぶりに三人でのんびり過ごせそうだ」 伊誓さんはそう言うと、花耶の手を取り、自分の胸に軽く押し当てる。心臓の鼓動が伝わり、花耶は少し頬を赤らめる。「ぬるま湯のような愛……でも、これが一番心地いい」と、胸の中で呟いた。 朝食を済ませると、三人でリビングのソファに腰を下ろした。陽咲はすぐに母の腕の中で眠り、伊誓さんは花耶の手を握る。言葉は必要ない。ただ一緒にいるだけで、世界は完璧に思えた。 「花耶、今日はお昼に散歩に行くか?」 「うん、天気もいいし陽咲も気持ちよさそう」 小さな声で会話しながら、二人の手は自然と絡み合う。日常の些細な瞬間の中にある、互いを
Last Updated: 2025-08-13
Chapter: これがぬるま湯のような愛でも、
 出産してあっという間に一ヶ月が経った。そして今日は一ヶ月検診の日だ。「今日は検診の後、みんなここに来るって」「え、来てくださるんですか? お義母様もお義父様も?」「あぁ。兄さんも来るらしい。生まれてから写真しか見てない!って言っていた」 伊誓さんのご両親に会うのはこれで三回目だ。一度目は結婚の挨拶で、二回目は出産して数日後だった。それにお義兄さんとは安産祈願の後の食事会に会ったきりですごく久しぶりだから少し緊張する。だけど、よく考えたら望月家の親戚が集まる会のようだなと思う。「母も浩介さんも来てくれるって言っていたから会えるの楽しみです」「そうだな。じゃあ、検診に行こうか」 車の中で話をしながら病院に向かい、自分の診察券と陽咲の診察券を出して再来受付機に通すと先に陽咲の乳児検診のために小児科へ向かった。 一ヶ月の乳児検診では、身長や体重、頭囲、胸囲の測定に小児科医の診察だ。『清水川陽咲ちゃん、三番診察室にお入りください』 アナウンスが流れて、三人で入ると「こんにちわ」と言われた。「……こんにちわ。じゃあ測定していきますね」 小児科が終わると私の産後検診を受けるために産科外来に向かう。産科外来では妊婦健診の時のように尿検査と採血、体重測定をしてから中待合室で待った。はじめに清瀬先生の診察をしてもらう。「子宮も戻ってますね。花耶さん、これで産科は卒業になります」「そうなんですか。なんだか寂しいですね……」「私もとても寂しいです。だけどもし何かあったらいつでも来てくださいね」 診察後は助産師さんに母乳の出具合をチェックしてもらい、エジンバラ産後うつ病問診票というものを渡された。「これは皆さんにやってもらっているので、気軽に書いてみてね」 問診票というかアンケートのような感じで答えていくとすぐに終わり助産師さんに渡した。「じゃあ、もし何か不安なことがあればいつでも相談にきてね。赤ちゃんに関しては先生がいるけど、母体に関してはうちらの方が詳しいから。何かあったら、先生に連れてきてもらいなね」「はい。ありがとうございました」 順調に検診は終わり会計を済ませると、伊誓さんは車を取りに行くからとソファに座っているように言われて近くのソファに座る。「……よく寝てるなぁ」 陽咲は何度見ても可愛くて癒される。だけどこんな大きくなった子が自
Last Updated: 2025-08-13
Chapter: 出産
 入院して一ヶ月、私はやっと退院が決まった。「清瀬先生、お世話になりました」 無事に二十四週、妊娠七ヶ月となりお臍のあたりまでふっくらと丸みを帯びてきていて重みも感じられるようになった。ずっとお友達だったこのベッドともお別れだ。「はい、次の検診待ってますね。そういえば清水川先生は?」「今、車を取りに行っていて……そろそろ来ると思います」 そんな話をしていると病室に本人が入ってきた。「花耶ちゃん、車ロータリーに停めてきたよ。車椅子持ってきたから乗ろうか」 伊誓さんは車椅子を持ってきていてそれをベッドの近くに置きロックをしてステップを外した。「……ゆっくりでいいからね」 背中を支えられながら車椅子に乗り移った。「ねぇ清水川先生、それって自前の車椅子……だったり?」「はい、もちろんです。家用も買いました」「あはは、そうなのね? うん、まぁ先生がいれば安心よね」 清瀬先生が苦笑いをしているのを見ながらも伊誓さんと一緒に病室を出た。病室から出て車が停まっているというロータリー近くに行くと前とは違う車が停まっていた。「伊誓さん、車……」「あぁ。変えたんだよ、高いと花耶ちゃんが乗りにくいからね。さぁ、乗ろうね」 車椅子から降りて後部座席に乗り込めばシートベルトをお腹の負担にならないようにしてくれた。そして膝掛けを掛けてくれてゆっくりと伊誓さんはドアを閉めた。慣れたように車椅子を畳んで後ろに乗せると、運転席に彼も乗り込んだ。「じゃあ、出発するね。何かあれば遠慮なく言ってね」「はい。ありがとうございます」  さくらファミリー総合病院から車を走らせ二十分ほど、今日から住む予定のマンションに到着した。都心にありながら高台があり静かで日当たりのある住宅街でスーパーや薬局、近くには公園があり名門校の幼稚園から高校まであって子育てはしやすいぴったりな街なのだと伊誓さんに聞いた。 車から降りて車椅子に乗り辺りを見ると距離的には都心なのに緑豊か、マンションの入り口は階段じゃなくて車椅子でも大丈夫なスロープだった。「じゃあ、動くよ。行きましょう」 ロビーに入ってすぐのエレベーターで六階の部屋に行くと、玄関には車椅子が待っていた。「あの、お部屋にも車椅子あるんですね」「うん。これと色違いだよ」 部屋用の車椅子に乗り換えるとすぐにリビングに入った。
Last Updated: 2025-08-13
Chapter: 絶対安静
 清水川さんとミナさんの言われるがまま、私は検診が数日前にあったクリニックに来ていた。「じゃあ、エコー見させていただきますね」 本当ならさくらファミリー総合病院に連れていきたかった清水川さんだったが、ミナさんに普段診ているクリニックさんに行く方がいいと諭され最終的にここになった。「……うん、赤ちゃんの心拍はちゃんと動いてる。ただ、切迫流産だと思うわ」 せっぱく、りゅうざん……?「あ、あの先生。赤ちゃんは大丈夫なんですか? 流産って……」「えぇ、大丈夫よ。さっき一緒に来てくださっていた助産師さんと医師が言っていた通り、一週間は絶対に安静するべきね。だから念のため、大きな病院で診てもらおうか……さくらファミリー総合病院に貴女搬送されたことあるのでそこにしましょう。今、連絡してみるから待合室で待っていてくれる?」「は、はい。分かりました」 大丈夫だと言われたが、流産という言葉が頭の中でぐるぐると巡りながらも「ありがとうございました」と小さく呟いて外に出た。外にはまだ、ミナさんと清水川さんが待ってくれたみたいで待合室の邪魔にならない場所で立って待っていた。「あ……ま、待っていてくださってありがとうございます」「そんなのいいのよ。とりあえず座ろうか」「はい……」 私はミナさんに背中を摩られながら近くの空いていたソファに座るとミナさんは清水川さんに何かをコソッと告げる。すると、清水川さんは処置室と書かれた部屋で看護師さんに声を掛けて何かを話し始めた。そんな様子を見ていると、ミナさんは話しかけてきた。「こっちの先生も連絡してるだろうけど、清水川先生が先に連絡した方がいいし、救急で搬送されるよりうちらが連れていった方が早いからね」「そうですか」「ええ、そうよ。それに安心して、清水川先生は今は新生児科医をしてるけど前は産科医だったんだよ」 ……え?「彼が研修医だった頃だけど。あの病院は周産期医療センターとしても認定されてるから、設備は万全。医師も看護師も助産師だってちゃんとしてる。大丈夫だからね」「で、でも私……」「今は不安かもしれないけど、まずは病院に行こう」 励まされても私の心は軽くならないまま、私は彼らに促されるままに先生から紹介状を貰い清水川さんの運転で病院へと向かった。 病院に到着すると、悪阻の時でもお世話になった佐倉先生が車椅子
Last Updated: 2025-08-13
Chapter: 食事のお誘い
 あの連絡からようやく食事会か実現し会えることになったのは二週間後のことだった。お医者さんはやっぱりお忙しいらしい。「わ〜、やっぱかわいいね。そういう服!」「ごめんね、桃花。朝早く来てもらっちゃって」「ううん。久しぶりに花耶のことを着飾れてよかったよ」 今日は仕事用のメイクではなくちゃんとしたメイクをしようと桃花に来てもらいしてもらった。服もマタニティ服だけど、ブランドの可愛らしい服を買ってそれを着た。「でもやっと会えるね。今日は呼び出しとかないといいね」 本当にそうだよ。今まで、三回ほど約束したけどオンコールがあったり緊急手術で要請があったりと待ち合わせて一分で病院に行ってしまうこともあったし……今日こそはちゃんと話をしたい。「今日は迎えに来てくれるんだっけ」「うん、今日はちゃんと休み宣言してくるって言ってたから」「そっか。なら安心だね」 そんな話をしていると、スマホがピコンと鳴った。「来たみたいだから行くね」「じゃあ玄関まで送るよ」 彼女と一緒に部屋を出て下に降りると、この前よりラフの服を着た清水川さんがいた。「おはようございます、花耶さん」「おはようございます。今日は迎えに来ていただいてありがとうございます」「そんないいよ。俺のほうこそ、何度もドタキャンしてしまってごめんね」 挨拶を交わしていると、後ろにいた桃花も挨拶をした。「おはようございます。今日は花耶のことよろしくお願いしますね」「はい。お任せください」  一言二言話すと桃花は「行ってらっしゃい」と言い寮の中に入って行った。その後ろ姿を見ていると清水川さんにひとまず車に乗ろうかと誘われて車を停めてきたという場所に向かった。「車ってあれですか?」「うん、そうだよ。この前乗ったのは仕事用で、これはプライベート用」「そうなんですね……意外ですね、ファミリーカーなんて」「あはは、よく言われるよ。なんか好きなんだよね。後部座席倒すとベッドになるから旅行とかのとき楽だしいっぱい荷物詰めるんだよ。よくバーベキューとかキャンプやる時に重宝してる」 バーベキューするんだ……それも意外だ。それにキャンプも。すごいなぁ 清水川さんは車を開けると乗る時に手を出して支えてくれて楽に乗ることができた。「シートベルトはこれ。やってもいい?」「はい。お願いします」 そう言え
Last Updated: 2025-08-13
裏切りの契り。 〜涙に濡れた愛の果て〜

裏切りの契り。 〜涙に濡れた愛の果て〜

15歳の橘美咲(たちばな みさき)は、一場の惨烈な交通事故で両親を同時に失った。もう一台の車には、日本屈指の財閥「神宮寺グループ」の当主夫妻が乗っており、美咲の通報と救護によって命を取り留めた。 神宮寺夫妻はこの恩を忘れなかった。15歳の美咲を東京の貴族学校に入学させ、18歳の兄 橘英司(たちばな えいじ) をアメリカ・マサチューセッツ工科大学へ送り、金融を学ばせた。 さらに彼らは、マスコミの前で堂々と宣言する—— 「美咲が18歳になったら、我が息子神宮寺哲也(じんぐうじ てつや)と結婚させる」 しかし、その時16歳だった哲也には、すでに心に決めた相手がいたーー。
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Chapter: 第6話
英司が病室を出た後、私はベッドに横になった。 横になりすぐに睡魔が襲ってきて目を瞑った。 夢の中で、哲也との初めての出会いが鮮やかに蘇るのは両親の葬儀の日のことだ。 冷たい雨が降る中、哲也は神宮寺家の代表として静かに現れた。黒いスーツに身を包み、祭壇に手を合わせる彼の姿は、どこか頼もしく、優しかった。 「美咲さん、妹のように思っている。だから、どうか無理をしないで」 その言葉は、凍てついた私の心に温かな光を差し込んだ。 その後も、哲也はさりげなく私のそばにいてくれた。疲れた日に淹れてくれる温かい紅茶、冗談を交わして笑い合う瞬間、初めて手を握ったときの鼓動。名前で呼ばれたときの心地よさ。 結婚することは、かつての私にとって最大の夢だった。あの頃の彼は、私を愛してくれていると信じていた。 だが、夢の中で彼の笑顔は次第に歪み、沙羅と手を繋ぐ姿に変わった。 沙羅の甘い笑み、哲也の冷たい視線がみえた。 『新しい芝居か?』 その言葉が、夢の中で何度も反響する。裏切りの痛みが、胸の奥で何かを音を立てて崩した。 *** 目を覚ますと、病室はまた白い静寂に包まれていた。カーテンが風に揺れ、外の光が壁に柔らかな影を落とす。英司はベッド脇の椅子に座り、黙って私を見守っていた。その温もりが、嵐のような心を少しだけ落ち着かせた。 でも、心の奥ではまだ波が渦巻いている。私はお腹に手を当て、かすかな鼓動を感じた。この子を守るためなら、どんな困難も乗り越えられる――そう自分に言い聞かせる。 そのとき、病室のドアが静かに開く気配がした。 「兄さん……?」 だが、疲れで目を開けられず、声もか細い。温かい手がそっと私の手を握る。その感触はほんの一瞬で、すぐに離れた。不思議な安堵と、わずかな寂しさが胸を満たした。
Last Updated: 2025-10-11
Chapter: 第5話
朝の光が室内に静かに差し込む。カーテンの隙間から漏れる光は、白い帯となって床に落ち、ゆっくりと時間を刻んでいた。 「ここ、は……」 「みさきっ?」 私を呼んだのは兄だった。 目が覚めていくと、昨日の混乱と恐怖が重い残像となって思い出された。 沙羅に突き飛ばされ、硬い床に背中を打ちつけた瞬間の衝撃。鋭い痛み。 それから自室で寝たはずだけど、なぜか病院にいる。病室の無機質な空気が私を包んでいた。 消毒液の匂い、白い壁、遠くで聞こえる医療機器の単調な音が聞こえてきた。 視線を動かすと、ベッド脇の椅子に兄が座っていた。 「美咲……」 その低い声に、私は小さく息を吐く。 目がかすかに涙で潤む。喉が締めつけられ、言葉を紡ぐ前に、ただ一つのことが気になった。 「兄さん……どうして、私。あっ、お腹の子は!?」 英司は黙ってうなずき、私の手をそっと握った。その手の温もりが、凍てついた心に染み渡る。小さな命の鼓動が、確かに私の中で生きていることを教えてくれるようだった。 「無事だ。お前の中で、強く生きようとしている」 その言葉に、胸の奥で安堵が込み上げた。 英司は深く息をつき、私の目をじっと見つめた。普段は冷静で理性的な彼の瞳に、微かな怒りの影が揺れる。 英司は一瞬、視線を逸らし、唇を固く結んだ。彼の拳がゆっくりと握られ、関節が白くなる。怒りを抑えるように深く息をつき、静かに言った。 「……お前は彼のもとに戻るつもりか?」 その言葉は優しく、だが私の決意を試すように重かった。胸の奥で、小さな命の鼓動がかすかに震える。それが、私を支える唯一の力だった。私はゆっくりと顔を上げ、英司の目を見つめた。 「もう、事故の運転手や母の無実の問題だけじゃない。哲也は選んだのよ――沙羅を。私には、私の道を選ぶ必要がある。幸い、流産はしなかった。この子は強く、生きようとしているって、私に教えてくれている。だから、どんなことをしてもこの子を守る。沙羅みたいに、子供を利用して哲也の心をつなぎ止めるような真似は、絶対にしない」 私の声は震えていたが、決意だけは揺るがなかった。英司は私の手をじっと見つめ、やがて微かに笑った。どこか懐かしい、母のような優しさがその笑みに宿っていた。 「本当に強いな。母さんそっくりだ」 その言葉に、胸が熱くな
Last Updated: 2025-10-11
Chapter: 第4話
検査室を出ると、私の足は自然と廊下へと向かっていた。頭の中は混乱で埋め尽くされている。哲也さんの冷たい視線、沙羅の嘲笑、彼の疑念――すべてが絡み合い、胸を締めつける。だが、立ち止まるわけにはいかない。お腹の命を守るため、私は前に進まなければならない。 廊下の先に、人影が見えた。哲也さん――そしてその隣には、鮮やかな赤いドレスを纏った沙羅。血の気が引く。足がすくみ、膝が震える。だが、この子を守るため、私は逃げられない。 英司の手が私の腕を支え、震えながらも歩を進める。「美咲、無理はするな」と彼は囁くが、その声は遠く、鼓膜の奥で反響するだけだった。私は勇気を振り絞り、震える声で告げた。 「哲也さん……私、妊娠しているの。だから、離婚はやめてほしい」 一瞬、彼の瞳が揺れた気がした。胸が跳ね、希望がわずかに灯る。だが、次の瞬間、冷たい怒りがその光を塗りつぶした。 「それは……新しい芝居か?」 その言葉は、鋭い刃となって私の胸を貫いた。震えが止まらず、視界が滲む。言葉を失い、ただ立ち尽くしてしまう。 「ち、違うわ! 本当なの!」 涙で声が震えるのを必死に押さえ、叫ぶ。 「哲也さんっ。お願い、信じて……!」 だが、哲也さんは私の言葉を無視するように、冷酷に続けた。 「お前の目的は地位と財産だろ。神宮寺家の支援を維持し、兄の将来を守りたいだけだ」 その言葉に、胸の奥で何かが音を立てて崩れた。私はこの人を愛している。 なのに、なぜ私の言葉は届かないのか。なぜ、こんなにも信じてもらえないのか。心が砕け散るような痛みが、全身を駆け巡った。 「もう話すことはない。英司の将来を守りたいなら……離婚届に署名しろ」 彼の声は、冷たく、棘のように私を貫いた。握りしめた検査結果の封筒が、手の中で冷たく震える。絶望が心を覆い、足元が崩れ落ちそうになる。 そのとき、沙羅が甘ったるく、しかし鋭い声で割って入った。 「ごめんなさい、携帯を車に忘れてしまって……」 哲也さんは不機嫌そうに頷き、足早に廊下の奥へと消えた。残されたのは、私と英司、そして沙羅だけ。彼女はゆっくりと振り返り、氷のような笑みを浮かべた。 「男をつなぎ止められないのね。あなたの母親も夫をつなぎ止められなかった。……今度はあなたの番よ」 その言葉は、私の心を粉々に
Last Updated: 2025-09-24
Chapter: 第3話
翌朝十時、東京駅の改札口は人混みで溢れていた。雑踏の中、ざわめく足音や話し声が耳に遠く響く。私は人波をかき分け、懐かしい背中を探した。そして、視線の先に兄である橘英司がいた。 アメリカでの三年間が、彼を洗練された大人の男に変えていた。ダークグレーのスーツは仕立てが良く、肩幅もかつてより広く感じられた。だが、私に気づいた瞬間、彼の顔に浮かんだ笑顔は、子どもの頃と変わらない柔らかさだった。少しやつれた頬、疲れを滲ませる目元。それでも、英司の笑顔は私の凍えた心を溶かす陽だまりのようだった。 「美咲……」 彼の低い声が小さく呟かれ、私は思わず駆け寄った。英司も両手を広げ、私の肩を強く抱きしめる。その温もりに、涙がこみ上げるのを必死に堪えた。七年ぶりの再会。母の死後、孤独に耐えきれず泣き崩れた私を、黙って抱きしめてくれたあの日の記憶が蘇る。兄の存在は、私にとって最後の家族であり、唯一無二の支えだった。 だが、彼の表情はすぐに曇った。私の青白い顔、目の下の隈、やつれた姿に気づいたのだろう。英司は無言で私の腕を取り、タクシーに押し込むように乗せた。行き先は病院――私の体を心配した彼の判断だった。 タクシーの中、兄は私の手を強く握っていた。その手の力強さと温もりが、凍てついた心を少しずつ解かしていく。だが、胸の奥は依然として不安で埋め尽くされていた。哲也さんの冷たい言葉、沙羅の嘲笑、母を汚す手紙。それらが頭の中で渦を巻き、息を詰まらせる。 病院に着くと、検査室の無機質な空気が再び私を包んだ。消毒液の匂い、白い壁、機械の冷たい音。すべてが昨日の診察室を思い出させ、胸が締めつけられる。医師が検査結果を手に、静かに、だが重々しく告げた。 「橘さん、流産の危険があります。絶対安静が必要です。少しでも無理をすれば、胎児に深刻な影響が出る可能性があります」 その言葉は、雷鳴のように私の心を打ち砕いた。視界が揺れ、喉が締めつけられる。手に握った検査結果の封筒が、まるで鉛のように重かった。お腹の命を守るため、これから私は自分自身を厳しく律しなければならない。だが、その重圧は、私の心をさらに追い詰めた。 病室に戻ると、英司は椅子に腰を下ろし、拳を握りしめたまま私の話を聞いていた。手紙のこと、沙羅の告発、哲也さんの疑念――すべてを、震える声で語った。母が神宮寺
Last Updated: 2025-09-22
Chapter: 第2話
タクシーの車窓から見える街の灯りは、どこか冷たく遠いものに感じられた。兄との通話で温まった心は、帰宅の道を進むごとに少しずつ冷えていく。胸の奥では、「哲也さんにこの知らせを伝えれば、きっと喜んでくれる」という淡い期待があった。でも同時に、どんよりとした不安が重石のように心にのしかかる。 私たちの結婚は、愛から始まったものではない。神宮寺家の恩義と、ビジネスライクな契約の産物。哲也さんの心に別の女性――私の表妹、西園寺沙羅がいることも知っている。だからこそ、妊娠という事実が彼にどんな感情を呼び起こすのか、想像もできなかった。 タクシーが神宮寺家の門前に停まる。巨大な鉄の門扉が、闇の中で冷たく光っていた。運転手に礼を告げ、芝生の庭を抜けて玄関へ。窓から漏れるシャンデリアの明かりが、豪奢なリビングの影を映し出している。だが、その光はどこか虚しく、温もりを欠いていた。 「ただいま……」 小さな声で呟き、ドアを開ける。瞬間、胸の奥に嫌な予感が走った。空気が重い。人の気配が、まるで刃のように鋭い。廊下を進み、リビングに足を踏み入れた瞬間――。 「美咲!」 鋭い声が空気を切り裂いた。ソファに腰かけた夫・哲也さんが、怒りに顔を歪めていた。隣には、鮮やかな赤いドレスを纏った沙羅が、涼しい顔で座っている。彼女の唇には、まるで獲物を嘲るような薄ら笑いが浮かんでいた。 「て、哲也さん……? どうしたの」 かろうじて声を絞り出すと、哲也さんは容赦なく怒鳴った。 「とぼけるな!」 机の上に置かれた一通の手紙を乱暴に掴み、私に向かって投げつけた。紙は宙を舞い、床に散らばる。震える指で拾い上げ、目を通した瞬間、視界が揺れた。 そこに記されていたのは――。 あの日、俺は金を受け取った。事故を装えと命じたのは、橘美咲の母親だった。標的は神宮寺夫妻。俺は言われた通りに車を走らせた。だが計画は失敗し、俺だけが罪を背負った。 「……そんな……」 頭が真っ白になった。この筆跡、この内容――まるで悪夢だ。母がそんなことをするはずがない。優しく、いつも私を第一に考えてくれた母が、なぜ? 「どういうことか説明しろ!」 哲也さんの怒声が胸を突き破る。私は必死に言葉を紡いだ。 「違う……違います! 母はそんな人じゃなかった。こんな残酷な計画なんて、絶対にありえない!」 「言い訳は聞
Last Updated: 2025-09-22
Chapter: 第1話
白い壁に囲まれた診察室は、消毒液の匂いが鼻をつき、どこか無機質で冷たい空気を漂わせていた。蛍光灯の光が眩しく、壁に映る自分の影がやけに薄く見えた。机の向こうで、医師がカルテをめくる音がカサカサと響く。眼鏡の奥の目が細まり、低く落ち着いた声が告げた。 「おめでとうございます。橘さん、妊娠されていますよ」 その一言が、まるで重い石を水面に投じたように、私の心に波紋を広げた。世界の輪郭がぐにゃりと歪み、時間が一瞬止まった気がした。耳鳴りがして、頭の中が白く霞む。 ――私の中に、命が宿っている。 「……え」 思わず漏れた声は、自分でも驚くほど小さかった。反射的に指先でお腹をそっと押さえてみる。だが、そこにはまだ何の変化も感じられない。ただ、心臓の鼓動がやけに速くなり、全身を血が駆け巡る感覚だけがリアルだった。胸の奥で、喜びと不安がせめぎ合う。 「週数としては、まだ初期段階です。順調に育っていますが、これから気をつけることは多いですよ」 医師は淡々と説明を続けた。栄養バランス、適度な運動、アルコールやカフェインの制限、体を冷やさないための注意……。言葉の一つ一つは頭に入ってくるのに、心はどこか別の場所を漂っていた。まるで現実から一歩離れた、夢のような空間にいるかのようだった。 ――私が、母親になる? 白い部屋の中で、ふと母の面影が浮かんだ。七年前、交通事故で突然この世を去った母。いつも穏やかに微笑み、私の髪を撫でてくれたあの温かい手。事故の日の朝、最後に交わした何気ない会話――「美咲、今日も元気でね」。その声が、今も胸の奥で鮮やかに響く。母の笑顔を思い出すたび、涙腺が緩むのを抑えきれなかった。 診察室を出ると、病院の廊下は人の足音と話し声でざわめいていた。看護師の呼び出しアナウンス、患者の家族のひそひそ話、車椅子の軋む音。それらが雑踏のように混ざり合い、耳に遠く響く。私はただ、自分の靴音だけを頼りに歩いていた。頭の中は「命」という言葉で埋め尽くされ、他の音はまるで海の底から聞こえるようにくぐもっていた。 *** 病院の玄関を出ると、12月の冷たい風が頬を刺した。吐いた息が白く舞い、夜空に溶けていく。街はクリスマス前の華やぎに包まれ、ガラス張りのビルには色とりどりのイルミネーションが映り込んでいた。通り過ぎるカップルの笑い声や、子どもが母親にねだる声が
Last Updated: 2025-09-22
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