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第172話

作者: 無敵で一番カッコいい
明日香はまだ足を引こうとする間もなく、足首をがっしりと掴まれた。

「お前のために薬を塗ってやろうって言ってんだよ。見えてねえのか?」

顔を上げた淳也は、いつも通りの不遜な口調で言い放った。あまりにも意外な言葉に、明日香は思わず耳を疑った。

淳也が、薬を塗ってくれる?

到底、信じられなかった。

学校で彼女を絞め殺しかけたその男が、今さら親切に薬を塗るだなんて。この薬だって、本当に安全かどうか、誰にもわかりはしない。

一度だまされて痛い目を見れば、もう充分。少し優しくされただけで、すぐに心を許してしまうほど、自分は愚かじゃない。

淳也はすでに手のひらに薬を取り、明日香の腫れた足首に指を伸ばしていた。

とっさに、明日香は足を引っ込めた。

「わ、私、大丈夫だから。薬なんて、いらない」

その瞳に、どこか恐れにも似た疑念を浮かべながら、明日香は寝椅子の手すりに手をかけて立ち上がろうとした。

淳也は軽く眉を上げ、ゆるやかに身体を起こすと、何気ない様子でティッシュを取り、薬のついた手を拭いたまま、明日香の様子を黙って見ていた。

だが、一歩足を踏み出した瞬間、足首に鋭い痛みが走り、明日香は再びその場に倒れ込んでしまった。

「頑固な奴ってのは何人も見てきたが、お前ほどの奴は初めてだ。いいよ、俺の好意なんて受け入れなくても。勝手にしろ」

吐き捨てるように言いながら、淳也はくしゃくしゃになった紙をその辺に投げ捨てた。目元には冷たい光が浮かんでいた。

ちょうどその時、遠くから明るく張った声が飛んできた。

「淳也?何しに来たの!」

その声に、明日香は顔を上げた。視線の先には、上品で華やかなドレスを身にまとった遥が、怒気を孕んだ足取りでこちらへ向かってくるのが見えた。

そして、彼女が淳也を見つめる視線――それは、まるで仇でも見るかのような、露骨な嫌悪と軽蔑に満ちたものだった。

あの目......それはかつて、1組の全員が明日香に向けていた、あの忌々しい視線とまったく同じだった。

まさか、こんな日が来るとは......あの淳也が、他人からあんな目で見られる日が。

明日香は、思わず息を呑んだ。

淳也という男は、あまりにも誇り高く、傲慢で、誰の手にも負えない存在だったはずなのに。

「大丈夫?どこか怪我してない?」

遥は明日香の側に寄り、心配そうに声をかけ
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