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第102話

Author: 青山米子
厳島の視線に、抑えきれない憐憫の色が滲むのを、一葉は静かに受け止めていた。彼が何を憐れんでいるのか、手に取るように分かる。

全財産を投じて支えた男に裏切られた挙句、血を分けた両親と兄にまで見捨てられ、社会的に殺されようとしている――そんな自分を。

だが、一葉自身に感傷はなかった。この結末は、すべて彼女の想定内にあったからだ。

あれほど一葉の幸福を妬む優花が、なぜこの切り札をもっと早く使わなかったのか。その理由は、いくつか考えられた。

一つは、この映像をちらつかせることで、養父母である青山夫妻の一葉への嫌悪を増幅させ、言吾には罪悪感を植え付けて自身への償いを強要し、無条件の庇護を得るため。

そして何より重要なのは、彼女自身が言吾の父の女だったという過去を公にしたくなかったことだ。言吾と結ばれる可能性を、僅かでも残しておきたかったからだろう。

だが今、その過去は白日の下に晒された。もはや「悲恋の幼馴染」という物語は通用しない。言吾との未来が完全に断たれた今、彼女がこの動画を懐にしまい込んでおく理由はない。これは、彼女に残された最後の博打なのだ。

だからこそ、優花はどんな手を使っても、この動画を世に放つはずだった。

そして、娘よりも養女を溺愛する両親は、その「可哀想な」優花のためならば、喜んでその片棒を担ぐだろう。

「お前が謝りさえすれば、それで全て済む話だ」と口先だけで一葉を守るような素振りを見せていた言吾もまた、ひとたび優花が涙を流せば、必ずや真っ先に彼女を選び、一葉を切り捨てるに決まっている。

その結果が、今のこの状況だ。

今となっては、彼らの本質を誰よりも理解していたことが、唯一の救いだった。拘留される恐怖に屈し、言吾の言うままに謝罪会見など開いていれば、今頃は反論の機会さえ与えられず、実刑判決が下されていたかもしれない。

まだ、真実を明らかにする機会は残されている。

一葉は伏せていた顔を上げ、アクリル板の向こうの厳島に、不意に微笑みかけた。その笑みは、絶望的な状況にはそぐわないほど、静かで、そして力強かった。

「だからこそ、私たちは一刻も早く真相を突き止めなければなりません。……どんな手段を使ってでも」

彼女の声には、確固たる意志が宿っていた。「報酬を惜しまなければ、真実は必ず顔を出すものですわ」

金なら、ある。自分がやっていない
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