結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。
view more「アレシア様、旦那様から本日のお食事には忙しくて、間に合いそうもないから、先に食べていてほしいと早馬が届いております。」
執事のヨルダンは、顔を伏せ、落胆した表情を浮かべる。
アレシアは、食堂で夫と結婚三周年を祝おうと、料理人が心を込めて用意してくれた料理を前に、ため息を漏らした。
私の夫であるトラヴィス・オフリー公爵の瞳の色である濃い青色に統一された室内の装飾品やムード作りのために灯された蝋燭達。
そのすべてが、広い食堂の中心で一人、ぼんやりと椅子に座る私を静かに見守っている。
どうして邸の者達が、私達夫婦の記念日を心を込めて祝おうとしてくれているかわかっている。
誰しもが気づいているのだ。
トラヴィス様と私の関係が決して順調ではないことを。だから、何とか二人の仲をとり持とうと皆が準備してくれたこの記念日の会は、トラヴィス様が帰らないことで、すでに破綻している。
「残念だけど、先に食べようかしら。」
私が少し冷め始めた料理を前にそう言うと、ヨルダンや侍女達の顔に明らかに安堵の表情が浮かぶ。
「皆さんも一緒に召し上がって。
きっとトラヴィス様は今日はもう食事を取らないでしょうから。 一人で食べるより、みんなで食べた方が私も楽しいもの。」私のその言葉を受けて、使用人達はそれぞれ料理を運び込み、みんなで食事を始める。
テーブルには、皆が食べる分のたくさんの料理が並べられていて、それを隔てなく食べるのが、私達の常だった。
「これ、とても美味しいわ。」
私が特にお気に入りのミルクを使ったスープに満足していると、その言葉に長年公爵家に勤める料理人は、にっこりと笑みを浮かべる。
「アレシア様の好きな味付けは心得ておりますので。」
「ふふ、ありがとう。」
トラヴィス様の帰りはいつも遅く、私は普段、このように使用人達と夕食を共にしている。
最初は女主人と一緒に食事をすることに恐縮していた使用人達であったが、私と特に一緒の時間を過ごす侍女のエイダが躊躇うことなく食事を取るのを見て、次第に一人、又一人と加わるようになったのだ。
エイダは、年若いが、母親も長らく侍女を勤め、この邸で一目置かれる存在だ。
そのため、結婚して三年が経った今では、ほぼ全員と食事を共にするようになった。
それは、トラヴィス様があまりにも私をかえりみることなく、毎日帰宅が遅いため、しだいに私を気の毒に思っていたのもあるだろう。
「この深い青色のカーテンやテーブルクロスが素敵ですね。
どちらのお店で購入されたのですか?」「それは、王都の他にいくつもの支店がある人気の生地屋の物です。
エイダの友人の紹介で。」皆、それぞれに会話を楽しみながら、食事をしている。
私はその光景を眺めながら、ふと私がここにいる意味はなんだろうと自答する。
トラヴィス様にとって、私達の結婚はさして意味をなさないものなのだろう。
祝う必要もない相手との結婚記念日。
なんて、空虚で寂しい響きだろう。私はただ、トラヴィス様と夫婦として日々の出来事を語り、一緒にたわいのない楽しみを見つけて、二人で穏やかに生きていけたらと思っていた。
けれども、その願いすら叶わない。
彼にとって私はもう必要のない存在なのだろう。今、こうしてこの邸の使用人達だけが私を気遣ってくれている。
「アレシア様、以前よりお話していた通り、友人と一緒にドレスを作る夢があったのですが、その友人が経営するお店が資金繰りに困っていて、閉店の危機らしいんです。」
エイダは、考え込む表情をすると、食事の手を止める。
「それは大変ね。」
「友人が心配なので、明日、そのお店を訪ねてきても良いでしょうか?」
「もちろんよ。
私のことは気にしないで。 …いえ、私も行っていいかしら?」「えっ、アレシア様もですか?」
「ええ、何度もそのお店の話を聞いていたから、私も気になるの。
私はここにいてもいなくても、変わりないし。」このオフリー公爵家に来てから三年が経つけれど、公爵家の執務などはすべてトラヴィス様が担っているし、邸の運営はヨルダンがしている。
なので、私の役割は夜会にトラヴィス様と出席したり、お茶会に参加したりと、社交の部分だけであった。
よく考えれば、私はここに必要とされていない。
まるでお飾りのような存在だわ。私の言葉に使用人達は顔を見合わせ、視線で何かを伝え合っている。
彼らにとって恐れていた事態が、いよいよ現実になろうとしているのがわかるのね。
旦那様に大切にされない私が、ついに動き出そうとしているのではないかと。
十中八九、この先、私は若い遊び人の男と付き合うようになり、邸での夫婦仲は険悪になる。
政略結婚の二人が陥るありがちな展開だ。
だからこそ、そうならないようにと使用人達は心を尽くし、今日の会を提案した。けれども、その気遣いが私を追い詰め、ついには私が外に目を向けるきっかけになってしまうとは、誰も想像し得なかったのかしら。
ただ一つ間違っているのは、私には新しい男性を作るつもりが全くないということ。
でも、ここで「私は新しい男性など作らないわ。」と邸の者達に宣言するのもどうかと思うから、あえて説明しないけれど。
「では、アレシア様、明日昼頃に参りましょう
。」「わかったわ。」
私はこの無意味な日常から、ほんの少しだけでも解放されたいと思った。
結婚してから、トラヴィス様との間にまだ子供はできていない。
もし、二人の間に子供ができていれば、彼の気持ちが少しでも私に向いたのだろうか。そんなことを考えても仕方がないのだけれど。
もう、彼に何かを期待するのはやめよう。
彼に私を思って欲しいと思い実行してきた数々の努力は無駄に終わって。もう、新たな策など湧いて来ないほどにやり尽くした私は、抜け殻のよう。
王都での食事や買い物、観劇やハイキングなど色々と誘ってみたけれど、時が経つにつれて、彼の私への関心はどんどん薄れていった。
ここ二年は彼と過ごすことなど、ほぼなかった。
新婚当初は幸せを感じていたけれど、今では彼は私を全く気にかけなくなってしまった。
私はただ、夫婦二人で時を重ね、旅行に行ったりして穏やかな幸せを感じたかっただけなのに。
でも、もうトラヴィス様のことは諦めよう。
彼がこの先私を想うことなどないのだから。トラヴィス様を中心にして過ごしてきた三年間はついに終わりを迎えた。
明日からは自分を大切にし、思いのままに生きてみよう。
今日もアレシアは静かに湖を眺めていた。 水面に降り注ぐ陽の光が反射して、とても綺麗ね。 空も澄み渡って、どこまでも青い。 すべてを失っても、陽の光と青い空、この湖の美しさ、澄んだ空気は変わらないわ。 お兄様が選んだこの場所が、閉ざされた地下ような狭く息苦しい所でないだけ救いかもしれない。 その時、ふと湖に目をやると、湖に浮かぶ小さな船が何隻も見えた。 ここに来てから、船なんて一度も見たことが無かったわ。 その船達はどんどん島に近づいて来るように見える。 もしかしたら、私を助けてくれる船かもしれない。 けれど、同じぐらいの確率で悪意のある人達が襲おうとしているのかも。 怖いわ。 でも、どこにも逃げ場なんて、この島にはないのだ。 考えただけで、体が震えるほどの恐怖に襲われる。 とりあえず、…お兄様。 必死に別邸の中を走り回って探しても、どこにも姿が見えない。 こんな時にお兄様は、一体どこに行ってしまったの? 自分から彼を探すことがないから、どこをどう探せばいいのかすらわからない。 焦りだけが募る中、湖岸に船が着き、剣を手にした男達が、まっすぐ邸へ向かって駆けてくるのが見えた。 不安と焦燥が胸をかき乱す。 玄関の方から、誰かが扉を叩くような音が響いた。 続けざまに、強く、激しく。 ドンドン、ドンドンドン。 私は思わず息を呑み、急いで寝室に入り、ベッドの横に身を潜める。 息を殺して、なるべく小さくなるようにしゃがんだ。 でも、寝室に人が入って来たら、すぐに見つかってしまうだろう。 これではとても隠れたうちに入らない。 バキ、バキバキッ。 ドアが破られる音が聞こえる。 もし、見つかってしまったら、今日が人生最後の日になるかもしれない。 そう思って、寝室で小さくなり震えていると、走る足音がいくつも響き、その一つが近づき、後ろから優しい声が聞こえる。「アレシア、ここにいたんだね。 もう大丈夫だよ。 一緒に帰ろう。」「トラヴィス様なの?」 久しぶりに聞くトラヴィス様の声に、咄嗟に上を向くと、彼が微笑んで、私を見つめている。「そうだよ。 君の夫のトラヴィスだ。 無事で良かった…本当に。 一緒に帰ろう。」「私、お邸に戻ってもいいの?」「もちろん、そのために迎えに来たんだから。」 私は躊躇いがちにトラヴ
アレシアは今日も変わらず、湖のほとりをどうすることもできずに歩いていた。 泳いで渡るには大き過ぎるし、いかだを作ったこともなければ、そのための技術もない。 それなら、小さな空き瓶にお手紙を入れて流してみるのはどうかしら? いつか誰かがそれに気づいて、手紙を読んで、この湖を渡って助けに来てくれるかもしれない…。 わかっている。 その可能性はほぼないに等しい。 けれど、このまま何もしないよりは、できる事を試してみよう。 そうして、お手紙をしたためる。 「私がこの島に閉じ込められていること。」 「オフリー公爵へこのお手紙を渡してほしいこと。 私は彼を心から想っていて、きっと彼はこの手紙を読んだら、届けてくれたあなたを邪険にすることはないこと。」 トラヴィス様は、私のことを過去だと思っても、私の救出のために動いてくれる。 そんな優しさは、短い結婚生活で感じていた。 だから、嫌われているとわかっていても最後に頼りたいのは、やはりトラヴィス様だったし、想い浮かべるのもやはり彼だった。 離縁したいと一方的に姿を消すことで、彼の人生に傷をつけ、失望させたのもわかっている。 それでも、変わらず彼のことが好きだった。 「もし、彼が無理ならばせめて、モナンジュにお願いしたいこと。」 「願いが叶ったならば、報酬もお渡ししたいこと。」 それらを丁寧にしたため、署名した。 そのお手紙の入った瓶を十ほど流してみたけれど、時間をかけてそのほとんどが波に押し戻され、再び湖畔に戻って来てしまった。 私は落胆しながら、再びその瓶を湖に流し、穏やかな湖を見つめる。 お兄様の計画は完璧で、どんなに私が足掻こうとしても、湖を渡る方法は見つかりそうにない。 そんな私とは対照的に、彼はいつもと変わりなく、湖へ行くという私を優しく送り出し、成果がなく、夕方になりしょんぼりと帰る私に、食事を作ってくれている。 一見すれば、穏やかな兄妹の生活だけど、私はお兄様の内に潜む狂気が怖い。 今だトラヴィス様から、離縁状のサインがもらえず、私達はかろうじて兄妹のままだ。 でも、もしトラヴィス様がサインをしてしまったら、きっとお兄様は私と無理矢理結婚するだろう。 その時、ここに囚われたままの私に逃げ場などないし、助けを求めれる相手すら誰もいない。 けれど私は、どんな理由があ
「夜遅くにすまない。 入れてもらえないだろうか?」 トラヴィス達がモナンジュを訪れると、困惑した顔のレオニーと言う店の女性と、あまり会いたくないと思っていたカーライルが、僕らを迎え入れた。「オフリー公爵様、お久しぶりです。 どうかなさいましたか?」「こちらにアレシアが来ているかい?」「いえ、オフリー公爵様と離縁することになったと言って、一度顔を出したきりです。」「やはり、こちらにもいないか。」「公爵様、アレシア様は落ち着いたら、また来ると言っていました。 でも、こんなに長く来ないなんて、何かあったのではないかと心配しているところでした。 ところで、そちらの方は?」 「こちらは私の友人のリベロと言う男です。 彼はアレシアの兄が気にかかると、一緒に来てくれたのです。」 リベルト王子は軽く会釈するが、カツラを被っているため、レオニー達は彼が王子だと気づかない。 彼は時々、こうして王都の街を自由に歩き回っている。 その時、ずっと黙っていたカーライルが重い口を開ける。「オフリー公爵様、僕のことを快く思っておられないのは承知しておりますが、お話してもよろしいでしょうか?」「ああ。」「では奥にいらしてください。」 アレシアがカーライルのところにいないのなら、彼よりホリック卿が中心となっている可能性が高い。 だが、それは彼とじっくり話をしてみないとわからない。 本来であれば、彼に助けを求めるなど絶対にしたくなかったが、今はそうも言っていられない。 彼女を取り戻すためには、どんな手段も惜しまない。 その中には嫌いなこの男と協力することも含まれている。 屈辱ではあるが、その覚悟はすでにできていた。 僕達四人は店を閉めて、奥の部屋で腰を据えて話をすることにした。「アレシア様が最後にここに来た時、とても沈んだ様子でした。 オフリー公爵様に、肌を美しくする薬を飲んでいたことを咎められたと。 そして、嫌われたまま邸にいるのはつらいから、もう離縁するつもりだと。 けれど、その時ふと思ったのです。 肌が綺麗になる程度の薬を飲むだけで、両家やその親族、さらには貴族社会全体の力関係にすら影響を与えるような結婚を、それだけで蔑ろにする男などいない。 きっと根本的な何か、別の重要な理由があるはずに違いないと思いました。 だから僕は、このまま
「まだいたのか? 浮かない顔をしているな。 夫人と何かあったのか?」 トラヴィスが王宮で急ぎもしない執務を片付けていると、リベルト王子が現れて、早速触れてほしくない話題を口にする。「リベルト様、お耳汚しになりますので気になさらず。」「そんなことを言っても、私にも関わることだから、ちゃんと話してもらうぞ。」 観念した僕は、リベルト王子に従い、彼の私室で、強めの酒を酌み交わしながら口を開く。「ここに僕を連れて来た時は、どんな尋問よりも隠しごとを許さないですよね?」 ここは完全な私室で、近衛兵が入り口を警備し、限られた者しか近づくことさえできない。 だから、ごく個人的な話でも人に聞かれることなく話せるのだ。「で、何があったんだ?」「妻が再び出て行きました。 僕はアレシアには好きに生きていいなんて言いながら、実は隠しごとをせず、僕に本当の気持ちを話して欲しかったんです。 そして、彼女は今でも心を開くつもりがないと知った時、気持ちを抑えきれず、ついに彼女を突き放してしまいました。 それからは、彼女と向き合うことができず、顔を見るのを避けていたんです。 それでも朝方になると彼女のいるベッドに入り、彼女を抱きしめてわずかに眠りつく、そんな日々を送っていました。 けれども、彼女は僕を許せなかったのでしょう。 ついに使用人達の静止を振り切って、邸を出て行ったそうです。」「でも、いつものモナンジュというドレス工房にいるんじゃないのか?」「おそらく、そちらにはいないでしょう。 今回はアレシアの兄のホリック卿と出て行ったと、邸の者が話していたので。 それに、アレシアからの代理で、そのホリック卿から離縁状が送られてきております。 つまり、アレシアは本気で僕と別れたいと思ったのでしょう。 今はもう後悔しかありません。 どうして僕はあの時、子供は諦めるから、そばにいてほしいと言わなかったのかと。」「その話は、初めて聞いたよ。 夫人は子供が欲しくなかったのかい?」「はい、アレシアは僕が気づいていないと思って、最初から避妊薬を飲んでいました。 結婚したばかりの頃はまだ、彼女の妊娠したくないと言う気持ちを尊重して、深く詮索するつもりはありませんでした。 けれども、一年が経っても全くやめようとしないその姿に絶望したのです。 アレシアは、一生僕
目が覚めるとアレシアは、湖を見渡せる別邸のベッドに横たわっていた。 白く可愛らしい寝室には、自分が寝ている大きなベッドがあり、目の前には陽の光に照らされてキラキラ輝く湖が広がっている。「やあ、目覚めたかい? 僕の眠り姫。 何をしても起きないから、驚いたよ。 眠りが深いのは、相変わらずなんだね。」 お兄様がベッドサイドの椅子に腰掛けて、微笑んでいる。「最近、トラヴィス様を想って眠れなかったから、余計に寝てしまったのね。 でも、眠りが深いのは変わらずなの。 それに良く寝たから、元気が出て来たわ。 ここがお兄様の言っていた湖の見える別邸なのね。 とても綺麗だわ。」「そうだよ。 この別邸を初めて見た時から、アレシアをずっとここに連れて来たかったんだ。」「嬉しいわ。 ありがとう。」「ここで二人で暮らそう。」「よろしくお願いします。 あれ? このベッドの頭の所に掛かっている大きな絵は私?」 ベッドの頭側の壁に、両手を広げるほどの絵画が飾られていて、そこには椅子に座り微笑んでいる私が、描かれている。 おそらく、私の結婚前の頃の絵ね。 どうしてここにあるのかしら。「そうだよ。 綺麗だろ?」「こんな絵をいつ書いてもらったのかしら? 全然覚えていないわ。」「邸にいた者で絵の才能があるやつがいたんだ。 その者に書かせたよ。 それよりお腹が空いただろう? 食事にしよう。」「はい。」 二人は湖の見える庭で、朝食を食べる。 テーブルには、パン、スープ、果実水が並ぶが、どこか違和感がある。 何だろう?「美味しいかい?」「ええ、自然の中だと食欲が湧くわ。 最近、食事が喉を通らなかったから。」「だったら、もう少し運んで来ようか?」「いいえ、これだけで十分よ。 近くで湖を見てもいいかしら?」「もちろんだよ。 一緒に行こう。」 二人は並んで静かな湖の景色を眺めている。「とっても綺麗、水が透き通っているのね。」「そうだ。 湖はとても深いことを知っているかい?」「そうなの? 知らなかったわ。」「湖はね、深いし、広いから泳いで渡ることは不可能なんだ。」「ふふ、向こうの岸さえ微かに見える程度なのよ。 ここを泳ごうとする人なんていないわ。」「そうだね。」 邸に戻ると、寝室のベッドは乱れたままだった。「あ
もうどれくらいの間、トラヴィス様のお顔を見ていないかしら。 アレシアは、昼間はモナンジュで仕事に集中し気を紛らわせていたが、夜一人になると静まりかえる寝室で、ただトラヴィス様の帰りを待つ日々が続いている。 もしかしたら、今日こそ彼が寝室を訪れ、もう一度やり直す機会を与えてくれるかもしれないと淡い期待を捨てきれずにいた。 私が元々美人で、肌の美しさにこだわったりしなければ、トラヴィス様は私を嫌わずにいてくれたのかしら? それとも、二人の間に秘密を持たずに、お薬のことを打ち明けていれば、許してくれたのかもしれない。 反対に、もっと早くトラヴィス様が、「薬を飲む私が嫌だ。」と言ってくれたなら、どれほど肌が荒れようとやめたのに。 いいえ、違うわ。 私は嫌だと言われるのがわかっていたから、内緒で続けていたんだわ。 だから、どこまでも私が悪い。 結果的に私は、彼の思いを裏切ってしまい、今となってはもう手遅れね。 きっと彼は二度と私に微笑んでくれることはないだろう。 昨日、お兄様にお手紙を書いた。 もう、トラヴィス様を諦める潮時なのだろうと思ったから。 彼には、私を避けるのではなく、もっと身体を休めるために寝室を使ってほしい。 私達がこうなる前のトラヴィス様は、以前より元気そうで溌剌としていた。 きっと彼は、私を避けないで生活すれば、いくら忙しいとはいえ、もう少し健やかに暮らせるのだろう。 私がここに居座ると、トラヴィス様の穏やかな生活の妨げになってしまう。 それも、避けたかった。 でも、一番は私に再び心を向けてくれたトラヴィス様が、また背を向けてしまったことに、もう耐えられなくなったからだと思う。 結婚三年目のお祝いの時も苦しかったけれど、今の苦しみは重くて、深い。 彼の口から、私を拒絶する言葉を聞いてしまったのだから。 あれから何度も思い返し、そのたびに悲しみに沈む。 まるで身体から全ての血が失われたように、抜け殻で、考えることも、感じることも息を奪う。 なんとか浅く息を繰り返すだけで、精一杯だった。-------------------------------------------------------------------------------------「やあ、アレシア、随分と塞いでいるじゃないか?」「お兄
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