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第339話

Author: かおる
雅臣と清子は翔太を連れて去っていった。

今度は誰も彼らを止めようとはしなかった。

三人が出て行ったあと、彩香が怒りを露わにする。

「星、翔太くんと雅臣はどういうつもりなの。

あんなにあなたを見下して。

大学に通ってたことを知らないの?」

星は水を一口含んで答えた。

「たぶんね」

影斗が星を見据える。

「どうして星ちゃんの経歴は、高校までで途切れてるんだ」

「高校を卒業する前に、国外へ出たからよ」

影斗の剣のような眉がわずかに動く。

「国外へ出たとしても、経歴が完全に消えるなんてあり得ない」

星は長い睫を伏せ、視線を落とす。

「それは......向こうで学んでいたとき、今とは違う名前を使っていたから。

その新しい名前の記録は、意図的に書き換えられたの。

調べても出てこないのは当然よ」

影斗の瞳に揺らめきが走る。

「書き換えられた......だと?」

彩香は星の様子を横目で見た。

隠す気がないと悟り、言葉をつなぐ。

「榊さん、雲井グループって聞いたことある?」

「どの雲井グループのことだ」

影斗の瞳がさらに深く沈む。

「まさか......M国の雲井グループじゃないだろうな」

彩香はうなずいた。

「その通り。

M国の雲井グループよ」

影斗の瞳孔が奥深く沈み、星へと注がれる。

「詳しく聞かせてもらえるか」

榊家の父子には、あまりに多くの助けを受けてきた。

そろそろ、話すべきときだった。

星はしばし黙し、それからゆっくりと口を開いた。

「実のところ、よくある陳腐でありふれた話なの。

両親は政略結婚だった。

結婚したときから、父は母をあまり好いていなかった。

なぜなら父には忘れられない初恋がいて、母がすぐに身ごもって子を産んでも、ずっとその女と縁を切らなかった。

母はやがて心が折れ、二人を成就させようと決心した。

けれどそのときになって、父はようやく母を愛していることに気づいた。

父は家庭に戻り、母に尽くした。

心から埋め合わせようとし、母に惜しみない愛を注いだ。

やがて母も、再び父を受け入れた。

そして二年後、母は双子の男の子を産んだ。

父は母に約束した通り、初恋との縁をきっぱり断ち切った。

ちょうどそのころ、母の実家は経営の失敗で破産寸前だった。

でも父は決して母を軽んじず、支え続けた
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