ブライダル会社に勤める緋雪(ひゆき)は、新企画のためのブライダルドレスのデザインを、新進気鋭のデザイナー・最上梨子(もがみりこ)に依頼しに行く。 しかし、オファーを請ける代わりに、ある秘密を守ってほしいとマネージャーである宮田(みやた)に頼まれてしまう。宮田は見た目とは違って中身は変わり者で、緋雪は振り回されるが、冗談めかしながらも好きだと言われるうちに意識し始める。 だが、宮田を好きなモデルのハンナに嫉妬された緋雪はあからさまに意地悪をされて……
view more「へぇー、思ってたより大きく載ってるじゃない!」
「麗子(れいこ)さん、恥ずかしいですってば」
「どうして? 緋雪(ひゆき)、写真うつりいいわよ?」
「あんまり見ないでくださいよー」
お昼の休憩時間、人気の女性雑誌をパラパラとめくりながら、会社の先輩社員である麗子さんがニヤニヤとした笑みで私を冷やかす。
【 ウエディングプランナー・朝日奈(あさひな)緋雪さん 26歳 】ブライダル会社で働いている一般人の私にとって、自分の顔が大きく載っている雑誌を目の前にすると、恥ずかしくて顔から火が吹きそうになる。
私は一年ほど前まで、式や披露宴、結婚指輪や引き出物など、お客様をサポートする実務に就いていた。
だけど今は企画部に移り、新しいプランの作成と、市場調査をおこなうのが私の仕事になっている。そんな私に、雑誌の取材オファーが来たのは一ヶ月ほど前だった。
記者がどこで私のことを知ったのかはわからない。 だけど、なぜか私を取材したいと名指しで指名してきたようだ。『いいじゃないか、朝日奈。会社にとっても良い宣伝になるし』
私の上司である袴田(はかまだ)部長は、その話を聞いた途端、笑顔で大賛成した。
『いや……でも、部長……』
『働く女性特集の記事だってさ。朝日奈が優秀だからオファーが来たんだよ。大丈夫だって! それにもう取材OKの返事をしちゃったからなぁ』
『え、えぇ?!』
否応なく、とは……まさにこのことだ。
私が断ろうと思ったときには、すでに部長が先方へ返事をしてしまったあとだった。 しかも、優秀だから、などと取って付けたようなお世辞まで言われて。 にこっとした笑みを向ける上司を目の前にして、力なくガクリとうな垂れたのを覚えている。袴田部長は、四十歳で独身の男性。
元々、インテリアデザイナーを目指していたらしい。 十年ほど前、違う会社から引き抜きで我が社へやってきた人材だということは、他の人に聞いて知った。たしかに部長は、何を選ぶにしてもセンスがいいし、アイデアも素晴らしい。
だから部長職に抜擢されたのだと思う。そんな部長のもとで一緒に仕事がしたくて、私は企画部への異動を希望して現在に至っている。
部長が面白いと感じたもの、いけると思ったプランは実際に評判を得ることが多い。
だから私は純粋に部長を尊敬している。先見の明があって仕事熱心だから。
もちろん、その尊敬の中に恋愛感情なんてものは微塵もない。 何より私は自分の作ったプランでお客様に喜んでほしい。この仕事をしていて一番に思うことはそれだ。部長に言われるがままに雑誌の取材を受けてしまったけれど、あとでこれだけは凄く後悔した。
出来上がってきた雑誌を見ると、予想以上に私の顔写真が大きかったから。 もっと目立たなく、小さく載るものだと思っていたのに。なんとか断ればよかったと、かなり本気で思ったけれど、こうなってしまっては後の祭りだ。
「だけど、ものには順序ってもんがあるからね」 「は?」 「まずは緋雪が僕のマンションに越して来る件を決行しなきゃ」 「えぇ?!」 昨日の発言、覚えていたんですか……。「とりあえず今日も仕事終わったらうちに来る? それとも今日は僕が初めて緋雪の家に行こうか?」 「あ、あの……」 「ほら、どっちにしろ帰るのが面倒っていうかさ。それなら居住スペースをひとつにしちゃえばいいんだよ」 「そ、そんなに一緒に住みたいんですか?」 興奮気味にペラペラと話す彼に、そう言葉を返すのが精一杯だった。「うん。だって毎日緋雪にキスしたいし。抱きしめたいし、それ以上のこともしたい」 「それだと、操さんの言ってたとおりじゃないですか!」 「ん? 操?」 「……なんでもないです」 軽く思い出し笑いをしているのを見られたくなくて、ふいっと顔を背けたのに。 彼は私の肩を掴んでグイっと引き寄せたかと思うと、顔を傾けてキスをした。「わっ! こんな所でしちゃダメです!」 ここは路上。公衆の面前だ。 しかも、しかも! 会社の目の前なのに! 驚いて抗議しても、彼は不敵に笑っているだけだった。「僕はどうせ“ド変態”だからね。路上でチューなんてへっちゃら。緋雪限定だけど」 操さんが言っていた“ド変態”という言葉。 私は口にするのをためらって、その言葉を咄嗟に飲み込んだのに。 ……彼も覚えていたらしい。 そう思ったらおかしくて、笑いがこみ上げた。「まさか誰も思わないですよね。最上梨子が実は“ド変態”だなんて」 「そんなこと言うと、ウエディングドレス作ってあげないからね」 「それは嫌です」 少し前までは、全く知らなかったな。 この人と会話すると、こんなに楽しくなるなんて。 この人の笑顔を見ると、こんなに嬉しくなるなんて。 この人を、こんなに愛しく思うなんて。 ……大切にしたくなるなんて。「“ド変態”の僕は嫌い?」 「……嫌いじゃないです」 「じゃあ、今夜も……」 「き、昨日もしたのに……」 「はは。昨日は昨日」 照れてる緋雪もかわいい、なんて言われるともうお手上げ状態だ。 ふと、二階堂さんの言ってた言葉を思い出した。 ―――― 『運命の出会い』 この人の笑顔も、温
「では、交渉成立ということで。このドレスのデザイン、僕のスタッフのパタンナーに型紙起こしてもらっていいですか?」 「よろしくお願いします」 会議室を出てエレベーターに乗り、私は宮田さんを見送るために一階まで降りた。 見送ったら、ついでに少し休憩してから戻ろうかな。「良かったですね。すべてうまくいきましたね」 会社の外に出て、大きく太陽に向かって伸びをしながら私は隣に佇む宮田さんをチラリと盗み見る。「そうだね。いずれ気づかれるかも……とは思ってたけど、まさかあんなにズバっと袴田さんに正体を言い当てられるのは意外だったな」 「あのときは本当に心臓が止まるかと思うほど驚きましたよ」 「はは。緋雪は必死に否定してくれたよね」 なんでもないことだったみたいに笑う彼を見ていると、私もあきれながらも笑顔になった。「でも、結局宮田さんは世間にバレてもかまわないみたいなこと言っちゃうし」 「僕はただ、緋雪を守りたかっただけなんだけどな。ていうか、……昴樹」 「え?」 「今、休憩中でしょ? だったら“昴樹”って呼んでよ。昨日の夜はベッドの中で素直に呼んでくれたのに……」 「わぁーー!! なんてこと言うんですか!」 真っ赤な顔で宮田さんの口を両手で塞ごうとすると、逃げながらケラケラと笑われた。「僕を必死に守ろうとしてくれたこと、うれしかったよ。ありがとう」 お礼なんて言われたら、胸がキュンとしてしまう。 私は不器用だから、誤魔化しなんて袴田部長には最初から通用しなかったのに。「私も……昴樹さんが私を手放さないって言ってくれたこと、とてもうれしかったです」 デザイナーである前にひとりの男だと…… だから私を手放さないと言ってくれたときは、感動で涙があふれた。「当たり前だよ。パワーの源だって言ったでしょ。緋雪が傍にいてくれたら、きっとどんなデザインでも描けるし、なんでもできる」 本当に今の彼……いや、パワーアップした最上梨子ならどんなデザインでも、すごいものが描けそうだと思う。「これから忙しくなるなぁ。さっきのうちわとメモ用紙のデザインは楽勝だとしても、まだ森のイメージのブライダルドレスもデザインしなきゃいけないしさ。ブレスレッドにネックレスにリング、ジュエリーデザインもやりたいし」 「やりたいこと、いっぱいですね」 「うん。全部緋
「では……」 「お言葉を返すようですが、それはできません」 「え……?」 「僕を好きになってくれますように、と僕自身が魔法をかけました。彼女に初めて会ったときから、しかも解けないように魔法をかけつづけてます。今も」 話の方向がわからないのか、袴田部長は押し黙って宮田さんの言葉を聞き入っている。「魔法をかけたのは最上梨子ではありません。宮田昴樹というひとりの男です。僕はデザイナー・最上梨子である前に、ひとりの人間ですから。僕のすべてのパワーの源である彼女を手放すことなんて……魔法を解くことなんてできません。第一、この魔法の解き方なんて知らないですよ」 宮田さんのその言葉を聞いて、とうとう涙が零れ落ちてしまった。 パワーの源だと、私を手放さないと言ってくれたことがうれしくて。 でも今は泣いてはいけない、と思い、慌てて自分の頬を掌で拭う。「……はは。あなたは人間ではなく、魔法使いでしたか」 「……」 「最初はあなたが朝日奈に気があるように思えましたが。あなたに接するうち、純粋な朝日奈のが最上梨子であるあなたに惚れてしまったんだと思ってました。ですが、お話を聞く限りではあなたのほうが口説いたと?」「はい」 ふたりの表情が和らぎ、少しずつ笑みが戻ってくる。「しかし。こんなヤツのどこがいいんですか? 私にはさっぱりわかりませんね」 「そうですか? 袴田さんもお気に入りでは?」 「勘弁してくださいよ。いつも世話を焼かされてるだけですから」 「それは良かった。まぁ……気に入ってると言われても、誰にも渡しませんけど」 そんな会話をしつつ、ふたりが笑いあっている。 会話の内容は私のことなのに、そんなふたりをただ傍観するしかできなかった。「ですから袴田さん、お願いは別のことでお願いします」 「とは言っても……」 「なにかデザインできるものがあったら、なんでもやりますよ。もちろんノーギャラで」 ……デザインできるもの? ドレスはさすがにもう稟議を通すのは難しい。だとしたら、ほかにデザインできるものっていったいなに?「あっ!」 突然声を出した私に、ふたりが同時に視線を向けてくる。「なんだよ、急に大きな声を出して」 「部長、アレがありますよ」 「アレ?」 「毎年夏に会社でうちわを作るじゃないですか!」 「あ……うちわ、ねぇ
それは最上梨子のデザイン画でもあるけど……。 それよりも、宮田昴樹というひとりの男性を守りたいんだ。 騒がれて傷つく彼の姿は見たくない。「それは……どういう意味だ?」 「……」 「俺は……お前はもっと、身の丈を知ってるヤツだと思ってたんだがな」 頑なに頭を上げない私の頭上に、辛らつな言葉が突き刺さる。 きっと私の気持ちは、部長にはお見通しだ。「公私混同するなよ。相手は今をときめくデザイナーだぞ?」 「……すみません」 「最上梨子に、惚れてどうするんだ!!」 「やめてください!」 部長が大きな声で私を叱咤する。 泣きそうになるのをグッと堪えて俯いたままでいると、それを制止する宮田さんの声が聞こえてきた。「彼女を……朝日奈さんを責めないでください」 「……」 「悪いのはすべて僕ですから」 ……宮田さん。「袴田さん、僕の正体のことを誰かに喋りたいのなら、それでも構いません」 宮田さん……なにを言ってるの?「ペラペラと他所で喋って、私になんのメリットがあるっていうんです? 週刊誌の記者にリークして小金を稼ぐとでも? 冗談じゃない。私も元はあなたと同じデザイナーの端くれ。同業者を売るような汚いマネなんてしませんよ。見くびってもらっては困ります」 「いえ……決してそういう意味では……」 袴田部長の勢いに飲まれたのか、宮田さんが難しい顔をして押し黙る。「あなたと朝日奈の間で、なにが約束されて、どういう経緯でこのデザインが描かれるに至ったのか、私は詳しくは知りません。まぁ、もうそんなことは知らなくてもいいです。ですが、私がこの秘密のことを黙っている代わりに宮田さん、ひとつお願いを聞いてもらえませんか」 神妙な顔つきで提案を突きつける部長に、私は隣で息を呑んだ。「お願い、とはなんでしょう?」 「朝日奈は見ての通り不器用で、一生懸命真面目にやりすぎるところがあります。最上梨子の秘密を守りたいと強く思うあまり、最上梨子に恋をしてしまった」 「部長……」 「その呪縛を解いてやってください。朝日奈を……解放してやってください」 呪縛って……そんな言い方ひどい。 しかも部長はなにか勘違いしていると思う。 まるでそれじゃ、私が囚われてがんじ絡めになってるみたいだ。「部長! 呪縛だなんて。勝手に決め付けないでください!」
「いえ。最上梨子が描きました」 「……だからそれは、あなたでは?」 ……どうして部長がそれを知ってるのだろう。 私の強張った顔からは嫌な汗が噴出し、これ以上ないくらいに激しい動悸がした。「ぶ、部長! なにを仰っているのかわからないです」 「朝日奈、お前は黙ってろ。俺は今、宮田さんに尋ねているんだ」 ここで部長にバレたらどうなるの? せっかくこんなに素敵なデザインを描いてもらえたというのに、すべて白紙に戻るかもしれない。 宮田さんは最初に言ったから。 秘密がバレたら、仕事は反故にする、と。 実際に、このデザインがドレスになることはないの? 幻で終わる? それも嫌だけれど、そんなことよりも。 部長がこの事実をほかの誰かに漏らしてしまったら……彼が最上梨子だったと世間にバレてしまいかねない。 それは絶対に嫌だ。 だって彼がずっと守り通してきた秘密なのだから バレるなんてダメ! 絶対にダメ!!「宮田さんは最上さんのマネージャーさんですよ! な、なにを変なこと言い出してるんですか、部長!」 「……朝日奈」 「私、黙りませんよ! おかしなことを言ってるのは部長ですから! 違いますよ、絶対に違います! マ、マネージャーさんが……そんな、デザインなんて描けるわけもないですし……」 「朝日奈さん、もういいです」 そう言った宮田さんを見ると、困ったような顔で笑っていた。「袴田さんには最初からバレる気がなんとなくしていました」 「朝日奈が必死に否定したのが、逆に肯定的で決定打でしたけどね」 「はは。そうですね」 そのふたりの会話で気が遠のきそうになった。 私があわてて否定すればするほど、逆に怪しかっただなんて。「で、いつから気づいてました?」 「変だなと思ったのは、あなたがここに視察に来たときです」 部長の言葉に、やはりという表情で宮田さんが穏やかに笑う。「普通、物を造る人間は大抵自分の目で見て確認したいものです。特にデザイナーなんていう、なにもない“無”のところから発想を生み出す人間は。……私もそうでしたからわかります」 「そうですね」 「だけどあなたは最上さんの代理だと言ってやって来た。いくら彼女がメディアには出ないと言っても、それはさすがに不自然でしたから」 「なるほど」 私にはそんなこと、ひ
エレベーターで企画部のフロアに到着すると、先に宮田さんを会議室へと通して袴田部長を呼びに行く。 私がコーヒーを三つお盆に乗せて部屋に入ると、ふたりが立ってお決まりの挨拶をしているところだった。「わざわざご足労いただいて恐縮です」 「いえいえ。こちらこそ最上本人じゃなく私が代理で訪れる非礼をお許しください」 「早速ですが、デザインが出来たとかで……?」 「はい」 袴田部長もどんなデザインなのか気になっているのだろう。 ワクワクしているような笑顔を私たちに見せる。「朝日奈、お前はもう見たんだろう?」 「はい。部長も今からド肝を抜かれますよ」 「お前……客人の前で“ド肝”って……」 「あ、すみません」 いけない、いけない。 普段の口調からなにかボロが出ることもあるんだから、この際私は極力黙っていよう。「では袴田さんもご覧いだだけますか」 先ほどと同じように、宮田さんが書類ケースからデザイン画の描かれたケント紙を取り出して部長の前に差し出す。 それを一目見た部長は、一瞬で目を丸くして驚いた様子だった。「これは……すごい」 ドレスの形はマーメイド。 色はエメラルドグリーンを基調に、下にさがるほど濃くなるグラデーションになっている。 肩の部分はノースリーブで、胸のところで生地の切り返しがあってセクシーさを強調している。 そして、なんと言っても素晴らしいのはスカート部分だ。 元々、曲線美を得意とする最上梨子らしく、長い裾のスカートのデザインは、まるで波のような動きを表していた。「この部分は?」 部長が指をさしたのは、肩から羽織る白のオーガンジーの部分だった。「海のイメージだったので、最上は人魚を連想したようで。それで形もマーメイドにしたようなのですが、上半身が少し寂しい気がしてそれを付け足したそうです。必要ないなら省くように言いましょうか?」 「いえ。これはまるで“羽衣”みたいだと思ったもので。私もあったほうがいいと思います。しかしドレスの色も、いいですねぇ」 「朝日奈さんに聞けば、披露宴会場の中は深いブルーにするおつもりだと。そこで最上は明るいエメラルドグリーンのドレスが映えると思いついたみたいです」 さすがですね、とデザインをベタ褒めする部長を見ていると私もうれしくて頬が緩んだ。 自分で絶好調だと
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