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第一章 第13話 天使、胎動

Author: 輪廻
last update Last Updated: 2025-05-09 07:00:43

四日後、出立の前夜──

扉をノックする音が耳に届き、書類に目を通していたシェイドは顔を上げた。

こんな時間に誰だろう、と怪訝に思いつつ返事をすると、

「──シェイド、起きてる?」

寝間着姿のセラフィナが、手燭──手に持って用いる燭台を片手に部屋へと入ってくる。マルコシアスも一緒で、セラフィナの直ぐ傍で彼女はパタパタと尻尾を振っていた。

ぴったりとした白いロングワンピースは、シンプルなデザインながらも清楚な印象を見る者に与える。すらりと伸びた細い足にはくるぶし丈の白い靴下と、室内用のスリッパを履いていた。

「起きてるよ、セラフィナ──どうかしたのか?」

「ううん。君が心配だったから、見に来ただけ」

セラフィナは対面のソファに腰を下ろすと、テーブルの上に置かれていた書類の一部を手に取る。

それは、涙の王国周辺で目撃情報が多い魔族に関する調査報告書だった。姿形、生態、急所……それらが簡潔かつ丁寧に纏められている。

知性が高く、人間と同様に理性を有する上位魔族は皆、死天衆の支配下にある。つまり調査報告書に記載があるのは全て、知性が低く本能のままに生きる下級魔族……死天衆も匙を投げたレベルの畜生たちだ。

巨大な蛆虫の姿をしており、圧倒的な物量で襲い掛かってくるマゴット、血塗られた|襤褸《ぼろ》きれを身に纏い、不気味な歌声を発しながら現れる精霊アルコーン……中でも危険なのは、人の顔を持つ巨大な|蝗《イナゴ》"アバドン"だろうか。

マゴットと同様に、大群で襲い掛かってくるアバドン。だがマゴットよりも遥かに素早い上に顎の力も強く、そればかりか相手を長時間苦しめる猛毒まで持っている。どうやらアバドンの群れが近くにいるとラッパのような音が聞こえるらしいので、音を頼りに距離を取って、可能な限り交戦を避けた方が良いかもしれない。

それらの脅威に加えて、堕罪者まで徘徊している。セラ
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