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第一章 第21話 目覚め、そして

Author: 輪廻
last update Last Updated: 2025-05-12 11:00:37

 セラフィナは、暗澹たる暗闇の中にいた。底の見えぬ純黒の泥濘に足を取られ、思うように身動きが取れない。

 スティグマータからの出血が起こる新月の夜にのみ見てしまう、何とも虚しく寂しい夢だ。

「……はぁ」

 夢の中なので当たり前だが、一緒にいるはずのシェイドもマルコシアスも、その姿は見当たらない。自分しか存在しない闇の世界……気が狂ってしまいそうになる。

 ──"ハヴァーリーム、ハヴェール、ハーヴェル、ハッコール、ハヴァーリーム、ハヴェール"。

 ──"ハヴァーリーム、ハヴェール、ハーヴェル、ハッコール、ハヴァーリーム、ハヴェール"。

 呪詛の如く、意味の分からぬ言葉の羅列が闇の中に木霊する。古代の言葉だろうか。聞いたことはない。聞いたことはない筈なのに、奇妙な懐かしさと心地好さを感じる。

 いっそのこと、泥濘の中に身を横たえ、全てを委ねてしまえば遍く苦痛から解き放たれ、楽になれるのだろうかとも考える。安らかなる死の眠りに就けるのではないかと、そのような考えが心の中を少しずつ満たしてゆく。

「……駄目だと、頭では分かってはいる。分かってはいるんだよ。でも──」

 この世は辛く、そして残酷だ。終末が迫り来るこの世界で生きていてもただ、虚しいだけ。生きている限り、満たされることは決してないのだから。

「──私は何故、生きているんだろう?」

 何故、自分は異質なスティグマータを宿し、その痛みに悶え、苦しまなければいけないのだろう。自分が一体、何をしたというのだろうか。

 何らかの罪を犯した記憶はない。ただ生きている……それだけだと言うのに、何故なのか。先の見えぬ闇の中、セラフィナは心の中で自問自答を繰り返す。

 何故、何故、何故……そうしているうちに、セラフィナは或る一つの恐ろしい考えに辿り着いた。その考えに辿り着いたのは一度や二度だけではない。それは、自己の存在理由を求めた際に、必ずと言っても良いほど辿り着く考えだった。

 それは──原罪だった。

「……嘘だよね? まさか、この世に生まれ落ちて存在する
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