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誰かのために動く時 ⑦

last update Last Updated: 2025-07-08 22:53:53
「セラ、その目撃した連中は何をしていたんだ?」

 男の声が沈黙の間を縫うようにして室内に響いた。油断のない鋭い目をしている。

 セラは少しだけ目を見開いて、首をすくめた。

「森の中で何かが光っていた。青白い光……。怪しく不気味で周りの空気まで揺らぐような感じだった……」

 セラの顔に不安の影が宿る。

「青い光……」

 男の眉がわずかに動いた。

「おそらく、それは鉱石が発した光だ。最近、あちこちで聞くようになった」

 男は虚空に視線を投げて、呟くように言った。発せられた言葉が部屋の空気を重くする。

 男は言葉の重さを測るように一拍、間を置いた後、さらに続けた。

「街道沿いの崖が崩落したのは、それが原因だろうな。外からの圧力というよりは、内側からの力。地盤そのものが崩れていた。変色した土、硬質化した葉や根──。自然現象という奴もいるが、さすがにそれはない」

 重い沈黙がまた一つ、部屋に降りた。

 あれは何かを壊すための光……

 セラの胸の奥に、あの青白い光がじわじわと蘇る。無意識のうちに、セラの手が膝の上で固く結ばれていた。

「それがエクレシアの内部でも起きてるってこと?」

 セラの声音は驚きよりも、すでに内側で答えに気づいてしまった者のそれに近かった。

「そう考えるのが自然だ。運河を流れる水にも影響が出ているという話だからな。内部で何かが起きていると見て間違いないだろう」

 男は頷きもせず、ただ言葉だけを置いた。言葉の先端が空気に沈んでいくような間を挟み、男はさらに続ける。

「目撃された五人が資源採掘の為だけにエクレシアに足を踏み入れたとは考えにくい。もっと深い目的があるはずだ」

 セラの喉がかすかに動く。

 何かが確実に崩れている──そんな直感だけが、胸の奥に輪郭を持ち始めていた。

 二人の遣り取りを見守っていたアリシアが口を開く。

「リノアが言ってた。森が息をしていないみたいだって」

 アリシアのひと言が場に張り詰めた糸を一本、ぴんと弾いた。

 言葉を選ぶのではなく、すでに胸の中で何度も反響した想いを、ようやく外に出したという感じだ。肩の力は抜けていて、表情も変わらない。

 森が息をしていない──

 それは比喩ではなく、自然に囲まれて生きる者たちなら直感で察していたことだ。特にリノアや、その兄のシオンは敏感に感じ取っていた。

 たしかに兆しはあった。

 森の緑は褪
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