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第0944話

Author: 十六子
しかし彼女が指定のレストランに到着すると、そこにいたのは零花ひとりだけだった。

零花は歩み寄ってくる瑠璃を見つけると、わざとらしく穏やかで上品な笑顔を浮かべてみせた。だがその瞳の奥には、抑えきれない嫉妬と羨望、そして敵意が渦巻いていた。

碓氷千璃――

この女は、良家の出身で、良い男と結婚し、子どもにも恵まれ、社会的地位もある。

しかも出産からわずか一ヶ月余りで、あの妖艶なプロポーションを取り戻している。そして絵に描いたような美しい顔――

今や、景市一の美女とも称されているらしい。

瑠璃は、零花を見るだけでその裏にある下心を察していた。だが、彰の顔を立てて席に着いた。

「目黒夫人、すみません。彰くんは急な用事で席を外しました。この前、私の家での件……どうか気にしないでください。今日はちゃんと謝りたくてお呼びしましたの」

零花はウェイターに合図して、赤ワインを一本開けさせ、瑠璃のグラスに少量を注いだ。

「横坂さんが謝罪のためにお呼びくださったのなら、謝罪は受け取ります。でも、他にも予定がありますので――これで失礼します」

そう言って立ち上がろうとした瑠璃を、零花が慌てて引き留めた。

「目黒夫人、デザイン図の件、本当にすみませんでした。今日は、その細かい部分を少しだけご相談したかっただけなんです。すぐ終わりますから」

そう言った直後に、零花のスマホが鳴った。彼女はさっと電話を取って言った。

「彰くん、今ね、目黒夫人と話してるから。心配しないで」

この会話のやり取りで、瑠璃もすぐに察した。零花は彰の名前を口実に、自分をここへ誘い出したのだと。

零花はiPadを取り出し、以前瑠璃が送ったデザインデータを表示した。「すぐに終わる」と言っていたはずが、彼女は延々と細かい要望を語り続けた。

瑠璃はプロとして、全ての要望を丁寧にメモした。一通りやり取りが終わると、彼女は席を立ち、お手洗いへ向かった。

実は――

零花は、この瞬間を狙っていた。

バッグから、恋華に渡された小さな薬のカプセルを取り出すと、それを開け、微量の粉を瑠璃の赤ワインにさっと振りかけた。そして何もなかったかのようにスマホをいじり始めた。

やがて瑠璃が戻ってくると、零花は微笑みながらすすめた。

「目黒夫人、ずっと話し込んでて、かなりお疲れでしょう?少しお食事をして、このワインも
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