南部地区に到着した一行が目にしたのは、地面から突き出た巨大な金属の塔だった。高さは約200メートル。表面には無数の記憶スキャナーが設置され、不気味な青い光を放っている。「これが……記憶の墓場」エリシアが息を呑む。「地下施設が地上に露出している」「すごい規模ね」カナが見上げる。「あの塔の中に、どのくらいの記憶が……」「推定で、1000万人分以上」ゼオが分析する。「統制局が数十年間にわたって削除した記憶のすべてです」「1000万人……」ノアが小さく震える。「なんとなく……」「みんなの悲しみが聞こえる」確かに、塔からは微かに音が聞こえていた。泣き声、叫び声、絶望の声……削除された記憶たちの残響が、空気を震わせている。「中に入りましょう」アキラが決意を示す。「リナを止めなければ」塔の入り口に近づくと、自動ドアが開いた。中は薄暗く、壁一面に記憶保管装置が並んでいる。「誰もいない……」セツが辺りを警戒する。「罠かもしれない」「いえ」ノアが首を振る。「なんとなく……」「誰かいる」「上の方に」一行はエレベーターで最上階に向かった。扉が開くと、そこは巨大な研究室だった。中央には、記憶操作装置に繋がれた一人の女性が座っている。30代後半、疲れ切った表情の研究者。リナ・メモリアスだった。「来たのね……」リナが振り返る。その目は、深い絶望に満ちていた。「リナ・メモリアス」エリシアが名前を呼ぶ。「なぜこんなことを?」「こんなこと?」リナが苦笑いする。「私は……取り戻そうとしているだけ」「失ったものを」「失ったもの?」カナが尋ねる。「何を失ったの?」「娘の記憶よ」リナの声が震える。「私の一人娘……マナの記憶」「ゼオの記憶整理システムで削除されてしまった」一同が息を呑む。「娘さんが……」「3年前のことよ」リナが遠い目をする。「マナは統制局の実験で、記憶を損傷した」「そして、ゼオが『不要な記憶』として削除してしまった」「マナは生きているけれど……」「私のことも、自分のことも、何も覚えていない」「そんな……」ノアが涙を浮かべる。「それは……つらい」「つらいなんてものじゃない」リナが叫ぶ。「娘に『お母さん誰ですか?』って言われた時の気持ちがわかる?」「一緒に過ごした
記憶操作ドローンとの戦いから三日後。対策本部では、緊急会議が開かれていた。「各地域の被害状況をまとめました」エリシアが資料を提示する。「東部、北部、西部の三地区で同時攻撃」「総被害者数は約5000名」「すべて記憶の復元に成功しましたが……」「問題は攻撃者の正体ですね」セツが腕を組む。「記憶操作ドローンを製造・運用できる組織は限られている」「統制局の残党でしょうか?」カナが尋ねる。「いえ」ゼオが首を振る。「統制局にも、あれほど高度な記憶操作技術はありませんでした」「では……誰が?」その時、ミナが端末を操作しながら口を開いた。「ドローンの残骸を解析した結果が出ました」「製造番号から、開発元を特定できそうです」「どこの組織?」「これが……」ミナが困惑した表情を浮かべる。「『メモリア・コーポレーション』という企業です」「聞いたことがない名前ね」エリシアが眉をひそめる。「旧統制局の関連企業でもないようですし……」「調べてみます」アインが検索を開始する。「メモリア・コーポレーション……」「設立は3年前」「代表者は……」アインの表情が凍りつく。「どうした?」アキラが心配そうに尋ねる。「代表者の名前が……」アインが震え声で答える。「リナ・メモリアス」「リナ……」ノアが小さく呟く。「なんとなく……聞いたことがある名前」「私も同じです」ゼオが考え込む。「どこかで……」その時、エリシアが何かを思い出したように立ち上がった。「まさか……」「リナ・メモリアス……」「知ってるの?」カナが尋ねる。「彼女は……」エリシアの表情が暗くなる。「旧統制局の最高機密プロジェクトの責任者でした」「最高機密プロジェクト?」「『パーフェクト・ヒューマン計画』」エリシアが重い口調で説明する。「人間の記憶を完全にコントロールし、理想的な人格を作り出すプロジェクト」「ゼオの崩壊と共に中止されたはずでしたが……」「彼女が個人的に研究を続けていたということですか?」ミナが推測する。「おそらく」「そして今、その技術を使って……」「何を目的に?」アキラが尋ねる。「世界征服?」「いえ」ノアが小さく手を上げる。「なんとなくだけど……」「違う気がする」「どういう意味?」「よくわからないけど……」
東部地区の上空に、ノア、アイン、ゼオの3人が到達した時、すでに記憶操作ドローンの攻撃が始まっていた。「ひどい……」ノアが街を見下ろして呟く。地上では、多くの人々がぼんやりとした表情で立ち尽くしている。記憶を奪われた人たちだった。「推定被害者数2000名以上」アインが状況を分析する。「記憶消去範囲は過去48時間から72時間」「許せない……」ゼオが拳を握る。「記憶は人間の尊厳そのものです」「それを奪うなど……」その時、空中に浮遊する記憶操作ドローンが3人に気づいた。《新たな対象を発見》《記憶解析を開始》ドローンから青い光線が放射される。記憶スキャンの光だった。「危険です!」アインが防御バリアを展開する。しかし、記憶操作光線は物理的な防御を素通りしてしまう。「うわ……」ノアが頭を押さえる。「何か……入ってくる……」《対象:ノア・特異記録媒体》《記憶構造:異常値検出》《通常の消去プロトコル:効果なし》「効果がない……?」ゼオが驚く。「ノアの記憶が消去されていません」「なんとなく……」ノアが苦しそうに言う。「頭の中で、誰かが守ってくれてる」確かに、ノアの意識の奥で、複数の声が聞こえていた。7つの継承で受け取った記録たちの声。『ここは通さない』『この子の記憶は渡さない』『我々が盾になる』継承された記録たちが、ノアの記憶を保護していたのだ。《解析不能》《対象をより詳細にスキャン》ドローンがより強力な光線を照射する。「うあああ!」今度はノアも苦痛に顔をゆがめる。だが、その時だった。「ノアを離しなさい」アインが前に出て、ドローンに向き合う。「私が相手になります」《新対象:アイン・旧統制システム端末》《記憶構造:理解可能》《消去プロトコル:実行》光線がアインに照射される。「アインちゃん!」ノアが叫ぶ。しかし、アインは意外にも冷静だった。「……記憶を消去しようとしているようですが」「私には効果がありません」「どうして?」ゼオが驚く。「私の記憶は……」アインが微笑む。「もはやデータではないからです」「感情と結びついた記憶は、簡単には消せません」確かに、アインの記憶はもはや単なる情報ではなかった。ノアとの友情、家族としての絆、みんなで過ごした温かい時間。それらは感
平和な日常から二週間後。その日も、いつものように朝食を囲んでいた時だった。「緊急ニュースです」テレビから緊迫したアナウンサーの声が響く。「東部地区で、集団記憶喪失事件が発生しました」「被害者は推定1000名以上。全員が過去24時間の記憶を完全に失っています」一同の箸が止まる。「記憶喪失……」カナが青ざめる。「まさか……」「ゼオの旧システムの影響ですか?」アインが尋ねる。「いえ」ゼオが首を振る。「私のシステムは完全に停止しています」「これは……別の要因でしょう」「続報です」テレビのアナウンサーが続ける。「現場では正体不明の飛行物体が目撃されており、当局は人為的な攻撃の可能性も視野に調査を進めています」「飛行物体……」エリシアが眉をひそめる。「記憶操作技術を搭載したドローンかもしれません」「記憶操作ドローン?」アキラが驚く。「そんなものが存在するのか?」「統制局時代に開発していました」エリシアが重い口調で説明する。「記憶を選択的に削除する兵器として」「でも、実用化前にゼオの崩壊で開発が中止されたはず……」その時、家の通信機が鳴り響いた。『緊急事態です』サクラの声が響く。『北部地区でも同様の事件が発生』『さらに、西部地区にも謎の飛行物体が接近中』「やはり組織的な攻撃ね」エリシアが立ち上がる。「急いで対策を立てなければ」「でも、記憶操作攻撃にどう対抗すれば……」セツが困惑する。「物理的な攻撃なら対処できるが、記憶を直接狙われると……」その時、ノアが静かに立ち上がった。「……私が行く」「ノア?」アキラが驚く。「危険すぎる」「でも……」ノアがぼんやりと言う。「なんとなく……」「私なら、記憶攻撃から守れるかも」「どういうこと?」カナが尋ねる。「よくわからないけど……」ノアが自分の頭を指差す。「継承で、いろんな記憶を受け取ったでしょ?」「だから、記憶に対する耐性があるような気がする」確かに、ノアは7つの継承と記憶注入実験を経験している。記憶操作に対する何らかの免疫がある可能性は高い。「一人では危険です」アインが前に出る。「私も一緒に行きます」「アイン……」「私もシステム改変を受けているので、記憶攻撃への耐性があるはずです」アインが決意を示す。「それに……」
新しい家での生活が始まって一ヶ月。みんな、それぞれの日常を見つけ始めていた。朝6時。ノアが一番最初に起きて、庭に出る。「おはよう、お花たち」植えたばかりのヒマワリの芽に、優しく語りかける。「今日も元気に育ってね」水やりを終えると、朝食の準備に取りかかる。「何にしようかな……」「なんとなく……今日はパンが食べたい気分」ノアが小麦粉を取り出していると、キッチンにアインが現れた。「おはようございます、ノア」「おはよう、アインちゃん」「また早起きね」「はい」アインが微笑む。「最近、朝の時間が好きになりました」「静かで、穏やかで……」「新しい一日が始まる感じが、なんとなく嬉しいです」「わかる」ノアが頷く。「朝って、希望の感じがするよね」「なんとなくだけど」二人で協力してパン作りを始める。アインは正確な計量が得意で、ノアは生地をこねるのが上手だった。「いい香り」「パンが焼ける匂いって、幸せの匂い」「幸せの匂い……」アインが首を傾げる。「匂いにも感情があるのですね」「うん」ノアがぼんやりと答える。「なんとなく……」「匂いで思い出すこともあるし」「匂いで気持ちが変わることもある」「不思議ですね」「でも、素敵です」朝食の準備ができた頃、他のメンバーたちも起きてきた。「いい匂いだな」アキラが階段を降りてくる。「手作りパン?」「うん」ノアが嬉しそうに答える。「アインちゃんと一緒に作った」「楽しみだ」みんなでテーブルを囲み、朝食を取る。焼きたてのパン、手作りジャム、温かいスープ。「おいしい」セツが感嘆する。「こんなうまいパン、久々に食った」「なんとなく……」ノアが照れる。「みんなで食べると、よりおいしく感じる」「その通りですね」ゼオも頷く。「食事というのは、栄養摂取だけではない」「心の栄養にもなる」「心の栄養……」カナが微笑む。「いい表現ね」「確かに、みんなで食べると心が満たされる」朝食後、それぞれが仕事に向かう。アキラとセツは地域の治安維持。カナとエリシアは記録センター。ミナは技術開発。ゼオは中央システム管理。アインは情報収集。そして、ノアは……「今日はどうするの?」カナが尋ねる。「なんとなく……」ノアが庭を見つめる。「お庭の整備をしようかな」
家探しから一週間後。街の郊外に、大きな白い家が建っていた。二階建ての洋館で、広い庭と温室が付いている。「すごく素敵な家ね」カナが感嘆する。「こんな短期間でよく建てられたわね」「ゼオの建築システムのおかげです」エリシアが説明する。「設計から完成まで、わずか一週間」「でも」ゼオが謙遜する。「みんなのアイデアがあったからこそです」確かに、家の随所にそれぞれの希望が反映されている。ノアが希望した広い庭。カナのための図書室。アキラの訓練場。セツとミナの工房。アインの研究室。ゼオの計算室。全員が快適に過ごせるよう設計されていた。「私の部屋はどこかしら?」エリシアが尋ねる。「二階の一番奥です」ノアがぼんやりと答える。「なんとなく……」「エリシアさんは静かな場所が好きそうだから」「ありがとう」エリシアが微笑む。「気配りが上手ね」「さあ、荷物を運び込もう」アキラが提案する。みんなで協力して引っ越し作業を開始する。といっても、それぞれの荷物はそれほど多くない。長い旅路で、本当に必要なものだけが残っているからだ。「これで全部ね」カナが最後の荷物を置く。「じゃあ……」ノアが皆を見回す。「これからよろしく」「こちらこそ」みんなが口を揃えて答える。初日の夜は、リビングで皆でカレーを食べた。ノアとアインが協力して作った、手作りカレー。「おいしい!」アキラが絶賛する。「二人とも料理上手だな」「なんとなく……」ノアが照れる。「楽しかった」「アインちゃんと一緒に作るの」「私も楽しかったです」アインが微笑む。「料理って、創造的な作業ですね」「レシピ通りに作るだけじゃなくて」「気持ちを込めることが大切だと学びました」「気持ちを込める……」ゼオが考え込む。「私にもできるでしょうか?」「できるよ」ノアが頷く。「なんとなくだけど……」「ゼオくんは優しいから、きっとおいしいご飯作れる」「今度、一緒に作ってみませんか?」アインが提案する。「はい」ゼオが嬉しそうに答える。「ぜひお願いします」食後は、皆でリビングでくつろぐ。「今日はどんな相談があった?」アキラが尋ねる。「農家の方から、作物の品種改良について」ゼオが報告する。「より美味しく、より栄養価の高い野菜を作りたいとのこ