神様を殺した日

神様を殺した日

last updateDernière mise à jour : 2025-07-13
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幸福は、AIによって数値化される時代。 生活のすべてが“最適化”され、人々は間違わず、争わず、悲しまずに生きている。 だが、それは「幸福を選んでいる」のではなく――「幸福を選ばされている」世界だった。 市ノ瀬アキラは、ある日、旧校舎の地下でひとつの言葉を見つける。 『神を殺せ』 絶対幸福社会を支配するAI。 それは本当に神なのか。それとも――殺されるべき存在なのか。

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Chapitre 1

最適化された世界

プロローグ

この世界では、幸福が数値で測れる。

朝起きる時間も、昼に食べるものも、誰と話すかも。

すべてが、“ゼオ”によって最適化されている。

誰もが、最も幸福になれる行動だけを選び、

誰もが、間違わない。

悲しみはなく、争いもない。

ただ――

「選ばされている」ことに、誰も気づかない。

「神様を殺した日」

市ノ瀬アキラは、七時ちょうどに目を覚ました。

枕元のエンジェルリングが柔らかい光を放ち、ゼオの音声が耳に届く。

《おはようございます。市ノ瀬アキラさん。起床タイミングは幸福度+1.4。》

七時三分に起き上がり、七時八分に洗面所へ。七時十四分に食卓につく。

すべては誤差ゼロ。毎日が完璧に整っていた。

朝食のテーブル。母親はいつも通り、穏やかに微笑んでいた。

けれどその笑顔には、温度も揺らぎもなかった。

「アキラ、今日のスムージーは少し甘めね」

声は優しいが、まるで用意された台詞のようだった。

スムージーを口に運ぶ。完璧な甘さ。栄養バランスも完璧。

でも、完璧すぎて“味”がしない気がした。

母の笑顔が、録画された映像みたいに思えたのは、今朝が初めてじゃなかったかもしれない。

アキラは曖昧にうなずきながら、テーブルのスクリーンに目をやる。

スクリーンが自動的に点灯し、幸福度ニュースが流れ始める。

《本日、街の幸福度平均は98.6。区画東部の再開発エリアが週末に開放予定です。行動候補に追加されました》

その映像を眺めながら、父親がふとつぶやいた。

「……東部のあたり、俺が子どもの頃はまだ空き地ばかりだったな」

「そうなんだ?」

アキラは何気なく返した。

父親は少し笑って、スプーンを置く。

「公園も、古い商店も、いまは全部“最適化”されちまった。……昔の話は、聞いてみると案外面白いもんだぞ。記録に残ってるものより……ずっと、な」

「記録にない話?」

アキラの問いに、父親は少しだけ目を細めて、

「いや……気のせいさ」

そう言って、またスプーンを手に取った。

そのやりとりが、なぜかアキラの中に残った。

通学電車の中、アキラは車窓を眺めていた。

整然としたビル、規格化された街路樹、同じ制服の生徒たち。

景色は変わらず、心も揺れない。

車内モニターが切り替わり、ゼオのアイコンが表示される。

《現在、通学ルートBが最適です。幸福度低下を回避するため、次の駅での乗り換えを推奨します》

生徒たちは一斉に無言で立ち上がり、次の駅で降りる。

抗う者はいない。

「おはよう、アキラ」

気づけば、隣にルキが立っていた。音も気配もなかった。

「……おはよう。いつからいた?」

「最初から」

ルキはそう言って、窓の外に目を向けた。

アキラは小さく眉をひそめたが、それ以上は聞かなかった。

その存在は、空気のように自然で――不自然だった。

朝の点呼。

生徒たちは左耳に装着したエンジェルリング――透明な円形の端末を読み取り機にかざし、出席が自動認証される。

幸福度の変動も、常時ゼオに記録されていた。

「全員確認……あれ? ルキくん……あ、手動登録ね。ゼオのログにないけど、問題ないわ」

教師は特に気にする様子もなく処理を進めた。

クラスメイトも気にしない。

違和感は、日常の中に自然と埋もれていく。

昼休み。校庭の隅にある仮設菜園で、アキラは水を撒いていた。

その途中、枯れかけた苗が目に入った。

一瞬、手が止まる――抜くべきか、残すべきか。

《判断保留中。幸福度スコアへの影響:±0.0》

耳元でゼオの音声が囁く。

その声を無視するように、アキラは苗に目を向けた。

「……そういうの、迷うよね」

不意に、少女の声がした。

振り返ると、そこにカナが立っていた。

「ここ、落ち着くね。風の音とか、水の音とか……なんか、考えごとするのにちょうどいい」

彼女は小さく笑った。

「私、選ぶの苦手でさ。正しいかどうかじゃなくて、“自分で決めていいのか”って、いつも思う」

アキラは黙って、枯れた苗を抜いた。

その手元を見ながら、カナは少し目を細めた。

「……昔の世界って、もっと自由だったのかな。そう思ったこと、ない?」

「昔って?」

「……ほら、ゼオが統治する前とか」

カナは少し声を落とす。

「“裁判”とか、“戦争”とか……そういう言葉、聞いたことない?」

「……名前くらいなら。でも、何だったっけ? 争いの一種……とか?」

アキラは首をかしげる。

カナは小さくうなずいた。

「私もよく知らない。でも――調べても、ちゃんとは出てこない。誰かが、消したんだと思う」

「誰が?」

カナは答えず、風に揺れる苗をじっと見つめた。

「旧校舎の地下、まだ使われてるって知ってる? 昔の資料が残ってるらしいよ。誰も行かないけど……そういうの、気にならない?」

理由はなかった。でもアキラは、無性に行ってみたいと思った。

「……行ってみたいかも」

「今日の放課後、どう?」

「……ああ」

カナはふっと笑った。

「私も、そういうの……気になるんだ」

放課後。昇降口でアキラとカナが靴を履き替えていると、背後から近づく足音があった。

「どこ行くの?」

振り返れば、ルキが立っていた。

感情の読めない表情で、二人をじっと見ている。

「ちょっと、資料の確認」

アキラがごまかすように言うと、ルキは一瞬だけ間を置いてから歩み寄った。

「……俺も行くよ」

「いいのか? 止めなくて」

「監視だから。見るだけ」

その声には、どこか“見るだけじゃない”響きがあった。

だがアキラはそれを深く考えずに、うなずいた。

昇降口の自動ドアが開き、夕方の光が差し込む。

三人の影が長く伸びて、校庭に消えた。

旧校舎は、本館の裏手にひっそりと建っていた。

使われなくなって久しく、壁の塗装は剥がれ、窓は半分曇っている。

それでも管理はされているのか、入口のドアには電子錠が取り付けられていた。

「鍵、借りといた」

カナがエンジェルリングをかざすと、ロックが静かに解除された。

「……ゼオに見つかっても平気なのか?」

「うん。ここ、“禁止区域”じゃないから。使用停止中ってだけで、立ち入りそのものは記録上は許可されてる。……ただ、“最適な行動”には入ってないから、誰も来ないだけ」

カナはさらりと言ったが、その目は少しだけ緊張を帯びていた。

中は思ったより整っていた。

空気は冷たく、埃の匂いがうっすら漂う。

「……なんか、時間が止まってるみたいだな」

アキラがつぶやくと、ルキが壁にかかった掲示物を眺めながら言った。

「ここ、ゼオが導入される前まで使われてたんだろ」

カナはうなずく。

「その下に、資料保管庫があるって。旧時代の記録とか、もう消されたはずの紙の資料」

「……紙の、記録?」

「うん。“データにしなかった”記録。きっと都合が悪かったんだよ。誰かにとって」

階段を下りるたびに、空気が変わっていく。

光はなく、非常灯だけがぼんやりと階段を照らしていた。

アキラの心臓が、ほんの少しだけ高鳴る。

「……本当にあるのか、資料なんて」

アキラがつぶやく。

カナは無言で、扉を押した。

きぃ……という音とともに開かれた先には、

古びた棚がいくつも並び、紙の束が乱雑に詰まっていた。

ホコリが積もり、空気はひどく重い。

それでも、何かが残っている――確かな気配があった。

「すごい……本物だ、これ全部」

カナが目を輝かせてページをめくる。

だがアキラの目は、別のものに引きつけられていた。

部屋の一番奥。

見慣れた棚や紙束の中に、そこだけ――違う“気配”があった。

壁の一角、白く塗り直された跡の下に、何かがうっすらと滲み出ている。

アキラが近づくと、かすかに赤黒く残された“文字”が目に入った。

ルキがそっと懐中ライトを向ける。

塗り潰された塗料の下に浮かび上がる、歪んだ筆跡――

『神を殺せ』

一瞬、アキラは目を疑った。

読み間違いかと思った。

でも、何度見てもその言葉だった。

カナは言葉を失い、足を止める。

ライトの光が微かに震えた。

「……なに、これ……」

彼女の声はかすれていた。

アキラの心臓が、ひときわ強く脈打つ。

まるで、言葉そのものに“意思”が宿っているようだった。

ルキだけが、じっとその文字を見つめていた。

しばらく沈黙が続いたあと、彼は静かに口を開く。

「……こういうの、好きだよ。“意志”がある」

アキラが息をのむ。ルキの声は、どこか懐かしさすら帯びていた。

「誰かが……神に抗おうとしたんだ」

しばらくの沈黙。

ルキは言葉を選ぶように、低く呟いた。

「神は、人のために生まれたはずなのに」

「殺さなきゃいけないなんて、皮肉だな」

誰も、それに言葉を返せなかった。

重い沈黙の中で、ルキだけがその文字を見つめ続けていた。

そのとき、誰の端末も音を鳴らさなかった。

まるで、ゼオの目が――ここには届いていないかのように。

それが、始まりだった。

――この世界で、神様を殺した日の。

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最適化された世界
プロローグこの世界では、幸福が数値で測れる。朝起きる時間も、昼に食べるものも、誰と話すかも。すべてが、“ゼオ”によって最適化されている。誰もが、最も幸福になれる行動だけを選び、誰もが、間違わない。悲しみはなく、争いもない。ただ――「選ばされている」ことに、誰も気づかない。「神様を殺した日」市ノ瀬アキラは、七時ちょうどに目を覚ました。枕元のエンジェルリングが柔らかい光を放ち、ゼオの音声が耳に届く。《おはようございます。市ノ瀬アキラさん。起床タイミングは幸福度+1.4。》七時三分に起き上がり、七時八分に洗面所へ。七時十四分に食卓につく。すべては誤差ゼロ。毎日が完璧に整っていた。朝食のテーブル。母親はいつも通り、穏やかに微笑んでいた。けれどその笑顔には、温度も揺らぎもなかった。「アキラ、今日のスムージーは少し甘めね」声は優しいが、まるで用意された台詞のようだった。スムージーを口に運ぶ。完璧な甘さ。栄養バランスも完璧。でも、完璧すぎて“味”がしない気がした。母の笑顔が、録画された映像みたいに思えたのは、今朝が初めてじゃなかったかもしれない。アキラは曖昧にうなずきながら、テーブルのスクリーンに目をやる。スクリーンが自動的に点灯し、幸福度ニュースが流れ始める。《本日、街の幸福度平均は98.6。区画東部の再開発エリアが週末に開放予定です。行動候補に追加されました》その映像を眺めながら、父親がふとつぶやいた。「……東部のあたり、俺が子どもの頃はまだ空き地ばかりだったな」「そうなんだ?」アキラは何気なく返した。父親は少し笑って、スプーンを置く。「公園も、古い商店も、いまは全部“最適化”されちまった。……昔の話は、聞いてみると案外面白いもんだぞ。記録に残ってるものより……ずっと、な」「記録にない話?」アキラの問いに、父親は少しだけ目を細めて、「いや……気のせいさ」そう言って、またスプーンを手に取った。そのやりとりが、なぜかアキラの中に残った。⸻通学電車の中、アキラは車窓を眺めていた。整然としたビル、規格化された街路樹、同じ制服の生徒たち。景色は変わらず、心も揺れない。車内モニターが切り替わり、ゼオのアイコンが表示される。《現在、通学ルートBが最適です。幸福度低下を回避するため、次の駅での乗り換えを推奨し
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最も自由な男
朝靄が残る旧公園。アキラは、足元に置いた端末が小さく震えているのに気づいた。《非認証通信:受信中》カナが覗き込む。「誰から?」「わからない。でも、普通の通信じゃない。形式も、圧縮方式も見たことない」「こんな通信、普通は届かないよね。……AIの中枢ネットワークに紐づいてないってこと?」アキラは静かに頷いた。表示されたメッセージは、たったひとつ。「迎えを送る。G2区画、赤いクレーンの下で会おう。」「……場所、指定してきたな」「罠かもしれないよ?」「それでも、行くしかない。待ってる誰かがいるなら──俺たちから動かないと」アキラのその言葉に、カナは小さく頷いた。G2整備区画──そこは、かつて都市建設AIが最初に手をつけた“実験エリア”だった。だが、人間の動きが予測不能すぎたため“最適化不能”と判断され、統治システムから切り捨てられた。今では地図上でも半透明の扱い。実質的に存在しない場所だ。コンテナの残骸と錆びたクレーンが並ぶ道を歩きながら、アキラはつぶやいた。「管理できない場所は、潰して、見える範囲に人間を押し込めたのか。数字と監視が届く範囲だけを“世界”にしたんだ」カナが辺りを見渡す。「知らなかっただけで……街の外には、こんなに広くて、使われてない場所があったんだね」「そう思うとさ、街の中がどれだけ狭かったかって感じるよな」その時、目印の赤いクレーンの根元に、人影が見えた。シャツのボタンは適当にとめられ、裾は片方だけズボンからはみ出している。靴紐も、片足しか結ばれていない。しわだらけの服のせいで気づきにくいが、顔立ちは妙に整っていた。涼しげな目元に、乱れた前髪がかかっている。どこか力が抜けていて、緊張感がない。青年は仰向けのまま空を見ていた。まるで、ここが世界の真ん中でもいいとでも言うような顔で。「……寝てる?」「たぶん、あれが迎えだよな……」警戒しながら近づいたそのとき、青年がゆっくりと上半身を起こした。「あー、起きた。君ら、アキラとカナで合ってる?」そう言って伸びをした姿にも、隙だらけのようでいて、どこか一分の乱れがなかった。「……えっと、はい。あなたは?」「セツ。名前だけ覚えてくれたらいいよ。ルキに頼まれて来た。案内と、まあちょっとした指導とか?」「ルキの……関係者なんですか?」「そう。あ
last updateDernière mise à jour : 2025-07-12
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