Mag-log in辺境の村に住むエリンは、13歳の少女。親を知らない孤児だ。 エリンには秘密がある。それは、超能力のような不思議な力が使えること。人の心の声が聞こえたり、念じるだけで炎が灯ったり。 エリンには謎がある。誰も彼女の出自を知らず、どこから来たのかも知らない。狂った獣「白獣」狩りを生業とする、異能戦士団エインヘリヤル。彼らとともにエリンは旅立つ。 自らの血と肉体に宿る力を少しずつ探りながら、手がかりを求めて世界を巡る。 さまざまな出会いと別れはエリンを成長させていく。 これは、神殺しの宿命を背負って生まれた少女の成長と救済を描く物語。 そして、過ちを積み重ねた大人たちが責任を全うして、赦される物語。
view more古い記憶の底で、小さな子どもが泣いている。
寂しい、寂しいと泣いている。 遠ざかる背中に向かって、届かない手を伸ばして。――行かないで、置いていかないで。
――わたしをひとりにしないで。やがて背中が闇の向こうに消えてしまっても、彼女は泣き続けている。
――ひとりぼっちは嫌だ。ひとりは寂しい。置いていかないで……。
遠い記憶は曖昧で、あの背中たちが誰なのかも分からない。
辺りには雪が降っている。舞い散る雪のかけらが、白く光る闇夜を覆い隠してしまう。 雪を踏む足音すら包み込み、消し去ってしまう。 何もかもを優しく残酷に包んで、かすかな思い出がこぼれていく。 流れた涙は凍って、肌に冷たい痕を残す。 残るのは冷え切った体と、静寂の時間だけだった。 カーテンの隙間から漏れる光が目に入って、エリンは目を覚ました。 ついさっきまで悲しい夢を見ていた気がするけれど、よく思い出せない。「まあ、いつものことかな」
そんな風に呟いて、身を起こす。
胸元で、肌身離さず身につけている青いペンダントが揺れた。エリンの瞳と同じ色をした、丸い石。 狭いベッドで一緒に眠っていたティララが、小さな体を身じろぎさせた。「エリンおねえちゃん……もう、朝? ねむいよぉ」
寝ぼけた様子に、エリンは笑いかける。
「ティララはもうちょっと寝ていていいよ。私、先に用意してくるね」
ティララに毛布をかけ直してやって、エリンは床に足をつけた。石造りの床は冷え切ってひやりと冷たい。
靴をはいて立ち上がる。カーテンを少しだけ開ければ、半ば雪に埋まった窓の向こう側に、一面の雪景色が広がっていた。 まだ朝日は上っていない。先程の光は陽光ではなく、雪の反射……雪明かりだったのだ。今は冬。
ミッドガルドの国の中でも北の辺境に位置するこの村は、冬になれば雪に閉ざされる。 全てが雪に埋もれてしまう冬が、エリンはあまり好きではなかった。 理由はよく分からない。 もちろん冬は寒いとか、雪で動きを制限されるとか、そういった理由で嫌う人は多いけれど。 エリンは澄み渡った冬の空気や、淡い色の空と太陽は嫌いではなかった。それでも冬は苦手と感じる。茶色の髪を手早く三つ編みにして、夜着から着古したワンピースに着替える。
ワンピースは冬用の厚手のものだが、ところどころが擦り切れている。継ぎを当てるのもそろそろ限界だけれど、代わりの服は持っていない。 質素な木製のドアを開けて部屋を出ると、続く廊下もひんやりとした空気で満たされていた。 孤児院を兼ねる教会は、あまり裕福ではない。暖房は必要最低限で節約されているのだ。 エリンは廊下を歩いて居間兼食堂へ行く。 早朝、まだ誰もいない室内は薄暗く、寒かった。室内でも息が白い。 暖炉の前に膝をついて灰を掻いたが、熾火は消えてしまっていた。「困ったな……」
こうなると、もう一度火を起こすまで時間がかかる。
諦めて火打ち石と細い薪を取り出して、地道に火を付けようとした、その時。ボッ――
片手に持った細薪が、勢いよく炎を吹いた。
まるで松明のように燃え盛る炎を見て、エリンの表情は硬い。――また、やってしまった。誰もいない時で良かった。司祭様に見られたら、何と言われるか。
そう思って、苦い思いを無理矢理に飲み込んだ。
もう片方の手で、青いペンダントを握り締めながら。ユグドラシルとアースガルドの崩壊から数年後。 少しだけ、世界は落ち着きを取り戻しつつある。 そんなある冬の日、エリンはセティと一緒に雪の積もる山を歩いていた。「白獣が出るなんて、久しぶりだよね。星の癒やしの一件以来、人も獣も能力者はあまり出なくなったのに」「うん」 エリンが言うと、セティはうなずいた。 アース神族たちのバナジスライトが大地に溶けたあの日の出来事を、彼らは『星の癒やし』と呼んでいた。 その効果は絶大で、大地に析出していた結晶は全て消えた。さらに動物の白獣化、人間が能力に目覚める確率も劇的に下がったのである。「でも、今でも病に苦しむ獣がいるなら、助けてやらないとな」 彼らはもう少年と少女ではなく、立派な若者だ。 白獣、もしくは末期未満の人間のユミル・ウィルス感染者対策として、エリンの血から抗体を精製して作った。 この抗体があれば白獣はエリンの友となり、人間はそれ以上の病の進行が止まる。 この事実も公表して混乱を呼んだが、今はそれなりに落ち着いてきている。「さて。セティ様の透視《クレアボヤンス》の出番だぜ」 セティの瞳が僅かに赤く光る。これは、第三段階の能力者の特徴だ。第三段階は結局、シグルドとセティ以外に発現しなかったが。「いたぞ。あれは鹿だな。足が速そうだ」「じゃあ瞬間移動《テレポーテーション》で先回りして、ぱぱっと薬を飲ませちゃいましょう」「オッケー。早く済みそうで助かるよ。さっさと街に帰って、それで~」「え? 街でやること、何かあったっけ?」「なななななんでもない!」 セティはものすごく焦って首を振った。 実は彼はこの仕事が終わったら、とうとうエリンに告白をするつもりなのである。 雰囲気のいいお店を予約してプレゼントも買って、万全の体勢で挑む予定だった。 エリンと二人きりでいる時間を長くしたくて、白獣探査の精神感応者《テレパシスト》の同行を断ったのだ。透視でなんとかなるから、と。「俺が引
エリンの視界が赤く染まる。同時に右肩に灼熱を感じた。力がどんどん抜けていって、グングニルを持つのが困難になっていく。 やがて腕を伝い落ちた血がぬめって、槍を取り落とした。 からん、と乾いた音を立てた後、偽の神槍はほどけて消える。 フレキが泣き出しそうな表情で、エリンを振り返っている。 対するオーディンは、スレイプニルに堂々と騎乗していた。 血に染まった真なる神槍を構えて、エリンを見据えている。 と。 オーディンの体が、ぐらりとかしいだ。 まるでスローモーションのように、スレイプニルの胴を滑り落ち、長い髪をなびかせて、床に倒れ伏す。血が流れ出て赤い花のように床に広がった。 スレイプニルは主の傍らに四肢を折り、また床に同化して行った。 エリンはセティの手を借りて、オーディンに歩み寄った。 血溜まりに倒れ伏した彼女は、わずかに睫毛を震わせて―― それっきり、動かなくなった。 命が途絶えたのだと、エリンにははっきりと感じられた。「勝った、のか?」 呆然としたままで、セティが言った。激戦に次ぐ激戦を目の当たりにした後では、実感がわかないのだろう。「うん。私が、勝ったよ。セティとフレキと、ロキさんと。他の皆のおかげで」 エリンはそう言って、オーディンの血溜まりに膝をついた。「エリン?」「セティ、あのね。この人、私だったの。昔の寂しがり屋で、置いていかれるのが怖くて、泣いてばっかりだった私……」 少し開いていた紅の目を閉じてやる。それからゆっくり長い銀の髪を撫でた。「それだけ、辛い目に遭った人だったの。……だからって、とても許せるものじゃないけど。 でも私、この人の寂しい心だけは受け止めてあげたい。もう一人にさせたくない。誰も置いていかないと、教えてあげたい――」「優しいな、エリンは」 急に後ろから声がして、エリンとセティは驚いた。「ロキさん!」
オリジナルとクローン、同質の力を持つ者同士の戦いはなかなか決着がつかなかった。 本来であればオリジナルであるオーディンの方がよほど地力が高い。 けれどもエリンは偽グングニルでユグドラシルの中枢システムをハッキングして、強力な支援を受けている。 よって、両者はほぼ互角。 そして槍を打ち合わせる度、魔術の技を交わす度にエリンの心にオーディンの心象風景が流れ込んでくる。 その子は、寂しい、寂しいと泣いていた。 ひとりぼっちは嫌だ。ひとりは寂しい。置いていかないでと、繰り返し泣いていた。 既に死んでしまった人たちの背中を追いかけて、届かない手を伸ばして。 あの背中たちにはもう決して追いつけないと、オーディンも本当は理解している。 けれども彼女は諦められなかった。 国を背負って立つ王として、民を守る守護者として、責務を果たせなかった無念さが心を蝕んでいた。 彼女の責任ではない事故で多くの同胞を失った。その理不尽さを恨んで、憎んで、……悲しんで。行き場のない思いを抱えていた。 ――なぁ、ロキ。 いつか遠い日に、オーディンが呼びかける。 ――お前は墓守をして生きろと言ったよな。けれど私は、彼らに合わせる顔がないんだ。死んでしまった彼らに対して、無為に生きる私がどの面下げていられると思う? ロキの声が聞こえる。 ――生死を分けたのは誰のせいでもない。お前は生き残った幸運に感謝して、残りの命をまっとうすればいい。 ――感謝! 感謝だと! 無力な王である私は、生き残るべきではなかったのに! ――オーディン、そんなに苦しまないでくれ。生き延びたのは罪じゃない。幸せになってもいいじゃないか…… ロキの体温が少し感じられて、すぐに突き放された。拒絶だった。 ――私は幸せになどならない。 オーディンの冷たい声がする。 ――私が安らぎを得るとしたら、それは、民が蘇って宇宙へと旅立つその日以降。私
オーディンとエリンの力のぶつかり合いは、さながら嵐を思わせた。 暴風雨のように力と力がせめぎあい、真と偽のグングニルが打ち合わせられる。 オーディンの槍が雷光であるならば、エリンのそれは雷鳴そのもの。 槍と槍とが打ち合うたびに、青白い火花が散る。轟音が玉座の間を揺るがす。 真グングニルが鳥の羽ばたきさながらの動きで旋回すれば、偽の槍は獣が地を駆けるように突き進み、突き上げる。 二人の女の銀の髪が、目まぐるしく交差してはたなびく。 玉座の間に激しい嵐が吹き荒れて、セティはおろか狼のフレキですら手を出せないでいる。 だが、永遠に続くかに見えた戦闘もひとつの契機を得た。 エリンが放った鋭い突きが、オーディンの仮面を割ったのである。「…………!」 偽の槍はオーディンの右目のすぐ下に当たり、あっというまにヒビを広げた。開いた穴の崩壊は止まらず、ガラガラと崩れ落ちる。 仮面の下から現れたのは、女の顔。「――エリ、ン……!?」 驚きのあまり、セティが声を上げた。フレキも戸惑っている。 あらわになった女は、確かにエリンと同じ顔をしていた。 無論、年格好は一回りも違う。未だ幼さの残る十三歳のエリンと、成熟した女としてのオーディン。 けれども姉妹や親子などというレベルではない。 完全に同一人物、本人以外ではありえない同質さでもって、彼女らは相対していた。 エリンは目を見開きながらも、口は引き結んでいる。 槍を何度も打ち合わせる度に、彼女には予感が生まれていた。 きっとオーディンは、エリンと同じなのだと。「……は。改めて見ると、思ったよりも似ている」 仮面の欠片を投げ捨てて、オーディンは皮肉に笑った。「オリジナルの顔を見た感想はどうだ? クローンの娘よ」 クローン。その言葉を胸に刻みながらも、エリンは答えた。「今さら、何も」