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第368話

Author: 桜夏
どうりで透子が自分にあれほど憎悪を向け、蛇蝎のごとく避け、話すことさえ嫌がるわけだ。

新井のお爺さんは透子を信じると言った。実のところ、自己も彼女の側に立っていた。だが……

あの時、自分は美月を抱きかかえて去り、もっと重傷だった彼女を置き去りにし、さらに言葉で深く傷つけた……

彼は怖かった。知りたくなかった。恐れていた。すべてが美月の仕業であったことを知るのが。自分が完全な「罪人」になるのが。

もしそうなら、どうして透子に許しを乞うことなどできようか。

彼自身でさえ、自分を許すことができないのだから。

ホテルから送られてきた防犯カメラの映像では「真相」をはっきりと確認できなかった。

だからこそ、彼は卑劣にも、そこからわずかな心の安らぎを盗み、現実から目を背けることを選べたのだ。

残るはガス漏れの件だ。

ハッカーが防犯カメラのデータを修復すれば、すべてが分かる。

だが、今となって、それを知ったところで何になるというのか。

透子はとっくに彼のもとを去ってしまった。そもそも、透子は彼を愛してなどいなかったのだ。

理性的な時とは正反対の極端な思考に、脳が制御不能に陥っていく。蓮司は無理やり自分を覚醒させた。

あの防犯カメラの映像は、第二審の証拠として使う、重要なものなのだから。

彼は冷たい床から立ち上がり、書斎へと戻った。パソコンの画面には、まだホテルの廊下の防犯カメラ映像が表示されたままだ。

蓮司はそれを閉じようとしたが、ふと視界の端に映ったプログレスバーがまだ数分残っているのに気づき、何かに憑かれたように再生ボタンを押してしまった。

それは、まさに自ら「苦痛」を求める行為だった。せっかく冷静さを取り戻したというのに、結果として彼が目にしたのは……

自分が美月を抱いて去った後、壁伝いにカタツムリのように、困難な足取りで進む透子の姿だった。

足の甲に広範囲の火傷を負ったせいで、彼女は普通に足を上げて歩くことすらできず、足を引きずり、びっこを引いて横に進むしかなかったのだ。

蓮司は胸を押さえ、目は赤く充血していた。後悔と胸の痛み、苦痛と辛さ、そして自分自身への憎しみ。

様々な感情が入り混じり、彼は下唇を強く噛みしめた。やがて、口の中に血の味が広がった。

彼は考えたこともなかった。透子がどうやって痛む足を引きずって病院までたどり着いたの
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