如月透子(きさらぎ とうこ)が離婚を決めた日、二つの出来事があった。一つ目は、新井蓮司(あらい れんじ)の初恋の人が海外から帰国したこと。蓮司は億単位の金を注ぎ込んで、特注のクルーズ船で彼女を出迎え、二人きりで豪華な二日二晩を過ごした。メディアはこぞって、二人がヨリを戻すと大騒ぎだった。もう一つは、透子が大学時代の先輩の誘いを受けて、かつて二人で立ち上げた会社に戻ると決めたこと。部長として、来月から新たなスタートを切る予定だった。もちろん、彼女が何をしようと、誰も気にも留めない。蓮司にとって、透子はただの「新井家に嫁いできた家政婦」に過ぎなかった。彼女は誰にも知らせず、ひっそりとこの二年間の痕跡を新井家から消し去り、密かに旅立ちのチケットを手に入れた。30日後には、ここでのすべてと、蓮司との関係は完全に終わる。――もう、赤の他人になるのだ。【迎え酒のスープを届けろ、二人分】突然スマホに届いた命令口調のメッセージに、透子は目を伏せ、指先が震えた。今は夜の九時四十分。蓮司はちょうど朝比奈美月(あさひな みづき)の帰国パーティーに出席している最中。かつて彼は、決して透子に外へ酒のスープを持ってこさせなかった。彼女の存在を世間に知られるのが恥ずかしいからだと、家の中だけで飲んでいた。だからもし、前だったら――「やっと自分を認めてくれたのかも」なんて、喜んでいたかもしれない。でも今は違う。視線は「二人分」の文字に留まる。――そう、これは美月のためのスープだ。本物の「愛」の前では、彼は堂々と「価値のない妻」を見下し、さらけ出すことを恐れなくなった。透子は静かに手を下ろし、キッチンに向かってスープの準備を始めた。蓮司の祖父との契約も、あと29日で終わる。カウントダウンの画面を一瞥し、ため息が漏れる。契約が切れたら、やっと自由になれる――二年も傍にいたのに、愛は一片も手に入らなかった。所詮、それが現実だった。もう、愛する力すら残っていない。最後の一ヶ月。「妻」としての仕事だけは、きっちり終わらせるつもりだった。鍋の中、ぐつぐつと煮立つスープは、彼女が最も得意とする料理。なにせこの二年、何十回とその男のために煮込んできたのだから。ふと目を
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