「明穂ちゃん、何処でも勝手に行っちゃ駄目だよ」
「如何して駄目なの」 「何処に行っているのか心配だよ」明穂は息が詰まりそうだった。
「何処って、学校に行ったり公園に寄ったりするだけよ」 「公園に変な人がいたらどうするの」(・・・・・・ふぅ)
「なに、なに溜め息ついてんだよ!」
「だって、吉高さん・・・お父さんみたいなんだもの」
大智は日々繰り返す2人の遣り取りを見て呆れ失笑した。
「吉高は心配しすぎ、明穂も(放っておいて!)とか言えば良いのに」
「でもそんな事言えないし」 「明穂にそんな事言われたらあいつ立ち直れないだろうな」 「そうだよね」「なにこれ、四角くて小さい、それに冷たい」
「デジタルカメラ」 「これは明穂の目、その日何処に行ったか何を見たのか俺も知りたい」 「私の、目」「これを押して」
「赤いボタン」ボタンを押すと反応があり微かな起動音がした。
「これで毎日同じ男が写っていたら俺が警察に突き出してやる」
「突き出すなんて」 「明穂を狙った変質者かもしれないだろ」 「・・・あ、それは困る」大智は明穂を背中から抱き締め呟いた。
「明穂がなにを見ているのか俺も知りたい」
「じゃあ記念すべき1枚目」パシャ
「な、なんだよ!」
「大智が一番よ、凄く恥ずかしそうな顔、顔も真っ赤」 「やめろよ」「大智ありがとう、このデジタルカメラきっと高いのね」
「止めてくれよ恥ずかしいから」 「毎日、《見た景色》を写真に撮るね」 「楽しみにしてるよ」「今日はなにを見たの」
「可愛い犬が居てね」 「可愛い?顔が垂れてるじゃん」 「フレンチブルドッグなの?」 「そうそう、それそれ」 「だからツルツルした身体だったのね」吉高は外科の担当医だった。長時間の手術を終えると、興奮状態に陥り、抑えきれない高揚感に取り憑かれた。術後の手洗いを済ませた彼は、消毒液の匂いが漂う廊下で、女性看護師の手首を掴んだ。その動きは、獲物を求める獣のように静かで鋭い。実直で品行方正だった吉高は、いつしか愛欲の沼に溺れていた。 白い手術着の下で脈打つ情欲は、明穂との慎ましやかな生活では埋められぬ空隙を暴く。病院の無機質な廊下を急ぐ足音が、彼の心の乱れを響かせる。 明穂の無垢な笑顔、バリアフリーの家での穏やかな夜それらが、今は遠い記憶のように霞む。看護師の手首を握る感触に、吉高は一瞬、明穂の手を思い出すが、すぐに掻き消す。薄暗い廊下の先、非常灯の緑が冷たく光る。吉高の心は、医者としての使命を忘れ、ネームタグを引きむしるように外すとスラックスのベルトに手を掛けた。「アッ、せん・・・」 カルテ保管庫の奥、薄暗い閲覧机の上で、女性がボタンを外した白衣を広げ、両脚を大胆に開いていた。彼女は「吉高、欲しい」と囁き、その尻に爪を立てる。吉高は鋭い痛みに興奮を覚え、激しく乳首に吸い付いた。彼女の嬌声が狭い部屋に響き、腰を前後に押し付ける動きが、欲望の渦を加速させる。埃っぽいカルテの匂いと消毒液の冷たい空気が、吉高の心をさらに掻き乱す。吉高は彼女の肌に爪を立て返し、明穂への誓いを踏みにじる自分を自覚しながら、なおも欲望に身を委ねた。薄暗い部屋の奥で、二人の影は一つになった。「紗央里、紗央里」 廊下を行き交う同僚に気付かれぬよう、吉高はくぐもった声で愛人の名前を呼んだ。「紗央里」と囁きながら、カルテ保管庫の奥で彼女の腰に手を這わせ、前後に擦り合わせる。彼女の熱い吐息と肌の感触が、吉高の理性を溶かす。「待って、先生」「なに」 吉高は血管が浮き出るほど張りつめたそれを紗央里の膣内から抜き、その具合を確認するように見つめた。薄暗いカルテ保管庫、埃っぽい空気の中で、白衣のポケットからコンドームを取り出し、前歯で封を切る。その間も、指先は紗央里の中を執拗に掻き回し、彼女の嬌声を誘う。彼女の悶える姿が、吉高の欲望をさらに煽る。だが、明穂の無垢な笑顔が脳裏をよぎり、胸に鋭い罪悪感が走る。「あ、やだ先生おっきい」「いつもと同じだよ」 吉高は手際よくコンドームを装着し淫部に当てがった。ぐちゃ 滑った音が更に興奮
明穂は鏡に映った自分に問いかけた。本当にこれで良かったのか? 吉高のプロポーズを受け入れたのは、大智の面影をその瞳に見たからではないのか? 純白のウェディングベールに包まれ、彼女の心は迷いで揺れる。鏡の中の自分は、弱視ゆえにぼやけ、まるで答えを拒むようだ。そのとき、白い薔薇のブーケが届けられた。清らかで重い花束を手に、明穂はこれからの人生を重ねる。薔薇の香りは、吉高の誠実さと約束を運ぶが、心の奥で囁く声。「もし、大智が帰ってきたらどうするの?」 その思いが消えない。窓の外、春の陽光が教会のステンドグラスを彩り、柔らかな光が部屋を満たす。明穂はブーケを胸に抱き、目を閉じる。吉高の優しさと大智の不在が、彼女の心でせめぎ合う。仙石家と田辺家の約束が、彼女を吉高へと導いたが、大智の記憶はなおも鮮やかだ。ベールの下、明穂の唇は小さく震える。薔薇の重みが、未来への決意と不安を同時に押し寄せる。彼女は鏡に向かい、そっと呟いた。「私は、幸せになれるよね?」 荘厳なパイプオルガンの音色が、明穂の人生の新たな一歩を導いた。父親に手を引かれ、深紅のバージンロードを進む。弱視の瞳には、ぼやけた世界が柔らかな光に包まれる。仙石家の両親は涙を流して喜び、明穂の母親は感慨深く頷いた。参列席からは感嘆の溜め息が漏れ、子どもたちが「お姫様みたい!」「綺麗だね!」と目を輝かせる。マリアと百合の花に彩られたステンドグラスから差し込む光の中に、吉高が温かな笑顔で手を差し出す。明穂の心は一瞬、大智の面影に揺れたが、吉高の誠実な眼差しに引き戻される。「これでいいのだ」 彼女は自身に言い聞かせる。プロポーズの瞬間、薔薇のブーケの重みが蘇る。仙石家と田辺家の約束、吉高の献身、すべてが彼女をここへ導いた。バージンロードの先、吉高の手を取る瞬間、明穂は自身の選択が間違っていなかったと信じた。教会の空気は花の香りに満ち、オルガンの響きが未来を祝福する。明穂は微笑み、吉高の手を握り返した。その温もりに、彼女は新たな希望を見出した。「汝、仙石吉高は、この女、田辺明穂を妻とし、良き時も悪き時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分つまで、愛を誓い、妻を思い、妻のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」「誓います」「汝、田辺明穂は、この男、仙石吉高を夫とし、良
明穂23歳、吉高25歳の事だった。 大智からの連絡が途絶え、明穂は空虚な日々を送っていた。心にぽっかり空いた穴を埋めるように、彼女は大智との別れの約束を守り、デジタルカメラを手に色褪せて見える景色を撮り続けた。街角の古い喫茶店、夕暮れの川辺、誰もいない公園、どれもが大智の不在を囁くようだった。両親やクラスメートたちは明穂の塞ぎように気遣い、優しい言葉をかけたが、その傷は決して癒えることはなかった。 ただ時折、大智から絵葉書が届く。色鮮やかな異国の風景と、短い走り書きのメッセージ。明穂はそれを胸に抱きしめ、静かに涙を流した。そばでそんな明穂を見つめる吉高の心は、嫉妬と無力感でざわめいた。彼女の瞳に映る大智の影を、どんなに願っても消せなかった。明穂がカメラを構えるたび、吉高は彼女の心に近づきたいと願ったが、その一歩があまりにも遠く感じられた。「あれ?新しいカードがない」 そんなある日のこと、明穂がデジタルカメラのSDカードを使い切ったと困り顔をしていた。リビングの陽光が差し込む窓辺で、彼女は小さなカードを手に途方に暮れた表情を浮かべる。大智の影が見え隠れするそのカメラ、吉高には、まるで明穂の心を縛る呪いのように思えた。(そんなもの、使えなくなればいい) 胸の内で毒づく自分に気付く。浅はかで愚かしい嫉妬が、黒い霧のように心を覆う。吉高はそれを振り払うように激しく頭を振ったが、明穂の憂いを帯びた横顔を見ると、胸のざわめきは収まらなかった。彼女がカメラを握る指先、かすかに震えるその仕草に、大智への想いが滲んでいるようで、吉高の心はさらに軋んだ。外では春の風が桜の花びらを散らし、ピンクの欠片が舞い込む。明穂がふと顔を上げ、窓の外を見つめる。その瞳に映るのは、遠い大智の姿なのか。吉高は拳を握った。「明穂ちゃん、僕がお店に連れて行ってあげようか?」「え?いいの?」 弱視で外出もままならない明穂は、吉高の言葉に笑顔で答えた。その温かく眩しい笑顔は、まるで春の陽光のようにリビングを照らし、吉高の胸を締め付けた。だが、その笑顔が、離れてもなお大智のものだと感じるたび、歯痒さがこみ上げる。双子の兄妹、同じ顔、同じ声、鏡のように似た存在なのに、なぜ明穂の心は自分を選ばなかったのか。吉高のプライドはひび割れ、今にも砕け散りそうだった。窓の外では、桜の花びらが静かに舞い落ち、
(ーーーー明穂) そんな中、面白くないのは吉高だった。明穂を心配しながらもそれは口先だけで終わっていた。行動力の有る弟の隣で無邪気に笑う明穂の姿が居た堪れなかった。 (ーーーークソっ、俺の方が学力は上だ!) 高等学校3年の進路指導で、吉高は国公立大学の医学部への進学を希望し、博士号を目指した。明穂と結ばれる未来を思い描き、安定した収入と揺るぎない生活基盤を築くため、真剣な眼差しで勉学に励んだ。一方、謹慎処分を受けた大智は大学進学を諦め、地元の中小企業への就職が決まった。自由奔放な彼は、堅実な道より自分らしい生き方を優先した。明穂は吉高の堅実な夢に尊敬を抱きつつ、大智の気ままな選択に親しみを覚えた。カメラを手に、明穂は二人の異なる未来を思い、複雑な心持ちでシャッターを切った。吉高の真剣な眼差しと大智の笑顔が、明穂の胸で交錯した。(なんで!なんで大智なんだ!?) ところが、明穂が高校に入学した春、両親公認で大智と交際を始めた。赤らむ頬の明穂と手を繋ぎ、軽やかに出掛ける大智の後ろ姿に、吉高は胸を締め付ける激しい嫉妬を覚えた。夕暮れの部屋で、明穂と母親がデジタルカメラの画面を親子仲良く眺め、その隣で無邪気に笑う大智の姿が、吉高にはどうしても許せなかった。明穂の幸せを願う一方、彼女を独占したい思いが心を乱した。吉高は医学部への夢をさらに固め、安定した未来で明穂の心を取り戻そうと決意した。だが、カメラのシャッター音が響くたび、明穂と大智の絆が深まる現実に、吉高の胸は静かに軋んだ。(絶対!絶対医者になってやる!) 高等学校卒業後、地元の中小企業に就職した大智に明穂を奪われたことで、吉高の人生設計は大きく狂った。国公立大学医学部で博士号を取得し、安定した未来で明穂の心を取り戻す夢は、彼女と大智の手をつないだ笑顔に揺らいだ。吉高の胸は嫉妬と無力感で締め付けられた。明穂がカメラで切り取る日常・・・・・大智と過ごす楽しげな瞬間が、吉高の心に突き刺さった。それでも、吉高は医学への情熱を捨てず、努力で未来を切り開こうと決意した。だが、明穂の幸せな笑顔と大智の気楽な声が、吉高の心に複雑な影を落とし続けた。「おまえじゃ明穂を幸せに出来ない!」「なんでだよ!」 ある日、些細な出来事——明穂が大智と笑い合う姿を目にした瞬間、吉高の抑えていた感情が爆発した。自分より劣ると感じて
田辺明穂は仙石家の双子の兄、吉高を《吉高さん》と丁寧に呼び、弟の大智を《大智》と呼び捨てにした。年齢を重ねるごとに、四角四面で過保護な吉高とはどこか距離感が生じ、会話もよそよそしくなった。一方、自由奔放ながらも温かく見守ってくれる大智とは心の距離が縮まり、気軽に冗談を交わす仲に。明穂は大智のざっくばらんな性格に安心感を抱きつつ、吉高の真面目さにも尊敬の念を持っていた。それでも、双子の異なる魅力に挟まれ、明穂は自分なりのバランスを探し続けていた。「明穂ちゃん、何処でも勝手に行っちゃ駄目だよ」「如何して駄目なの」「何処に行っているのか心配だよ」 明穂は息が詰まりそうだった。「何処って、学校に行ったり公園に寄ったりするだけよ」「公園に変な人がいたらどうするの」 吉高は幼い頃から明穂の行動範囲を細かく把握しようとした。登下校のルート、友達との予定、帰宅時間まで、逐一確認するその態度は、明穂への深い愛情からくるものだと頭では理解できた。だが、吉高の過保護な視線は、まるで水中に沈められるような息苦しさをもたらした。明穂は自由を求める心と、吉高の真剣な心配を拒めない葛藤の間で揺れ動いた。一方、大智の気楽な笑顔が、明穂にほのかな解放感を与えていた。それでも、吉高の真摯な姿勢には、どこか心を動かされる温かさがあった。(・・・・・・ふぅ)「なに、なに溜め息ついてんだよ!」「だって、吉高さん・・・お父さんみたいなんだもの」 大智は日々繰り返す2人の遣り取りを見て呆れ失笑した。「吉高は心配しすぎ、明穂も(放っておいて!)とか言えば良いのに」「でもそんな事言えないし」「明穂にそんな事言われたらあいつ立ち直れないだろうな」「そうだよね」 しかし、年頃を迎えた明穂の変化に、大智もまた心を寄せていた。自由奔放な彼だが、明穂の安全と笑顔を願う気持ちは強く、良い案を思いついた。お年玉と小遣いをコツコツ貯め、デジタルカメラを買い、明穂の手にそっと握らせた。「これで、おまえのその日あったことを撮ってこいよ」「・・・・なに?」 と笑う大智。その気遣いは、吉高の過保護さとは違い、明穂に自由と信頼を与えた。「なにこれ、四角くて小さい、それに冷たい」「デジタルカメラ」「これは明穂の目、その日何処に行ったか何を見たのか俺も知りたい」「私の、目」 カメラを手に、明穂
明穂は生まれつき弱視で、視界は常に曖昧だった。手に取った林檎の赤や輪郭はぼんやりと「見える」が、テーブルの向かいで話す人の顔は、まるですりガラス越しのように曖昧で、面差しを「感じる」程度にしか捉えられない。それでも、彼女は相手の微妙な表情の変化や感情の揺れに驚くほど敏感だった。声の僅かな震え、息遣いの変化、漂う香水のほのかな違い、嗅覚や聴覚も鋭く、目に見えない心の動きを捉えた。 たとえば、吉高が疲れて帰宅した夜、彼の声のトーンや椅子の軋む音から、言葉にしない悩みを察した。あるいは、大智がそばにいた頃、彼の笑い声に隠れた緊張を聞き分け、胸にそっと寄り添った。明穂のこの鋭さは、弱視ゆえに磨かれた感覚であり、彼女の世界を豊かにする一方で、時に見えない真実に心をざわつかせた。彼女はそんな自分を抱きしめ、静かに日々を紡いでいった。「吉高くん、学校で何かあったの?」 明穂の声は柔らかく、しかし心配そうに響いた。彼女の弱視の目では、吉高の顔はぼやけていたが、声の僅かな震えと沈黙から、彼の戸惑いと落胆が鮮やかに伝わってきた。「・・・・・・」「また教科書が無いの?」「無かった」 吉高は小さく答えた。明穂は彼の肩がわずかに落ちる気配を感じ、心が締め付けられた。「ごめんね、一緒に探してあげられなくて」と彼女は囁くように言った。吉高は少し間を置き、「もう一度探してくるよ」と答えたが、その声には力がない。明穂は微笑み、「気を付けてね」と優しく送り出した。「うん」と短く返す吉高の足音が遠ざかる中、明穂は彼の背中に宿る不安を確かに感じていた。彼女の鋭い感覚は、吉高が口にしない悩みを捉え、心の奥でそっと寄り添った。吉高の屈んだ背中が、夕暮れの教室に消えていくのを、彼女は静かに見守った。 明穂の隣家には、3歳年上の幼馴染、仙石吉高が住んでいた。彼は生真面目で融通が利かない性格で、どこか孤独を好む少年だった。学校では、同級生の男子たちが下世話な話で盛り上がる中、吉高は教室の窓辺で静かに小説に没頭していた。古びた文庫本のページをめくる音だけが、彼の周りに穏やかな空気を作り出した。しかし、その孤高な態度は同級生の目に異質に映り、自然といじめの標的となった。たびたび彼の教科書が隠されたり、嘲笑が教室に響いたりした。「また御本を読んでいらっしゃるんですかぁ?」同級生の嘲るような声が