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第8話

Author: はんじゅくチーズ
月美はすでにすべてのスタイリングを終えていた。

だが、基成は依然として二階の控室にこもったままだった。

月美はしばらく迷った末、やはり様子を見に行くことにした。

控室の扉はわずかに開いていた。

中から話し声が聞こえてくる。

月美は足音を忍ばせ、そっと近づいた。

「基成、清枝は本当に来ないの?」

「今さら来たって、もう遅いよ」

「基成、前から聞きたかったの。

君は清枝のこと、どう思ってるの?

幼なじみで、あんなに綺麗で純粋で、君のこと一途に想ってるのに」

月美は思わず息を止めた。

室内は長い沈黙に包まれた。

やがて、基成がゆっくり口を開いた。

「何も感じないよ。子どもの頃から決められた婚約なんて、とうにうんざりだ」

基成は冷たく笑った。

彼は清枝より三歳年上だった。

二人の婚約が決まったとき、清枝はまだ中学生になったばかりだった。

その後、清枝は見違えるように美しく成長した。

基成は、彼女の卒業式の夜のことを思い出した。

あのときの自分は、まるで狂っていた。

あの柔らかな唇に、思わずキスしてしまった。

彼女がくれた指輪も、つい受け取ってしまった。

「でも、今の清枝って本当に目を引くよね」

「うん、同じ界隈の男たち、みんな彼女を狙ってる」

「先月のチャリティーパーティー、覚えてる?」

「もちろん。あのロイヤルブルーのドレス姿で、オープニングダンスを踊ったじゃない」

「ターンしたときにスカートがふわっと広がって…あれは本当に目が離せなかった…」

基成は、もちろん覚えていた。

あの晩の清枝は、とても嬉しそうだった。

ずっと彼に話しかけてきて、新しく覚えたダンスのステップを得意げに披露していた。

そのとき、月美が突然扉を押し開けた。

「基成くん」

彼女はシャンパンカラーのレースドレスに身を包んでいた。

このドレスは、かつての基成の母親の写真をもとに特別に仕立てられたものだった。

基成の母親は平凡な家の出で、自分の父親の治療費を稼ぐため、バーで働いていた。

そこで起きたある事故の夜、基成の父親に命を救われた。

この美談はいまも人々の間で語り継がれている。

基成が何より誇りに思っているのは、両親のその愛の物語だった。

おそらく、それゆえに――

かつて月美を助けたとき、彼女に心惹かれたのだろう。

今、
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