ログイン同窓会の二次会。 クラスのマドンナだった林堂小夜花(りんどう さやか)と、片瀬水輝(かたせ みずき)が相性ゲームで次々と正解を出し、周囲の熱気は最高潮に達していた。 「相性度ナンバーワンの祝杯だ」と囃し立てられるまま、ぴったりと身を寄せてグラスを飲み干す二人。耳まで真っ赤に染まった彼らを見つめながら、私は目の奥がツンと熱くなるのを堪えていた。 「なに、まだ不貞腐れてんの?」 隣に座る同級生が、私――片瀬結音(かたせ ゆね)を横目で見て鼻で笑う。 「さっきのゲーム、水輝は結音がワサビ苦手なことすら知らなかったじゃん。あの二人、学生時代からずっと両想いだったんだから、ようやく結ばれるってわけよ。みっともないから、もうつきまとうのやめなよ」 私は何も言い返せず、ただ視線を逸らした。 「ずっと両想いだったから、ようやく結ばれる」? ――私と水輝が、極秘結婚してすでに3年になるというのに。 今日こそみんなに打ち明けようと思っていた矢先、当の夫は別の女と腕を絡ませて笑っている。 喧騒の中、スマホが震えた。水輝からのメッセージだった。 【怒らないでくれよ。今日は仕事の繋がりもある連中がいるから、ただ場の空気に合わせただけだって】 【そのうちちゃんと、二人の関係を公表するからさ】 それを見て、ふっと乾いた笑いが漏れた。 テーブルの向こうで私を見た水輝は、機嫌が直ったと勘違いしたのか、安堵したように微笑み返してくる。 違うよ。私が笑ったのは――もう公表なんてしなくていい、と思ったからだ。 誰にも言えず、こそこそと隠し続けるだけの結婚生活は、もう終わりにしよう。
もっと見る周囲の記者やデザイナーたちが何事かと立ち止まり、好奇の視線をこちらに向けて囲み始める。カパッと開かれたケースの中では、大粒のダイヤモンドが眩い光を放っていた。かつて水輝が「いつか買ってやる」と口にしていたものよりも、はるかに大きく、信じられないほど高価な指輪だ。「結音、俺と結婚してくれ。今度は、俺の妻は君だけだと世界中の人間に知らせる。盛大な結婚式を挙げて、友人にも親戚にも胸を張って紹介する。君が行きたい場所にはどこへでも付き合うし、君がデザインの仕事を続けることも全力でサポートする。これからの人生すべてを懸けて君に償い、君だけを愛し抜くよ」冷たい床に跪き、縋るように見上げてくる水輝を見つめながら、私は静かに首を横に振った。「水輝、立って。もう、遅いのよ」「遅くない!全然遅くない!」水輝は血相を変えて、私の手を強く握りしめた。その手は氷のように冷たく、小刻みに震えている。「俺が、どうしようもないクズだったことは身に染みて分かってる!君との関係を隠して、数え切れないくらい傷つけて……君が一番俺を必要としていた時に、そばにいなかったことも……殴っても、罵ってもいい!許してくれて、俺のそばにさえ戻ってきてくれるなら、もう何だってする!会社の株を半分譲ったっていい、これからは君の言うことなら何でも聞くから……っ!」私は水輝の指からゆっくりと、自分の手を引き抜いた。「水輝。私はもう、あなたのことは許してるわ。けど、許すことと、やり直すことは違うの。あなたが私に刻み込んだ傷は、『ごめん』の一言で都合よく消えたりしない。私が部屋で一人きりで耐え忍んできた夜も、流してきた涙も、こんな高価なダイヤの指輪をもらったくらいで清算できるものじゃないのよ。昔の私はね、人を愛するってことは、自分のすべてを犠牲にして、どこまでも耐え忍ぶことなんだって思い込んでた。私がいい子にしていれば、いつかあなたは本気で私を愛してくれるって信じてたの。でも、今は分かる。本当の愛って、対等で、お互いを心から尊重し合えて、同じ歩幅で歩いていけることなのよ。あなたのそばにいた8年間、私は私じゃなかった。あなたのために夢を捨て、プライドを捨てて、単なる『あなたの付属物』として生きていた。あなたがいつか私を捨てるんじゃないか、周りから『釣り合わない』と
司会者から向けられたマイクを受け取り、私は客席をゆっくりと見渡しながら、静かに微笑んだ。「私が一番感謝したいのは――他でもない、自分自身です。どれほど暗く先の見えない底にいても、決して自分を投げ出さなかった私。自分を縛り付けていた場所から逃げ出し、一歩を踏み出す勇気を持てた私。そして、どんな壁にぶつかっても泥臭く夢にしがみつき、最後まで足掻いてくれた私自身に、心からのありがとうを伝えたいと思います」私が言葉を結ぶと同時に、ホール全体が割れんばかりの、万雷の拍手に包まれた。2年前、スーツケースひとつでこの街へやって来たとき、すべてはゼロからのスタートだった。篠原さんの事務所でアシスタントとして雇われた私は、お茶出しや資料のコピー、掃除といった雑務を毎日こなした。それでも、少しも苦にはならなかった。空き時間さえあれば先輩デザイナーたちの作業を真横で観察し、生きたスキルをスポンジのように吸収していった。夜はあのおんぼろアパートに帰ってから、深夜の2時、3時まで一人でデザイン画を極めるためにペンを握りある時、クライアントからの修正要求が10回以上も続き、担当のデザイナーがパニックに陥りかけたことがあった。そこで私が自ら名乗りを上げ、徹夜で全く新しいデザイン案を練り上げたのだ。すると信じられないことに、クライアントはそのコンペ案を一目で気に入ってくれた。それを機に、篠原さんは私に単独でプロジェクトを任せてくれるようになった。与えられたチャンスにはすべてしがみつき、死に物狂いで学び、働いた。仕事のクオリティは洗練されていき、私独自のスタイルも確立されていく。少しずつ、業界内で『西宮結音』の名前が知られるようになっていった。そして半年前。私は篠原さんと共同経営という形で、自分たちの独立したデザイン事務所を立ち上げたのだ。事務所自体は小さいけれど口コミでの評判は高く、今では新規の依頼が途切れることなく舞い込んでいる。授賞式が終わると、私は大勢の記者たちに囲まれ、フラッシュの波に呑まれた。その時だった。人垣の向こう側に、水輝の姿を見つけたのは。彼はそこにじっと立っていた。黒い無地のスーツを着た彼は、二年前と比べて一回り以上痩せこけており、髪には白髪すら混じっている。眉間に刻まれた深い皺からは、かつての傲慢なまでの
「えっ?」小夜花は呆然とし、手にしたコーヒーをこぼしそうになった。「何言ってるの?この案件、半年も前から進めてきたのよ?人もお金も限界まで注ぎ込んできたのに、今さらやめるなんて言われても――」「やめると言ったらやめるんだ」水輝は立ち上がり、小夜花からそっぽを向くように窓際へ歩み寄った。「小夜花。今後、俺に直接連絡してくるのはやめてくれ。仕事の用件なら、すべて秘書を通すように。プライベートな関係は、これで終わりにしよう」小夜花の顔から、さっと血の気が引いた。彼女はコーヒーカップをデスクに乱暴に置き、水輝の背中に歩み寄ると、目頭を赤くして声を荒らげた。「どういうつもり!?結音が出て行ったからって、私に八つ当たりしないでよ!あの女との結婚はどうせ妥協で、本当はずっと私のことが好きだったって、そう言ってくれたじゃない! タイミングが来たらあんな女とはさっさと離婚して、私と結婚するって……!」水輝は振り返り、一切の温度を感じさせない瞳で小夜花を見下ろした。「妥協だなんて、俺は一度も言った覚えはない。結音と結婚してからの3年間、あいつはずっと俺の正当な妻だった。……俺が最低のクズだったんだ。あいつを少しも大事にしていなかった。昔は、俺はお前のことが好きで、お前と俺こそがお似合いの運命の相手だと思い込んでいた。だが、結音が俺の元から消えて、ようやく気付いたんだ。俺はとっくの昔に、結音なしでは生きられない人間になっていたことに。あいつがいなくなって、初めて分かった……家に帰って明かりがついていることも、脱いだ服が綺麗に洗われていることも、具合の悪い時に誰かがそばで看病してくれることも……当然のことなんかじゃない。すべて、結音が俺のために命を削って尽くしてくれていたことだった。俺はそれを当たり前だと錯覚し、ただ搾取していただけだった」小夜花は歪んだ笑いを浮かべ、気づけばその目からポロポロと涙を溢れさせていた。「水輝……あなた、本当にバカね!あいつが出て行ってから、あなたがそんな抜け殻みたいになって……もう2ヶ月よ!? いい加減に目を覚ましたら!? あの女はとっくにあなたのことなんか忘れてる!もう絶対に戻ってなんかこないわ!」「ああ……分かっている」水輝の声はひどく低く、果てしない苦渋と絶望の色が滲んでいた
ピシャリと容赦なく閉ざされた結音家のドアを前にして、水輝は全身の血の気がサッと引いていくのを感じていた。結音の父に怒声を浴びせられ、水輝はようやく思い出したのだ。三ヶ月前、結音が流産したあの日のことを。あの日、結音は下腹部を襲う尋常ではない激痛に耐えながら、水輝のスマホに何度となく着信を入れていた。しかし水輝はそれを邪魔だとばかりに無視し続けた。ようやく電話に出た時も、ひどく苛立った声で言い放ったのだ。「結音、今度はなんだよ?こっちは取引先の人間と重要な打ち合わせ中だ。用があるなら家に帰ってからにしろ」結音は激痛から息を呑み、震える声で哀願した。「水輝……お腹が、すごく痛いの……流産、しちゃうかもしれない……お願い、帰ってきて、一緒に病院に行って……」しかし水輝は数秒黙り込んだだけで、当然のようにこう返した。「だから、こっちは今手が離せないって言ってるだろ。自分で救急車でも呼べよ。小夜花もここにいるんだ、あいつを一人にしておくわけにはいかない」そして、一方的に通話ボタンを切ったのだ。あの時、結音は一人きりで冷たい床に倒れ込み、脂汗を流して痛みにのたうち回っていた。結局、結音のすすり泣く声を聞きつけた隣人が異常を察知して救急車を呼んでくれたのだ。病院に運ばれたものの、医師からは「お腹の赤ちゃんは助からなかった」と告げられた。結音は真っ白な病室のベッドで天井を見つめたまま、ひと晩中声を殺して泣き続けた。だというのに、水輝が病院に姿を現したのは翌日の昼だった。手には見舞い用のフルーツバスケットを提げ、顔には相変わらず「面倒くさい」という苛立ちを張り付けていた。「ただの流産だろ?大げさなんだよ。医者も何日か休めば元に戻るって言ってたし。俺はまだ仕事が残ってるから戻るぞ。あとは家政婦でも手配しておくから」結音の体がどれほど傷ついているのか。心にどれほどの絶望を抱えているのか。気遣うような言葉はただの一言もなかった。水輝はフルーツを適当に置くと、妻の顔を見ることもなく、さっさと病室から出て行ったのだ。……誰もいない静まり返ったマンションに帰宅した水輝は、初めて自分の住むこの部屋を「広すぎて、ひどく冷たい」と感じていた。焦りに駆られて部屋中を引掻き回し、結音の持ち物を探したが、彼女は自分の痕跡など微塵も残