LOGIN◇ 私は、苓さんの運転する車で家まで送ってもらった。 車内では、私を気遣ってくれて、苓さんは時折信号待ちで停車すると私を心配そうに見るだけで、普段のように話しかける事はしなかった。 家の駐車場に車を止めると、苓さんが急いで運転席から降りて助手席側のドアを開けてくれた。 「茉莉花さん。俺に掴まってください。もしご迷惑じゃなければ、部屋まで送らせてください」 「迷惑なんかじゃないです、ありがとうございます苓さん」 苓さんは、私を部屋まで送ってくれるつもりだけど、私は部屋ではなくて、お母様が元気な頃に良く行っていた別邸に行ってくれるように苓さんに頼んだ。 「別邸に……?すぐに休まなくて大丈夫ですか、茉莉花さん」 「はい。大丈夫です。……苓さんに、お話しておきたい事があって」 「……分かりました」 話したい事がある。 私がそう言うと、苓さんの顔が一瞬強ばったけど、すぐにいつも通りの微笑みを浮かべて頷いてくれた。 苓さんの表情が一瞬だけ曇った事が気になるけど、私は苓さんに伝えておきたかった。 病院のテラスで話していたけど、私が色々考え込んでしまったせいでその話は途中で終わってしまった。 御影さんと、婚約をしていた事は苓さんに話した。 その事実を知って、苓さんがどう思っているのか。それを聞くのはどうしてか、怖い。 だけど、苓さんは出会ってからずっと、優しい。 それに、ずっと私に対して気持ちを伝えてくれている。 ずっと、苓さんに救われていた。 御影さんと婚約破棄したのに、落ち込む暇がないくらい、苓さんは私を好きだと言ってくれた。 苓さんと夜を共にしてしまった事も、一夜の過ちで、最初は忘れて欲しかった。
涼子は、じいっと見つめる御影の視線に気づき、きょとりと目を瞬かせた。 そして、すぐに愛らしい笑みを浮かべて御影に話しかける。 「直寛、どうしたの?さっきから難しい顔をして…?」 「いや……何でもない。そうだ、涼子。少し仕事の電話をしてくるから少し椅子で待っててくれ。帰りに会計をしてくる」 「本当?忙しいのに、病院まで来てくれてありがとう、直寛。待ってるね」 「ああ。ごめんな」 御影は、可愛らしく微笑む涼子につられて薄っすらと笑みを浮かべ、涼子の頭を撫でてから足早にその場を後にした。 涼子は、去っていく御影の背を見送り、御影の姿が完全に姿を消すと、すっと笑顔が消えて無表情になる。 そして、院内の電波が繋がる場所にまで移動すると、電話をかけた。 数コールで電話が繋がり、涼子は口を開く。 「藤堂茉莉花が中央病院に来てたわ。理由を調べて。本当に本人が体調不良でやって来たのか、それとも他に別の理由があるか。すぐに報告するのよ」 御影と一緒にいる時のような愛らしい表情も、高い声でもなく、表情は冷たいまま。 声も低く、冷たい。 涼子は電話を終えると、スマホを乱雑にバッグの中に放り込んだ。 そして、チッと舌打ちをする。 「藤堂茉莉花……こんな所で遭遇するなんて。さっさと消え失せろよ、あんな目障りな女」 涼子は吐き捨てるようにそれだけを呟き、くるりと踵を返す。 御影が待っていろ、と言っていた椅子の方へ足を進めた。 涼子がそんな電話をしているとは露知らず、御影は病院の駐車場に足早に向かっていた。 (涼子へ、お大事にと言った理由を茉莉花に問いたださなければ。……涼子の怪我の事を知ってて、わざと言ったのか?それとも、何も知らずに言ったのか……) 純粋に涼子を気遣うような気持ちで言ったのであれば。 (だが、茉莉花が涼子を純粋な気持ちで気遣っていたとして、それがどうした……。茉莉花は、涼子に対して数々の嫌がらせをした……それも、幼い頃から執拗に。性根の腐った、どうしようもない女なんだ…それが今、ちょっと涼子を気遣ったとしても……) そこまで考えていた御影は、ふと足を止める。 「……俺は、馬鹿か。茉莉花の性悪さは変わらないだろ……何を聞こうとしてたんだ」 御影は馬鹿馬鹿しくなってしまい、駐車場から
ととと、と軽やかな駆ける足音が聞こえてきて、御影さんの腕に抱き着く涼子の姿が現れた。 「もう、直寛ったら。私が今日通院の日だからって、わざわざ心配して来てくれたの?傷も残らないし、心配しすぎよ──」 そこまで話していた涼子は、ふと顔を前に向けそこで初めて私と苓さんの存在に気付いたようだった。 はっと驚いたように目を見開き、それから酷く怯えたように御影さんの背に隠れる。 「と、藤堂さん……藤堂さんも、いらしていたんですね…」 「──ええ。涼子も、通院?先日はご挨拶もできず、ごめんなさい。私は帰るところだから……」 私が足を一歩踏み出した所で、涼子が「ひゃっ」と声を震わせ、更に御影さんに体を隠す。 まるで、私に怯えるようなその態度に、私は訝しげに眉を顰めた。 私を支えてくれて一緒に歩いている苓さんも、不可解そうに涼子を見やる。 呆気に取られていた御影さんは、はっとして私から隠すように、守るように涼子を自分の背に庇った。 「──?」 その行動が良く分からない。 私が彼女に危害を加える、とでも思っているのだろうか。 失礼な態度を取る御影さんに、それを問いただそうという気持ちも特にない。 私は一刻も早くこの場から離れたくて、私は御影さんと涼子に軽く会釈をしてそのまま通り過ぎる。 「涼子も、お大事に。ここで失礼します」 苓さんも私に倣い、軽く目礼だけをして2人の横を通り過ぎた。 私はもう背後の御影さんと涼子の事は気にせず、そのまま苓さんと一緒に病院を後にした。 ◇ 茉莉花と苓がテラスから去って行って、暫し。 御影はその場に呆然と立ち尽くしていた。 まさか、涼子の
私は、慌てて身を乗り出しつつ苓さんに話した。 「そのっ、あの時は確かに御影さんは婚約者でした…っ!だけど、今はもう違うんです。私と御影さんの婚約は白紙になっていますから……」 だから、安心して欲しい──。 そう言葉を続けようとした私は、思わず口を噤む。 何で、安心して欲しい、なんて……。 どうして私は苓さんに誤解して欲しくない、と強く思ったの。 どうして苓さんにだけは勘違いして欲しくない、と思ったの──。 その答えに行き着いた私は、真っ赤になればいいのか、真っ青になればいいのか分からなくなった。 あれほど彼──御影さんを好きだったのに。 それなのに、私は今苓さんを──。 頭の中がぐちゃぐちゃになった。 そんな私の変化に気付いたのだろう。 苓さんが慌てて席から立ち上がった。 「茉莉花さん!?顔色が悪い……!どうしたんですか!?」 狼狽えるような苓さんの声がすぐそばで聞こえ、彼の力強い手のひらが私の肩に回る。 私は苓さんに支えられつつ席から立ち上がった。 「茉莉花さん、お母様のお見舞いはまた明日にしてはどうですか?体調が優れないようですし……茉莉花さんの元気がない姿を見たら、お母様もきっと心配すると思います」 優しい声音で、苓さんが提案してくれる。 苓さんは、私にも、お母様にも気遣ってくれていて、その優しさがとても嬉しい。 意識がなくても、人は聴覚は動いていると聞いた事がある。 だから、私の体調が悪かったら、意識のないお母様にもそれが伝わってしまうんじゃないか。 お母様に心配をかけてしまうんじゃないか、と苓さんが気遣ってくれて、私はその言葉に頷いた。 「そう、ですね……。私もお母様を心配させたくはありませんから」 「ええ。そうしましょう?茉莉花さんの家まで、俺が送ります」 「ありがとうございます、苓さ──」 私が苓さんにお礼を伝えようとした時。 私たちはもう既にテラスの入口付近まで来ていた。 だから、テラスに駆け込んできた人に、会話が聞こえてしまったのだろう。 「茉莉花の、お母様……?母親が、入院していたのか……?」 息を切らし、テラスに駆け込んできた人物──。 まさか御影さんに聞かれて
テラスに移動した私たちは、周囲に人がいないテーブル席に腰を下ろした。 「ここは、少し寒いですね。……外と繋がっているのか」 苓さんが周囲を見回し、ぽつりと呟く。 そして、私に目を向けると「少し待っていて下さい」と言って再び椅子から腰を上げ、どこかに歩いて行ってしまう。 苓さんが向かった先は、自動販売機。 苓さんはスマホを翳し、飲み物を買ってすぐに戻ってきた。 「茉莉花さん。寒いから温かい飲み物でも飲んでください。風邪をひいたら大変だ」 苓さんはわざわざ私の分の温かいお茶を購入してくれて、温かいペットボトルを渡してくれた。 手袋をしていなかった私には、それはとても有難くて。 私は苓さんに笑顔を浮かべてお礼を告げる。 「ありがとうございます、苓さん」 「いえ。俺も自分のを買うついでだったからちょうど良かったです」 苓さんは微笑みながら缶コーヒーのプルタブを開けて一口飲むと、私に視線を向けた。 「その……茉莉花さん。間違っていたら申し訳ないのですが…」 「──?はい、何でしょうか?」 「先程、一緒にいた男性……彼は御影直寛さん、ですか?」 「……っ!?」 どうして、苓さんが御影さんを知っているのか──。 私は、苓さんの口から御影さんの名前が出てきた事に驚いてしまう。 私の反応で、答えを悟ったのだろう。 苓さんは納得したように「やっぱり…」と呟いた。 「苓さんは、御影さんと面識があるんですか?」 「いえ……言葉を交わしたのは初めてです」 「なら、何故……」 どうして苓さんが知っているのだろう。 私が問うと苓さんは眉を寄せ、不快感を隠しきれないような表情で、答えた。 「……以前、田村さんのパーティー会場で……遠目でしたが、茉莉花さんと御影さんを見ています。……その時に、茉莉花さんが彼の事を婚約者だ、と紹介しているのを聞いた事が……」 「──っ!」 そうだ──。 そう、だった。 あの時。 虎おじさまのパーティーでは、私の隣に御影さんがいた。 最初の方の数十分だけだったけど、彼を私の婚約者だ、と紹介している人は数人ほどいる。 大々的に私と御影さんの婚約は公表していなかったけど、あのパーティーに参加していた人で、少なくとも数人程度は私の婚約者が御影
私と苓さんは、2人並んで病院入口へ向かい、歩いていた。 背後から御影さんが追いかけてくるような気配がなく、私は安心してほっと息を吐き出した。 その間、無言で歩き続けている苓さんに気付いた私は、慌てて苓さんに話しかけた。 「嫌な思いをさせてしまってごめんなさい、苓さん」 私の謝罪に、苓さんはびっくりしたように目を開いた。 「──えっ?何で茉莉花さんが謝るんですか?失礼な態度を取っていたのは、彼でしょう?」 無理やり苓さんを巻き込んでしまった形になってしまったから。 苓さんが不愉快な気持ちになっていたら、と不安で堪らなかった。 いつも苓さんは優しくて、笑みを浮かべていて、私に対して温かい感情を向けてくれていた。 だから、先程のように冷たい苓さんを見るのは初めてだった。 けれど。 苓さんの態度からは、私に対する怒りは微塵も感じない。 私が戸惑っているのが苓さんにも分かったのだろう。 苓さんはハッとして、申し訳なさそうに私に言葉を紡ぐ。 「すみません、茉莉花さん。俺の態度が悪かったですよね……!あの男性のせいで茉莉花さんが怪我をした、と分かって、つい……怖がらせてしまってすみません」 私に向かって頭を下げてしまった苓さんに、慌てて答える。 「と、とんでもない!苓さんが来てくれて、凄く助かったんです。話が通じなくてとても困っていたんです」 「ああ…そんな感じがしましたね」 苦笑いを浮かべ、肯定する苓さんに私は先程までの鬱憤を吐き出すように言葉を返した。 「そうなんです。今日、お母様のお見舞いに行こうとして家を出たら、彼がいて…。私の話もちゃんと聞いてくれずにお見舞いにまで同行しようとして……」