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籘裏美馬
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Novels by 籘裏美馬

あなたの「愛してる」なんてもういらない

あなたの「愛してる」なんてもういらない

「愛しているのは君じゃない」 冷たい瞳で、冷たい顔で、冷たい声ではっきりと私に向かってそう告げたのは、将来結婚すると思っていた、私の婚約者である御影 直寛(みかげ なおひろ)。 彼は、お祖父様からの命令で私との交際、婚約に嫌々応じたのだ。 けれど彼の心の中にはずっと初恋の人、速水涼子(はやみ りょうこ)がいた。 それでも、私はいつか直寛が私自身を見てくれると思っていた。 けど、彼からはいつも冷たい態度を取られるばかり…。 そんな日々を送っていた時、彼は私とパーティーに参加していたのに私を置き去りに、涼子の元へ走った。 絶望した私は、お酒を飲み、気づいたら見知らぬ男性と朝を迎えてしまった。 慌てて逃げた私だったけど、その男性がまさか小鳥遊グループの息子だったとは夢にも思わなかった。 その後。 直寛は自分の過ちに気づき、私に許しを乞う。 けれど、私はもう直寛への気持ちは捨て去った。 土下座されても。 愛を伝えられても。 もう私は直寛よりも愛しい人ができたから、あなたはもういらない。
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Chapter: 90話
◇ 私は、苓さんの運転する車で家まで送ってもらった。 車内では、私を気遣ってくれて、苓さんは時折信号待ちで停車すると私を心配そうに見るだけで、普段のように話しかける事はしなかった。 家の駐車場に車を止めると、苓さんが急いで運転席から降りて助手席側のドアを開けてくれた。 「茉莉花さん。俺に掴まってください。もしご迷惑じゃなければ、部屋まで送らせてください」 「迷惑なんかじゃないです、ありがとうございます苓さん」 苓さんは、私を部屋まで送ってくれるつもりだけど、私は部屋ではなくて、お母様が元気な頃に良く行っていた別邸に行ってくれるように苓さんに頼んだ。 「別邸に……?すぐに休まなくて大丈夫ですか、茉莉花さん」 「はい。大丈夫です。……苓さんに、お話しておきたい事があって」 「……分かりました」 話したい事がある。 私がそう言うと、苓さんの顔が一瞬強ばったけど、すぐにいつも通りの微笑みを浮かべて頷いてくれた。 苓さんの表情が一瞬だけ曇った事が気になるけど、私は苓さんに伝えておきたかった。 病院のテラスで話していたけど、私が色々考え込んでしまったせいでその話は途中で終わってしまった。 御影さんと、婚約をしていた事は苓さんに話した。 その事実を知って、苓さんがどう思っているのか。それを聞くのはどうしてか、怖い。 だけど、苓さんは出会ってからずっと、優しい。 それに、ずっと私に対して気持ちを伝えてくれている。 ずっと、苓さんに救われていた。 御影さんと婚約破棄したのに、落ち込む暇がないくらい、苓さんは私を好きだと言ってくれた。 苓さんと夜を共にしてしまった事も、一夜の過ちで、最初は忘れて欲しかった。
Last Updated: 2025-11-25
Chapter: 89話
涼子は、じいっと見つめる御影の視線に気づき、きょとりと目を瞬かせた。 そして、すぐに愛らしい笑みを浮かべて御影に話しかける。 「直寛、どうしたの?さっきから難しい顔をして…?」 「いや……何でもない。そうだ、涼子。少し仕事の電話をしてくるから少し椅子で待っててくれ。帰りに会計をしてくる」 「本当?忙しいのに、病院まで来てくれてありがとう、直寛。待ってるね」 「ああ。ごめんな」 御影は、可愛らしく微笑む涼子につられて薄っすらと笑みを浮かべ、涼子の頭を撫でてから足早にその場を後にした。 涼子は、去っていく御影の背を見送り、御影の姿が完全に姿を消すと、すっと笑顔が消えて無表情になる。 そして、院内の電波が繋がる場所にまで移動すると、電話をかけた。 数コールで電話が繋がり、涼子は口を開く。 「藤堂茉莉花が中央病院に来てたわ。理由を調べて。本当に本人が体調不良でやって来たのか、それとも他に別の理由があるか。すぐに報告するのよ」 御影と一緒にいる時のような愛らしい表情も、高い声でもなく、表情は冷たいまま。 声も低く、冷たい。 涼子は電話を終えると、スマホを乱雑にバッグの中に放り込んだ。 そして、チッと舌打ちをする。 「藤堂茉莉花……こんな所で遭遇するなんて。さっさと消え失せろよ、あんな目障りな女」 涼子は吐き捨てるようにそれだけを呟き、くるりと踵を返す。 御影が待っていろ、と言っていた椅子の方へ足を進めた。 涼子がそんな電話をしているとは露知らず、御影は病院の駐車場に足早に向かっていた。 (涼子へ、お大事にと言った理由を茉莉花に問いたださなければ。……涼子の怪我の事を知ってて、わざと言ったのか?それとも、何も知らずに言ったのか……) 純粋に涼子を気遣うような気持ちで言ったのであれば。 (だが、茉莉花が涼子を純粋な気持ちで気遣っていたとして、それがどうした……。茉莉花は、涼子に対して数々の嫌がらせをした……それも、幼い頃から執拗に。性根の腐った、どうしようもない女なんだ…それが今、ちょっと涼子を気遣ったとしても……) そこまで考えていた御影は、ふと足を止める。 「……俺は、馬鹿か。茉莉花の性悪さは変わらないだろ……何を聞こうとしてたんだ」 御影は馬鹿馬鹿しくなってしまい、駐車場から
Last Updated: 2025-11-24
Chapter: 88話
ととと、と軽やかな駆ける足音が聞こえてきて、御影さんの腕に抱き着く涼子の姿が現れた。 「もう、直寛ったら。私が今日通院の日だからって、わざわざ心配して来てくれたの?傷も残らないし、心配しすぎよ──」 そこまで話していた涼子は、ふと顔を前に向けそこで初めて私と苓さんの存在に気付いたようだった。 はっと驚いたように目を見開き、それから酷く怯えたように御影さんの背に隠れる。 「と、藤堂さん……藤堂さんも、いらしていたんですね…」 「──ええ。涼子も、通院?先日はご挨拶もできず、ごめんなさい。私は帰るところだから……」 私が足を一歩踏み出した所で、涼子が「ひゃっ」と声を震わせ、更に御影さんに体を隠す。 まるで、私に怯えるようなその態度に、私は訝しげに眉を顰めた。 私を支えてくれて一緒に歩いている苓さんも、不可解そうに涼子を見やる。 呆気に取られていた御影さんは、はっとして私から隠すように、守るように涼子を自分の背に庇った。 「──?」 その行動が良く分からない。 私が彼女に危害を加える、とでも思っているのだろうか。 失礼な態度を取る御影さんに、それを問いただそうという気持ちも特にない。 私は一刻も早くこの場から離れたくて、私は御影さんと涼子に軽く会釈をしてそのまま通り過ぎる。 「涼子も、お大事に。ここで失礼します」 苓さんも私に倣い、軽く目礼だけをして2人の横を通り過ぎた。 私はもう背後の御影さんと涼子の事は気にせず、そのまま苓さんと一緒に病院を後にした。 ◇ 茉莉花と苓がテラスから去って行って、暫し。 御影はその場に呆然と立ち尽くしていた。 まさか、涼子の
Last Updated: 2025-11-24
Chapter: 87話
私は、慌てて身を乗り出しつつ苓さんに話した。 「そのっ、あの時は確かに御影さんは婚約者でした…っ!だけど、今はもう違うんです。私と御影さんの婚約は白紙になっていますから……」 だから、安心して欲しい──。 そう言葉を続けようとした私は、思わず口を噤む。 何で、安心して欲しい、なんて……。 どうして私は苓さんに誤解して欲しくない、と強く思ったの。 どうして苓さんにだけは勘違いして欲しくない、と思ったの──。 その答えに行き着いた私は、真っ赤になればいいのか、真っ青になればいいのか分からなくなった。 あれほど彼──御影さんを好きだったのに。 それなのに、私は今苓さんを──。 頭の中がぐちゃぐちゃになった。 そんな私の変化に気付いたのだろう。 苓さんが慌てて席から立ち上がった。 「茉莉花さん!?顔色が悪い……!どうしたんですか!?」 狼狽えるような苓さんの声がすぐそばで聞こえ、彼の力強い手のひらが私の肩に回る。 私は苓さんに支えられつつ席から立ち上がった。 「茉莉花さん、お母様のお見舞いはまた明日にしてはどうですか?体調が優れないようですし……茉莉花さんの元気がない姿を見たら、お母様もきっと心配すると思います」 優しい声音で、苓さんが提案してくれる。 苓さんは、私にも、お母様にも気遣ってくれていて、その優しさがとても嬉しい。 意識がなくても、人は聴覚は動いていると聞いた事がある。 だから、私の体調が悪かったら、意識のないお母様にもそれが伝わってしまうんじゃないか。 お母様に心配をかけてしまうんじゃないか、と苓さんが気遣ってくれて、私はその言葉に頷いた。 「そう、ですね……。私もお母様を心配させたくはありませんから」 「ええ。そうしましょう?茉莉花さんの家まで、俺が送ります」 「ありがとうございます、苓さ──」 私が苓さんにお礼を伝えようとした時。 私たちはもう既にテラスの入口付近まで来ていた。 だから、テラスに駆け込んできた人に、会話が聞こえてしまったのだろう。 「茉莉花の、お母様……?母親が、入院していたのか……?」 息を切らし、テラスに駆け込んできた人物──。 まさか御影さんに聞かれて
Last Updated: 2025-11-23
Chapter: 86話
テラスに移動した私たちは、周囲に人がいないテーブル席に腰を下ろした。 「ここは、少し寒いですね。……外と繋がっているのか」 苓さんが周囲を見回し、ぽつりと呟く。 そして、私に目を向けると「少し待っていて下さい」と言って再び椅子から腰を上げ、どこかに歩いて行ってしまう。 苓さんが向かった先は、自動販売機。 苓さんはスマホを翳し、飲み物を買ってすぐに戻ってきた。 「茉莉花さん。寒いから温かい飲み物でも飲んでください。風邪をひいたら大変だ」 苓さんはわざわざ私の分の温かいお茶を購入してくれて、温かいペットボトルを渡してくれた。 手袋をしていなかった私には、それはとても有難くて。 私は苓さんに笑顔を浮かべてお礼を告げる。 「ありがとうございます、苓さん」 「いえ。俺も自分のを買うついでだったからちょうど良かったです」 苓さんは微笑みながら缶コーヒーのプルタブを開けて一口飲むと、私に視線を向けた。 「その……茉莉花さん。間違っていたら申し訳ないのですが…」 「──?はい、何でしょうか?」 「先程、一緒にいた男性……彼は御影直寛さん、ですか?」 「……っ!?」 どうして、苓さんが御影さんを知っているのか──。 私は、苓さんの口から御影さんの名前が出てきた事に驚いてしまう。 私の反応で、答えを悟ったのだろう。 苓さんは納得したように「やっぱり…」と呟いた。 「苓さんは、御影さんと面識があるんですか?」 「いえ……言葉を交わしたのは初めてです」 「なら、何故……」 どうして苓さんが知っているのだろう。 私が問うと苓さんは眉を寄せ、不快感を隠しきれないような表情で、答えた。 「……以前、田村さんのパーティー会場で……遠目でしたが、茉莉花さんと御影さんを見ています。……その時に、茉莉花さんが彼の事を婚約者だ、と紹介しているのを聞いた事が……」 「──っ!」 そうだ──。 そう、だった。 あの時。 虎おじさまのパーティーでは、私の隣に御影さんがいた。 最初の方の数十分だけだったけど、彼を私の婚約者だ、と紹介している人は数人ほどいる。 大々的に私と御影さんの婚約は公表していなかったけど、あのパーティーに参加していた人で、少なくとも数人程度は私の婚約者が御影
Last Updated: 2025-11-22
Chapter: 85話
私と苓さんは、2人並んで病院入口へ向かい、歩いていた。 背後から御影さんが追いかけてくるような気配がなく、私は安心してほっと息を吐き出した。 その間、無言で歩き続けている苓さんに気付いた私は、慌てて苓さんに話しかけた。 「嫌な思いをさせてしまってごめんなさい、苓さん」 私の謝罪に、苓さんはびっくりしたように目を開いた。 「──えっ?何で茉莉花さんが謝るんですか?失礼な態度を取っていたのは、彼でしょう?」 無理やり苓さんを巻き込んでしまった形になってしまったから。 苓さんが不愉快な気持ちになっていたら、と不安で堪らなかった。 いつも苓さんは優しくて、笑みを浮かべていて、私に対して温かい感情を向けてくれていた。 だから、先程のように冷たい苓さんを見るのは初めてだった。 けれど。 苓さんの態度からは、私に対する怒りは微塵も感じない。 私が戸惑っているのが苓さんにも分かったのだろう。 苓さんはハッとして、申し訳なさそうに私に言葉を紡ぐ。 「すみません、茉莉花さん。俺の態度が悪かったですよね……!あの男性のせいで茉莉花さんが怪我をした、と分かって、つい……怖がらせてしまってすみません」 私に向かって頭を下げてしまった苓さんに、慌てて答える。 「と、とんでもない!苓さんが来てくれて、凄く助かったんです。話が通じなくてとても困っていたんです」 「ああ…そんな感じがしましたね」 苦笑いを浮かべ、肯定する苓さんに私は先程までの鬱憤を吐き出すように言葉を返した。 「そうなんです。今日、お母様のお見舞いに行こうとして家を出たら、彼がいて…。私の話もちゃんと聞いてくれずにお見舞いにまで同行しようとして……」
Last Updated: 2025-11-22
婚約者は私にプロポーズをしたその口で、初恋の幼馴染に愛してると宣う

婚約者は私にプロポーズをしたその口で、初恋の幼馴染に愛してると宣う

加納心(かのう こころ)には、子供の頃から想い続けていた人がいる。 その想いがようやく成就し、婚約者になれた。 それなのに、その事を知った婚約者の幼馴染が、海外から帰国した。 心の婚約者、清水瞬(しみず しゅん)は海外から帰国した、幼馴染で初恋の人である柳麗奈(やなぎ れな)を忘れられずにいた。 瞬は自分の婚約者である心を蔑ろにし、初恋の人麗奈ばかりを優先するようになる。 そんな時、心は瞬との間に子供を授かったと知り、これで彼もきっと自分との結婚を早めてくれるだろうと期待していたのだが、瞬から向けられた視線は酷く冷たく、心を傷付ける言葉を口にした。 失意に沈む心は、とある事故に巻き込まれてしまう。 その時、心を助けてくれたのは滝川涼真(たきがわりょうま)だった。 心と滝川は、顔見知りのようで… 沈む心を励ます滝川。 滝川の優しさによって、心は少しずつ前を向き始める──。
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Chapter: 106話
私と滝川さんは、昼食を摂り終わりそのまま会社に戻った。 会社に着くなり、社内はざわざわと騒がしく、沢山の人が私と滝川さん──いえ、私を見てこそこそと隣の人と話している。 「──何だ?」 滝川さんも社内の違和感に眉を顰め、沢山の人の視線を不愉快そうにしていた。 人から見られる、と言う事に慣れている滝川さんでさえ、何かがおかしいと感じる雰囲気。 人の視線が、刺さるように痛く感じてしまい、私は無意識の内に後ずさった。 これは。 人の、悪意や失望。嘲笑に満ちた視線だ。 「な、に……」 どうしてこんな目を向けられるのか分からなかった。 朝は、皆普通に挨拶をして、笑顔で迎えてくれたのに。 それなのに、今はどうだろうか。 朝の雰囲気がガラリと変わり、私に向けられる視線は悪意や憎悪に満ち溢れている。 「加納さ──」 「社長……!」 滝川さんが私に声をかけようとした瞬間、1人の女性社員が滝川さんに向かって声を上げ、駆け寄ってきた。 確か、彼女は広報室の室長、だと紹介された覚えがある。 そんな彼女が、顔色を真っ青にして滝川さんに顔を向けるが、隣に私の姿を認めると気まずそうに私から視線を逸らした。 「どうした?一体何の騒ぎだ?休憩は終わっているだろう?どうして社員が業務に就いていない?」 滝川さんの言葉に、室長の女性は社用スマホを取り出し、ある画面を滝川さんに見せた。 「社長……社内チャットに、……その、加納秘書の変な噂が書き込まれていて……」 「加納さんの?見せてくれ」 滝川さんは顔色を変え、室長のスマホをさっと受け取る。
Last Updated: 2025-11-25
Chapter: 105話
私自身も、どうしてこんなに麗奈に恨まれているのか分からない。 滝川さんの言う通り、これじゃあただの行き過ぎた逆恨みだと思う。 もう私は麗奈とも、清水瞬とも関わりたくないのに。 離れてもこうして麗奈が私に何かをしようとしているのが本当に意味が分からなかった。 「もう、関わりたくないのに……」 私がついぽろりと零してしまうと、隣に座っていた滝川さんが私を元気付けるように肩をぽん、と叩いた。 「もしかしたら、柳麗奈は加納さんの動向を探っているだけで、清水さんに接触しないかどうかを見張っているだけかもしれない」 (行動は不気味で、底知れぬ不安は拭えないが……それを加納さんにわざわざ伝える必要はない、よな…) 私は滝川さんの温かい気遣いが有難くて、彼にお礼を伝えようと顔を上げた。 私が口を開く前に、再び隣から声が聞こえた。 「分かったわよ。しっかり見張っておくし、あんたが言ってた通りにやるわよ。……ちゃんと振り込んでおいてよ?」 「──っ?」 私も、滝川さんもお互い顔を見合わせる。 振り込むって…。 それに、麗奈に何かをやれ、と言われた? 一体麗奈は、隣の個室にいる彼女に何をやれ、と言うのだろうか──。 不安がむくむくと膨れ上がってきて、つい無意識に両手をきゅっと握った。 そんな私の手に、滝川さんの大きくて温かい手のひらが重なり、安心させるように強く握ってくれる。 「加納さんは、常に俺と一緒に行動するんだから、大丈夫。何かあっても俺が守るから不安にならないで」 「滝川さん……。ありがとうございます」 「うん」 しっかり私の目を見て、滝川さんが真剣な表情でそう言ってくれる。 その気持ちが有難くて。 でも少し擽ったくて。 私は滝川さんの目を見返してお礼を伝える。 すると、滝川さんは強く頷いてくれた。 ちょうどその時、私たちの個室の部屋の扉がノックされて、店員が注文した食事を持ってきてくれた。 滝川さんは注文品を受け取り、私の隣から真向かいの席に戻る。 「加納さん。少し連絡したい事があるから、先に食べてて」 「わかりました、お先に失礼しますね」 滝川さんに断り、私は頼んだお昼ご飯に先に箸をつけさせてもらう。 運ばれてきたご飯は、とても美味しそうで。 私
Last Updated: 2025-11-24
Chapter: 104話
私と滝川さんは、お互い驚いて顔を見合わせる。 「加納」と言う苗字に「社長」と言う単語。 まるで、私と滝川さんの事を話しているような、妙な確信。 滝川さんは、私に向かって自分の唇に人差し指を縦に当てた。 「静かに」と言う合図だ。 私はこくり、と頷いて耳をそばだてる。 隣の個室からは、良く通る声が尚も届いてきた。 「──そうそう!得意そうな顔してたわ!何であんな女が社長の専属秘書になんかなるのよ。きっと汚い手を使ったんだと思うわ、あんたの言う通り」 女性の声が続く。 専属秘書、と言う単語まで出てきて、やっぱり女性の話す「加納」は私を指しているのだと分かった。 ──分かっては、いた。 いきなり、滝川さんの専属秘書として雇われれば、そう言う事を考えてしまう人だっているだろう、とは思っていた。 滝川グループで働く社員は多い。 それに、滝川さんは素敵な人だ。彼に憧れを持っている女性社員だって多いだろう。 憧れじゃなく、本当に滝川さんに好意を寄せている人だっているはず。 その人からしたら、突然ぽっと出の女が、彼の専属秘書に就いた。 そう思われても仕方ない──。 ならば、認めてもらうには、しっかり真面目に仕事をして、認めてもらえばいい。 私がそう考えたのと同時、女性の声は思ってもいなかった人物の名前を口にした。 「ねえ、麗奈。でも本当にどうしてあの加納って女は社長の専属秘書になれたのかしら?周りの社員たちも馬鹿みたいにお似合いだ、とか、社長にも春が、とか噂話してるのよ?ほんとにムカつくったらありゃしないわ!」 「──っ!?」 私は、女性の口から「麗奈」と言う言葉が出てきて、驚きで声が出てしまいそうになっ
Last Updated: 2025-11-24
Chapter: 103話
それから、私たちはいくつかのブランド店を回り、全て回りきった頃には、お昼過ぎになっていた。 「しまった。ごめん加納さん、もうこんな時間だ。お腹が減っただろう?どこか近くの店に入ろう」 ふ、と滝川さんが時計に目を落とし、驚いたような表情を浮かべる。 滝川さんに言われて初めて、大分時間が過ぎている事に気付いた私は、慌てて周辺のお店を探す。 「す、すみません滝川さん!私がスケジュール管理をしなくてはいけないのに…!待ってくださいね、すぐにお店を調べます」 「いや、俺も迂闊だった。この近くに和食料理が美味しい店があるんだ、そこに行かないか?」 「わかりました、そのお店で大丈夫です」 私の返答を聞き、滝川さんは頷いたあと和食料理店に案内してくれた。 滝川さんが案内してくれたのは、こじんまりとした、一見するとお店だとは分からない造りになっている和食料理店だった。 お店に入る扉を開けた滝川さんが、振り向いて私に向かって手を差し出してくれる。 「ここは店に入ってすぐ地下に降りる階段があるんだ。怪我も治ったばかりだし、無理はしないでくれ」 滝川さんの気遣いが有難くて、私は笑顔でお礼を伝え、滝川さんが差し出してくれた手のひらに自分の手を乗せた。 「ありがとうございます、滝川さん」 「どういたしまして。足元気をつけてくれ」 滝川さんに手を握られながら階段を降りて行くと、開けた内装が視界に入る。 入口は和食料理店だと分かりにくいけど、中に入ってみると店内は広く、とても綺麗な作り。 明るすぎず、暗すぎずちょうどいい塩梅の照明がゆったりとした優しげな空間を作り出している。 私たちに気付いた店員が席に案内してくれた。 席は一席ずつ、個室のような作りになっていて、
Last Updated: 2025-11-23
Chapter: 102話
◇ 社長室にやってきた私と滝川さんは、始業時間になると秘書課へと向かった。 滝川さんが秘書課に顔を出すと、フロアにいた人達が一斉に視線を向けてきて、私は滝川さんの後ろでびくり、と体を跳ねさせた。 けど、見慣れた持田さんと間宮さんの姿もフロアにはあって、私はほっと胸を撫で下ろす。 やっぱり、見知った人がいるととても安心する。 滝川さんが皆の注目を浴びつつ、私の事を秘書課に配属されている人達へ紹介した。 「先日、既に人事から通達があったと思うが、彼女が今日から新しく私の専属秘書として秘書課に配属された、加納さん」 「至らぬ点で多々ご迷惑をおかけすると思います、どうぞよろしくお願いいたします」 滝川さんが私を紹介してくれたあと、すぐに頭を下げて秘書課の方々に挨拶をした。 すると、フロアにいた人達はみんな私を暖かく迎え入れてくれて、自然と笑顔が浮かぶ。 そんな私を、隣にいた滝川さんは優しく見つめたあと、言葉を続けた。 「彼女は通常業務からは外れる。それと、持田さんと間宮は暫く副社長の補佐に回るため、私への連絡事項は2人ではなく、加納さんへ送ってくれ」 そこまで滝川さんは伝えると、私の紹介も終わったため、社長室に戻る。 私はもう一度秘書課の方々に頭を下げたあと、滝川さんを追った。 「加納さん。君の端末を渡しておく。俺宛の連絡事項は加納さん宛にくる。CCで俺も入ってはいるけど、正直メールが多すぎて全てに目を通せない。重要そうな連絡だけ俺に共有してもらってもいい?」 「分かりました」 「緊急案件は俺にも連絡は来るから、そこまで気負わなくて大丈夫。少しずつ慣れてくれればいいから」 私が緊張しながらタブレットを受け取ったのが分かったのだろう。 滝川さんは安心させるように柔らかな笑みを浮かべながら私にそう言ってくれた。 滝川さんの優しい気遣いがとても有難くて、私がお礼を伝えると、滝川さんも嬉しそうに笑った。 「じゃあ、これから都内のブランド店を回ろうか。その後、昼食を摂って社に戻る流れでいい?」 「勿論です、滝川さん。よろしくお願いします」 「ああ。じゃあ、行こうか」 滝川さんの運転する車に乗り、私たちは都内のブランド店へ向かった。 滝川さんが姿を見せるなり、そのブランド店の責任者が現れ
Last Updated: 2025-11-22
Chapter: 101話
男性社員の方の挨拶が終わったあと。 私たちの周りにはエントランスにいた社員の方たちが集まってきて、口々に挨拶をされる。 男性社員も、女性社員も皆、新参者の私に対してとても好意的に挨拶をしてくれて、私はほっと安堵した。 滝川さんの専属秘書、なんて肩書きをこの会社に入社すらしていなかった私に与えられて、会社に勤めている人達に反感を持たれてしまったら、と考えていたのだけどそれは杞憂に終わった。 皆、礼儀正しく、私をとても歓迎してくれている様子で、私も自然と笑顔になる。 暫くエントランスで話を続けていたけど、始業の時間が近付き、滝川さんの一声で周囲に集まっていた社員の人達は「また」と言いながら素早く自分の部署に向かって行った。 「き、緊張しました……!」 あっという間に人がいなくなり、私はそれまで張り詰めていた緊張がふっと解けて息を吐き出す。 私の隣にいた滝川さんは、楽しげに口端を持ち上げて得意気に告げた。 「だから言っただろう?問題ない、って」 自信たっぷり、といった様子の滝川さん。 社長室に向かうためにエレベーターへ向かいつつ、私はじとりとした目で滝川さんに向かって話しかけた。 「さっきの男性社員の方、私の事を新しい秘書だって知ってましたね。……もしかして、既に社内には共有済なんですか?」 「まあ……それは、事前に」 「も、もう……!どうやってご挨拶しよう、とか、どうやって先輩達と親しくなろう、とか沢山悩んでいたんですよ!先に知らせていたなら教えてください!」 「ふはっ、すまない。加納さんが陸と凛に夢中になってたから、仕事の話はあとでいいかな、と思ってて。つい話し忘れてしまったんだ」 ごめんね?と首を傾げて、悪びれもなくそう言う滝川さんに、私は隣にいる滝川さんの肩を軽く叩く。
Last Updated: 2025-11-22
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