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第11話

Penulis: 四果
朔帆は私を取り戻すためなら、できることは全部やるつもりらしかった。

あれほどプライドが高く、自分を上の立場に置いていた男が、ここまで無様に崩れるとは思っていなかった。

朔帆は私の住まうマンションの廊下に居座った。

私が帰宅する時間を絶対に逃したくないからだった。

風呂を使う時でさえ近くの安宿へ全力で走り、また全力で走って戻ってくる。その途中で何度も転んだらしく、ズボンの膝はずっと破れたままだった。

「いらない」

私は差し出された朝食を、忌々しげに避けた。

朔帆は目に見えて痩せこけていた。頬はこけ、袖口から覗く手首は骨ばって細く、皮膚の下の血管や筋がくっきりと浮き出ている。

「秋楓……頼む……捨てるくらいなら、食べてくれ……

そうすれば、俺も……少しは……安心できるから……俺、本当に……本当に、頭がおかしくなりそうなんだ……」

私は苛立ちに任せて、その紙袋を叩き落とした。

豆乳が床にはね、包みは足元で無惨に開き、食べ物は床に転がって汚れた。

「もったいないって言うなら、自分で拾って食べなさいよ」

朔帆が絶望的な目で私を見上げる。

「食
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  • いつか霧が晴れる日まで   第12話

    朔帆は北沢市へ戻ってから、一か月間ほとんど外へ出なかったという。 前に私と一緒に住んでいた部屋へ引きこもり、酒瓶の海の中で寝て、起きれば浴びるように飲み、潰れればまた死んだように眠った。 私に完全に拒絶された現実を、どうしても受け入れられなかったのだろう。 強い酒で意識を鈍らせていないと、自我を保てないところまで精神が崩壊していた。 せめて夢の中なら、まだ秋楓が現れるかもしれない。そこでは、まだ自分を愛している秋楓に会えるかもしれない。しかし時間が経つほど、朔帆は恐怖を抱き始めた。秋楓はきっと、自分を骨の髄まで憎んでいるのだ。だから夢の中にさえ現れてくれないのだと。作りものでもいい。嘘でもいい。ひとつくらい縋れる望みを残してくれてもいいのに、それすら秋楓は朔帆に与えなかった。 朔帆はそこでも完全に壊れた。 朔帆は自分を過去に閉じ込め、毎日、酒をあおるか、そうでなければ二人の古い写真を抱きしめ、狂ったように何度もめくった。傷口をわざわざ指でこじ開けるみたいに、昔のことばかりを何度も引きずり出していた。楽しかった日々の記憶ほど、今の彼には鋭い刃となって深く突き刺さる。部屋の中は刺すような酒の匂いで重く、空気も澱みきっていた。ふらつきながら台所へ這っていき、冷蔵庫を開ける。 中には、昔私が作り置きしていた手料理が残っていた。 とうの昔に腐り、異臭を放っていた。 それでも彼はそれを捨てられず、どうしても秋楓に会いたくて狂いそうになった時だけ、痛んだそれを一つ取り出して口に詰め込んだ。そのたびに激しく嘔吐した。便器にしがみつき、胃液と血を吐き続け、やがて吐くものはだんだん赤くなり、最後にはほとんど血だけになった。 やがて彼は、自力で立てなくなった。冷たい床に倒れ伏したまま、朔帆は掠れきった声で秋楓の名を呼び続けた。 「秋楓……会いたい……会いたい……会いたいよ……」朔帆はそれだけを口の中で転がし続けた。喉が擦り切れてもやめなかった。声が潰れて、言葉にならなくなってもまだ唇だけが動いた。最後に彼を発見したのは、異臭に気づいて入った清掃業者だった。緊急搬送され、アルコールで消えかけていた命はどうにかつなぎ止められた。「助ける必要なんて、なかったのに……」朔帆は力なく笑い、胃癌の診断書を脇へ置

  • いつか霧が晴れる日まで   第11話

    朔帆は私を取り戻すためなら、できることは全部やるつもりらしかった。あれほどプライドが高く、自分を上の立場に置いていた男が、ここまで無様に崩れるとは思っていなかった。 朔帆は私の住まうマンションの廊下に居座った。 私が帰宅する時間を絶対に逃したくないからだった。 風呂を使う時でさえ近くの安宿へ全力で走り、また全力で走って戻ってくる。その途中で何度も転んだらしく、ズボンの膝はずっと破れたままだった。 「いらない」 私は差し出された朝食を、忌々しげに避けた。 朔帆は目に見えて痩せこけていた。頬はこけ、袖口から覗く手首は骨ばって細く、皮膚の下の血管や筋がくっきりと浮き出ている。 「秋楓……頼む……捨てるくらいなら、食べてくれ…… そうすれば、俺も……少しは……安心できるから……俺、本当に……本当に、頭がおかしくなりそうなんだ……」 私は苛立ちに任せて、その紙袋を叩き落とした。 豆乳が床にはね、包みは足元で無惨に開き、食べ物は床に転がって汚れた。 「もったいないって言うなら、自分で拾って食べなさいよ」 朔帆が絶望的な目で私を見上げる。 「食べたら、少し話を聞いてくれるか」 私は答えなかった。 朔帆はその場にしゃがみ込み、泥と埃にまみれた食べ物を拾い集めて、震える手で口へ押し込んだ。こけた頬が不自然に膨らみ、喉が苦しそうに上下する。それでも、彼の片手は床に這いつくばったまま、私のコートの裾を必死に握りしめていた。 私はその姿を冷たく見下ろした。哀れだと思った。 泥まみれの食事をやっとのことで飲み込んでから、朔帆は途切れがちな声で言った。 「秋楓……もし、お前をつなぎ止められるなら、俺は何でもする…… お前が欲しいもの、俺はなんでもやる……」 私は笑って言った。「だったら、離婚して。もう二度とつきまとわないで。私の前から完全に消えて、二度と姿を見せないで。……できる?」 朔帆は、わざわざ傷つきに来ているみたいだった。ここへ来たところで、まともな終わり方にならないことくらい、もう嫌というほどわかっているはずなのに、それでもこんなふうに意地を張る。私の服の裾をつまんでいた手が、その瞬間ぴたりと止まった。 朔帆は顔から血の気を失い、唇を震わせたまま、しばらく声を出せなかった。

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    それから数日、朔帆は姿を見せなかった。 あの異常な寒さで倒れて、慣れない土地の病院に放り込まれれば、さすがに懲りて帰るかもしれない。私はそう思っていた。 ところが、間もなくして彼は再び姿を見せた。会社の下、通り、ついには私の住まいの前まで現れた。 腕には買ってきた魚を抱えていた。私に食事を作りたいと言うのだ。 その日は外での接待の帰りで、私は酒が残っていた。玄関先で力ずくで押し返しきれず、そのまま家の中へ入られてしまった。 頭がひどく重く、追い出す気力も湧かなかった。 私は靴を脱ぎ捨て、ソファへ深く沈み込んだまま命令するように言った。 「酔いざましのしじみ汁を作って。あと、足湯のお湯を用意して、足も洗って」朔帆はうれしそうに、弾かれたように動いた。 湯を運び、私の足を持ち上げ、濡れた足の甲や指の間を丁寧に拭いていく。 思えば朔帆は、もともとこういう甲斐甲斐しいことができる男だった。 帰れば温かい手料理があり、疲れていれば手首に温かいタオルを当て、目元も休ませてくれた。 その優しさを向ける相手が、途中で私ではなくなっただけだ。 もしあのまま道を踏み外さなければ、私たちはほんとうに一生を共にしていたかもしれない。 私は確かに、何もかも投げ出せるくらい、まっすぐに彼を愛していたのだ。 「今から魚を煮るよ」 そう言って台所へ立った朔帆を残し、私はそのまま眠りに落ちた。 目が覚めると、部屋は静まり返り、コンロの火だけが生きていた。朔帆は台所に立ち尽くして鍋を見ていた。目は真っ赤に充血し、顔つきはひどく疲弊している。 私はゆっくりとテーブルへ移った。 朔帆は器を出し、スプーンを置き、スープをよそい、そして昔と全く同じ手つきで私の髪を優しくまとめ、前髪をピンで留めてくれた。 「もういい。帰って」 朔帆の顔が強張った。 「もう少し待ってくれないか……お前が飲むところ見たら帰る。ほんとにそれで帰るから……」 私はうんざりして眉間を押さえた。 「出ていって」 朔帆は動かなかった。 私は器をつかみ、そのまま熱い魚のスープを朔帆の体へ思い切り浴びせた。 煮えた汁とほぐれた身が首元から胸へ落ち、服にべったりと貼りついた。朔帆は反射で肩を引いたが、逃げようとはしなかった。熱さに声も出さな

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    何でもない、ありふれた朝だった。 いつものように会社へ向かい、オフィスのビルの前まで来たところで、私は朔帆を見つけた。 街路樹の下にしゃがみ込んでいた。 黒いコートを着て、髪は乱れ、顎には無精髭がうっすらと伸びている。目を閉じたままのその顔はひどく青白く、目の下には濃い隈が沈んでいた。 私は何も言わず、その脇を通り過ぎた。 足元で乾いた落ち葉が割れた音がして、朔帆が跳ねるように目を開けた。目の奥には、まだ眠りの濁りが残っていた。 私を見た途端、慌てて立ち上がろうとして、足をもつらせ、何度も雪の上に転んだ。枝に引っかけたのか、コートの裾がビリッと裂けた。 「秋楓……待ってくれ……」 彼はようやく状況を理解し、早足で追いかけてきて、声はひどく掠れていた。 私は足を止めなかった。 立ち去ろうとした私を、朔帆が飛びつくように背後から腕を回してきた。 鼻先に、懐かしい木の香りがかすめた。昔は深く安心できた匂いなのに、その日はただ気分が悪くなるだけだった。 私は嫌悪感で身をよじった。 それでも朔帆は決して離そうとしない。腕は鉄の輪みたいに固く、力任せに私を締めつけた。離れていた時間ごと体の中へ押し込もうとしているみたいで、息が詰まった。。 「会いたかった……二年、探した……もう、狂っておかしくなりそうだった…… 悪かった。ほんとに俺が悪かった。もう二度とあんなふうにしない。だから、一回だけでいいから…… お前がいないとだめなんだ……!」 私は体に回された彼の指を一本ずつ無表情に剥がし、氷の刃のような視線をその顔に突き刺した。朔帆の体がそこでこわばった。 「消えて」 それだけ言い捨てて、私はビルの中へ入った。その日、朔帆はずっと外に立ち尽くしていた。 こちらの同僚たちは誰も彼を知らない。窓際に集まって、雪の中に立ったままの男を珍しそうに見下ろしていた。 「あの人、ずっといるよ」 「外は氷点下何十度だよ。大丈夫なの?」 「見たことないけど、結構イケメンだね。もしかしてクズ男が誰かに許しを乞いに来たんじゃない?」 好き勝手な憶測の声が飛ぶ。 朔帆は頭を下げたまま、膝の高さまで積もる雪の中でピクリとも動かなかった。肩にも白く雪が積もり、コートは湿って重く垂れ下がっていた。

  • いつか霧が晴れる日まで   第8話

    一か月休んでから、新しい会社に入った。 報酬は前よりずっとよかった。私はベテランとして迎えられ、主な仕事は新人の指導になった。日中は彼らに教え、手が空けば自分の好きな図面やデザインを描く。忙しすぎず、静かすぎず、ちょうどいい日々だった。 一人で食事をすることにも、一人で買い物をすることにも、一人で部屋にいることにも、私は少しずつ慣れていった。 仕事も暮らしも、ようやく自分の手の中に戻ってきた。そうして二年が過ぎた。 昔の記憶は輪郭を失い、朔帆の顔も前ほどはっきりと浮かばなくなった。 私は昇進し、本部長になった。 その日、社内でささやかな祝いの席が開かれた。前に立って拍手を受けながら、私はピンと背筋を伸ばした。 今の私には、充実した仕事がある。広くて快適な住まいがある。気持ちよく働ける仲間が周りにいる。 休みの日は展示会を見に行って、散歩をして、思いついたことを誰に気兼ねすることなくそのままやれる。 誰かの冷たい一言に一喜一憂して眠れなくなる夜は、もう来なかった。 誰かの偏った優しさに心を削られることも、もうなかった。 ときどき、以前の同僚から噂話が流れてきた。 朔帆は狂ったように私を探しているらしかった。皆、私の赴任先のことは黙ったまま、決して教えずにいてくれたという。だから朔帆は、広い世界の中からあてもなく私を探すしかなかった。 この二年、朔帆はいろいろな土地を歩き回ったらしい。 仕事を辞め、前の住まいも引き払って、小さな部屋だけを残した。私の残した持ち物を全部箱に詰め、行く先々へ持ち歩いていたという。 夕依とも完全に縁が切れたと聞いた。 彼女が何度泣いて縋りに来ても、朔帆は一切取り合わなかった。 夕依が贈ったあの赤い紐も、もう身につけていない。 ただ結婚指輪だけは、また左手にはめていた。痩せ細ったせいでサイズが合わず、薬指で緩く揺れていたという。 友人たちが「もうやめろ」と説得しても、朔帆は目を赤くして黙り込み、しばらくしてから一言だけ漏らしたらしい。 「でも、秋楓に会いたいんだ」 それを聞いても、私の心の中は凪のように静かだった。 しばらく探せば、そのうち諦めるだろう。そう思っていた。 昔の朔帆は、何かに執着して粘るような人間ではなかったからだ。 だからこそ、ほ

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    飛行機が着いた時には、もう深夜だった。 私はスーツケースを引いて到着口を出た。 迎えの人波には、名前を書いたボードを掲げる人も、抱き合う恋人も、笑って手を振る家族もいた。私はその間を一人で通り抜け、少しだけ取り残されたような気分になった。 会社の担当者から連絡が入っていた。住まいは手配済みで、鍵は警備室に預けてあるという。 私は「承知しました」とだけ返し、通りでタクシーを拾った。 窓の外では見知らぬ街の灯りが流れていく。色のにじんだ看板も、交差点も、走る車も、全部が初めて見る景色だった。 部屋に着いて身支度を済ませ、ベッドに入った。 それでも眠れない。 何度寝返りを打っても、眠気は訪れなかった。 目を閉じるたび、過去の暮らしの切れ端が勝手に脳裏に浮かぶ。止めようとしても止まらない。 きれいに忘れられるとは思っていなかった。 長く一緒にいたぶん、急に何もかもが消え去るわけがない。少しずつ記憶が薄れていくのを待って、一人の時間に慣れていくしかないのだ。 私は起き上がり、スマホを手に取った。着信拒否の設定画面から、朔帆との過去のやり取りを開く。 私は画面をスクロールして、一通ずつメッセージを追った。 【朔帆、今日魚を買ったよ。夜、家で食べる?】 【午後からひどく降るみたい。出かけるなら傘、忘れないでね】 【ちょっと具合悪い。熱っぽいかも。早く帰れる?】 【現場で少し問題が出たから、見に行くかもしれない】 【今から出るね】 画面に並んでいるのは、全部私の一方的な言葉だった。 その後ろに、全部、あの「了解」という機械的な自動返信がついていた。 私はしばらく画面を見つめていた。 いつからだろう。 いつから朔帆は、私の言葉をまともに読まなくなったのか。 仕事が立て込んでいた。通知が多すぎた。次は気をつける。朔帆はいつもそう言い訳をしていた。 私は毎回、それを信じた。 信じるたび、自分のほうが重い女なのだと思い込もうとした。気にしすぎで、求めすぎで、物分かりが悪いのだと。私は聞き分けの良い妻になろうとした。だから連絡を減らし、彼に迷惑をかけないように努めた。 やがて私自身も、そんな些細な日常は返事をもらう価値などないものだと思うようになっていた。魚を買ったくら

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