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第4話

Author: ばくちくばくばく
担当の弁護士藤川さんは、防犯カメラの映像、診断書、そしてチャットの履歴をひと通り確認すると、眼鏡を外し、深刻な顔で語った。

「山崎さん、これだけで証拠が十分そろっています。

ご主人は明らかに監護義務に違反しています。

事実上の育児放棄と言ってもいいでしょう。

もし離婚と親権を求めるなら、勝ち目はかなりありますよ」

私は躊躇いなく返した。

「親権は絶対に求めます。主人は、父親としては失格ですから」

藤川さんはうなずき、その場で離婚協議書を作成してくれた。

署名欄に名前を書いたその瞬間、不思議なくらい心が軽くなった。

家へ戻ると、宗介はいなかった。

私は彼のインスタを開いた。最新の投稿は30分前だった。

位置情報によると、ある高級レストランだった。

ワイングラスを合わせる二人の写真の中に添えられていた言葉は【忙しい毎日の、小さな幸せ】だった。

最初のコメントは真紀からだった。

【山崎さん、ごちそうさまでした♡

今日のステーキ、本当においしかったです。

花梨も「また来たい!」って大喜びでした】

最後には赤いハートの絵文字が添えられた。

「むかつく」と、私はスマホを机にうつ伏せにした。

奈々をお風呂に入れる時、包帯が濡れないよう細心の注意を払いながら身体を洗ってあげる。

寝かしつけたあと、私は荷造りを始めた。

彼女の服や靴、おもちゃ、各種のIDカードなどの書類を一つずつ丁寧にスーツケースへ詰めていく。

その途中、一枚のくしゃくしゃになった絵が出てきた。

奈々が描いた三人が手をつないで立っている家族の絵だった。

真ん中に立っているのは奈々。

横には幼い文字で、【パパ、ママとわたし】と書いてある。

ただ、パパの顔だけが、黒いクレヨンで何度も塗りつぶされていた。

私はその黒い塊を、長いこと見つめていた。

胸の奥が、締めつけられる。

そっと絵を折りたたみ、スーツケースの一番下へしまった。

……

夜11時、玄関のドアが開く音がした。

宗介が帰ってきたのだ。

酒の匂いに混じって、甘ったるい女性用の香水の香りが鼻をつく。

リビングに広げられたスーツケースを見て、彼は一瞬固まった。

「何?また出張か?」

「離婚よ」

宗介はしばらく言葉の意味が理解できなかったようだった。

「……は?」

「離婚協議書は机の上に置いたけど、暇だったら目を通しておいて」

少し固まったあと、彼は突然笑い出した。

信じられない、とでも言いたげな笑いだった。

「おいおい、美咲、お前どうしたんだ?

この前のことか? あれは誤解だって説明しただろ。

そんなことで離婚するなんて、嘘だろう?」

「嘘だって?」

私は立ち上がり、宗介の目をまっすぐ見据えた。

「奈々ちゃんを大雨の中で40分も待たせたよね。

見知らぬ運転手に迎えに行かせたよね。

あなたは、3日も家に帰らず、奈々ちゃん一人でカップラーメンを食べさせたよね。

奈々ちゃんはソファから落ちて顔に傷を作った時も、熱湯で火傷をした時も、39度の熱を出して、一人で薬を飲んだ時も、あなたは何もしなかったのよ。

奈々ちゃんに与えるべき時間とか、安全とか、父親としての愛情とか、全部その花梨ちゃんに与えたんじゃない?

あなたは、父親になりたくないんじゃないよ。

ただ奈々ちゃんの父親になりたくないだけよ」

宗介の笑みが消えた。

「いい加減にしろ」

彼の声がだんだん冷たくなった。

「奈々ちゃんは俺の実の娘だ。彼女を大切にしないわけがないだろう。

少しくらい強く育てようと思っただけだ。大げさなこと言うな。

それに、防犯カメラの映像だけで離婚できると思ってるのか?

裁判所が認めるわけないだろ」

私は一文字ずつ区切るように言った。

「宗介、保護責任って、どういうものか知ってる?」

宗介の瞳がわずかに揺れた。

「3日あげる。早く離婚届に署名して、親権を放棄して。

そうしないと、告訴するわ。

防犯カメラの映像も、診断書も、幼稚園の先生の証言も、そして、あなたと滝川さんのやり取りも、全部、証拠として提出する。

その時、あなたの会社とか、取引先とか、イメージとか、どうなるか、よく考えて」

私はそのまま寝室へ入り、鍵をかけた。

宗介は長い間リビングに立ち尽くしていた。

ドアをノックこともなければ、声をかけてくることもなかった。

午前2時に、スマホの画面が光る。

真紀からのメッセージだった。

【美咲さん、山崎さんとちょっと誤解があるって聞きましたけど。

私たち、本当にただのお友達なんです。お考えすぎです。

よかったら、一度お会いしてお話ししませんか。

花梨ちゃんは奈々ちゃんをお姉ちゃんみたいに慕っているので、このことで子どもたちの関係が影響されていないでほしいです】

メッセージを読むと、思わず笑った。

午前2時なのに、「ただのお友達」なら、どうして私たちが離婚するということを誰よりも早く知っているのか。

誰からの情報なのか。

答えは言うまでもないだろう。

私は返信せず、チャット画面から戻り、真紀のSNSを開き、3日前のリゾートホテルでの投稿をスクリーンショットに保存した。

海が見えるバルコニーで、真紀が手すりに凭れてにこにこ笑っている。砂浜で、花梨が無邪気な笑顔で走っている。

なんという素晴らしい写真だろう。

まるで、本当の3人家族のようだ。

だが、ほぼ同じ時間に、宗介の実の娘は、冷たい床の上で高熱にうなされながら、一人きりで眠っていた……

画像を保存すると、スマホを置き、目を閉じた。

夜が明けたら、この家を出る、と私は思った。

翌朝の6時に、私はスーツケースを持ち、まだ眠っている奈々をそっと抱き上げ、静かに寝室を出る。

リビングの机には、離婚協議書が開かないまま置かれていた。

一度も手をつけられた形跡はなかった。

宗介の姿もなかった。

真紀のところに行ったのかもしれない。

また、どこかで酒に酔い潰れているのかもしれない。

もう、どうでもいいのだ。

玄関を出たところで、奈々がうっすら目を覚ました。

「ママ……どこ行くの?」

「新しいおうちへ行くの」

「あそこには、恐竜いる?」

「もちろん。部屋いっぱいになるくらい、買ってあげる」

奈々は嬉しそうに笑うと、小さな顔を私の肩へ埋めた。

私は彼女を抱き、そのままエレベーターに乗り込む。

ドアが閉まりかけたその瞬間、廊下の向こうから慌ただしい足音が響いた。

宗介だった。

髪は乱れ、服もしわだらけ。どこかから慌てて駆け戻ってきたのが一目で分かる。

「美咲、待てくれ」

ドアは無情にも閉まり、その声を遮った。

スマホが激しく震える。

1件、2件、3件……

【奈々ちゃんをどこに連れて行く?お前、狂ったのか。今すぐ戻れ!】

【離婚協議書、見たぞ。親権は絶対に渡さない。奈々ちゃんは俺の娘だ】

3件目はボイスメッセージだった。

私は再生しなかった。

一階に着き、エレベーターの扉が開くと、朝日が差し込んできた。

奈々が私の肩にもたれたまま、小さな声で尋ねる。

「ママ、さっき、パパの声だった?」

「うん」

「行っちゃダメって言ってたの?」

私は奈々を抱き直し、大きく一歩を踏み出した。

「大丈夫。ママがいるから」

アパートのドアを出たところで、またスマホが鳴った。

今度は宗介ではなく、真紀からの電話だ。

私は画面を見て、思わず軽く笑う。

通話ボタンを押すと、柔らかい声が聞こえてきた。

「美咲さん、お願いです、そんなに感情的にならないでください。

山崎さんは、本当は奈々ちゃんのことを大切に思ってるんです。ただ、不器用なだけで……」

私はすぐに彼女の言葉を遮った。

「滝川さん、失礼だけど、あなたは午前2時に、私が離婚すると知っていたのね。

そして朝6時には、私が奈々を連れて家を出たことまで知っていた。

もし、裁判官がそれを聞いたら、あなたたちの関係をどう判断すると思う?」

電話の向こうが、静まり返る。

私は何も言わず通話を切り、そのまま電源を切った。

タクシーがもう外で待っている。

奈々をチャイルドシートに座らせ、シートベルトを締める。

昨日買ったばかりのレゴの恐竜を、大事そうに抱えていた奈々が、ふいに顔を上げた。

「ママ、もう、奈々ちゃん、一人でお留守番しなくていい?」

「ええ、もう二度としないから」

タクシーは空港に向かって走り出した。

バックミラーの向こうで、3年間暮らしたアパートが少しずつ遠ざかっていく。

奈々も、私も、一度も振り返らなかった。

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