Mag-log inその日、隼人は実家を訪れた。普段は一人暮らしをしている隼人にとっては、久方ぶりの帰省でもあった。両親と同居している雅人にも同行を頼み、兄弟は実家の敷居を跨いだ。 神宮寺家の実家は、都心の一等地とも言うべき場所に建てられた洋風建築の大きな屋敷だった。住み込みの家政婦を雇っているほどで、普段家のことは全て家政婦に任せていることを当然隼人は知っていた。「ただいま」 雅人が広々としたダイニングキッチンへ入ると、隼人もそれに続いてやってきた。浩介と佐和子は、今日の記者会見が無事に終わったことで、二人で牛肉のステーキとワインを口にしながら打ち上げさながら盛り上がっていた。「どうした、兄弟揃うのなんて珍しいじゃないか」 アルコールが回っていることもあってか、浩介は高らかな声を上げた。「もうここには戻ってこないと思ったのに」 母の冷たい視線を感じ、隼人も睨み返す。「何の用だ。お前も飲むか?」 上機嫌な父親の姿に、隼人は苛立ちを隠せない。「親父、よくもそんな呑気な……」 雅人は呆れて反論しようとしたが、隼人が止めた。「親父とおふくろに、どうしても言いたいことがあったんだ」「あら、私たちを会社の隅っこに放り投げたあなたが、まだ言いたいことがあるの?」 佐和子がワイングラスを持ちながら、淡々と言った。「今日の会見、あれどういうことだ?」「どうも何も、ちゃんと話したでしょ。母さんは、お父さんと、富橋社長と共に新規の会社を立ち上げた。別に会社のお金を流用したわけでもないし、あんたに文句言われる筋合いはないわよ」「ふざけるなッ……!」 隼人は声を荒げた。「資本金三千万なんて、そんな簡単に用意できるわけないだろ」「母さんたちにだって、それぐらいの蓄えあるわよ。あんたに代表権奪われるまでは、ちゃんと『神宮寺ホールディングス』のために働いてきたんですから」「けど、役員報酬から少しずつ貯めてたんじゃないのか?」 雅人が言うと、佐和子はケラケラと笑い出した。「役員報酬は、母さんやお父さんがもらったものでしょ。もらったものをどうしようかなんて、私たちの勝手なんだもの。そこまで目くじら立てることないんじゃない?」「そうだぞ。二人とも硬すぎる」 更に酔いが回り、浩介は時折呂律が回らないながらも荒々しくなった。「会社に迷惑を被ったわけじゃないだろ。今回立ち
隼人の両親と、ひなたの父親による新規事業の発表は、投資家や経営者の中で瞬く間に話題となった。ホームページやSNSといった広報も既に準備万端の状態で、記者発表は生配信され、それはホームページのトップから閲覧できるようになっていた。 社長室のデスクで、隼人は千晴に見せてもらったタブレットで、その様子を伺っている。「兄貴ッ……」 勢いよく雅人が入って来た。「お前も聞いたのか、親父たちのこと」「いくら何でも準備が早すぎて、びっくりしたんだ」「今、ちょうど親父たちが会見してるよ」「雅人さんも、よろしければどうぞ」 千晴に促されて、雅人は隼人の後ろまでやって来ると、覗き込むように共に会見の様子を見た。「本日は、『神宮寺ホールディングス』及び『富橋グループ』による共同新規事業の会見にご参加いただき、誠にありがとうございます」 マイクを持った隼人の父・浩介が、悠々と話を続ける。「今回は両社共同による新規事業ではありますが、『神宮寺ホールディングス』及び『富橋グループ』とは一切繋がりのない、新規の株式会社として法人を立ち上げることになります。法人名は『株式会社TJカンパニー』、役員といたしましては、私神宮寺浩介が代表取締役社長、富橋勇夫が代表取締役副社長、そしてこちらの神宮寺佐和子が専務取締役となります」 浩介の紹介のもと、ひなたの父・富橋勇夫、隼人の母・佐和子が、頭を下げる。「先ほど、イメージキャラクターとして女優の園崎麗菜さんが務められると発表があり、ご本人にもご登壇いただきましたが、どのような意図があって起用されたのでしょうか?」 参加していたマスコミ関係者から質問が上がった。 浩介が妻に、合図ともとれる頷きを行った。「それでは、私のほうからご説明させていただきます」 佐和子がマイクを持って、話し始めた。「園崎麗菜さんは、今や国民的女優として大変なご活躍ぶりです。弊社のような新規事業のイメージキャラクターを務めていただくのは、私どもにとっても大変恐縮なことではありますが、弊社オリジナルのアパレルブランドを立ち上げるにあたっては、彼女の起用がますます良い宣伝効果になると考えて、起用させていただきました」 自信満々にカメラの前で話す両親の姿を見て、隼人は無性に腹が立った。「この様子から見ると、会長も相談役も、随分前から動かれてて
彩花は応接用のソファーにジュリアンを案内させ、向かい合うように座った。さくらがすぐに、お茶を運んできた。「ごめんね、突然来ちゃって」「ううん。私は別に大丈夫だよ」 さくらがデスクに座って仕事を始めると、彩花もジュリアンに早速話を振った。「それでジュリアン。私に話って?」「実はさ、ヘッドハンティングの話が出てるんだ」「ジュリアンに? 声がかかるなんて、良い話じゃん」「たださ、それが『KSインターナショナル』なんだよね」 彩花は唖然となり、さくらもパソコンのキーボードを打っていた手が止まった。「うちの実家が、どうしてジュリアンを……?」「じゃあやっぱり、彩花が頼んだわけじゃないんだね?」 彩花にはジュリアンの話の内容が理解できなかった。「当たり前じゃん。それに私は、もう実家とは縁を切ってるの」「そっか……」「ねえジュリアン。今、『頼んだ』って言ったけど、そのヘッドハンティングの話、誰に言われたの?」 怪訝そうに彩花が尋ねると、ジュリアンは一言、「お兄さんだよ」 彩花は思わずさくらと顔を見合わせた。「僕が働いてる会社の前で、待ち伏せしてたんだよ。そこで声をかけられて」 ジュリアンは、拓也との一連の話を彩花に伝え始めた。「『外資系企業とはいえ、ずっとここで働かせて良い人財ではない。良かったら、うちの会社に来ないか』って、お兄さんには言われた」「じゃあお兄さんは、あらかじめジュリアンのことを調べてたってこと?」 デスクからさくらが尋ねてきた。「まあ、今時いくらでも調べることはできるからね。それにお兄さんは、僕が彩花の同級生だってことも知ってたから」 彩花の中で、ますます拓也に対する疑念が強くなっていく。何故いきなりジュリアンを、自分の会社に引き抜こうとしているのか、その拓也の考えが全く分からないが、何かしらの目的がなければこのような行動に出るわけがないと、彩花は考えていた。「何でお兄ちゃんが、ジュリアンに声をかけたのか、私には分からないんだけどね」 そう言ったものの、『KSインターナショナル』を実質的に経営しているのが拓也であり、それを昨晩来訪した隼人が心配していたことを思い出した。「ねえ、『KSインターナショナル』のこと、ジュリアンは何か知ってる?」 ジュリアンは口を閉ざしてしまった。「何か知ってるんだね?」 問
「じゃあ、行ってきます」 この日、健太は出張のためスーツケースを引きずって会社に顔を出し、必要な書類だけ取りに来た。「ごめんね。本当は、私が行かなきゃいけないのに」 申し訳なさそうに、彩花が言った。「良いんだよ。もし出張先で何かあったら大変だし、何より彩花が今できることをすれば良いんだから」「うん……」「健太がいない間、私が彩花のフォロー入るから」「よろしく。新幹線の時間もあるから、そろそろ行くわ」 去っていく健太を、彩花とさくらは見送った。「ねえ、何かあった?」 健太の姿が見えなくなると、いきなりさくらが尋ねてきた。「え?」「考え事してるような気がする」「実はね……昨日、神宮寺社長がここにいらっしゃったの」 彩花は昨晩に起きた出来事を、さくらに告げた。「は?」 不快感を示すように、さくらは彩花を見た。「私も、びっくりした」「何しにみえたの?」「本気で婚約者になってほしいって、言われて……」「それで、彩花は何て言ったの?」「もちろん、断ったよ。病気のことだって、言ってない」 彩花は溜息をつきながら、自分のデスクの椅子に座り込んだ。さくらは椅子を移動させて、彩花の間近までやってきた。「ねえ彩花。もしかして、神宮寺社長のこと、本気で好きになってる?」「え……」 思わず彩花は言葉に詰まった。「病気のことが言えないのは、神宮寺社長を傷つけちゃうからって考えてるんでしょ」「さくらには、全部お見通しなんだね」 彩花は苦笑した。「婚約者のフリを解消して、ビジネスだけの付き合いをしようだなんて上手い理由つけて神宮寺社長のことを避けてる理由も、その辺りでしょ」「うん……」 口をつぐみ、彩花は小さく頷く。「最初は婚約者のフリでも、一緒にいたら、情が移っちゃうんだろうね。付き合ってるカップルでもさ、特にこれといったきっかけもなくて、気がついたら好きになってましたってパターンあるじゃん。それと一緒でしょ?」「……ちょっと、違うかも」「え、何かきっかけでもあった?」 事細かには伝えなかったが、彩花はさくらに、五年前の拓也の結婚式の夜に、浮浪者のような状態になっていた隼人と出会っていたことだけを伝えた。「そんなことがあったの?」 さくらは目を見開いた。「あの時はお互いに連絡先なんて交換しなかったら、どこの誰か分からなか
彩花は、目の前で隼人が発した言葉を聞いて、口が開いたままだった。「今、何ておっしゃいました?」「二度も言わせるな、こんなこと」 確かに彩花は、隼人の言った『本気で、俺の婚約者になってくれ!』という言葉が耳に残っていたが、にわかに信じられないことだった。「本気ですか?」「だから言ってるだろ、本気で婚約者になってくれって」 これ以上、彩花は隼人にどのような言葉をかけて良いか分からず、迷っていた。このままの関係が続けば、間違いなく病気のことを話さなければいけない。しかし彩花の中で、自分の病気を知った時に隼人がどんなリアクションをするかは容易に予想がつき、悲しい思いをさせたくないという考えがあった。「……お気持ちは嬉しいですが、やはり神宮寺社長には、もっとふさわしい方がいらっしゃると思いますよ」 彩花の中で、せめてもの隼人に対する断りの言葉だった。あまり深く話し過ぎたり、変に断ると、逆に隼人はしつこく言ってくるだろうと予想していたからだ。「ふさわしい相手なんて、いるわけないだろ……」 隼人は小さく呟いた。「俺はな、結局家族の呪縛から逃れられないんだよ。『神宮寺ホールディングス』の会長の息子である以上、親の選んだ相手としか結婚できない。それに、会社を守る責任もあるからな」「会社のために、ご自身を犠牲にしなければいけないんですね。経営者の家族には、よくある話じゃありませんか」 現に、血の繋がらない兄である拓也も、会社のために社長令嬢と結婚した。兄がどんな口説き文句を言ったかは分からないが、拓也夫婦は円満な関係であることは、五年前の結婚式直前から分かりきっていた。「お前も、同じような家庭環境で育ったんだよな……」「ええ……。でも私は、家族と縁を切りました。それに、会社は兄が継いでますから、父が同じような経営者の息子と私を結婚させるつもりはないでしょう」「北城社長は、お元気か?」「父をご存知なんですか?」「何度か、経営者の会でお会いしたことがある。温厚ながら、経営の方では鋭い洞察力をお持ちの方だ」 隼人の言う通り、継父は優しいイメージだった。幼少期から家をよく空けることが多かっただけに、たまの休みになるとしっかりと家族との時間を大切にしてくれている人だった。「お前が家族と縁を切るなんて、きっと何かあったんだろ」「……父というより、兄が……
余命宣告の件を伝えてからというもの、彩花はさくらと健太に支えながら、何とか日々の業務に従事していた。 体調は日に日に悪化していく一方だったが、それでも彩花は仕事をしている間こそが自分らしくいられると思い、少しの体の不調で休みたくはないと思っていた。彩花の中では、むしろここで音を上げると、自分自身に負けることを意味すると考えていた。「彩花、大丈夫?」 さくらが声をかけてきた。「うん。これぐらいなら、何とかね」 ずっとパソコンの画面を見続けていると、時折めまいや立ち眩みが酷くなる時がある。しかし、パソコンの画面も見れないようでは仕事にはならなかったので、彩花は視界がぼやけると一旦目を閉じて、少しの休憩を取るようにしていた。「中間報告書の書類、俺が作ろうか?」 健太が名乗りを上げてきた。彩花は、隼人を始め『神宮寺ホールディングス』の役員たちに、出資を経てから現在までの中間報告をまとめた報告書を作成している最中だった。細かい数字や報告内容を考えると、それだけで大きな負担になっていた。「もう少しで終わるから、大丈夫」 少し息が荒くなっていたが、彩花は何とか笑ってごまかした。「中間報告会、私が代わりに行ってこようか?」「さくら……」「今の彩花には、中間報告会でプレゼンするのは負担が大きすぎる。かえって、向こうの人たちに余計な心配かけさせるだけだよ」「そうだよね……」「体調不良のため欠席、急遽私が代役で報告をするってことで、当日向こうの人に話せば分かってもらえるでしょ。それに、神宮寺社長だって出席するんだから」 彩花は黙ってしまった。建前上『ビジネスとしての付き合い』と言って、隼人の婚約者のフリを断ってからというもの、ほとんど連絡は取っていない。それは、仕事に関してもそうだった。また、どこかで自分の病気のことを隼人に気づかれてしまうのではないかという怖さもあった。「あの社長のことよ。彩花が体調不良だなんて聞いたら、顔色変えてお見舞いに来るかもしれないよ」 苦笑してさくらは言ったが、健太は怪訝な顔になる。「いや、その神宮寺社長も今は難しい立場にいるかもよ」 ビジネスに関する時事的な出来事に過敏な健太は、噂レベルではあるものの、隼人の両親が行おうとしている新規事業のことを把握していた。「じゃあ、共同で事業をスタートさせたら、そのもう一つの会社