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第3話

Author: 壽倉雅
last update publish date: 2026-08-25 12:00:42

 エレベーターが止まってから、どれだけの時間が経っただろうか。彩花にとって、この狭い空間で、いきなり壁に迫ってきた男性と同じ空気を吸っていることが、何より苦痛だった。男性はその後も、何も言わずにじっとこちらを見続けている。

 ――いつまでこんな至近距離にいるの。五年前に逃げた子猫って何?

 逃げたくても逃げられないこのシチュエーションと、刻一刻と迫るプレゼンの時間が、彩花を余計に苛立たせていた。

 やがて機械の音がして灯りがつくと、エレベーターは何事もなかったように作動し始めた。エレベーターは彩花の押したボタンの通り、十八階で止まった。ドアが開くと、彩花は男性から逃げるように去っていった。

 ――何、あの男。不審者? 痴漢?

 長く続く十八階の廊下を、彩花はひたすら走った。ふと腕時計を見ると、プレゼンの時間を三十分も過ぎている。エレベーター事故があったとは言え、遅刻したことに変わりはない。それでも、一筋の望みにかけて、彩花はプレゼンが行われる会議室へと向かった。

 会議室の前には、全身ダークグレーのスカートスタイルのスーツを着た女性が、タブレットを持って立っていた。

「申し訳ございません。本日十三時よりプレゼンをする予定でした、『ALIVE』の北城と申しますが」

 受付担当と思われる女性は、細い赤縁メガネ越しに冷ややかな目で彩花を見ると、タブレットをスライドさせて、何かを確認した。

「北城様ですね。予定の時間を、もう三十分も過ぎております。申し訳ございませんが、お引き取り下さい」

 無表情で、まるでAIロボットのような女性の淡々とした声が返ってきた。

「そうですか……。失礼しました」

女性に軽く頭を下げると、彩花はビルを後にした。この現実を受け止めるしかないと思いつつも、オフィスに戻るまでの彩花の足取りは重かった。

 オフィスに戻った彩花は、エレベーター事故の件をさくらと健太に伝えた。反論や文句が飛んでくることは覚悟の上だったが、二人は明るく慰めてくれた。

「とんだ災難だったね。まあ事故ならしょうがないよ。他にも出資先は見つけようと思えばできるんだし、次に向かって動いてこう」

「こういう大手企業ってさ、担当の役員とか取締役の人が審査するのがほとんどでしょ。代表は、下から来たものにイエスかノーの判断をするだけだからね。それだったら、ちゃんと社長自ら審査して、俺たちの事業を理解してくれるところを探そうよ」

「二人とも……ありがとう」

 さくらと健太の言葉に、彩花は救われる思いがして、自然と涙が出てきた。

「そんなことで泣かないでよ」

 苦笑したさくらからボックスティッシュを渡され、彩花は涙を拭いて鼻をかんだ。家族よりも友人のほうが、頼れるし信頼もできると、改めて彩花は感じていた。

 次に向けて動いていこうと思っていた矢先、翌日になり、オフィスに一件の電話がかかってきた。

「え、再プレゼンですか?」

 電話を取ったのはさくらだった。彩花は、不思議そうにこちらを見てくるさくらから電話を代わった。

「もしもし、お電話代わりました。北城です」

 彩花は社長秘書の宮辺みやべと名乗る女性とやり取りをして、再プレゼンに赴く日程調整を行った。

 ――もしかして、誰かがエレベーター事故の件を伝えたのかも。

「よし、もう少しブラッシュアップしようか」

 健太が気合を入れて手のひらを叩いた。

「そうね。せっかくの再チャンスだもんね」

 さくらも大きく頷く。

 前向きに行こうと、彩花はさくらと健太と共に連日連夜、資料作りに明け暮れた。

 一週間後。彩花は再び『神宮寺ホールディングス』の本社ビルを訪れた。次こそはエレベーターが止まらないでくれと心に祈りながら、彩花は無事に十八階までたどり着いた。

 会議室の前まで彩花がやってくると、先週同様、受付と思われるあの女性が立っていた。

「北城さんですね」

「はい。先日は失礼しました」

「私、先日お電話を差し上げました、社長秘書の宮辺千晴ちはる申します。中で社長がお待ちです」

 先週はエレベーター事故のせいで気にもかけていなかった彩花だったが、千晴は自分と同年代のように見える。また社長秘書という仕事柄なのか、黒髪のボブヘアとはいえ手入れがしっかりとされた清潔感のある髪質をしていた。

 千晴に案内されて会議室の中へ彩花が入ると、社長と思われる人影が見えた。

「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」

 深々と彩花が一礼し、人影の元へ近寄っていくと、突然彩花の足の動きが止まった。

 彩花を迎えた人影、それは先週エレベーターの中で迫ってきた、あの男性だった。

「社長から伺いました。先週、エレベーターの故障事故があったそうですね」

 背後から千晴が尋ねてきた。

 ――え、社長……? この人が……?

 千晴に返事を言う前に、社長というその男性はその場に立ち上がった。

「『神宮寺ホールディングス』代表取締役社長の神宮寺隼人はやとだ。早速、プレゼンをしてもらおうか」

エレベーターの一件もあり、傲慢な口調や態度とも言うべき隼人の言動に一瞬不快感を抱いた彩花だったが、鞄から資料を取り出すと、何とかプレゼンを進めることができた。

 彩花が一通り話し終えると、隼人はホチキス止めされた資料を冷めた目で見ながら、一言、

「つまらん」

「え……?」

「形式的な企画で、面白さも何ともない」

 共に企画を進めてきたさくらや健太のことまでも否定されたような気がしてならなかった。

「ただ、出資はする」

 思いがけない隼人の答えに、彩花は唖然となった。

「本当ですか?」

「ただし条件がある。数日間、俺の婚約者のフリをしてくれ。それで、経営者の集まるパーティーに同行しろ」

 ――この人は、何を言ってるの?

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