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第8話

Author: ゴブリン
「綺音?綺音、聞こえてるか?」

電話の向こうからは、ただ荒れ狂う海風の音が響くばかりで、綺音の声はかき消されていた。

賢人はすぐに折り返そうとしたが、その前に別の着信が入った。

電話の向こうからは、美慧の切迫した声が響いた。

「賢人!すぐに病院に来て!子どもたちが大変なの!」

賢人は一瞬戸惑った。

「タクシーで帰宅させたはずだ。何があったんだ?」

「いいから病院に来てみてよ!」

電話越しには子どもたちの泣き声や、その他の騒がしい音が混じっていた。

賢人は歯を食いしばりながら、駐車場へと足を向けつつ、もう一度綺音に電話をかけ続けた。

だが、何度かけても返ってくるのは冷たい機械音だった。

「おかけになった電話は電源が入っていないか、電波の届かない場所にあるため……」

賢人は焦りを滲ませてメッセージを残した。

【綺音、これを聞いたらすぐに折り返してくれ。心配なんだ】

少し考えてから、もう一通。

【綺音、会社に急ぎの用が入って、いったん戻るけど、すぐに君を迎えに行く】

綺音は大人だが、子どもたちはまだ幼い。

父親として、どうしても放ってはおけなかった。

賢人は急いで車を走らせ、病院へと向かった。

道中、胸が締め付けられるような不安に駆られ、想像するのは最悪の事態ばかり。

ようやく病室の扉を開けたとき、ようやく息をつくことができた。

ふぅ――

彼は壁に片手をつき、もう片方の手は力なく垂れ下がっている。

目の前に広がる光景に、しばし呆然とした。

美慧はたしか、「子どもたちが交通事故に遭い、至急輸血が必要」と言っていたはずだ。

しかし今、彼女は笑顔で子どもたちと並んでベッドに座り、ゲームに興じていた。

病室には母子三人の笑い声が満ちていた。

子どもたちが無事なのは良いことだったが、綺音のことを思い出すと、胸の奥がしくしくと痛んだ。

彼は静かにノックし、かすれた声で美慧に呼びかけた。

「……少し、話がある。外で」

美慧は驚いたように顔を上げ、「賢人、やっと来てくれたのね。子どもたち、あなたをずっと待ってたのよ」と喜びの声を上げた。

その声に反応して、子どもたちも一斉に振り向き、口をそろえて叫んだ。

「パパ!」

賢人は彼らにぎこちなく微笑みを返しつつも、再び低い声で美慧に言った。

「……外で。話がある」

その声音は
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