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101回目のプロポーズ

101回目のプロポーズ

By:  世界ぶっ飛びCompleted
Language: Japanese
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私、藤堂亜衣(とうどう あい)は、恋人の渡辺颯太(わたなべ そうた)から、これまでに九十九回プロポーズされてきた。そしてそのたびに、彼の幼なじみである葉山鈴(はやま すず)は、決まってうつの発作を起こしたのだ。 颯太が百回目のプロポーズをしてきたときも、その構図は変わらない。 彼はいつものように唇の端に甘ったるい笑みをにじませながら、鈴からの電話に出た。そして、ため息まじりに私のほうを見て言う。 「鈴の具合がまた悪くなった。今日のプロポーズは中止だな」 今日が私の誕生日だってことなんか気にも留めず、彼はテーブルに並んだ料理を手慣れた様子で次々とテイクアウト用に包んでいった。 怒りをぶつけられるのを恐れているくせに、その瞳にはどこかうんざりした色が浮かんでいて、私に向かって説教を始める。 「お前が鈴を妬んでるのは分かってる。でもあっちは病人なんだぞ? お前は軍人なんだし、鈴に譲ってやるのが当たり前だ」 彼は、鈴が箸をつけて残した料理を「全部食べろ」と命じた。さらに、夜中の三時に山を登って、ひ弱な鈴に防寒コートを届けろと私を無理やり行かせた。 鈴のSNSには、颯太と抱き合う写真が挑発するように並んでいる。それでも颯太の口から出てくるのは、やはり私を責める言葉だ。 「そこまで追い詰めないと気が済まないのか?鈴をうつに追い込んで楽しいのか?これが軍人の品位かよ。お前のその意地の悪さ、本当に気持ち悪い」 こうして彼は何度も何度も、私の人間性を疑い、道徳心を踏みにじってきた。 けれど最後の一度だけ、私はただ、手の中の軍の特殊部隊から届いた極秘任務の召集令状に視線を落とし、一言も発さなかった。 颯太は、何も分かっていない。 今度は、私が彼を切り捨てる番だ。

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Chapter 1

第1話

花束が床に叩きつけられ、渡辺颯太(わたなべ そうた)は、私には一瞥すらくれずに踵を返して出て行った。

私は藤堂亜衣(とうどう あい)。彼と付き合って、もう五年。プロポーズされた回数は、これでついに百回目だ。

周りはみんな、さすがに今度こそはゴールインだろうと思っていた。

日にちだって、私の誕生日に合わせてわざわざ選んだ。

友だちがそろって二時間も待っていたのに、彼が遅れてきた理由は、彼の幼なじみである葉山鈴(はやま すず)が映画を観たいと駄々をこねたから。

バンと、扉がまた乱暴に開け放たれ、溶けかけていた生クリームのケーキがドサッと床に崩れ落ちた。彼はそれを一顧だにせず、私の大好物のローストビーフだけを、全部持ち帰り用に包ませた。

さすがにその場の、私を気の毒がるような空気が気になったのか、彼は言い訳めいたことを口にする。

「ほら、あいつ最近ずっと情緒不安定だろ。どうせプロポーズなんて、もう何回目か分かんないくらいやってるし、今回くらい別にいいだろ?

先に鈴の機嫌を取ってくる。お前はここでみんなの相手してて。夜、様子見て戻れそうなら戻るから。誕生日プレゼントは、そのとき改めて渡す。

そうだ、このスペアリブ、まだ誰も箸つけてないよな?これも持ち帰るから、お前らもう一皿頼んで」

友だちの誰かが、私の代わりに怒ろうとしてくれた。でも私は逆に張り切って、彼を手伝い、ついでにほかに欲しいものがないかまで聞いてしまう。

彼が指で軽くテーブルを示すと、その一帯の料理はきれいにごっそり、持ち帰り用の袋に消えた。

「悪いな。鈴、潔癖だからさ、他人が箸つけたものの持ち帰りは無理なんだ」

彼は、忙しく立ち働く私の様子を見て、どこか満足げにうなずく。

「今日は珍しく、全然キレないんだな。その調子で、これからも頼むよ」

前の私なら、必ず颯太を問い詰めていた──私と鈴、どっちが大事なのかって。

そのたびに喧嘩になって、傷つくだけ傷ついて、最後は彼が腹いせに鈴の家へ泊まりに行くのがお決まりだった。

けれど、今日はもう、本気でどうでもよくなっていた。

颯太が大きな紙袋を両手に提げて店を出ていくと、友だちが怒りに任せてテーブルを叩いた。

「てっきり、あいつはテイクアウトなんか絶対しないタイプだと思ってたのに!」

彼は付き合いの飲み会も多くて、外での集まりにはしょっちゅう顔を出す。一方の私は、仕事で深夜まで残業なんてざらだ。

それでも彼はいつも「持ち帰りなんて、ダサい」と言って、私のためにわざわざ一皿注文してくるようなことは一度もなかった。

たった一度だけ、友人が「犬に食べさせる」と言っていたテイクアウトの残り物を、私に押しつけたことはある。あのとき颯太は、私が箸をつけるのを渋っただけで、ひどく怒鳴った。

「昔なんて、ろくなものも食べられなかったんだぞ。ちょっと残り物食べるくらいで何を気取ってんだ?」

今になって思えば、彼はただ、私のことで自分の顔をつぶしたくなかっただけだ。

私は友だちと食事を終えるまで笑顔で場をつなぎ、店を出た。空は雲ひとつない快晴なのに、胸の中だけが妙に冷え切っている。

スマホを開くと、ちょうど鈴がSNSを更新したところだった。

【プロポーズを放り出してまで、こんなにたくさんおいしいものを打ち上げしてくれた颯太にありがとうね。残念ながらお腹が限界で、ほとんどゴミ箱行きだけど】

その直後、颯太からのメッセージもポン、と通知に浮かぶ。

【テイクアウト、だいぶ余ったからな。明日のお前の昼飯な】

しばらく考え込んだ末に、私は通話ボタンを押した。

「隊長、私やっぱり部隊に戻りたいです」

部屋の中を片づけていたら、気づけばもう深夜になっていた。

颯太はまだ帰ってこない。でも、もういちいち驚くようなことでもない。

なのに、スマホだけは容赦なく鳴り響く。

「今すぐ、家にある登山用の装備一式を、鈴の家まで持ってこい」

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第1話
花束が床に叩きつけられ、渡辺颯太(わたなべ そうた)は、私には一瞥すらくれずに踵を返して出て行った。私は藤堂亜衣(とうどう あい)。彼と付き合って、もう五年。プロポーズされた回数は、これでついに百回目だ。周りはみんな、さすがに今度こそはゴールインだろうと思っていた。日にちだって、私の誕生日に合わせてわざわざ選んだ。友だちがそろって二時間も待っていたのに、彼が遅れてきた理由は、彼の幼なじみである葉山鈴(はやま すず)が映画を観たいと駄々をこねたから。バンと、扉がまた乱暴に開け放たれ、溶けかけていた生クリームのケーキがドサッと床に崩れ落ちた。彼はそれを一顧だにせず、私の大好物のローストビーフだけを、全部持ち帰り用に包ませた。さすがにその場の、私を気の毒がるような空気が気になったのか、彼は言い訳めいたことを口にする。「ほら、あいつ最近ずっと情緒不安定だろ。どうせプロポーズなんて、もう何回目か分かんないくらいやってるし、今回くらい別にいいだろ?先に鈴の機嫌を取ってくる。お前はここでみんなの相手してて。夜、様子見て戻れそうなら戻るから。誕生日プレゼントは、そのとき改めて渡す。そうだ、このスペアリブ、まだ誰も箸つけてないよな?これも持ち帰るから、お前らもう一皿頼んで」友だちの誰かが、私の代わりに怒ろうとしてくれた。でも私は逆に張り切って、彼を手伝い、ついでにほかに欲しいものがないかまで聞いてしまう。彼が指で軽くテーブルを示すと、その一帯の料理はきれいにごっそり、持ち帰り用の袋に消えた。「悪いな。鈴、潔癖だからさ、他人が箸つけたものの持ち帰りは無理なんだ」彼は、忙しく立ち働く私の様子を見て、どこか満足げにうなずく。「今日は珍しく、全然キレないんだな。その調子で、これからも頼むよ」前の私なら、必ず颯太を問い詰めていた──私と鈴、どっちが大事なのかって。そのたびに喧嘩になって、傷つくだけ傷ついて、最後は彼が腹いせに鈴の家へ泊まりに行くのがお決まりだった。けれど、今日はもう、本気でどうでもよくなっていた。颯太が大きな紙袋を両手に提げて店を出ていくと、友だちが怒りに任せてテーブルを叩いた。「てっきり、あいつはテイクアウトなんか絶対しないタイプだと思ってたのに!」彼は付き合いの飲み会も多くて、外での集まりにはし
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第2話
私は一瞬きょとんとして、思わず「ないよ」と口をついて断ってしまった。というのも、前に何度か私が一緒に山登りに行こうと誘ったとき、颯太は決まって「仕事で手一杯だ」「もう年だし、そんなところに割る体力はない」と断ってきたからだ。「チッ……」受話口の向こうで彼が舌打ちし、装備のある場所を詳しく告げてきた。「鈴、気分が落ちててさ。山登りすると気晴らしになるんだよ。いいから早く装備持ってこい。俺たち、これから日の出見に行くから」クローゼットを漁っていると、おそろいで買ったペアルックの登山ウェアが二着、奥から出てきた。胸のどこかを、誰かに鷲づかみにされたように痛んだ。彼はソフト開発の仕事で、いつも忙しくて姿さえろくに見えない。私がウイルスに感染して三日も高熱でうなされていたときでさえ、彼は冷たい顔で「病院に付き添う時間なんかない」と言い放った。そんな人が、今は女の子と二人きりで、夜通し山を登る時間ならあるらしい。しかも、明日はどうしても外せない大事な会議が入っているはずなのに。電話は切れないまま繋がっている。その向こうから、鈴のとろけるような声が流れ込んでくる。「颯太、もしかして亜衣は、ヤキモチ焼いてるんじゃない?それなら、一緒に連れてきてあげれば?」「連れて行くわけないだろ。あいつなんて邪魔にしかならねぇよ。今の俺の任務は、お前の機嫌を直すこと」二人の息づかいが近く重なり合っているのが、電話越しにも伝わってくる。私は慌てて通話を切り、登山用の物一式を代行サービスの配達員に託した。ふだんから私は、鈴のために書類を取りに走り回り、話題のスイーツや限定コスメを買うために行列に並び、夜中に呼び出されては、泥酔した彼女を迎えに行っている。颯太はいつも、「義姉なんだから、鈴の面倒を見るのは当たり前だろ」と言う。でも、私はまだ一度だって、正式にプロポーズなんて受けていない。午前四時、スマホに一枚の写真が届いた。画面の中で、颯太が鈴をしっかりと腕の中に抱き寄せている。【亜衣、寒いから颯太がこうして温めてくれただけだよ。一応、報告ね。変なふうに思わないで】いつもの挑発じみたやり口だ。颯太は、それを見ても「鈴は可愛いな」としか思わない。私は短く一行だけ返した。【二人とも、楽しんで】夜になって、颯太はガタガ
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第3話
「頭おかしいのか?自分で作ればいいだろ。よりによって鈴の飲み物なんか飲んで、彼女のうつを悪化させたいのか?」そのことで、私たちは一か月近く、ほとんど言葉を交わさなかった。そしてその間に、颯太は鈴へ五回も求婚していた。もう、そこまでして振り回される気力なんて残っていない。そう思った瞬間、彼が不意に私を呼び止めた。どこか言いにくそうな濁った目をしている。「亜衣、お前もこっち来て一緒に食べよう。ちょうど話がある。鈴の部屋の契約が切れるからさ、しばらくうちに住むことになる。お前は、できれば身を引いてやってくれ」鈴は、甘ったるい笑顔を浮かべて言う。「亜衣、私がうつ病なのは知ってるよね?それに、颯太を誰かとシェアするのも無理で……同じ屋根の下なんて、想像しただけで気持ち悪くなっちゃう」颯太は、どこか気まずそうな顔をしながらも、鈴の口元にかかった髪をそっと耳にかけてやった。胸のど真ん中にいきなり針を一本刺されたみたいで、目の奥までじんと痛んだ。この人のこういう突然の優しさには、いつだって見返りがセットになっている。前にも、彼が一度だけ朝ごはんを作ってくれた代わりに、私は「鈴に九十九回プロポーズする権利」をあっさり承諾してしまったのだ。私はもう、本当に疲れてしまった。冷えた声で、明日には出ていくとだけ告げた。颯太は、ほんの少し意外そうな顔をして、確かめるように言葉を足す。「たぶん二か月くらいは住むことになると思う。お前のほうで、もう一部屋探してくれ」あと二日で私は部隊に戻る。二か月どころか、一生ここを空けるんだって構わない。私は自分から、リビングのソファに寝床を移した。最初、颯太は、私は彼と同じ部屋で寝ればいいと提案しようとしていたが、鈴の頬が真っ赤になっているのを見ると、その言葉を飲み込んだ。その夜、半ば眠りかけていた私は、いきなり乱暴に腕をつかまれ、力ずくで引き起こされた。「お前さ、ただ鈴に寝室を譲ってやればよかっただけだろ?どうしてそんなに意地悪なんだ!彼女はもともと風邪をひいてるんだぞ!」颯太の怒鳴り声が、頭の奥に響く。私の寝室の窓は壊れていて、閉めても隙間風が入る。そのせいで、夜中の冷たい風に当たった鈴の体は、すっかり冷えきって震え出したらしい。でも彼は忘れている。一か月前、私が寒さで風邪
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第4話
「でもさ、鈴はもともと体が弱いんだぞ?どう考えても会社が嫌がらせしてるだろ。お前、記者なんだから、記事一本くらい書けるだろ?このブラック企業を晒してやれよ!」彼は正義感を振りかざしている。まるで鈴が本当に被害者であるかのようだ。私は黙って彼を見つめる。心の中は、すっかり冷え切っていた。たった一つの誕生日プレゼントでさえ、見返り込みで扱われるようになっていた。そして、そんなことをすれば私の一線を踏み越え、仕事人生にまで傷がつくと知っていながら、彼は何ひとつ気にしていない。それでも彼が口にした以上、私は真面目に引き受けるふりをした。どうせ、もう退職届は出してある。この原稿が世に出ることも、最初からありえない。彼の目に、一瞬ぱっと喜びの色が走った。「本当か?マジで書いてくれるのか?ただの愚痴のつもりだったんだけどさ……」こんなことで、私たちは過去に何度も言い合いになっていた。颯太はよくわかっているのだ。私が私情で筆を曲げる人間じゃないってことを。私は作り笑いを浮かべながら答えた。「鈴はあなたの幼なじみで、家族みたいな存在でしょ。早く良くなってほしいし、私も力になりたいから」彼は勢いよく何度もうなずき、私に向かってあからさまな感謝の色を浮かべた。「そう考えてくれるなんて、本当によかった!そんなに物分かりのいいお前のためにさ、来月俺が昇進した日に、正式にプロポーズしてやるよ」来月――その頃には、私はもう携帯すら触れない生活に入っているはずだ。私は曖昧に笑ってごまかした。すると彼は、さらに図に乗る。「なあ、この前も言ったけどさ。鈴ってずっと記者になりたがってたろ?今ちょうど無職だし、お前のコネでお前のいる部署に入れてやれない?」鈴は、専攻にしても性格にしても、記者には向いていない。そもそも、私にだって、そんなコネを利かせられるほどの力はない。けれど、どうせ私はもうすぐここを離れる。今さら何を頼まれようと、全部「はいはい」で流してしまえばいい。颯太は、ほっぺたが割れそうなほど上機嫌になり、さらに念を押してくる。「鈴さ、ほんと打たれ弱いからね、何かあったら全部、お前がかばってやってくれ。それと、あんまりきつい仕事はさせないで。最初は良い記事だけ書かせて、上の連中にも同僚にも気に入られ
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第5話
隊長は最初、私がまだ颯太のことを引きずっていて、この部隊で落ち着いて過ごせないのではないかと心配していた。当時、特殊部隊を退いたのも、本当は彼に安心できる将来を与えたいためだった。今になってあの頃を振り返ると、胸に残るのはただ、尽きることのない屈辱だけだ。「隊長、どうかご安心ください。私はもう、あの男とは一切関わりを持つつもりはありません」一通り事情を話し終えると、隊長も何度も悔しそうにため息をついた。「まあ、それでいい。お前は最初から、自分の世界で思いきり輝くべきだ」部隊では、私の復隊を祝って小さな懇親会が開かれた。隊長は、かつて私が任務で挙げてきた戦果の数々を皆に紹介する。年月を経ても色あせない勲章の輝きが、もう一度、私の中の「この国のために戦いたい」という気持ちを強く揺り起こした。女性隊員たちが列をつくり、私に敬礼をしてくる。このような光景を前にして、私は初めて知った。私が現実と折り合いをつけようともがいていたあいだも、知らないところで多くの後輩たちが、私の軌跡を手本としてくれていたのだ。力強い軍歌が鳴り響いた瞬間、私は思わず目頭が熱くなった。当時、私はすでに中佐にまで昇進していた。けれど颯太は、私との遠距離恋愛を嫌がり、何より「女の身でこんな危険な現場を這い回る」ことを受け入れようとしなかった。彼は何度も泣きながら、「普通の生活に戻ってほしい。じゃないと、いつか本当にお前を失ってしまいそうで、怖い」と訴えてきた。あの対テロ作戦のとき、一発の銃弾が心臓から三ミリずれていなければ、私はもうこの世にいなかった。意識を取り戻したとき、そばらにいた颯太の目は泣き腫らして真っ赤だった。あの瞬間には、この人と平凡な人生を歩むのも悪くない、そう思ってしまった。けれど、私が何度も何度も妥協した結果、返ってきたのは男の裏切りだけだ。颯太は私のこと一度手に入れてしまえば、あとはもう大事にしようともしない。挙げ句の果てに、「部隊にいる連中だって本当は普通の人間なんだから、現実では俺の言うこと聞けよ」などと、平気で言い放つようになった。こうして再び敬礼を返した今、私はあらためて、自分の肩に重い責任がのしかかっているのを感じた。そのあと、隊長の合図で、特殊部隊の男性将校が前に進み出て、私と握手を交わ
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第6話
私の元同僚たちは、彼女のことを口々に嘲り、上司も容赦なく彼女を追い出した。自分が見事にハメられたと気づいた鈴は、颯太に庇ってもらおうと、大きな騒ぎを起こそうとした。会社では何人も止めに入ったが、抑えられず、屋上から飛び降りると彼女は言い張ったのだ。鈴をなだめるために慌てて駆けつけたせいで、颯太は担当していたソフトのリリース時間を大幅に遅らせた。今回の取引先は、ミスひとつ許さない海外クライアントだ。彼は会社に数億円規模の損失を出し、減給のうえ降格処分を受けた。そのあと、鈴の理不尽な騒ぎに、彼もついに根気が尽き、「具合が悪いなら、とっとと入院しろ!」と怒鳴りつけた。そもそも今回の一件だって、全部、私の前で勝ち誇るために仕組んだ騒ぎだった。ところが、私がすでに退職していると知った途端、鈴は一気にテンションを失った。一方の颯太も焦り始める。私が部隊に戻ったと知ったときから、彼の中に鈴をなだめる余裕は、もうどこにも残っていなかった。彼はあちこちに電話をかけて私の行き先を探ろうとしたが、もちろん何の成果も得られない。法的には、彼は元々私と何の関係もない他人なのだ。そのあいだも鈴は毎日のように、彼の耳元で私の悪口を囁き続けた。颯太が家に帰るたび、散らかり放題の部屋を片づけるところから始めなければならず、そのうえ鈴の機嫌に合わせて食事まで作らされる。いつの間にか、生活のスパイスのつもりだった関係は色を失い、颯太も、とにかく彼女を追い出したい一心になっていた。二人の口論はどんどん増え、鈴は癖のように果物ナイフを持ち出して脅すようになり、ついには本当に自分を傷つけて入院することになった。颯太は数時間ごとに病院へ向かい、彼女の感情をなだめ続け、職場でも次第に肩身が狭くなっていった。積み上がった不満の行き場はなく、最後には家中の彼女の荷物をすべて外へ放り出した。どうやら、手に入らないものほど人の心はざわつくらしい。今になって、颯太は私のことを恋しがり始める。【亜衣、全部俺が悪かった。もう二度と鈴とは関わらないから、もう怒るなよ。早く戻ってきてくれないか?】【本当に会いたいんだ。お前のいない日々はつらくて仕方ない。だって、俺、プロポーズするって約束してただろ?どうして何も言わずにいきなりいなくなるんだよ?】【今どこの部隊にい
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第7話
「お前の気持ちの負担になると思って、これまで見せなかったが……やっぱり一度帰って、きちんと話をつけてきたほうがいい」一番最初の手紙の日付は、半年前にさかのぼる。内容といえば、身の回りのことをつらつら書いただけで、毎回ほとんど同じような言葉ばかり。彼はいつも「早く除隊して帰ってきてほしい」とそればかり願っていた。そのとき、ふと気づいた。颯太と一緒にいた五年間、彼は一度も「私が何を望んでいるのか」を聞こうとしたことはなかったのだ。それでも私は、一度戻ることにした。隊長からは「数日ゆっくりしてこい。帰ったら、さらに厳しい任務がある」と告げられた。久しぶりに颯太の家の呼び鈴を押す。中は、すっかり様変わりしていた。足の踏み場もないほど散らかり、空気にはアルコールとくゆったタバコのにおいが重く漂っている。颯太は寝癖で髪が逆立ち、無精ひげだらけの顔に加え、首元がだらしなく伸びたタンクトップを着ている。私の姿を認めると、颯太は信じられないというように目をこすった。「見間違いじゃないよな?本当に帰ってきたんだよな!亜衣、今すぐ婚姻届出しに行こう。今日からまた、ここで一緒に暮らそう」彼は嬉しさのあまり飛びかかってきて、私を抱きしめようとしたが、私はそのまま彼の体勢を崩し、一本背負いで床に叩き落とした。颯太は床の上で苦しそうにもがきながら、酔いもだいぶ醒めたらしい。平日の真っ昼間からベロベロに酔って家にいる彼の姿に、私は、思っていた以上に胸を衝かれた。それに、あれほど「喫煙は健康に悪い」と言っていた人が、今では煙にまみれる生活をしている。私はこめかみを押さえながら、ため息まじりに告げる。「今日ここに来たのは、きちんとけじめをつけるためだけ。私たちは別れてもう一年以上経ってるし、これからもあなたと私がどうこうなることはない」「どうしてだよ?」彼は今にも崩れ落ちそうな顔で続ける。「五年も付き合ってきたのに、そんなふうに簡単に捨てられるわけないだろ。それにさ、俺の意見なんて一度も聞いてないだろ。俺が別れるって、いつ言った?もう部隊なんかやめて帰ってこいよ。あんな危ないところに女一人でいて、俺が毎日どれだけ心配してるか分かってんのか!」彼は半ば錯乱したように怒鳴り散らすと、そのまま私を家の中へ引きずり
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第8話
「あんた、いったいどうしちゃったのよ!たかが女が一人出て行っただけでしょ?なんでそこまで引きずるわけ?彼女、どこが私よりいいっていうのよ!」颯太は、指輪をぎゅっとつかんだまま、怒気を押し隠しもせず怒鳴る。「亜衣のことを、そんなふうに言うな。さっさと失せろ!」突き飛ばされた鈴は、よろめいてゴミの山の中に尻もちをつく。彼女は顔を押さえて泣きじゃくる。「どうしてなのよ?私、こんなにあなたに尽くしてきたのに、それでもまだ亜衣のことが忘れられないの?」「ふざけんな!お前が間に割って入らなきゃ、俺と亜衣が別れることなんてなかったんだ!いいから早く亜衣に謝れ!」鈴は無理やり立たされると、なおも納得いかない様子で、爪を立てて私に掴みかかろうとする。その瞬間、広い背中がすっと前に出て、私をかばうように立ちふさがる。博己だ。彼は心配そうに、こちらを振り返る。「大丈夫か?怪我はない?」私は首を横に振った。颯太は嫉妬を隠そうともせず、「そいつは誰だ」と詰め寄ってくる。「同じ部隊の仲間よ。それ以上は、別にあなたに話す必要ないわ」私がさらりと言い流すと、颯太の顔は妬みで真っ赤に染まった。そして拳を振り回しながら、威嚇するように叫ぶ。「亜衣は俺の婚約者なんだ!お前は近づくな!」「それは困るな。今の僕たちは、肩を並べて任務に出てる仲間なんでね。あんたみたいに、家でだらだら時間潰してるだけじゃない」博己の容赦ない返しに、私は思わず吹き出してしまった。私はバッグからあの分厚い手紙の束を取り出し、そのまま颯太の胸元めがけて放り投げる。「もう送ってこないで。切手代もインクも、もったいないから」遠ざかっていく私の背中を見つめながら、彼は狂ったように叫ぶ。「亜衣、お前、本当にもう俺のことを愛してないのか?」鈴が後ろから颯太にしがみつき、私を追いかけさせまいと必死で押さえつけた。やがて二人はもつれ合って取っ組み合いになり、その騒ぎに釣られて近所中の人が見物に出てくる。あちこちから、「なんて下品な男女だ」「ろくでもないカップルね」と責める声が飛んだ。「あの女、この前までしょっちゅう『死ぬ死ぬ』って騒いでたのよねえ。で、男のほうは毎回ケツ追いかけて走ってくの。ほら見なさいよ。今じゃ男は仕事にも行かず家で酒浸り、女
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