LOGIN私、藤堂亜衣(とうどう あい)は、恋人の渡辺颯太(わたなべ そうた)から、これまでに九十九回プロポーズされてきた。そしてそのたびに、彼の幼なじみである葉山鈴(はやま すず)は、決まってうつの発作を起こしたのだ。 颯太が百回目のプロポーズをしてきたときも、その構図は変わらない。 彼はいつものように唇の端に甘ったるい笑みをにじませながら、鈴からの電話に出た。そして、ため息まじりに私のほうを見て言う。 「鈴の具合がまた悪くなった。今日のプロポーズは中止だな」 今日が私の誕生日だってことなんか気にも留めず、彼はテーブルに並んだ料理を手慣れた様子で次々とテイクアウト用に包んでいった。 怒りをぶつけられるのを恐れているくせに、その瞳にはどこかうんざりした色が浮かんでいて、私に向かって説教を始める。 「お前が鈴を妬んでるのは分かってる。でもあっちは病人なんだぞ? お前は軍人なんだし、鈴に譲ってやるのが当たり前だ」 彼は、鈴が箸をつけて残した料理を「全部食べろ」と命じた。さらに、夜中の三時に山を登って、ひ弱な鈴に防寒コートを届けろと私を無理やり行かせた。 鈴のSNSには、颯太と抱き合う写真が挑発するように並んでいる。それでも颯太の口から出てくるのは、やはり私を責める言葉だ。 「そこまで追い詰めないと気が済まないのか?鈴をうつに追い込んで楽しいのか?これが軍人の品位かよ。お前のその意地の悪さ、本当に気持ち悪い」 こうして彼は何度も何度も、私の人間性を疑い、道徳心を踏みにじってきた。 けれど最後の一度だけ、私はただ、手の中の軍の特殊部隊から届いた極秘任務の召集令状に視線を落とし、一言も発さなかった。 颯太は、何も分かっていない。 今度は、私が彼を切り捨てる番だ。
View More「あんた、いったいどうしちゃったのよ!たかが女が一人出て行っただけでしょ?なんでそこまで引きずるわけ?彼女、どこが私よりいいっていうのよ!」颯太は、指輪をぎゅっとつかんだまま、怒気を押し隠しもせず怒鳴る。「亜衣のことを、そんなふうに言うな。さっさと失せろ!」突き飛ばされた鈴は、よろめいてゴミの山の中に尻もちをつく。彼女は顔を押さえて泣きじゃくる。「どうしてなのよ?私、こんなにあなたに尽くしてきたのに、それでもまだ亜衣のことが忘れられないの?」「ふざけんな!お前が間に割って入らなきゃ、俺と亜衣が別れることなんてなかったんだ!いいから早く亜衣に謝れ!」鈴は無理やり立たされると、なおも納得いかない様子で、爪を立てて私に掴みかかろうとする。その瞬間、広い背中がすっと前に出て、私をかばうように立ちふさがる。博己だ。彼は心配そうに、こちらを振り返る。「大丈夫か?怪我はない?」私は首を横に振った。颯太は嫉妬を隠そうともせず、「そいつは誰だ」と詰め寄ってくる。「同じ部隊の仲間よ。それ以上は、別にあなたに話す必要ないわ」私がさらりと言い流すと、颯太の顔は妬みで真っ赤に染まった。そして拳を振り回しながら、威嚇するように叫ぶ。「亜衣は俺の婚約者なんだ!お前は近づくな!」「それは困るな。今の僕たちは、肩を並べて任務に出てる仲間なんでね。あんたみたいに、家でだらだら時間潰してるだけじゃない」博己の容赦ない返しに、私は思わず吹き出してしまった。私はバッグからあの分厚い手紙の束を取り出し、そのまま颯太の胸元めがけて放り投げる。「もう送ってこないで。切手代もインクも、もったいないから」遠ざかっていく私の背中を見つめながら、彼は狂ったように叫ぶ。「亜衣、お前、本当にもう俺のことを愛してないのか?」鈴が後ろから颯太にしがみつき、私を追いかけさせまいと必死で押さえつけた。やがて二人はもつれ合って取っ組み合いになり、その騒ぎに釣られて近所中の人が見物に出てくる。あちこちから、「なんて下品な男女だ」「ろくでもないカップルね」と責める声が飛んだ。「あの女、この前までしょっちゅう『死ぬ死ぬ』って騒いでたのよねえ。で、男のほうは毎回ケツ追いかけて走ってくの。ほら見なさいよ。今じゃ男は仕事にも行かず家で酒浸り、女
「お前の気持ちの負担になると思って、これまで見せなかったが……やっぱり一度帰って、きちんと話をつけてきたほうがいい」一番最初の手紙の日付は、半年前にさかのぼる。内容といえば、身の回りのことをつらつら書いただけで、毎回ほとんど同じような言葉ばかり。彼はいつも「早く除隊して帰ってきてほしい」とそればかり願っていた。そのとき、ふと気づいた。颯太と一緒にいた五年間、彼は一度も「私が何を望んでいるのか」を聞こうとしたことはなかったのだ。それでも私は、一度戻ることにした。隊長からは「数日ゆっくりしてこい。帰ったら、さらに厳しい任務がある」と告げられた。久しぶりに颯太の家の呼び鈴を押す。中は、すっかり様変わりしていた。足の踏み場もないほど散らかり、空気にはアルコールとくゆったタバコのにおいが重く漂っている。颯太は寝癖で髪が逆立ち、無精ひげだらけの顔に加え、首元がだらしなく伸びたタンクトップを着ている。私の姿を認めると、颯太は信じられないというように目をこすった。「見間違いじゃないよな?本当に帰ってきたんだよな!亜衣、今すぐ婚姻届出しに行こう。今日からまた、ここで一緒に暮らそう」彼は嬉しさのあまり飛びかかってきて、私を抱きしめようとしたが、私はそのまま彼の体勢を崩し、一本背負いで床に叩き落とした。颯太は床の上で苦しそうにもがきながら、酔いもだいぶ醒めたらしい。平日の真っ昼間からベロベロに酔って家にいる彼の姿に、私は、思っていた以上に胸を衝かれた。それに、あれほど「喫煙は健康に悪い」と言っていた人が、今では煙にまみれる生活をしている。私はこめかみを押さえながら、ため息まじりに告げる。「今日ここに来たのは、きちんとけじめをつけるためだけ。私たちは別れてもう一年以上経ってるし、これからもあなたと私がどうこうなることはない」「どうしてだよ?」彼は今にも崩れ落ちそうな顔で続ける。「五年も付き合ってきたのに、そんなふうに簡単に捨てられるわけないだろ。それにさ、俺の意見なんて一度も聞いてないだろ。俺が別れるって、いつ言った?もう部隊なんかやめて帰ってこいよ。あんな危ないところに女一人でいて、俺が毎日どれだけ心配してるか分かってんのか!」彼は半ば錯乱したように怒鳴り散らすと、そのまま私を家の中へ引きずり
私の元同僚たちは、彼女のことを口々に嘲り、上司も容赦なく彼女を追い出した。自分が見事にハメられたと気づいた鈴は、颯太に庇ってもらおうと、大きな騒ぎを起こそうとした。会社では何人も止めに入ったが、抑えられず、屋上から飛び降りると彼女は言い張ったのだ。鈴をなだめるために慌てて駆けつけたせいで、颯太は担当していたソフトのリリース時間を大幅に遅らせた。今回の取引先は、ミスひとつ許さない海外クライアントだ。彼は会社に数億円規模の損失を出し、減給のうえ降格処分を受けた。そのあと、鈴の理不尽な騒ぎに、彼もついに根気が尽き、「具合が悪いなら、とっとと入院しろ!」と怒鳴りつけた。そもそも今回の一件だって、全部、私の前で勝ち誇るために仕組んだ騒ぎだった。ところが、私がすでに退職していると知った途端、鈴は一気にテンションを失った。一方の颯太も焦り始める。私が部隊に戻ったと知ったときから、彼の中に鈴をなだめる余裕は、もうどこにも残っていなかった。彼はあちこちに電話をかけて私の行き先を探ろうとしたが、もちろん何の成果も得られない。法的には、彼は元々私と何の関係もない他人なのだ。そのあいだも鈴は毎日のように、彼の耳元で私の悪口を囁き続けた。颯太が家に帰るたび、散らかり放題の部屋を片づけるところから始めなければならず、そのうえ鈴の機嫌に合わせて食事まで作らされる。いつの間にか、生活のスパイスのつもりだった関係は色を失い、颯太も、とにかく彼女を追い出したい一心になっていた。二人の口論はどんどん増え、鈴は癖のように果物ナイフを持ち出して脅すようになり、ついには本当に自分を傷つけて入院することになった。颯太は数時間ごとに病院へ向かい、彼女の感情をなだめ続け、職場でも次第に肩身が狭くなっていった。積み上がった不満の行き場はなく、最後には家中の彼女の荷物をすべて外へ放り出した。どうやら、手に入らないものほど人の心はざわつくらしい。今になって、颯太は私のことを恋しがり始める。【亜衣、全部俺が悪かった。もう二度と鈴とは関わらないから、もう怒るなよ。早く戻ってきてくれないか?】【本当に会いたいんだ。お前のいない日々はつらくて仕方ない。だって、俺、プロポーズするって約束してただろ?どうして何も言わずにいきなりいなくなるんだよ?】【今どこの部隊にい
隊長は最初、私がまだ颯太のことを引きずっていて、この部隊で落ち着いて過ごせないのではないかと心配していた。当時、特殊部隊を退いたのも、本当は彼に安心できる将来を与えたいためだった。今になってあの頃を振り返ると、胸に残るのはただ、尽きることのない屈辱だけだ。「隊長、どうかご安心ください。私はもう、あの男とは一切関わりを持つつもりはありません」一通り事情を話し終えると、隊長も何度も悔しそうにため息をついた。「まあ、それでいい。お前は最初から、自分の世界で思いきり輝くべきだ」部隊では、私の復隊を祝って小さな懇親会が開かれた。隊長は、かつて私が任務で挙げてきた戦果の数々を皆に紹介する。年月を経ても色あせない勲章の輝きが、もう一度、私の中の「この国のために戦いたい」という気持ちを強く揺り起こした。女性隊員たちが列をつくり、私に敬礼をしてくる。このような光景を前にして、私は初めて知った。私が現実と折り合いをつけようともがいていたあいだも、知らないところで多くの後輩たちが、私の軌跡を手本としてくれていたのだ。力強い軍歌が鳴り響いた瞬間、私は思わず目頭が熱くなった。当時、私はすでに中佐にまで昇進していた。けれど颯太は、私との遠距離恋愛を嫌がり、何より「女の身でこんな危険な現場を這い回る」ことを受け入れようとしなかった。彼は何度も泣きながら、「普通の生活に戻ってほしい。じゃないと、いつか本当にお前を失ってしまいそうで、怖い」と訴えてきた。あの対テロ作戦のとき、一発の銃弾が心臓から三ミリずれていなければ、私はもうこの世にいなかった。意識を取り戻したとき、そばらにいた颯太の目は泣き腫らして真っ赤だった。あの瞬間には、この人と平凡な人生を歩むのも悪くない、そう思ってしまった。けれど、私が何度も何度も妥協した結果、返ってきたのは男の裏切りだけだ。颯太は私のこと一度手に入れてしまえば、あとはもう大事にしようともしない。挙げ句の果てに、「部隊にいる連中だって本当は普通の人間なんだから、現実では俺の言うこと聞けよ」などと、平気で言い放つようになった。こうして再び敬礼を返した今、私はあらためて、自分の肩に重い責任がのしかかっているのを感じた。そのあと、隊長の合図で、特殊部隊の男性将校が前に進み出て、私と握手を交わ