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第8話

作者: 小川
「もう、いい加減にしてくれ。二人とも、好きなんだから」

翔太は困ったように眉間を押さえる。

「だめよ!どっちが一番好きか、はっきりさせて」

美優はしつこく食い下がった。

翔太は仕方なく首を振り、「分かったよ。お前が一番好きだ。これで満足か?」と言った。

それを聞いた美優は、満足げに翔太に抱きついてキスをすると、さらに甘えた声を出した。「それなら、私が一番だって証明してよ」

「どうやって証明しろって言うんだ?」

美優は菜々子を一瞥し、ナイフを翔太の手に握らせる。「菜々子を、あなたの手で刺して。そしたら信じてあげる」

菜々子は、その言葉を聞いて、馬鹿馬鹿しいと思った。

確かに翔太は美優と浮気をしたけれど、それでも、彼の心のどこかには、まだ自分への愛情が少しは残っているはずだと信じていたから。

しかし、次の瞬間。菜々子の胸に、突然鋭い痛みが走った。

菜々子は、信じられない思いで顔を上げる。

そこには、申し訳なさそうな顔で菜々子を見つめる翔太がいた。「菜々子、少しだけ我慢してくれ。俺は美優を安心させてやらなくちゃいけないんだ」

菜々子は目を見開いた。それが驚きのせいなのか、痛みのせいなのか、自分でも分からなかった。

安心……

美優を安心させるためだけに、翔太は本当に自分を刺したのだった。

再び目を開けるとそこは病院で、蛍光灯の光が目に染み、菜々子は顔をしかめた。

「菜々子、美優は俺の嫁さんなんだ。それに、お前をここに連れ戻したことで、彼女を傷つけてしまった」

翔太は菜々子のそばに座ると、その目元を優しく撫でた。

「だから、さっきのは美優への埋め合わせだと思ってくれ」

とっくに翔太への愛情など消え失せていたはずなのに、その言葉を聞いた瞬間、菜々子の心は氷水に浸されたように冷たく、そして痛んだ。

彼女は顔を背け、翔太の手を避ける。

「菜々子、怒るなって」

翔太は無理やり菜々子の顔を自分の方に向けさせ、優しく言い聞かせた。「退院したら、埋め合わせはなんだってしてやるから」

その言葉を聞いた途端、菜々子の心臓がどくんと波打つ。

翔太に会社の株を譲らせる方法を閃いた。

菜々子は顔を上げて翔太を見つめる。「月見ヶ丘の別荘が欲しい」

翔太は、それを聞いて満足げに微笑んだ。「ああ、問題ないさ」

そう言いながら翔太は再び菜々子の頬をつまむ。「別荘をやるから、もう俺に怒るなよ。それに、美優のことも恨むんじゃないぞ」

その言葉に、菜々子は目を伏せ、冷ややかに笑った。

翔太の気が変わらないうちに、と菜々子は痛みをこらえて退院し、その日のうちに翔太をせかして月見ヶ丘の別荘を見に行った。

そして売買契約を結ぶ時、こっそりと株式譲渡の契約書を購入契約の書類に紛れ込ませた。

翔太がそれにサインするのを目の前で確認し、菜々子はついに満足げに微笑んだ。

これで、もうこの男の機嫌を取るために芝居を続ける必要はない。

そして、迎えに来てもらおうと渚に電話をかけるため、人気のない場所に移動した時、数人の話し声が聞こえてきた。

「翔太、お前もたいしたもんだな。菜々子さんをすっかりお前の女にしちまって。

さっき、お前が契約書にサインしている時のじっとみてた顔。完全に愛人そのものだったぞ。

家柄っていうフィルターを外せば、彼女もたいしたことないんだな!」

その言葉に、周りからどっと笑い声が上がる。

菜々子の心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。

声のする方へ近づくと、ドアの隙間からオフィスの中にいる翔太の姿が見えた。彼はタバコを指に挟んで軽く笑っている。「菜々子は頑固でさ。昔、美優の存在を知られた時、どうしても離婚するって聞かなかったんだ。

けど、お前らも知っての通り、俺は菜々子を愛してるから別れるなんてできるわけがない。だから仕方なく……」

翔太は仕方がないといった風に首を振った。「あの事故を起こして、菜々子を世間から隠すしかなかったんだ。

でも、まさか記憶喪失になるとはな。まあ、結果的には好都合で手間が省けた」

その瞬間、菜々子の頭の中で何かが爆発した。キーンという鋭い耳鳴りだけが、頭の中に響き渡っている。

あの交通事故は、ただの偶然だと思っていた。だから、翔太につけこむ隙を与えてしまった。

まさか、すべては翔太が仕組んだことだったなんて。

自分を死んだことにして、美優にすべてを奪わせるために。

「あ、そうだ。3日後の俺の誕生日パーティーで、改めて菜々子をみんなに紹介するつもりだからさ」

翔太は仲間たちに釘を刺す。「お前ら、ヘマして菜々子に勘付かれたりするなよ」

「心配すんなって!俺たちがそんなことするわけないだろ。でもさ……」

仲間の一人がからかうように笑った。「彼女のことはなんて呼べばいいんだ?奥さんって呼ぶわけにもいかないだろ?」

「そんなのだめに決まってるじゃないか」

翔太はタバコの火をもみ消す。「俺の嫁は、美優なんだからさ。

これは全部、菜々子が自分で招いたことだ。もしあいつがあの時、美優を受け入れていれば、こんなことにはならなかったんだから」

そして口の端を上げながら、翔太はさも当然かのように言った。「俺の嫁でいたくないって言うなら、愛人になるしかないだろ?

菜々子は俺の愛人……ふん、結構しっくりくるな」

その言葉は、ナイフのように鋭く菜々子の心をえぐった。

菜々子は唇を震わせながら、スマホの録画を停止した。ゆっくりと振り返ったその瞳には、燃え盛るような憎しみが渦巻いている。

菜々子は、考えを変えた。

今ここで翔太と対決したって、面白くない。

それに、彼の誕生日パーティーには、きっと各界の名士が大勢集まるはずだ。

これほど自分を陥れてくれたんだ。こちらも、とびっきりのプレゼントを用意してあげないと。

3日後、翔太が人生の絶頂にいるその瞬間に、地獄の底へ突き落としてやる。

しかし、菜々子がその場を立ち去ろうとした、その時だった。いつのまにか現れた美優が、大声で叫んだ。「菜々子!あなた、こんなところでこそこそ何してるの?」

その声に、オフィスの中の談笑がぴたりと止まる。

息が詰まるような沈黙の後、翔太が勢いよくドアを開けた。

翔太は菜々子が浮かべた、一瞬の慌てふためいた表情を見逃さなかった。凍えるように冷たい声で、鋭く彼女を見つめる。「菜々子、さっきの話、全部聞いていたのか?」
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