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聞こえない彼へ、最後のさようなら

聞こえない彼へ、最後のさようなら

作家:  マリモ完了
言語: Japanese
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概要

逆転

ひいき/自己中

後悔

スカッと

付き合っている彼・笹沢幸明(ささざわ こうめい)は耳が不自由で、私・元西美玲(もとにし みれい)の話をよく聞き漏らしてしまう。 スキンケアセットを買ってきてと頼んだら、彼は二セットも抱えて帰ってきた。 「また聞き間違えちゃった。余った方はマリアにあげよう」 あずきのたい焼きを買ってきてと言ったのに、彼が買ってきたのはカスタードのたい焼きだった。 「聞き間違えちゃった。カスタードはマリアの好物だから、あいつに譲ろう」 心を込めて新居の内装デザインを練り上げ、彼に南エリアで新居を買ってもらうよう頼んだ。 ところが、予定の入居日に、彼が車を走らせて向かったのは北エリアだった。 道中、私が一言も口をきかないことに気づいた彼は、いつものようにまた謝ってきた。 「本当にうまく聞き取れなかったんだ。君が北エリアの景色を気に入ってると思い込んで、深く考えずに買っちゃってさ」 だけど、私には分かっている。彼の幼馴染である漁田マリア(いさりだ まりあ)が勤める会社が、このすぐ近くにあるということを。 彼は聞き取れなかったんじゃない。ただ、最初から聞く気がなかっただけだ。 その瞬間、私の中で何かがぷつりと切れ、肩の力がすっと抜けていくのを感じた。そして、ひどく冷静な声で告げた。 「幸明、私たち、終わりにしよう」

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第1話

第1話

付き合っている彼・笹沢幸明(ささざわ こうめい)は耳が不自由で、私・元西美玲(もとにし みれい)の話をよく聞き漏らしてしまう。

スキンケアセットを買ってきてと頼んだら、彼は二セットも抱えて帰ってきた。

「また聞き間違えちゃった。余った方はマリアにあげよう」

あずきのたい焼きを買ってきてと言ったのに、彼が買ってきたのはカスタードのたい焼きだった。

「聞き間違えちゃった。カスタードはマリアの好物だから、あいつに譲ろう」

心を込めて新居の内装デザインを練り上げ、彼に南エリアで新居を買ってもらうよう頼んだ。

ところが、予定の入居日に、彼が車を走らせて向かったのは北エリアだった。

道中、私が一言も口をきかないことに気づいた彼は、いつものようにまた謝ってきた。

「本当にうまく聞き取れなかったんだ。君が北エリアの景色を気に入ってると思い込んで、深く考えずに買っちゃってさ」

だけど、私には分かっている。彼の幼馴染である漁田マリア(いさりだ まりあ)が勤める会社が、このすぐ近くにあるということを。

彼は聞き取れなかったんじゃない。ただ、最初から聞く気がなかっただけだ。

その瞬間、私の中で何かがぷつりと切れ、肩の力がすっと抜けていくのを感じた。そして、ひどく冷静な声で告げた。

「幸明、私たち、終わりにしよう」

幸明は困ったような表情で顔を上げ、思わず耳元の補聴器に手を触れた。

「今、なんて言ったんだ?よく聞こえなかった」

いつだって私の言葉をまともに聞きやしないのは、どうせ私が根気強く言い直してくれると高を括っているからだ。

けれど、もう何度も繰り返すつもりはない。

「なんでもないわ」

私はできるだけ穏やかに声を絞り出した。

「この家は売却して。南エリアに家を買うと言ったの。あっちじゃなきゃ嫌よ」

その途端、彼の顔からさっと血の気が引き、不機嫌そうに表情を曇らせた。

「家なんてものは、洋服みたいに簡単に買い換えられるわけないだろう。内装のデザインをしたのは君で、その工事には僕が毎日立ち会って仕上げたんだぞ。それを、売却してって一言で片付けるのか?

いい加減、わがままはやめてくれ」

空気がぴりぴりと張り詰める中、カチャリと玄関の鍵が開く音が響いた。

マリアはまるで自分の家にでも戻るかのように指紋認証でドアを開けて入ってきて、私たち三人は顔を見合わせた。

私と幸明が言い争っている雰囲気を察すると、彼女はぎゅっと唇を噛み締め、顔を真っ赤に染めた。

「美玲さん、幸明のことを分かってあげてください。耳が不自由なのは、わざと聞き間違えたわけじゃないんですから。

二人の機嫌を直すために、手料理を振る舞いますね!」

彼女は手慣れた手つきで野菜を洗い、下ごしらえをしてからフライパンに火をつけた。

その様子は、あまりにも我が物顔だ。

幸明は台所で忙しなく動く彼女の姿を、愛おしそうに見つめている。

そして、いつものように手伝いに入り、二人の間には息の合った温かな空気が流れている。

でも、二人は忘れているのだろうか。ここは、私と幸明の新居になるはずの場所だというのに。

その場を立ち去ろうとした時、幸明が小走りで近づき、私の腕を掴んだ。

「マリアがせっかく美玲のために引っ越し祝いのご馳走を作ってくれてるのに、そんなに膨れっ面をするなんて、いくら何でも子供っぽすぎるぞ」

――本当に私のための祝いなのだろうか。

実際のところ、家に入った瞬間から気づいていた。内装が私のデザインとはまったく異なっていることに。

本来なら親戚や友人を迎えるためのゲストルームが、主寝室の倍以上の広さになっていた。

それだけでなく、無理にゲストルームを広げたせいで、私がこだわって作ったファミリークローゼットは、小さな物置部屋のように押し込められていた。

壁に貼られたタイルさえ、私が最初にきっぱりと断ったはずの磨きタイルになっていた。

何から何まで、すべてマリアの好みに合わせて作り変えられていたのは明白だ。

私は淡々と言った。

「二人で食べて」

言い捨ててドアを開けようとした私を、マリアが先回りして遮った。

その顔には、いかにも被害者のような、哀れみを誘う表情が浮かんでいる。

「美玲さんがどうして怒っているのかは分からないけれど……

責めるなら、私を責めてください。幸明は耳が不自由だから、大きな声を出されると耐えられないんです。お願いですから、彼を労ってあげてください」

爪が手のひらに深く食い込み、鋭い痛みが走った。

彼女が幸明に向かって激しく当たり散らす姿を、私は何度も目にしてきた。

かつて、彼の何よりも大切な補聴器を平手打ちで叩き落としたことさえあった。

それでも彼は慌てて補聴器を拾い上げ、「今なんて言ったんだ?」と、もっと罵ってほしいかのように彼女に縋りついていた。

彼女の言葉を、一言たりとも聞き漏らしたくないと言わんばかりに。

それなのに、私と言い争う時には、彼は決まって補聴器を無造作に外してしまう。

私が取り乱して狂ったように叫ぶのを、ただ冷ややかに見つめるために。

だけど、もう二度と、私が取り乱すことはない。

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レビュー

松坂 美枝
松坂 美枝
ここで終わるのか しつこそうだが頑張ってくれ コレと結婚したら地獄行き間違いなかったから逃げて良かった
2026-07-15 09:22:22
7
0
kyanos
kyanos
ざまぁ感はやや薄いけど主人公の毅然とした態度にはスカッとした。 こんな男捨てて当然。
2026-07-16 03:39:39
4
0
りぃりん
りぃりん
んー聞こえないのはわかってて付き合ってるんだよね?何回も聞き間違えてるのわかってるなら、やり方変えなよ?文にしても、間違えるなら、それは意図的でしょ。聞き間違えるのは、耳が悪くなくても、日頃でもあるよ笑耳が悪いとわかってるなら、尚更、きちんとした形で伝えればいい話。この男は論外だけどさ。少し読んだだけで、このバカな主人公に苛立ち、先がよめてしまったので、もぅ読むのやめました。
2026-07-18 19:21:11
0
0
ノンスケ
ノンスケ
まぁ身勝手な難聴だね。都合のいい時だけ聞こえて、自分の聞きたくないことは聞こえないんだ。だから自分勝手な人間になれるんだね。
2026-07-15 19:26:42
2
0
8 チャプター
第1話
付き合っている彼・笹沢幸明(ささざわ こうめい)は耳が不自由で、私・元西美玲(もとにし みれい)の話をよく聞き漏らしてしまう。スキンケアセットを買ってきてと頼んだら、彼は二セットも抱えて帰ってきた。「また聞き間違えちゃった。余った方はマリアにあげよう」あずきのたい焼きを買ってきてと言ったのに、彼が買ってきたのはカスタードのたい焼きだった。「聞き間違えちゃった。カスタードはマリアの好物だから、あいつに譲ろう」心を込めて新居の内装デザインを練り上げ、彼に南エリアで新居を買ってもらうよう頼んだ。ところが、予定の入居日に、彼が車を走らせて向かったのは北エリアだった。道中、私が一言も口をきかないことに気づいた彼は、いつものようにまた謝ってきた。「本当にうまく聞き取れなかったんだ。君が北エリアの景色を気に入ってると思い込んで、深く考えずに買っちゃってさ」だけど、私には分かっている。彼の幼馴染である漁田マリア(いさりだ まりあ)が勤める会社が、このすぐ近くにあるということを。彼は聞き取れなかったんじゃない。ただ、最初から聞く気がなかっただけだ。その瞬間、私の中で何かがぷつりと切れ、肩の力がすっと抜けていくのを感じた。そして、ひどく冷静な声で告げた。「幸明、私たち、終わりにしよう」幸明は困ったような表情で顔を上げ、思わず耳元の補聴器に手を触れた。「今、なんて言ったんだ?よく聞こえなかった」いつだって私の言葉をまともに聞きやしないのは、どうせ私が根気強く言い直してくれると高を括っているからだ。けれど、もう何度も繰り返すつもりはない。「なんでもないわ」私はできるだけ穏やかに声を絞り出した。「この家は売却して。南エリアに家を買うと言ったの。あっちじゃなきゃ嫌よ」その途端、彼の顔からさっと血の気が引き、不機嫌そうに表情を曇らせた。「家なんてものは、洋服みたいに簡単に買い換えられるわけないだろう。内装のデザインをしたのは君で、その工事には僕が毎日立ち会って仕上げたんだぞ。それを、売却してって一言で片付けるのか?いい加減、わがままはやめてくれ」空気がぴりぴりと張り詰める中、カチャリと玄関の鍵が開く音が響いた。マリアはまるで自分の家にでも戻るかのように指紋認証でドアを開けて入ってきて、私たち三人は顔を
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第2話
「食べたくないなら放っておけ。行かせればいい」幸明のひどく苛立った声が響き渡った。稲光が走り、雷鳴が轟く外の景色に目をやりながら、彼は鼻で笑った。その冷笑が、私の胸に深く突き刺さった。「後から雷が怖いなんて、泣きついてくるな」継父・元西広道(もとにし ひろみち)から激しい暴力を振るわれていた頃、私はよく大雨の中に放り出され、意識を失うまで放置された。それ以来、雷が恐ろしくてたまらなくなり、幸明はどんな嵐の夜でも、必ず私の傍に寄り添ってくれていた。私の最大のトラウマを知り尽くしているはずの彼が、今は腹いせに私を玄関へと押し出している。「きゃっ!」というマリアの悲鳴で、私は我に返った。幸明は瞬時に彼女を引き寄せ、優しい声でなだめた。「大丈夫、僕がここにいる。残りの料理は僕がやるから、君は休んでてくれ」目の前の光景が、かつての私たちの姿と重なって見えた。私は背を向けてドアを押し開け、ためらうことなく激しい雨の中へと飛び出し、急いでタクシーを拾った。その夜、40度近い高熱を出して倒れた。マリアのSNSには、豪華な料理が並んだテーブルの写真が投稿されていた。【新しいお家に、私だけの部屋ができちゃった!しかも主寝室より広いの。彼が作ってくれたお祝いのご馳走は、いつもよりずっと美味しかったわ!】だけど、幸明は油の匂いや煙を嫌い、生涯台所に立たないと誓っていたはずだ。そんな彼のこだわりさえ、マリアはあっさりと打ち砕いてみせたのだ。ぼんやりとした意識の中で、私は連絡先のリストの一番下に埋もれていた電話番号を見つけ出した。「いつでも戻ってこいって言ってくださったあの言葉、今も信じてよろしいでしょうか?」相手から熱のこもった快諾の返事を受け取ると、解熱剤を口に含み、泥のように深い眠りに落ちた。翌朝、けたたましく鳴り響く電話の音で目を覚ました。「美玲、君って本当にマナーが悪いんだな。笹沢家の会食に来るって約束しておきながら、一族みんなが君一人を待たせるつもりなのか?」頭が割れるように痛い。「熱があって……」「言い訳はいいから、さっさと来い。みんなをこれ以上待たせないでくれ」私はふらつく体を引きずりながら幸明の実家へと向かったが、そこに広がる光景に目を疑った。幸明の隣にはマリアが座っているのだ
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第3話
もともと住んでいた家に戻り、荷造りを始めた。そこへ帰宅した幸明は私の様子を見て、新婚旅行の支度をしているのだと勘違いしたらしい。「ずいぶん早いな。気が早すぎない?それに、新婚旅行で南極に行くのに、なぜ夏服を引っ張り出してるんだ?凍え死ぬつもりか?」私は思考が止まった。ずっと昔、結婚したらハワイへ行こうと約束していた。そこは、私たちが初めて出会った思い出の場所だったから。彼は私の額に口づけをしてから囁いた。「何度同じ場所を訪れても、隣にいる君だけは変わらない」だから三日前、彼に航空券の手配を頼んでおいた。私は思わず口に出してしまった。「ハワイじゃなかったの?」幸明はひどく苛立ちながら、二枚のツアー予約確認書を取り出した。そこには確かに、南極行きの文字が印字されている。すると次の瞬間、彼のポケットからもう一枚、同じ日付で同じ目的地の確認書が滑り落ちた。彼は一瞬たじろぎ、ぎこちなく言い訳を並べ立てた。「ああ、また聞き間違えたみたいだ。君が南極に行きたがってると思い込んでさ。決済する時に誤って操作して、もう一人分を予約しちゃったんだ」だけどその確認書には、はっきりとマリアの名前が記されている。そこでふと思い出した。三日前、マリアがSNSに南極のオーロラの映像をいくつも共有していたことを。【誰かオーロラを見に連れて行ってくれないかな。ここでこっそりお願いしちゃおう】どうやら幸明は、彼女の願いを叶えてあげる健気なヒーローになったらしい。私の声は初めから彼の耳に届いておらず、私の存在そのものが、彼の心を満たすことはなかったのだ。ぐっと顔を上げ、溢れそうな涙を瞳の奥に押し込めた。「私の分の予約はキャンセルして」私の言葉に、幸明はついに堪忍袋の緒を切らした。「旅行なんて、どこへ行ったって大差ないだろう。それに、人数が多い方が何かと心強いじゃないか。どうしてそうやっていちいち突っかかるんだ?本当に、最近の君は面倒くさすぎる」私は顔を上げ、彼の瞳をじっと見つめ返した。そんな冷酷な言葉が、彼の口から飛び出すなんて信じたくない。広道のひどい支配から逃れた直後、私はしばらくの間、深い心の病に苦しんでいた。当時の私はどれだけ感情を爆発させ、涙を流しても、幸明は一切見返りを求めず、いつで
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第4話
リビングは親戚や友人たちでいっぱいで、皆がグラスを片手に楽しそうに話している。ヨレヨレのパジャマ姿の私を見るなり、幸明は不快そうに眉をひそめた。「今日の結婚式のリハーサルを忘れたのか?うちの両親もとっくに来てるんだぞ。それなのに、そんな格好で降りてくるなんてどういうつもりだ?」周囲からの蔑みや嘲笑を含んだ視線が、一斉に私へと突き刺さった。誰もが口を揃えて、幸明がなぜこんな身分の低い女と結婚するのかと、冷ややかな目を向けているようだ。面目を潰された幸明は、忌々しそうに手を振った。「ちゃんとしたドレスに着替えてこい。まるで笹沢家が君を虐げてるみたいに見えるじゃないか」一方のマリアは、まるで本物の花嫁であるかのように、ウェディングドレス風の衣装を身にまとっている。私が幸明の横柄な態度を無視し、親族が集まっているこの場で婚約破棄を言い渡そうとしたその時。マリアが軽やかな足取りで近づいてきて、私の腕を引いて一人の男の前へと連れて行った。「こんなおめでたい日ですから、特別にお父さんもお呼びして賑やかにしました。美玲さん、お節介だったなんて怒らないでくださいね」顔を上げた瞬間、私の心臓の鼓動がぴたりと止まった。そこに立っているのは、かつて私の目の前で母を無惨に殴り殺した広道だ。彼の声が、まるで悪魔の囁きのように耳元で響いた。「美玲ちゃん、結婚なんて大層な祝い事があるなら、どうして声をかけてくれなかったんだ?父親として、祝いに駆けつけてやったぞ」その瞬間、凄まじい恐怖と激しい憎悪が私の全身を駆け巡った。マリアが突然顔を近づけ、興奮を隠しきれない様子で耳元に囁いてきた。「この男はお母さんを殴り殺し、その死体もまだ見つかっていないでしょう?あらあら、そんな過去がありながら、よくもまあ平気な顔をして結婚なんてしようとしていますね。それに、人生の晴れ舞台に家族がいないなんて寂しいでしょう?ねぇ?」夜な夜な悪夢に現れて私を苛むその悪魔を前に、視界は怒りで真っ赤に染まった。「どうしてそれを知ってるの?」私の声はガタガタと震え、表情は狂気に満ちているに違いない。マリアは、何も事情を知らない幸明の方へと視線を向けた。「前にね、彼が私を泣かせちゃった時、私をあやすための笑い話として聞かせてくれました。あら、美
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第5話
「なんだと?」幸明の額に青筋が浮かび、思わず拳が強く握りしめられた。式場の責任者はようやく息を整え、申し訳なさそうに頭を下げた。「最近は挙式シーズンで立て込んでおり、すっかり失念しておりました。しかし、新郎である笹沢様がご存じないはずは……」幸明はその場に立ち尽くした。傍らにいる友人たちは一瞬だけ気まずそうに顔を見合わせたが、すぐに場を取り繕うように口を開き始めた。「きっと美玲さんのちょっとした悪戯だ。あんなに結婚を心待ちにしてたんだからさ」「そうだ、そうだ。これまでの美玲ちゃんにとって、お前は唯一の救世主だったじゃないか。あんなにベタ惚れだったんだから、本当に式を取りやめるなんてあり得ないって」「もしかして寝坊でもしたんじゃないか?それか、この前のことでまだ拗ねてるとか。直接家に行って様子を見たほうがいいと思う」幸明はようやく我に返った。「ああ、あいつのわがままな性格なら、そんな突拍子もないことをやりかねないな」口ではそう自分を慰めているものの、その胸の奥には言い知れぬ不安が渦巻いている。家へと車を走らせる道中、彼は何度も美玲に電話をかけ続けている。しかし、返ってくるのは決まって冷淡なアナウンス音声だけだ。「おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため、繋がりません……」彼は苛立ちのままメッセージを打ち込んだ。【いい加減にしろ。わがままを言っていい時と悪い時がある。今日は僕たちの結婚式なんだぞ。早く電話に出ろ。これ以上みんなを困らせるな】式場はすでに大混乱に陥っていた。幸明のスマホには、佳子からひっきりなしに着信が入る。「だから育ちの悪い小娘と結婚すべきじゃないと言ったのよ!見なさい、こんな大切な日にとんでもない態度をとって!」幸明の胸の中の苛立ちは限界に達していた。「母さん、お客さんたちはそっちで宥めておいてくれ。今、家に向かってるところだから、絶対に連れ戻してくる」家に到着すると、幸明と友人たちは手分けして美玲の姿を探し回った。再び顔を合わせたものの、皆は一様に首を横に振るばかりだ。「物置部屋まで探したけれど、どこにもいなかった」そして、幸明が寝室のドアを押し開けた瞬間、その場で凍りついた。かつては二人の温もりに満ちていた部屋
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第6話
「こ……幸明?」マリアは勢いよく立ち上がり、その顔から血の気が一瞬にして失せた。彼女は必死に話題を逸らそうとした。「どうして急にここへ?もしかして、美玲さんが戻ってきたんですか?」幸明は鬼気迫る表情のまま、一歩また一歩と彼女に向かって歩み寄った。「今、なんて言ったんだ?君がお金を払って、あの男に美玲を脅させたのか?」マリアは恐怖に震えながら後ずさりし、震える声で言い訳をした。「私はただ、美玲さんのお父さんと話が弾んだだけで……ちょっとした悪ふざけよ。他に何も思ってないの!」広道も慌てて首を縦に振った。「そうだ、幸明くん。俺はもうすっかり心を入れ替えたんだ。娘の門出を祝うために来ただけなんだ」だが、二人が交わしていた生々しい会話と現金のやり取りは、幸明の耳にも目にも焼き付いていた。彼は目の前の女を睨みつけ、自分の目を疑った。幼い頃から妹のように慈しみ、可愛がってきた女の子が、これほどまでの悪意を胸に秘めているとは。「マリア、君はこの男がすっかり改心したと言ったから、僕は式への招待を許したんだぞ。よくも騙してくれたな!二人が最初からぐるだったと知っていれば、どんなことがあっても、こんなクズを美玲の前に近づけさせたりしなかった!」幸明は痛いほどよく知っていた。美玲がかつて広道の手によって、どれほど悲惨な苦しみを味わわされてきたかを。そして、どれほど広道を憎んでいたかも。最初にマリアから、二人の過去のわだかまりを解くべきだと提案された時、彼もためらった。だが、美玲が一日も早く過去の呪縛から解き放たれ、前を向いて歩み出せるようにという願いもあった。だからこそ、その提案を受け入れたというのに。幸明は激しい怒りの眼差しを広道へと向けた。「よくもあんなに幼かった女の子に対して、あれほど残酷な真似ができたな。暴力を振るい、挙げ句の果てには母親までも奪い去った」言葉を紡ぐうちに、幸明の目元がじわじわと赤く染まっていった。「どこまでも本性が腐りきってるなら、僕が美玲の代わりに決着をつけてやる」そう告げると、彼はためらうことなくスマホを取り出し、警察に通報した。広道は慌てて床に膝をつき、必死に許しを請うた。「警察だけは勘弁してくれ!俺が悪かった。本当に反省してる!今すぐ美玲ちゃん
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第7話
結婚式が迫る数時間前から、私のスマホにはひっきりなしに着信が入っていた。けれどそのすべてを冷淡に拒絶し、最後には番号を一つ残らず着信拒否リストに放り込んだ。幸明からもしつこくメッセージが届き続けていた。今どこにいるのか、なぜ一向に姿を現さないのか、と。だが、彼には知る由もない。私がすでに式場を解約したことなど。誰からも祝福されず、大切にもされない結婚式など、ただの笑い話に過ぎない。ならば、未練なく綺麗さっぱり終わらせ、お互いに貸し借りなしにする方がよほどマシだ。新しい職場に入社してからは、とにかく新しい環境に馴染むことに全神経を注いだ。数日後、幸明の友人たちが別の番号から私に電話をかけてきた。うっかり通話ボタンを押してしまった。「幸明が美玲さんを捜して、完全に理性を失いかけてるんだ。頼むから戻ってきてくれ。彼は今、高熱を出して寝込んでるし、佳子さんも心労で入院してしまった。君が今戻れば、佳子さんと仲直りする絶好のチャンスになるじゃないか」電話の向こうから、別の男の相槌の声が重なって聞こえた。「そうだ、そうだ。元西広道はすでに警察に拘束されたし、お母さんの事件も再捜査が決まったんだ。幸明が裏で相当骨を折ってくれたんだぞ」……スピーカーから流れる、恩着せがましくもしつこい説得の言葉に、ただただ不快感を覚えるばかりだ。「彼に伝えておいて。二度と戻らないって。それに、私は何度も別れを切り出してたわ。ただ、彼の耳にはその言葉が届いてなかっただけ。それがわざとだったのか、それとも本当に聞こえなかったのか、もう私にはどうでもいいことよ。それじゃ、切るわ」それだけを言い残し、相手の言葉を待たずに通話を切った。窓の外を流れる、絶え間ない車の列を眺めていると、ふと幸明が初めて補聴器を失くした日の記憶が蘇った。「美玲、美玲……」彼は人混みの中で私の手を引き、ちぎれんばかりに強く握りしめ、怯えた瞳で私を見つめていた。その目には、今にも溢れそうな涙がたまっていた。あの日、心に誓った。今度は私が彼の盾となり、彼を守り抜こうと。かつて彼が私を救ってくれたように。彼の脆さ、そして誰よりも繊細な本質を深く理解していたから。だけど、私たちの絆を先に手放したのは、他ならぬ彼の方だ。その日の夜、
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第8話
幸明は一瞬呆然とした後、重い足取りで私の方へと近づいてきた。「美玲……」我が身を守るように一歩後退し、私は感情を一切込めない瞳で彼を見据えた。「ここに何の用?ご家族からは、ひどい病状だと伺ってたけれど」彼は息を呑み、まるで鋭利な刃物で胸を抉られたかのような表情を浮かべた。「僕が病気だと知ってて、それでも一度も様子を見に来てくれなかったのか?僕の存在は、君にとってその程度のものに成り下がってしまったのか?」彼にとって、それは到底受け入れがたい現実なのだろう。かつての私であれば、誰よりも早く薬を買いに走り、一晩中彼の枕元に付き添って看病していたはずなのだから。だが今の私にとって、彼の生死はどうでもいいことだ。口元に冷ややかな歪んだ笑みを浮かべた。「私たちはもう別れたのよ。あなたの看病をする理由なんて、これっぽっちもないわ」次の瞬間、幸明は私の肩を強く掴み、その瞳は悔しさに満ちている。「勝手に別れを決めるなんて、君にはそんな資格がない!僕は別れを認めた覚えはないし、これから先も絶対に認めない!」その必死な形相は、まるで本当に私を深く愛しているかのように錯覚させる。だが、彼の演技力を身を以て知る私は、二度と同じ轍を踏まない。私はひどく煩わしそうにその手を振り払い、小さく自嘲気味に息を漏らした。「勝手に言っていればいいわ。でも、よりを戻すなんて絶対にありえない」「だから君は僕たちの思い出を、こうしてお金に換えるというのか!」彼は突然、狂ったように声を荒げた。彼の乱暴な仕草のせいで、手元にあった原稿が床へとバラバラと散らばった。今日の授賞式の後、私のデザイン原稿はオークションにかけられる予定になっていた。こうした場での入賞作は、常に巨額の資金で買い取られるものだ。「それがどうしたの?これは私の作品よ。どう処分しようと、私の自由だわ」幸明は、深い絶望を湛えた瞳で私を見つめた。「これは僕たちの新居のためのデザインだろう。それを、こんなにもあっさりと手放してしまうのか?君がどれほど熱意を注いでくれたか、よく分かってる。僕の体を気遣って、細かいところまで工夫してくれたデザインなんだ。これを他人の手に渡すわけにはいかない!」私はこらえきれず、激しい皮肉を込めて嘲笑った。かつ
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