ログインカケルは、タケルの執務室の前をウロウロしていた。
「おい、いい加減にしろ」
扉が開き、タケルが顔を出す。
カケルは、うつむき加減で部屋に入った。「それで、要件は?」
「し……瀬尾さんのことです」「高坂先生に、担当を代わってもらえと言っただろう?」「昨日も言いましたが、お断りします」「カケル!」強い口調でこちらを睨む兄を、カケルは腹に力を入れて睨み返した。
「患者さんとの信頼ももちろんありますが、瀬尾さんにも、担当医が代わるなら、こちらにはもう来院しないと言われました」
「そこを説得するのが、医師としての誠意だろう?」「ヒート中の姿なんて、本来は非常にプライベートなもので、医者であっても立ち会うなんて有りえません。瀬尾さんは……、色々偶然は重なりましたが、僕を信頼して、そのパーソナルスペースに立ち入る許可をくれているんです。それがいきなり担当医が代わると言われたら、当然マンションに戻ったところで、志郎はぼすんとソファに体を投げ出した。「いや、まいった」「すみません、志郎さん」 後ろをついてきたカケルが、申し訳なさそうにしょんぼりとしている。「カケルくん、全然知らされてなかったの?」「はい……。兄さんは『突然、俺の家に来いと言われても、瀬尾さんが萎縮するだろうから、来慣れてる病院のほうがいいだろう』って、言ったんです」「あ、そう……。さすがに食わせ者だな、きみの兄さん……」 思わず、はぁっとため息が出る。 とはいえ、自分はカケルと番になった。 どちらにせよ、カケルの親族との顔合わせは避けられないのだし、気まずい時間を最短に縮めてくれたタケルには、感謝をすべきなのかもしれない。「ホント……、すみません」 志郎は体を起こすと、傍で床に座り込んでいたカケルの頭を撫でた。「きみは、良い家族に囲まれていて、羨ましいよ」「え……っ? 怒ってないんですか?」「なんで? 挨拶はしなくちゃなんないと思ってたし。どうやってカリフォルニアまで行こうか考えていた」 志郎が促すと、カケルもソファの隣に座り直した。「母さんが、志郎さんのこと気に入ってくれて良かったです」「こんなおっさん見て、喜んでくれると思ってなかった」 志郎は、カケルの肩に頭をあずける。「志郎さん……?」「タケルさんには改めてお礼しなきゃだよなぁ。それに、タケルさんのご家族にも挨拶に行かなきゃ……」「じゃあ僕、それまでにお義姉さんの好物、調べておきますね」 そこで会話が途切れたところで、カケルが変にもじもじしている。「どうしたの?」「あの……、志郎さんは今更こんな話を聞きたくもないかもなんですが&hellip
志郎は、持っている服の中でも一番仕立ての良いスーツを着て、岩崎総合病院の前に立っていた。 休診日にここに来たのは、カケルの「志郎さん、兄さんに会ってください」に〝そそのかされて〟の結果だ。──それでも、親族勢揃いの顔合わせとかじゃないだけ、まだマシか……。 とはいえ、それはむしろ、最初にタケルが値踏みをしてきているとも取れる。 だから一番まともに見える服装でやってきたのだ。「志郎さん! こっちです」 正面玄関ではなく、救急外来の扉から、カケルが手を振った。「これ、お兄さんに渡してくれる? 甘いものが好きなら良いんだけど」「手土産なんて、気を使わなくてもいいのに……。あ、カステラだ! お義姉さんが喜びます」 渡された紙袋の中を見て、カケルは嬉しそうに言った。「カケルくん……、俺、変じゃない?」「すごくかっこいいです。アルマーニですか?」「いや……、個人店舗のフルオーダー。俺の一張羅?」「惚れ直します」「よせよ……」 廊下を歩き、タケルの執務室へと案内される。 扉を開けると、そこにタケルが待っていた。「は……はじめまして、瀬尾志郎と申します」「こんにちは、岩崎尊です」 握手を求められ、志郎は応じたのだが──。 タケルは、その手を握ったまま、深々と頭を下げた。「この度は、愚弟が様々なご迷惑をおかけしまして……」「え……、あの……」 狼狽える志郎は、思わず振り返ったが。 カケルも驚いた顔で首を左右に振っている。「カケルは、不束者でございますが、私にとっては可愛い弟です。今後も至らずにご迷惑をおかけすると思いますが、どうか……
首筋に、カケルの牙の先端が当たったと感じた直後に、それが皮膚を食い破る痛みが続いた。「あ……、あああっ!」 志郎は、カケルの体にぎゅうとしがみつく。 ぶわっと、涙が溢れた。 痛い──のではない。 自分が〝感動〟して泣いていることを、志郎はしばらく理解できなかった。「志郎さん、大丈夫ですか?」「カケルくん……、抱いてくれ!」 言ってから、自分で驚いていた。 抱いてほしいとせがむ言葉も……。 マーキングを求めることも……。 満たされたいと願う気持ちも……。 とうの昔に、自分からは失われたと思っていた。 脳がショートしそうな快感の中、何度タツヤに「噛んで!」と懇願したかわからない。 その度に、うなじに牙をあてがわれ、今度こそはと期待をしても、ペロリと舐められる。「また、今度な……」 タツヤの口元が、ニヤリと笑う。 そして続くセリフも、毎回同じ。「俺だって、本当は番になりたいんだ」 実際、タツヤも〝運命〟を感じていて、マーキングしたい本能はあったのだろうと思う。 だが、番になれば責任も出てくる。 それ以上に不安定な環境に置くことで、志郎への支配を強めたかった打算もあったのだろう。 カケルが、まるで宝物でも扱うように触れてくる指先に、快感以上のなにかを感じて、また涙が出てくる。「志郎さん……、本当に大丈夫ですか? 怖いなら……」「違うんだ、カケルくん。……俺、嬉しくて泣いてるだけだから……、ごめん……」 泣きながら笑った志郎に、カケルは頬を染めて……それから志郎と同じく
相変わらず、周期的にヒートはやってくる。 荒れ狂う本能の波は、小舟のような理性をやすやすと覆し、飲み込み、最後はタツヤを求めて叫び、イキ狂わねば済まない。「あああっ!」 引きちぎらんばかりにシーツを掴んだ瞬間、ぎゅうと体を抱きしめられた。 ふわりと志郎を包む、柔らかな匂い。「カ……ケル……くん?」「はい、僕です」「今日、何日?」「二十二日です」 心の中で日数をかぞえ、それでも二日経っていることに、少しがっかりした。 とはいえ、今までは、理性が途切れて戻るまでに最低でも三日、下手をすると五日は掛かった。 それがカケルの〝フェロモン療法〟を受けてからは、最長で三日に短縮されているのだ。「毎回……、済まない……」「なに言ってるんですか。僕の方こそ、志郎さんが苦しみ抜いているのに、臨床例みたいにしちゃって、申し訳ないんです」 志郎は体を離し、ベッドサイドのペットボトルを手に取ると水を飲んだ。「きみのおかげで、ヒートで死ぬ可能性が下がったんだ。こっちこそ、感謝だよ。最悪の時は、飲まず食わずでオナってて、ヒート明けに体重が六キロ近く減ってて、ちょっとヤバかったからな」「それ、ヤバいってレベルじゃないじゃないですか……」 額に手をあて、志郎はふふっと笑った。「だけどさ……。こんなのいつまでも続かないよな。……ヒートの度にきみを呼びつけて……。この間、トウマにあんな啖呵を切ったけど、実際にもう〝一人じゃやってけないオメガ〟の典型だな……って、あのあと、思って……」 込み上げるものを感じ、志郎は一度言葉を切った。「ごめん……、ヒートで気弱になってる……」
一番奥の席には、まだカケルが座っていた。 志郎は奥から一つ手前の──以前はカケルの定番席だった場所に座り、向かい側をトウマに勧める。 カケルは、店に志郎が戻った時に笑みを向けてきたが、すぐ後ろに連れがいることに気付いたところで、声をかけるのは控えてくれた。「なんで、おまえがここにいるんだよ?」 コーヒーが運ばれてきたところで、志郎はトウマに訊ねた。「親父は、志郎さんに腹を立てていて……。でもお袋は、親戚のおじさんたちと説得して、志郎さんが了承すれば、親父も最後は納得するからって……」「相変わらず、俺の意見は無視か……」「俺は!」 吐き捨てるように言った志郎に向かって、トウマは顔を上げたが。 すぐにもまた、俯いた。「俺は……、志郎さんが好きだし。志郎さんが、俺のパートナーになってくれたら良いと思ってる……けど……。そんな無理に……お袋やおじさんたちとのしらがみで断れなくなって仕方なく……とか、嫌だし……」「それで?」「だから、お袋に俺が自分で志郎さんと話をするからって言って……」 ちらっとトウマを見やって、志郎はコーヒーを一口飲んだ。「俺の住所、伯父さんにもおまえにも、教えてないよな?」「……志郎さんのスマホ見て、最寄り駅調べました……」「そりゃ、犯罪だ」 ははっと、志郎は乾いた笑いをもらす。「でも……、俺、本気なんだよ」「おまえ、大学行ったんだろ? いくらでも可愛い子いただろうが……」「志郎さんみたいに、俺のこと全部わかってくれてる人、いなかったし……」 はあ
先に席を立ち、志郎は自宅へと歩き出す。 帰省から戻ったあと、本家からの連絡は、特に無い。──まぁ、伯父さんの性格から考えると、怒ってんだろうな。 本家のある土地では、子を産み育むことが出来るオメガは、ファースト性が男であっても扱いは女と同列にされる。 子を為せるオメガは、嫁いで子供を生んでこそ幸せ……という、アレだ。 更に伯父の場合は、本家絶対主義もついてくる。 志郎の父が正しいとは言えないが、そうした思想の父や兄から逃げるために放蕩息子になったと言われれば、気持ちはわからなくもない。──本家の跡取りが、嫁き遅れのオメガに求婚したのを断わられた……って格好になったもんな。 伯父の怒りは容易に想像がつくだけに、連絡が来ないのはむしろありがたい。──育ててもらった恩はあるが、親父とお袋の生保で、養育費は足りたはずだ。もう……義理もねぇよな。 蔑ろにされたとは思っていないが、居場所がなかったような気はしている。──まぁ、あすこに長居をする気は、引き取られた時からなかったけど。 そんなことをポツポツ考えながら歩いていると……。「志郎さんっ!」 前から、見知った顔が駆け寄ってくるのが見えた。「トウマ……」 一瞬、即座に踵を返して逃げそうになった。 が、ここで逃げれば、自宅にまで追ってこられるかもしれない。──それはそれで、面倒だ……。 そこまで考えて、志郎は踏みとどまった。「あの……、俺……」 駆け寄ったトウマは、腕を伸ばして志郎の服を掴もうとしたが。 志郎はそれを、さり気なく避けた。「ここじゃなんだから、こっちこい」 志郎は、出たばかりのベルウッドに戻った。