Masukオメガの志郎は、大のアルファ嫌い。運命のつがいと出会い搾取をされた過去がある、アラフォー男。 行きつけのカフェ〝ベルウッド〟で、いつもように憩いの午後を過ごしていたら、隣席にアルファのカケルが座った。 立ち上がるタイミングを逸してしまった志郎は、そこで漫画のように机を倒し、カップのアイスコーヒーを頭から被っているカケルを目撃する。 アルファは嫌いだが、困っている者を放っておけない志郎は、カケルにハンカチを貸した。 だがある日、公園で立ち往生していた志郎は、通りがかったカケルに助けられる。 運命を断ち切り自立を目指す志郎と、鼻が利かないポンコツアルファのカケルの、静かなラブロマンス。
Lihat lebih banyak──あ、このブレンド旨い……。
店長が季節の新作と出してきたブレンドは、あっさりとして酸味が強い。
──アイスがお勧めって言ってたの、分かる。
初夏の暑さを忘れさせる、爽やかさだ。
──少し買っていって、家で淹れるのもいいかもしれない。
そんなことを考えながら、ぽちぽちとスマホの画面をタップしていたのだが……。
「すみません、隣り、失礼します」
ガタガタと音を立てて隣の席に座った男は、背が高く肩幅の広い……見るからに〝アルファ〟と分かる容姿をしていた。
微かに鼻をかすめた〝匂い〟にも、その証拠が滲んでいる。 された挨拶に目礼を返し、志郎は意識的に視線を外した。──もう三十分ぐらいは、ゆっくりしたかったんだが……。
他に席が空いているのに、なぜわざわざ自分の隣に……? とは思ったが。
奥まった人目に触れない場所を選ぶと、必然的にそうなることもなんとなく分かっている。 だが、オメガの志郎はとにかくアルファが苦手だった。──だからって、即座に席を立つのもあからさま過ぎる……か?
変に相手に気を回してしまうのも、悪い癖だな……と逡巡しつつも、そこで立ち上がれない。
スマホの画面を見ているつもりで、集中力は全くなく、読んでいる記事の内容が頭に入ってこなかった。「あっ……」
小さな悲鳴が聞こえた……と思ったら、そこから先はドミノ倒しのように「うわわっ」という声が響き、最後にガシャンと物が落ちる音とともに、志郎の肩にドシンと衝撃が加わった。
「うわっ!」
びっくりして振り返ると、隣の席に座っていたはずの男は床に倒れていて、コーヒーとお冷のグラスによって全身がびしょ濡れになっており、更に机も傾いている。
「だ……大丈夫か……?」
幸いにしてコーヒーもアイスで、彼が火傷をするような事態にはなっていなかったが。
白いシャツにコーヒーの茶色のシミが広がり、綺麗に整えられていた髪はくしゃくしゃである。 志郎は立ち上がり、男に手を貸した。「す……すみません。コーヒーのグラスに手が当たって、抑えようとしたら机の脚に躓いてしまって……」
「そんなマンガみたいなことが、現実にあるんだ……」ポケットから取り出したハンカチを差し出すと、彼はお礼を言いながら立ち上がり──。
マスターが起こしたばかりのテーブルを、もう一度倒した。マンションに戻ったところで、志郎はぼすんとソファに体を投げ出した。「いや、まいった」「すみません、志郎さん」 後ろをついてきたカケルが、申し訳なさそうにしょんぼりとしている。「カケルくん、全然知らされてなかったの?」「はい……。兄さんは『突然、俺の家に来いと言われても、瀬尾さんが萎縮するだろうから、来慣れてる病院のほうがいいだろう』って、言ったんです」「あ、そう……。さすがに食わせ者だな、きみの兄さん……」 思わず、はぁっとため息が出る。 とはいえ、自分はカケルと番になった。 どちらにせよ、カケルの親族との顔合わせは避けられないのだし、気まずい時間を最短に縮めてくれたタケルには、感謝をすべきなのかもしれない。「ホント……、すみません」 志郎は体を起こすと、傍で床に座り込んでいたカケルの頭を撫でた。「きみは、良い家族に囲まれていて、羨ましいよ」「え……っ? 怒ってないんですか?」「なんで? 挨拶はしなくちゃなんないと思ってたし。どうやってカリフォルニアまで行こうか考えていた」 志郎が促すと、カケルもソファの隣に座り直した。「母さんが、志郎さんのこと気に入ってくれて良かったです」「こんなおっさん見て、喜んでくれると思ってなかった」 志郎は、カケルの肩に頭をあずける。「志郎さん……?」「タケルさんには改めてお礼しなきゃだよなぁ。それに、タケルさんのご家族にも挨拶に行かなきゃ……」「じゃあ僕、それまでにお義姉さんの好物、調べておきますね」 そこで会話が途切れたところで、カケルが変にもじもじしている。「どうしたの?」「あの……、志郎さんは今更こんな話を聞きたくもないかもなんですが&hellip
志郎は、持っている服の中でも一番仕立ての良いスーツを着て、岩崎総合病院の前に立っていた。 休診日にここに来たのは、カケルの「志郎さん、兄さんに会ってください」に〝そそのかされて〟の結果だ。──それでも、親族勢揃いの顔合わせとかじゃないだけ、まだマシか……。 とはいえ、それはむしろ、最初にタケルが値踏みをしてきているとも取れる。 だから一番まともに見える服装でやってきたのだ。「志郎さん! こっちです」 正面玄関ではなく、救急外来の扉から、カケルが手を振った。「これ、お兄さんに渡してくれる? 甘いものが好きなら良いんだけど」「手土産なんて、気を使わなくてもいいのに……。あ、カステラだ! お義姉さんが喜びます」 渡された紙袋の中を見て、カケルは嬉しそうに言った。「カケルくん……、俺、変じゃない?」「すごくかっこいいです。アルマーニですか?」「いや……、個人店舗のフルオーダー。俺の一張羅?」「惚れ直します」「よせよ……」 廊下を歩き、タケルの執務室へと案内される。 扉を開けると、そこにタケルが待っていた。「は……はじめまして、瀬尾志郎と申します」「こんにちは、岩崎尊です」 握手を求められ、志郎は応じたのだが──。 タケルは、その手を握ったまま、深々と頭を下げた。「この度は、愚弟が様々なご迷惑をおかけしまして……」「え……、あの……」 狼狽える志郎は、思わず振り返ったが。 カケルも驚いた顔で首を左右に振っている。「カケルは、不束者でございますが、私にとっては可愛い弟です。今後も至らずにご迷惑をおかけすると思いますが、どうか……
首筋に、カケルの牙の先端が当たったと感じた直後に、それが皮膚を食い破る痛みが続いた。「あ……、あああっ!」 志郎は、カケルの体にぎゅうとしがみつく。 ぶわっと、涙が溢れた。 痛い──のではない。 自分が〝感動〟して泣いていることを、志郎はしばらく理解できなかった。「志郎さん、大丈夫ですか?」「カケルくん……、抱いてくれ!」 言ってから、自分で驚いていた。 抱いてほしいとせがむ言葉も……。 マーキングを求めることも……。 満たされたいと願う気持ちも……。 とうの昔に、自分からは失われたと思っていた。 脳がショートしそうな快感の中、何度タツヤに「噛んで!」と懇願したかわからない。 その度に、うなじに牙をあてがわれ、今度こそはと期待をしても、ペロリと舐められる。「また、今度な……」 タツヤの口元が、ニヤリと笑う。 そして続くセリフも、毎回同じ。「俺だって、本当は番になりたいんだ」 実際、タツヤも〝運命〟を感じていて、マーキングしたい本能はあったのだろうと思う。 だが、番になれば責任も出てくる。 それ以上に不安定な環境に置くことで、志郎への支配を強めたかった打算もあったのだろう。 カケルが、まるで宝物でも扱うように触れてくる指先に、快感以上のなにかを感じて、また涙が出てくる。「志郎さん……、本当に大丈夫ですか? 怖いなら……」「違うんだ、カケルくん。……俺、嬉しくて泣いてるだけだから……、ごめん……」 泣きながら笑った志郎に、カケルは頬を染めて……それから志郎と同じく
相変わらず、周期的にヒートはやってくる。 荒れ狂う本能の波は、小舟のような理性をやすやすと覆し、飲み込み、最後はタツヤを求めて叫び、イキ狂わねば済まない。「あああっ!」 引きちぎらんばかりにシーツを掴んだ瞬間、ぎゅうと体を抱きしめられた。 ふわりと志郎を包む、柔らかな匂い。「カ……ケル……くん?」「はい、僕です」「今日、何日?」「二十二日です」 心の中で日数をかぞえ、それでも二日経っていることに、少しがっかりした。 とはいえ、今までは、理性が途切れて戻るまでに最低でも三日、下手をすると五日は掛かった。 それがカケルの〝フェロモン療法〟を受けてからは、最長で三日に短縮されているのだ。「毎回……、済まない……」「なに言ってるんですか。僕の方こそ、志郎さんが苦しみ抜いているのに、臨床例みたいにしちゃって、申し訳ないんです」 志郎は体を離し、ベッドサイドのペットボトルを手に取ると水を飲んだ。「きみのおかげで、ヒートで死ぬ可能性が下がったんだ。こっちこそ、感謝だよ。最悪の時は、飲まず食わずでオナってて、ヒート明けに体重が六キロ近く減ってて、ちょっとヤバかったからな」「それ、ヤバいってレベルじゃないじゃないですか……」 額に手をあて、志郎はふふっと笑った。「だけどさ……。こんなのいつまでも続かないよな。……ヒートの度にきみを呼びつけて……。この間、トウマにあんな啖呵を切ったけど、実際にもう〝一人じゃやってけないオメガ〟の典型だな……って、あのあと、思って……」 込み上げるものを感じ、志郎は一度言葉を切った。「ごめん……、ヒートで気弱になってる……」
ベルウッドと病院の間には、ちょっとした公園がある。 こちらを通ると車道を避けられるので、カケルはいつもそこを横切るのだが。 いつもはあまり人のいないベンチに、今日は人が座っていた。──珍しいな……。 そう思った以上に、その人物が傾いて座っていることが気になった。 医者として、具合の悪そうな者を気にしてしまうクセがある。「え……、志郎さんっ?」 ベンチの背もたれにすがりつくようにして、志郎がぐったりしていた。「あの、大丈夫ですか? 僕、そこの病院の医者です。車を呼びましょうか?」「……医者……いらん……。家に……帰れば……薬がある……か……ら……」 医者として、急病人をそ
岩崎駆は、岩崎総合病院に勤める内分泌科のドクターである。 と言ってもカケルは院長の次男であった。 優秀なアルファで外科医の兄・尊は、院内での人望や信頼も厚い。 タケルとの仲も良いカケルは、大学で内分泌を専門とする分野を選択した。 内分泌科を選んだ一番大きな理由は、カケルはアルファではあるがフェロモンを感じにくい体質をしていたからだ。 オメガの患者が多い内分泌科は、ベータの医者が多い。 岩崎総合病院でも、そこに勤めるドクターはベータだ。 もちろんベータの中にも優れた医者はいくらもいるが、アルファのドクターが常駐している〝金看板〟は世間体も良い。
志郎は、トレーダーを仕事にしている。 昔は勤め人だったが、とにかく他人と関わることを避けたら、そうなった。 幸いにしてトレーダーは志郎の性格にあっていたらしく、今や高級マンションに一人で暮らしていけるだけの利益を得られるようになった。 たまにベルウッドへ出かけ、マスターと世間話をしたりするのもいい息抜きだ。 だが、そんな生活をしていては体が鈍ってしまう。 それなりの金回りもあることだし……と、一念発起して、この一年ほどは近所のジムに通っていた。「ああ、瀬尾さん。久しぶり」「やあ、こんにちは」 このジムが気に入った理由は、申告するとオメガ専用のトレーニングルームを使
カケルは、ややがっかりしてベルウッドを出た。 ベルウッドの奥から二番目の席は、カケルのお気に入りの場所だ。 最初は、入口付近から見えづらい一番奥の席を狙っていったのだが、そこにはいつも落ち着いた中年男性がいる。 マスターに聞くと、カケルが来る以前からの常連だと教えられた。 身なりも容姿も地味だが、服装はよく見るとちょっと良いブランドを上品に使っているし、佇まいも静かで温和な印象だ。 マスターのコーヒーを楽しむ様子も静かで、時々テーブルにノートパソコンを開いてなにか作業をしている。「作家さんみたいですよね」 と言ったカケルに、マスターは「志郎さんは、トレーダーさんですよ」と教え





