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第一章:出会った二人の欠けし者たち⑥

Autor: 七森香歌
last update Fecha de publicación: 2026-08-17 16:38:55

 暁闇(ぎようあん)の降りた森の木々の間から、白い光が静かに降り注いでいた。

 紺碧の空に浮かぶ月は盈(み)ち、尾のように残像を描きながらちらちらと星が走り抜けていく。

 ダイニングテーブルで酒を垂らしたミルクをドゥーエが舐めていると、台所から何かが焼き上がる香ばしい香りが漂ってきた。

 夕飯はとうに済み、片付けものが終わったシュリはベッドに腰掛けて紐で何かを編んでいる様子だった。

 シュリは黄土色の紐を円状に編み上げると、ベッドから立ち上がった。台所へと向かい、彼女は竃(かまど)の様子を確認する。

「うん、いい感じ」

 シュリは焼き上がったものの具合を見て、そう独りごちた。ドゥーエはミルクを飲み干すと、椅子から立ち上がり、台所を覗き込む。

「こんな時間に何をやってるんだ? 夕飯ならさっき済んだだろう?」

「うん。今日はね、ちょっと特別」

 シュリは部屋の奥の戸棚から温かみのあるクリームイエローのデザートディッシュを出してきて、こんがりとした狐色に焼き上がったそれを盛る。

「ドゥーエ。ちょっと外、付き合ってよ」

 外、とドゥーエは怪訝そうに眉根を寄せる。

「構わないが、どうかしたのか?」

 行けばわかるから、とシュリはベッドの上に置いたままの紐の編み細工を拾い上げる。彼女は戸惑うドゥーエをよそに、左手に皿、右手に編み細工を持ってチーク材の扉を肘で押し開ける。ドゥーエはベッドの背にかかっていたグレーのバイアスチェックのブランケットを手に取ると、彼女の後を追った。

 外に出ると、シュリは軒から円状の紐細工を吊るしていた。

「それは何なんだ?」

「ドゥーエ、見たことない? これは収穫祭の飾りなんだけど」

「収穫祭?」

 シュリは足元に皿を置くと、軒下に座り込んだ。ほら、と木々の間から覗く玉輪を彼女は指差した。ドゥーエはシュリと視点を合わせるように、皿を挟んで彼女の隣に腰を下ろす。

「ほら、今日、満月でしょ? 毎年、この時期の満月の夜はどこの街も収穫祭が行なわれるんだけど、知らない?」

「いや……知らない。ずっと旅暮らしで、あまりひとところに留まることをしてこなかったからな」

 ドゥーエは自分が”人喰い”であることには触れないようにしながら、収穫祭を知らない理由を曖昧にぼかす。ふうん、と相槌を打ったシュリはそれ以上、ドゥーエの事情を深掘りしようとはしなかった。

「町では本当は七面鳥の丸焼きとかいろいろなご馳走を食べてお祝いするんだけど、こんなところで一人で住んでるとさすがにそんな余裕はないから。

 それでも気分くらいは収穫祭を味わいたいなって思って、毎年、飾りとスコーンくらいは作るようにしてるんだ」

 あったかいうちに食べよう、とシュリは生地にとうもろこしが混ぜ込まれたスコーンをドゥーエへと勧める。「貰おう」ドゥーエはまだほくほくと温かいスコーンを手に取った。

 シュリも自分の分のスコーンを手に取ると、二つに割る。宵闇を白い湯気がふわふわと漂い、空気の中に溶けていく。隣でそれをドゥーエがなんとはなしに眺めていると、シュリがくちゅんと小さなくしゃみをした。

「寒いのか?」

「うん……まあ、ちょっと。こんな薄着で出てきちゃったしね」

 ドゥーエは傍らに置いていたブランケットを広げると、シュリの背にかけた。ありがと、とシュリははにかんだように笑う。

「ドゥーエは寒くない?」

「俺のことは気にしなくていい」

 そんなこと言って、とシュリは肩をすくめる。シュリはスコーンを皿に戻すと、皿を自分の膝に置いた。そして、シュリはドゥーエへと体を寄せると、彼の背にもブランケットをかけてやった。

「こうすればあったかいでしょ?」

 シュリは得意げにそう言うと、スコーンを齧る。まあな、とドゥーエは気恥ずかしいのか、シュリから視線を逸らす。

 月明かりに照らされて彼の長い黒髪はしっとりとつやめき、赤の双眸は宝石のような美しさを帯びている。月を弄(ろう)する白皙の美貌はどこか神々しく、シュリは一枚の絵画を見ているかのような錯覚に襲われた。

「……どうかしたか?」

 シュリの視線に気づいたのか、口の中のスコーンを飲み下すと、ドゥーエは訝しげな声を向ける。

「何でもないよ」

 シュリは二個目のスコーンを手に取りながら、ドゥーエの肩に自分の肩を触れさせる。彼と過ごすうちにこの温もりが心地よいとシュリはいつの間にか感じるようになっていた。

 スコーンは毎年作るものと同じ味のはずなのに、今年はやけに美味しく感じられる。自分一人なのか、誰かと一緒なのかというだけで、こんなにも違うのかとシュリはしみじみと思う。

(もしかしたら……ドゥーエとだから、なのかもしれない)

 シュリにとって、ドゥーエはだんだんと特別な存在になりつつあるのを感じていた。それは家族のようで家族でなく、友達のようで友達でない、他人ではない何かであった。

 月影に照らされた夜空は、いつもよりも透き通って美しくシュリの目に映った。ぽろり、とこぼれ落ちるように星が視界を流れていく。

 今年の月は一段と美しい。その理由をそのときのシュリはまだ深く考えようとはしなかった。

 皓月(こうげつ)が身を寄せ合う二人の姿を静かに照らしている。スコーンの香ばしい匂いが夜風によって持ち上げられ、うっすらとした湯気とともに辺りを揺蕩(たゆた)っていた。

      ◆◆◆

 ノルスの自警団員たちにつけられたドゥーエの身体の傷は、一向に癒える様子はなかった。それでも、シュリに拾われた当初よりはまともに動けるようになってきていたドゥーエは、気まぐれにシュリの仕事を手伝うことも増えてきていた。

 その日、昼食が済んだ後、ベッドで微睡んでいたドゥーエは、シュリが家の前の畑で忙しそうに立ち働いていることに気づいた。ふああ、と伸びをして身にまとわりつく眠気を追い払うと、ドゥーエはベッドから起き上がって履き古した黒いブーツに足を通す。

 小屋の外に出ると、秋麗の陽気にうっすらと汗を浮かせながら、シュリが小鎌を手にほうれん草を収穫していた。ギィ、バタン、というドアの開閉音に気づいたらしいシュリは顔を上げる。シュリはドゥーエの姿を認めると、顔を綻ばせた。

「ドゥーエ。どうしたの?」

「いや……お前が何かやっていたから様子を見に来ただけだ」

 そっか、とシュリは頷くと、いいことを思いついたと言わんばかりににっと笑みを浮かべながら、

「そうだ。ドゥーエもやってみない? あたし一人じゃちょっと手が回りそうにないし」

「わかった。手伝おう」

 シュリの提案を快諾すると、ドゥーエは畑とシュリの顔を見比べながら、彼女へと指示を仰いだ。

「それで、俺は何をすればいい?」

「じゃあドゥーエはこれであそこのほうれん草を収穫してきてよ。それが終わったら向こうのブロッコリーね」

 そう言うと、シュリは手に持っていた小鎌をドゥーエに手渡した。あたしはあっちでにんじんと芋をやってくるから、と言い置くと、シュリはすたすたと畝の間を歩き去っていった。その背を見送ると、ドゥーエは地面に座り込んで、ほうれん草の葉を手で弄り始める。

 ほうれん草の株にはところどころ葉が刈り取られた形跡があった。ドゥーエは比較的大きな葉を選びながら小鎌で茎を一本一本刈り取っていく。

 遅々として作業が進まないドゥーエに気づいたシュリは、収穫の済んだ野菜の山の向こうから声を張り上げた。

「ドゥーエ、一本一本やるんじゃなく、もっと葉っぱをまとめて持って、一気に刈り取っちゃって! 今日のうちに追肥までやっちゃわなきゃなんだから、そんなんじゃ全然終わらない!」

「お、おう……」

 ドゥーエはシュリに言われた通り、ほうれん草の茎を何本もまとめて掴むと、鎌で刈り取っていく。ぶちぶちと茎の繊維が断たれる感触と共に、葉の束が土の中の根から切り離された。

 ほうれん草を収穫し終えるころには、ドゥーエの額にも額に浮かんできていた。ドゥーエは鎌を地面に置き、土で汚れた手の甲で汗の粒を拭う。ドゥーエの何倍もの速度で野菜の収穫を済ませていくシュリを横目で見ながら、

「しかし、お前は本当によく働くな……」

 シュリは大根のように太いにんじんを腰の入った動きで難なく地面から引き抜きながら、

「まあ、こんなところで一人で暮らしてたら、基本は自給自足だからね。全部自分でやらないと、野垂れ死ぬだけだから」

「そうか……」

「それに、こうやって畑仕事をするのは嫌いじゃないし。小さいころもお母さんと一緒に、ノルスの家の庭でハーブ育てたりしてたしね」

 つくづくシュリは過酷な環境下で生きているのだとドゥーエは実感する。それでもこうして生き生きと生きているシュリは強くて眩しいとドゥーエは思った。

「さて、休憩したらもうひと頑張りしようか。ちょっと待ってて、おいしいもの食べさせてあげるから」

 シュリは収穫したばかりの泥のついたにんじんを二本掴むと、裏口から家の中へ戻っていった。

 一分もしないうちに、シュリはにんじんを手に再び姿を現した。台所で泥を洗い落としてきたのか、にんじんからはぽたぽたと透明な雫が滴り落ちている。

「ほら」

 シュリは二本あるにんじんのうちの一本をドゥーエへと手渡した。シュリが生のままにんじんを齧っているのを見て、ドゥーエは眉間に皺を寄せる。

「それ、生だろう? 食えるのか?」

 シュリはうん、と頷くと、

「食べられるよ。とれたてだし、甘くて美味しいよ」

 ドゥーエも食べてみなよ、とシュリに促され、彼はにんじんを口に入れ、歯を立てた。ぼりぼりという気持ちのいい音と共に口内が控えめで穏やかな自然の甘さで満たされていく。

 ちらりとドゥーエが隣を見ると、シュリは自分で収穫したにんじんを夢中で齧っていた。彼女自身の小動物じみた容貌も相まって、何だかうさぎみたいだなとドゥーエは思った。

 シュリはいつだって一生懸命に生きている。それをもう少し近くで見ていたいような、守ってやりたいような気がした。シュリの元にいれば、長年自分が知らずに生きてきたいろいろなことを知ることができそうな気がした。

 自分の中に芽生え始めた感情の名前をドゥーエはまだ知らない。それでも口の中のにんじんの甘さと、あたりに充満する土の香りを悪くないとドゥーエは思った。

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