LOGIN深雪は足を止め、病室の扉口に立ったまま振り返らなかった。彼女の細い体は、廊下の光と影の中で、決然として見える。「あのダイヤの指輪のことですか?」深雪の声は冷静で、感情の揺れは一切なかった。「芽衣さんが、すでにそれを身につけて、私に見せびらかしに来ました。お目が高いですね。しかし、どうやらそのサプライズは、渡す相手を間違えたようですね」その一言は、冷水を頭から浴びせるように、静雄の胸に芽生えかけた希望を一瞬で消し去った。雷に打たれたかのように、彼の顔色は一気に青ざめた。「芽衣......」静雄は歯を食いしばり、その名を吐き捨てるように口にした。その声には、もはや憎みしかない。わずかに残っていた罪悪感すら、この瞬間、嫌悪と怒りに完全に塗りつぶされた。自分が心を砕いて選び、深雪への最後の望みとして用意した指輪。あの愚かな女が勝手に持ち出し、見せびらかしていたとは。「芽衣が......そんなことを?」信じられない思いで問いかけたが、怒りのあまり声は震え、胸が激しく上下した。その拍動が傷口を刺激し、鋭い痛みが走った。だが、それ以上に、胸の奥が引き裂かれるように痛んだ。深雪は取り乱す静雄を冷ややかに眺め、唇に薄く嘲笑を浮かべた。「そんなに意外ですか?」声は軽い。「てっきり、芽衣さんに贈ったものだと思っていましたけれど」「違う!」静雄は慌てて否定した。「それは誤解だ。あの指輪は......本当に、君に渡すつもりだった!」焦りに満ちた声。額には細かな汗が滲んでいる。彼は起き上がろうとしたが、傷がそれを許さず、ただ虚しく手を伸ばすことしかできなかった。せめて、彼女の服の裾に触れたいと願っているようだ。深雪は小さく笑った。その瞳に宿る嘲りは、さらに深まった。「私に?よく言いますね。芽衣さんとは親しい関係で、その一方で私に指輪ですか。二股でもかけるおつもりだったんですか?残念ですが、私は興味ありません」「違う!」静雄は掠れた声で叫んだ。「俺は芽衣にそんな感情を抱いたことは一度もない。ただ......可哀想だと思っただけで......」説明しようとしても、言葉が出てこない。今の彼女に対する気持ちは、確かに愛ではない。同情と、拭いきれない後ろめた
深雪は足を止め、病室の扉口に立ったまま振り返らなかった。彼女の細い体は、廊下の光と影の中で、決然として見える。「あのダイヤの指輪のことですか?」深雪の声は冷静で、感情の揺れは一切なかった。「芽衣さんが、すでにそれを身につけて、私に見せびらかしに来ました。お目が高いですね。しかし、どうやらそのサプライズは、渡す相手を間違えたようですね」その一言は、冷水を頭から浴びせるように、静雄の胸に芽生えかけた希望を一瞬で消し去った。雷に打たれたかのように、彼の顔色は一気に青ざめた。「芽衣......」静雄は歯を食いしばり、その名を吐き捨てるように口にした。その声には、もはや憎みしかない。わずかに残っていた罪悪感すら、この瞬間、嫌悪と怒りに完全に塗りつぶされた。自分が心を砕いて選び、深雪への最後の望みとして用意した指輪。あの愚かな女が勝手に持ち出し、見せびらかしていたとは。「芽衣が......そんなことを?」信じられない思いで問いかけたが、怒りのあまり声は震え、胸が激しく上下した。その拍動が傷口を刺激し、鋭い痛みが走った。だが、それ以上に、胸の奥が引き裂かれるように痛んだ。深雪は取り乱す静雄を冷ややかに眺め、唇に薄く嘲笑を浮かべた。「そんなに意外ですか?」声は軽い。「てっきり、芽衣さんに贈ったものだと思っていましたけれど」「違う!」静雄は慌てて否定した。「それは誤解だ。あの指輪は......本当に、君に渡すつもりだった!」焦りに満ちた声。額には細かな汗が滲んでいる。彼は起き上がろうとしたが、傷がそれを許さず、ただ虚しく手を伸ばすことしかできなかった。せめて、彼女の服の裾に触れたいと願っているようだ。深雪は小さく笑った。その瞳に宿る嘲りは、さらに深まった。「私に?よく言いますね。芽衣さんとは親しい関係で、その一方で私に指輪ですか。二股でもかけるおつもりだったんですか?残念ですが、私は興味ありません」「違う!」静雄は掠れた声で叫んだ。「俺は芽衣にそんな感情を抱いたことは一度もない。ただ......可哀想だと思っただけで......」説明しようとしても、言葉が出てこない。今の彼女に対する気持ちは、確かに愛ではない。同情と、拭いきれない後ろめた
芽衣は静雄の母に怒鳴られて肩を震わせ、慌ててコップを置くと、ハイヒールのことなど構っていられず、よろめきながら追いかけた。病院の長い廊下に響く足音が、彼女の焦りをいっそう際立たせた。「待って!」芽衣の声は広い廊下に鋭く響き渡り、通りすがりの患者や看護師が思わず振り返った。深雪は足を止め、ゆっくりと振り返った。腕を組み、余裕たっぷりに芽衣を見下ろすその視線は冷ややかで、唇にはかすかな笑みが浮かんでいた。「また何か?」その無感情な顔を前に、芽衣の胸に溜め込んでいた嫉妬と焦燥が、一気に噴き出した。「いい気になるんじゃないわよ!」声は甲高く、半ばヒステリックだ。「静雄は今、あなたに惑わされているだけよ! そのうち必ず、あなたの本性に気づく! あなたみたいな蛇蝎の心を持つ女、静雄の愛を受ける資格なんてない!」かつて静雄の前で見せていた、か弱く従順な姿は跡形もない。深雪はくすりと笑い、まるで滑稽な道化を見るかのように視線を向けた。「まずはご自分の心配をなさったほうがいいわ」声音は軽やかだが、言葉は鋭かった。「今、会社での立場は、あまり芳しくないでしょう?」芽衣は全身を震わせ、息が詰まりそうになった。何度か深呼吸をして、必死に自分を落ち着かせた。ここで正面からぶつかっても、損をするのは自分。芽衣は表情を一変させ、今にも泣き出しそうな顔を作った。涙は、合図でもしたかのようにすぐに溢れてきた。「深雪......」声は震え、必死にすがるようだ。「あなたがまだ静雄に怒っているのはわかります。でも、彼はいま怪我をしているの。少しでいいから......そばにいてあげて。彼、本当にあなたを必要としているの......」深雪は眉を上げ、芽衣の拙い演技を眺めながら、心の中で冷笑した。この女、本当に状況に応じて姿を変えるのだ。「その言い方だと、まるで私と松原社長に特別な関係があるみたいね」深雪の声はあくまで淡々としている。「私は会社を代表して、負傷した社員を見舞っただけ。義務を果たした、それだけよ。付き添う役なら......あなたのほうが、よほど適任でしょう?」芽衣は言葉を失った。その悔しそうな表情を見て、深雪の気分は少しだけ晴れた。踵を返そうとしたそのとき、ふと思い出したよう
静雄は弱々しくベッドの背にもたれ、顔色は悪いものの、その眼差しだけは頑なだった。「母さん......俺は彼女を助けるために怪我をしたんだ。見舞いに来るのは、当然じゃないか?」静雄の母は言葉に詰まり、悔しそうに唇を噛んだ。この状態の息子を前にして、これ以上何を言えというのか。一方、深雪は電話を切った後も、表情一つ変えなかった。心の中で冷笑した。静雄が死んでいたなら、むしろ彼女にとっては好都合だったはずだ。だが、生きていて、しかも自分に会いたいと言うのなら......行ってやろう。彼がまだどんな芝居を打つつもりなのか、見届けてやるだけだ。延浩が近づき、低い声で言った。「深雪、静雄の母親も厄介だ。僕も一緒に行こう」深雪は首を横に振った。「大丈夫よ。私一人で行くわ」「でも」「心配しないで。今の私は松原商事の取締役よ。向こうだって、私に手出しはできない」深雪は淡々と言い切った。「万が一揉めたら、『会社を代表して社員を見舞いに来た』って言えばいいだけ」延浩はそれ以上言えず、ため息混じりに頷いた。「分かった......何かあったら、すぐ連絡して」「ええ」深雪はバッグを手に取り、そのまま部屋を後にした。病院・VIP病室。扉を開けると、消毒液の匂いが鼻を突いた。病室では、静雄の母がベッド脇に座り、疲れ切った表情を浮かべている。芽衣は横に立ち、コップに入った水を慎重に静雄へ差し出していた。静雄はベッドに寄りかかり、頭には包帯を巻いているものの、意識ははっきりしている。深雪の姿を認めた瞬間、静雄の母の顔が険しくなり、口を開きかけた。だが、その前に深雪が口を開いた。「お怪我をされたと聞きました。会社を代表して、お見舞いに参りました」感情を一切排した、事務的な口調。まるで本当に形式的な見舞いでしかない。その態度に、静雄の母は言葉を詰まらせ、叱責を飲み込むしかなかった。一方で、静雄の表情はぱっと明るくなった。「深雪......来てくれたんだ......」起き上がろうとした彼を、芽衣が慌てて押しとどめた。「静雄、動かないで。傷に障るわ」だが静雄は、芽衣の存在など目に入らないかのように、深雪だけを見つめた。「深雪、俺は大丈夫だ。深雪は?怪我はなかったか?」
秘書は、静雄が重傷を負ったという知らせを深雪に伝えた。だが、彼女はそれを聞いても、眉一つ動かさなかった。淡々とそう答えると、深雪はそのまま書類に視線を落とし、仕事を続けた。その様子を見た秘書は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。長く彼女のそばで働いてきたが、ここまで感情を排した表情を見るのは初めてだった。救命室のランプが、ようやく消えた。医師がマスクを外し、疲労の色をにじませた顔で出てきた。「先生、息子はどうなんですか!」静雄の母が駆け寄り、医師の腕を掴んで必死に問いかけた。医師は一度深く息を吐き、静かに答えた。「重傷でしたが、命の危険は脱しました。ただし......」「ただし、何ですか?」静雄の母の声が震えた。「後遺症が残る可能性があります。どのような症状が出るかは、今後の経過を見ないと判断できません」その言葉を聞いた瞬間、静雄の母の足から力が抜け、倒れそうになった。「大丈夫ですか!」大介が慌てて支えた。病室では、静雄がベッドに横たわっていた。頭には分厚い包帯が巻かれ、顔色は紙のように白い。「静雄......私の子......」静雄の母はベッドにすがりつき、声を上げて泣き崩れた。芽衣も後から病室に駆け込み、昏睡状態の静雄を見るなり、涙をこぼした。「静雄......目を覚まして......お願い......」そう言って手を伸ばした瞬間、静雄の母に強く突き飛ばされた。芽衣は床に倒れ込み、それ以上近づくこともできず、ただその場で泣くしかなかった。そのとき「......ここは......どこだ......?」かすれた声が、静まり返った病室に響いた。「静雄!目を覚ましたのね!」静雄の母が顔を上げ、涙を拭いもせず駆け寄った。静雄はゆっくりと目を開け、彼女を見つめ、困惑したように眉をひそめた。「母さん......どうしてここに......?」「覚えてないの?交通事故に遭ったのよ」「事故?」静雄は必死に記憶を辿ろうとした。そして、ふと一つの名前が脳裏をよぎった。「深雪......深雪は?彼女は無事なのか?」その言葉に、静雄の母の顔が一気に歪む。「なんであの女の心配をするの!あの女のせいで、あなたはこんな目に遭ったのよ!」「母さ
芽衣は、本来なら今回で確実に深雪を消せるはずだと信じていた。それなのに、途中で思いもよらぬ邪魔が入った。静雄が命を懸けて深雪を守るとは、想像すらしていなかった。護衛たちに囲まれた静雄の姿を遠くから見つめながら、芽衣の胸には、抑えきれない怨恨と不甘が渦巻いた。「深雪......どうして、あなたが死なないのよ......」掠れた声で吐き捨てるように呟いた。ほどなくして、救急車とパトカーが現場に到着した。医者は手際よく重傷を負った静雄を担架に乗せ、救急車へと運び込んだ。深雪は少し離れた場所に立ち、その様子を静かに見つめていた。静雄が救急車に収容されていくのを見ても、その瞳に感情の揺れはない。まるで、目の前で起きている出来事が、自分とは無関係であるかのようだった。「深雪社長、私たちは......」秘書が近づき、小声で声をかけた。深雪は迷いなく背を向けた。「行きましょう」足を止めることも、振り返ることもない。静雄の生死など、彼女にとってはもはや重要ではないかのようだった。警察が到着したのを見て、芽衣の心臓は激しく跳ね上がった。現場の混乱に紛れ、彼女はそっと車を降り、そのまま逃げるように姿を消した。病院での空気は凍りついたように重く、息苦しいほどだった。静雄の母は廊下を行ったり来たりしながら、ヒールの音を響かせている。その一歩一歩が、苛立ちと不安を叩きつけるようだった。「まだなの?どうして出てこないの......。私の息子、無事なのよね?」両手を強く握り締め、指の関節は白くなっている。大介は傍らで頭を下げたまま、何も言えずに立っていた。「全部あの深雪のせいよ!」突然立ち止まり、静雄の母は大介を指差して怒鳴りつけた。「あなた、ずっと静雄のそばにいたでしょう!どうして守れなかったの!」大介はさらに頭を下げた。「あまりにも突然の出来事で......」「言い訳は聞きたくない!」甲高い声が廊下に響いた。「深雪のところへ行って、責任を取らせるわ!命で償わせてやる!」そう叫び、駆け出そうとした彼女を、大介が慌てて引き止めた。「どうか落ち着いてください!今は社長の容体が最優先です!」「落ち着けですって?」静雄の母は激しく抵抗した。「息子が中で生死の境を