Masuk「自分の過ちを分かってるって言ってたよね」初芽ははっきりと言い放った。「だったら警察に通報しましょう。起きたことの細かいところまで、全部私が説明する。それと、業界にもあなたの所業をきっちり伝えるつもり。もうこの業界じゃ完全に干されるわ。たとえ刑務所から出られても、もう同じ仕事には就けないと思いなさい」その言葉を聞いた途端、周囲から拍手と歓声が上がった。こういう人間には、こうするのが一番だとみんな思っている。「小関社長を支持するよ!」「こんな目に遭ったのも、ある意味運が悪かったとしか言えないよな」「ていうか、あいつがどうやって管理職に座ってたのかが謎。ぶっちゃけ私の方がまだマシだと思うんだけど」「人付き合い下手なくせに、仕事の腕前も並以下でしょうが」「信じらんないよ。小関社長が選んだ人間だから、信用してたのに」「情けを注いだ相手なのにな、残念」周囲の声を耳にして、石橋はむしろ驚いていた。自分は同僚たちとうまくやれていると思い込んでいたのだ。みんな、表向きは自分を丁重に扱っていた。余計なことも言わず、敬意を払った態度で「石橋さん」と呼んでくれていた。それはただ、初芽が石橋を重用していたからにすぎない。彼女が目をかけているから、他の連中もそれに合わせていただけだった。初芽の社内での立場は絶対的だった。彼女が好意的に接している人間には、他の社員も逆らわない。その現実を真正面から突きつけられた瞬間、石橋の胸に虚しさが込み上げた。長年必死にしがみついてきたものが、何の意味もなかったのだと気づかされる。周囲から見れば、自分は取るに足らない存在で、好かれてもいなかった。そう思うと、情けなさが込み上げてきた。石橋は胸を指しながら初芽に言う。「こんなに長く尽くしてきたのに、こんなことで俺を捨てるつもりですか......?俺があなたにとって、本当にどうでもいい存在なんですか?」まだどこかに希望があるのだ。以前の情を盾に、少しくらいは許してもらえるんじゃないかと期待している。そうすれば刑務所行きも免れ、仕事場にも残れる。それが一番いい落としどころだと本気で考えているのだろう。一瞥しただけで、石橋の腹の内などお見通しだった。初芽は呆れを通り越して、少し笑いそうになる。
もし今日、初芽が有能な立場にいる人間ではなく、ただの普通の女性だったなら、この屈辱は声も出せずに飲み込むしかなかっただろう。骨を砕いてでも、自分の腹の中に押し込むしかなかったはずだ。だからこそ、彼女は重々理解している。――絶対に、この男を見逃してはいけないと。初芽は一歩、また一歩と石橋の方へ歩み寄る。石橋も、自分がもう逃げられないと悟っていた。周囲には人だかりができて道を塞ぎ、さらに近くには腕っぷしの強い男までいる。この二点だけで、自分に逃げ場などないことくらいは、頭でははっきりわかっていた。石橋は転がるように起き上がると、四つん這いのまま初芽の足元までにじり寄り、ズボンの裾を掴んだ。声はしゃくりあげ、震え、涙声と恐怖が入り混じっている。「初芽......いや、小関社長、本当にすみませんでした!許してください、本当に反省してるんです......!」「初芽」と口にした瞬間、伊吹が即座に蹴りを入れた。その呼び方に、さっきは少し手加減しすぎたかと内心で舌打ちする。こんな厚顔無恥な男には、もっと徹底的に叩き込むべきだった、と。周囲の誰ひとりとして、石橋に同情する者はいない。道を選んだのは自分、恨むなら己だけだ。そもそも最初から初芽に近づかなければ、彼は今も石橋さんとして地位を守れていた。何事も起きず、むしろ昇進だって夢ではなかったはずだ。初芽は以前からはっきり言っていた。きちんと働いてくれれば、昇給など問題ではないと。さらにその後は、努力次第で会社の株を持つ道すら匂わせていた。だが今となっては、すべて水の泡だ。人の人生に「巻き戻し」はない。初芽はズボンの裾にすがりつく石橋を軽く蹴り離し、首を振った。声は澄んでいて揺らぎがない。「もうそんなことしなくていいよ、石橋。私がまだその名前で呼んでいるのは、これまで本気で仲間だと思っていたからよ。まさか、そんなにも早く正体を晒すとは思ってなかったけど」石橋は再び這いつくばって近づき、額を床につけて土下座を始める。「本当に申し訳ございません!もうわかりました、自分の過ちを理解しました!もう小関社長のしたいことに口出ししません!どうか俺をゆるしてください!」最後には、自分の頬を平手で叩き始める始末だった。皆にはも
伊吹はそのまま石橋の襟首をつかみ、力任せに持ち上げた。彼はもともと海外育ちで、その環境の影響もあって体格が大きく、肩幅もガッチリしている。石橋は伊吹より頭ひとつ分ほど背が低く、持ち上げられた拍子に爪先立ちになるしかなかった。今の石橋にとっては、自尊心が地面に擦りつけられているような気分だった。周りの同僚たちも、誰ひとりとして彼を庇おうとはしない。普段の人望がどんなものだったか、一目瞭然だった。石橋は鼻で笑い、どこか投げやりな表情を浮かべる。もう失うものはない。初芽と伊吹に比べたら、自分は裸足も同然、怖いものなどあるはずもない。口元に嘲るような笑みを浮かべ、わざとらしく言った。「お前ら二人なんて、ただの不倫カップルだろ?それにさ......」石橋は伊吹を無視して初芽に視線を向ける。「前にも別の男、ここに連れ込んでただろ?あの男、今俺の襟をつかんでるこの人じゃなかったよな?」挑発以外の何物でもない口調と表情に、伊吹はついに堪忍袋の緒が切れた。どうあれ初芽は一度自分と関係を持った女だ。それを目の前で好き勝手に侮辱されて、黙っていられるはずがない。彼はためらいなく拳を叩き込んだ。「その汚い口、トイレで洗ってこいよ。これは俺と彼女の問題だ。お前には関係ないんだよ」さらに声を低くして言い放つ。「彼女は一度だってお前の給料を滞らせたことはないだろ。だったら自分の立場よく考えろ」その言葉を聞いた周りの社員たちの間に、すっと納得が広がる。――確かに。社長の私生活なんて、自分たちの給料に関係ない限り、口を出す筋合いはない。たとえ初芽が十人と付き合っていようと、その能力で会社を回している限り、それは彼女の勝手だ。だが石橋は違う。自分で自分の将来を壊し、勝手に言い訳しているだけだ。今までそんな男だとは思っていなかっただけに、驚いている者も多い。だが、伊吹の一言で、誰の側につくべきかは一瞬で明らかになった。初芽は一部始終を黙って観察していた。伊吹の言葉の破壊力には、彼女自身も内心驚いていたが、その効果ははっきりと現れていた。彼女はそっと伊吹の腕を取り、首を横に振る。もう殴らなくていい、と合図を送る。石橋の華奢な体つきでは、伊吹の拳を何発も受けられるはずがない。力
彼は周囲の同僚たちを睨みつけ、怒鳴りつけた。「なんなんだよ、お前らは!どの立場で俺を裁いてる?お前らごときが口出す資格あると思ってんのか?このアホどもが!」石橋がまだそんな態度を取るのを見て、初芽は思わず失笑した。「みんなに資格はないけど、あんたにはあるっていうの?自分の姿、鏡で見てから言ったら?」初芽は伊吹の腕から離れ、ゆっくりと二歩ほど前へ出た。向けられる視線を真正面から受け止める。「私は何も悪いことはしてない。間違ってたのは、あんたよ。この害虫が」初芽ははっきりと言い放った。「みんなの言う通りよ。あんたみたいなのは、刑務所に入るのが当然」だが石橋は受け入れず、どこか取り憑かれたような様子だった。「俺は認めない!認めてたまるか!」彼は初芽の鼻先を指さし、大声で叫ぶ。「そもそもお前が俺を誘惑したんだろ!言い訳をするな!お前にそそのかされなきゃ、俺だってこんなことしなかったんだ!」その言葉に、周囲から思わず吹き出す声が漏れた。誰も石橋の言い分を信じていないのは明らかだった。そもそも初芽は金も容姿もあって、どんな男だって選べる立場だ。わざわざ部下を誘惑する必要がどこにある。それに石橋の見た目だって平凡で、そこまで魅力があるわけでもない。多少仕事ができるかもしれないが、突出してるとは言えず、単にこの業界でちょっと目立つ程度だ。そんなものは内輪だけの話で、誰も本気で評価なんかしていない。彼の言葉なんて、笑い話にしかならない。石橋は周りの軽蔑を浮かべた表情に気づき、急に焦り始める。まだ二十代で刑務所なんて絶対に無理だ。そんなことになったら人生が終わる。絶対に嫌だ、と胸を叩きながら狼狽える。「なんでだよ!俺は嘘言っていない!信じてくれよ!」石橋は同僚の輪に近づこうと歩み寄り、自分を見てほしいと訴える。「全部本当なんだ!あいつが俺を誘ったんだ!お前らが崇めてるこの女社長、男漁りの女にすぎないんだぞ!まだ気づかないのか?!」様子を見ていた人たちは、石橋の精神状態がすでにおかしくなっているのを察した。誰も関わろうとしない。ここで働き続けたいなら、石橋との関係を断つのは当然だ。彼はもう完全に終わった人間として見られている。初芽は、目の前の滑稽な姿を見て内心笑
彼は堪えきれず声を出した。「初芽、あのクズに何かされてないか?」本来なら、初芽は涙を無理やり飲み込むつもりだった。何しろ、自分はスタジオの代表だ。もし皆に見られでもしたら、どこに顔を置けばいいのか。初芽は首を振り、平気だと示した。一方、石橋は動揺してその場に立ち尽くす。雪崩れ込む同僚たちを見ながら、頭の中はたったひとつの考えでいっぱいだった。――もう終わった。自分の人生はこれで終わりだ。大勢に知られてしまった。上司をオフィスに閉じ込めたなんてことがバレた以上、生きていける道があるわけがない。将来は有望だったはずなのに、一瞬の過ちでこんな大きな事態を招くなんて。そう思った瞬間、石橋は自分を殴りたいほど後悔する。だが次の瞬間、駆けつけた伊吹を見て悟った。――さっきまでの時間稼ぎは、全部この女が仕組んだことだったのか、と。彼は初芽を指差し、憎々しげに怒鳴る。「わざとやってたんだろ、このクソ女!」もう先ほどまでの妙に馴れ馴れしい態度は微塵もなく、目の奥には憎悪しかなかった。見比べれば、先ほどとはまるで別人だ。そんな石橋を前に、初芽は心底ばからしくなる。これこそ何よりの証拠じゃないか。さっきまで愛してるなどと言っておきながら、次の瞬間には冷ややかな嘲りと罵倒。「クソ女」呼ばわりまでする。もしこれを愛と呼ぶのなら――初芽は、この先一生、恋愛なんて二度と関わるものかと思った。初芽は首を振り、伊吹に小さく微笑んでみせた。自分は平気だという合図だ。もし本当に何かあったら、スタジオのことにまた支障が出る。だがどうあれ、石橋を再び雇うつもりは一切なかった。伊吹はしばらく初芽を気遣ったあと、本当に大事ないと判断してひと安心する。初芽は心の中で自分に言い聞かせる。こんな肝心な場面で、自分を投げ出すわけにはいかない。前々から整えてきた計画を無駄にすることもできない。たかが一社員の件で、この程度のことで、海外に行く気持ちまで左右されるわけがない。「ならいい」伊吹はそう言って、初芽の柔らかな頭を軽く撫でた。自分の見立ては間違っていなかった、と心の中で思う。もちろん彼も知っている。初芽は野心のある人間だ。もしこんなことでくじけるようなら、自分
彼女が一生で一番うんざりするのは、男が自分の前でそういう台詞を並べることだった。どう見ても全部相手の一方的な思い込みで、自分には関係ない。自分が欲しいものは自分で手に入れる。他人の施しなんていらない。そんなものは薄っぺらで偽善的だ。人に頼るくらいなら自分に頼る方が確か。その理屈を、初芽はずっと胸の奥深くに刻み込んできた。もう社会に出たての学生でもない。この程度のこと、怖がるほどの価値もない。初芽の刺々しい口調に、石橋は胸の奥を針で刺されたような痛みを覚えた。彼は初芽の顎を乱暴につかみ、何か言おうとした。そのとき、外から騒がしい声が聞こえてきた。「なあ、どれだけ経った?まだ出てこないのか?」「どうなってるの?」「石橋さんが中にいるの見たぞ」その頃、伊吹はちょうど外に立っていて、そこにいた人間ひとりひとりに事情を聞いて回っていた。少し席を外しただけで、一体何が起きたというのか。周囲が口々に話す中、伊吹はようやくひとつ有益な情報を掴んだ。話した人物を鋭い目で見据え、低く問う。「石橋さんも?」「ああ」相手は何も考えずにうなずいた。「もうだいぶ長いこと中にいるよ。まだ出てこない」「中で何が起きてるか分からないけど、みんな、小関社長のことが心配してる」男女が密室にこもっている――そんな状況に、そこにいた者たちの頭にはそれぞれ勝手な想像が巡っていた。だが伊吹はもう座ってなどいられなかった。自分の女を、いつからこいつらが好き勝手に憶測していい存在になった?「鍵は?」その一言に、全員が首を振った。伊吹は思わず頭を垂れる。このまま初芽が中で苦しめられているのを見ているだけなのか?ここまで来て、何もせずに引き下がる気は毛頭ない。少なくとも、彼はまだ初芽に飽きていない。彼女が与えるあの感覚は、まだ十分に自分を惹きつける。その頃、室内では石橋が初芽の顎を強くつかみ上げていた。今度は一切手加減せず、本気の力で。「なんでだ?ねえ、なんでなんだよ!」石橋は首を傾けて初芽の白く滑らかな首筋に顔を寄せた。彼女の体から漂うほのかな香りが鼻をくすぐるが、そんなものを気にする余裕はない。初芽は眉をひそめ、石橋を押しのけようとしたが、怒りに呑まれている