LOGIN「今の彼氏は、あんたなんかより百倍素敵な人よ!」 結婚直前に裏切られた朱里は、プライドを守るためレンタル彼氏での復讐を決意。だが当日、業者は現れず、絶体絶命の朱里がとっさに捕まえたのは息を呑むほど美しい男だった。 彼をホストと勘違いし復讐を成功させ、勢いで一夜を共にするが……翌朝、衝撃の真実が待っていた。 彼は業界の頂点に君臨するホテル王・九龍湊。 「君を婚約者役として雇いたい。月額300万。住む場所は僕の家だ。ただし、あの夜のことは『業務外』だ」 レンタルしたはずが、まさかの逆雇用!? 冷徹な契約と身体の熱が交錯する、嘘つきな二人の溺愛契約ラブストーリー!
View More人生には「まさかの坂」があるという。
私、◇
そして今日。
約束の、地獄の結婚式当日。 私は高級ブライダルサロンやホテルが立ち並ぶ、都内の一等地にある式場のエントランス前に立っていた。 今日の私(のドレス)は完璧だ。この日のために新調した、日の光を浴びて上品に輝くシャンパンゴールドのパーティードレス。上質なシルクが肌を滑り、背中のラインを美しく見せている。髪も早朝から馴染みの美容院に行き、一分の隙もなくセットしてきた。 完璧なはずの私。――ただ、もっとも重要な一点を除いて。 「……来ない」 約束の午後一時を、もう十五分も過ぎている。 あの日、啖呵を切った手前、私は文字通り「拓也より百倍素敵な、完璧な彼氏」を用意する必要があった。もちろん、そんな都合の良い相手がいるはずもなく、私が頼ったのはインターネットの闇、もとい現代のサービス業だ。 『完璧な恋人、レンタルします』 藁にもすがる思いで予約したのは、業界でもトップクラスと評判の、時給五万円の超高級レンタル彼氏(ホスト)。レビューには「まるで王子様」「彼のエスコートで人生が変わった」「もう彼以外愛せない」と、信者めいた絶賛の嵐。 今日の復讐劇のためなら、結婚資金として貯めていた貯金の一部を切り崩すことなど厭わなかった。金で買えるプライドがあるなら、いくらでも払うつもりだった。 なのに。 その「王子様」が、来ない。 「どうしよう……!」 じわり、と嫌な冷や汗が背中を伝う。震える手でクラッチバッグからスマートフォンを取り出し、何度も電源ボタンを押すが、画面は無情にも真っ暗なままだ。 昨日、不安と緊張から自宅でやけ酒を煽り、レンタル彼氏の情報を漁りすぎて寝落ちしたせいで、充電を忘れていたのだ。今朝、家を出る時には数パーセント残っていた希望も、ここへ来る途中で力尽きた。 最悪だ。最悪すぎる。 式場の華やかなエントランスを、着飾ったゲストたちが次々と通り過ぎていく。楽しげな笑い声、香水の匂い。あの重厚な扉の向こうには、私の人生に泥を塗った二人が、「可哀想な朱里」が来るのを今か今かと待っているのだ。 今、ここで一人で入っていったら? (あら朱里、彼氏はどうしたの?) (もしかして、嘘だったの? やっぱり朱里には俺しかいなかったんだな) 美咲と拓也の、同情を装った嘲笑う顔が鮮明に脳裏に浮かぶ。 それだけは、絶対に嫌だ。そんな屈辱を味わうくらいなら、舌を噛んで死んだほうがマシだ。私のプライドは、もう限界まで張り詰めている。 どうする、私。逃げる? 仮病を使って帰る? いや、逃げたら負けだ。一生、あいつらに負け犬として笑われることになる。 焦りと屈辱、そして自分自身の愚かさへの怒りで視界が滲みそうになった、その時だった――。重厚な両開きの扉がスタッフの手によって恭しく開かれた瞬間、視界を埋め尽くすようなまばゆいフラッシュの光と、数百の瞳が一斉にこちらを向く物理的な圧力が、突き刺さるように私に集まった。 一瞬、足がすくむ。 天井高く吊るされた豪華絢爛なシャンデリアが、残酷なほど会場の隅々までを照らし出している。そこは、私を裏切った元彼と親友を祝福するための、広すぎる披露宴会場。 祝福という名の好奇に満ちた視線が、場違いな来訪者である私と――そして私の隣に立つ、あまりにも完璧すぎる男に注がれているのが肌でわかった。(……ヤバい。息が、できない) 心臓が早鐘を打ち、指先が冷たくなる。 ぎゅっ、と。私は無意識に、とっさに絡ませた男の腕を強く握りしめていた。 シルク混の上質なスーツ生地越しに、硬く引き締まった筋肉の感触が伝わってくる。その熱と固さが、唯一の命綱だった。 すると、隣の男――今日から私の「偽物の彼氏」となった彼は、その無数の視線を楽しむかのように、唇の端に浮かべたあの半笑いを一層深くした。「堂々と。……君は、今日の主役より美しい」 耳元で囁かれた声は、まるで上質なベルベットのようだった。 低く、甘く、鼓膜を震わせ、私の芯にある不安だけを狙って溶かしていくような響き。吐息が耳朶を掠める感触に、背筋にぞくりとした電流が走る。(うわ……。これが時給五万の「演技」……) わかってる。わかっているけれど、その計算された声色と、腕から伝わる頼もしい体温に、心臓が言うことを聞かない。「……っ、わかってるわよ、仕事でしょ!」 私は彼にだけ聞こえる小声で悪態をつき、彼から見えないように頬の熱を誤魔化しながら、精一杯背筋を伸ばした。 そうだ、私は今日、ただ祝いに来たのではない。奪われたプライドと、屈辱を晴らしに来たのだ。 私たちが会場に足を踏み入れたことで、ざわめきがさざ波のように大きくなる。「おい、あれって茅野だよな?」「隣の男、
もうダメだ。今すぐ踵を返して、世界で一番遠い場所まで逃げ出したい。 そう思って、涙が滲む目でエントランスの大理石の柱に寄りかかろうとした、まさにその瞬間。 視界の端に、一人の男が立っているのが入った。 息が、止まった。 まるで彼一人にだけ、特別なスポットライトが当たっているかのような錯覚を覚えた。 他のゲストとは明らかに違う、圧倒的な存在感。周囲の空気が、彼を中心にして冷たく澄み渡っていくようだ。 身長は百八十五センチはあるだろうか。恐ろしく仕立ての良い、艶のあるダークネイビーのスーツが、その身体を包んでいる。スレンダーだが、決して華奢ではない。スーツの上からでも、鍛え上げられた体幹と、シャツの下に隠された筋肉の躍動がわかるほどだ。 無造作にかき上げられた黒髪が、額にかかり、整いすぎた顔立ちに色気のある影を落としている。切れ長の瞳、通った鼻筋、薄い唇。それは神様が気まぐれに作った芸術品のように美しく、そしてどこか冷ややかだった。(……綺麗) 切羽詰まった状況だというのに、それが私の最初の感想だった。 男が、ふと左腕を優雅な動作で上げた。白く糊の効いたシャツの袖口から覗く、家が一軒買えそうな高級時計に視線を落とす。その何気ない仕草だけで、周囲の女性客が色めき立つのがわかった。 そして、ゆっくりと顔を上げた彼と、真正面から視線がぶつかった。 心臓が、鷲掴みにされたみたいに痛んだ。 その瞳は、獲物を品定めするような、冷徹で理知的な光を宿していた。だが、私と目が合った瞬間、彼の口元に、面白がるような、からかうような……なんとも表現しがたい「半笑い」が浮かんだのだ。 その笑みを見た瞬間、私の中で、焦りが怒りを突き破って爆発した。(この男だ!) 間違いない。こんな非現実的なレベルのイケメン、普通のゲストのはずがない。一般人が持ち合わせるオーラではない。 これが、時給五万の「完璧な偽恋人」! レビューにあった通り、現実感がないほどの男。写真よりもずっと実物のほうが破壊力がある。 だけど!(遅刻ってどういうことよ! しかも、何その余裕!?) 私はもう、なりふり構っていられなかった。タイムリミットはとっくに過ぎている。私の社会的生命がかかっているのだ。 私は、床を蹴るように、七センチのハイヒールで彼に向かってまっすぐ突き進んだ。かつかつ
人生には「まさかの坂」があるという。 私、茅野朱里、二十五歳。職業、ブライダルコーディネーター。人の幸せを一番近くで演出し、最高の一日を作り上げるプロフェッショナル。 そんな私が、まさか私を裏切って別れた元彼と、彼を横からかっさらっていった元親友に、三年付き合った私への裏切りなど無かったことのように、自分の職場で「結婚式を担当して」と笑顔で要求されるなんて。 それは、三流ドラマの脚本家でも書き捨てるような、あまりにも残酷で滑稽な「坂」だった。 三ヶ月前のあの日、私は確かに人生のどん底に突き落とされた。 「あ、朱里。久しぶり」 Felice Luce(フェリーチェ・ルーチェ)の煌びやかな打ち合わせサロン。そこで気まずそうに、けれどどこか優越感を含んだ様子で手を挙げたのは、三ヶ月前に「他に好きな人ができた」と一方的に私をフった元彼の拓也だった。 「朱里、元気だった? 私たち、今日は朱里に『お願い』があって来たんだ」 その隣で、拓也の腕に甲斐甲斐しくしがみつき、まるで悪意のない子供のように屈託なく笑うのは、大学時代からの親友だったはずの美咲。 二人の左手薬指には、これ見よがしに揃いのプラチナのペアリングが光っている。サロンのダウンライトを反射するその輝きが、私の網膜を焼くように痛かった。 (……久しぶり、じゃないわよ) 三ヶ月前、拓也がフった理由である「他に好きな人」が美咲だと知ったのは、別れの直後だった。 さらに共通の知人からの情報で、二人が私と付き合っていた「半年前」から、とっくにデキていたことも私は知っている。 この二人は、私がその事実を知らないと思っているのだ。私を「可哀想な、何も知らずにフラれた元カノ」だと思って、今、平然と目の前に立っている。 「……で、何の用? 私、これから新規のお客さんのアテンド入ってるんだけど」 平静を装う声が、自分でも驚くほど冷たく響く。指先が急速に氷のように冷えていくのを感じながら、私は必死に「プロの私」という仮面を顔に貼り付けた。ここで取り乱して泣き叫んだりすれば、それこそ彼らの思う壺だ。 そんな私の必死の抵抗を嘲笑うかのように、二人は信じられない爆弾を投下した。 「それで……朱里。俺たち、結婚することにしたんだ」 「そうなの! それでね、朱里に