匠もその点に気づいたのか、すぐに真剣な表情になった。京弥は少し不満げに言った。「何の話?俺はここに仕事しに来てるだけだよ」紗雪は眉をぴくりと上げた。「......どういう意味?まさか、私が勘違いしたって言いたいの?」京弥は真面目な顔でコクリと頷いた。「ああ。これは誤解だよ」この開き直りとも言える態度に、紗雪はまったく歯が立たなかった。「じゃあ、どうしていつもここにいるのよ?」ずっと気になっていた疑問が、ついに彼女の口から飛び出した。心の中に溜まり続けた違和感は、放っておくといずれ噴き出す火山のようにどうにもならなくなる。京弥は横にいた匠をチラリと見た。視線の奥には「察しろ」という無言のプレッシャーが込められていた。「実は、ここの責任者とちょっとした調整をしていて。俺の主な担当者が彼なんだ」その言葉を受けた匠は、すぐに空気を読んで口を開いた。「ええ、そうなんです。この方は私のクライアントでして、処理すべきことがいろいろあって頻繁に来ていただいてるんです」「最近はプロジェクトの進行が大詰めで、ほとんど泊まり込みで作業してる状態です。だから帰る暇もなくて......どうかご理解いただければと」その言葉に、紗雪は何も返せなくなった。一方で京弥は、背後でこっそりと親指を立てていた。まさか肝心な時に匠がここまで頼りになるとは思っていなかったのだ。このやり取りには彼自身も矛盾を感じず、言われるまま信じてしまうほど自然だった。当然、紗雪が気づくはずもない。何より、ふたりの顔には誠意が溢れていて、彼女には嘘を見抜く隙もなかった。紗雪は渋々ながらも納得した様子で言った。「......そう。じゃあ、私はこれで」そう言って踵を返し、会議室のほうへと向かっていった。せっかく来たのだから、手ぶらで帰るわけにはいかない。プロジェクト担当者と話をしておこう。そうでなければ、今日ここへ来た意味がない。一方で、京弥は今回のようにうまく誤魔化せても、回数が増えれば必ず綻びが出る。ここまで何度も偶然出会っているのに、彼女が疑わないほうが不自然だ。紗雪の心は、もやもやしたままだった。京弥、一体何を隠してるの?もう結婚したのに。どうしてもっと正直になれないの?まさか......まさか、人
今回は、絶対に京弥がどういう立場なのか、なぜずっと椎名グループにいるのかをはっきりさせるつもりだった。紗雪は給湯室に入り、コーヒーを一杯淹れた。ちょうどそのタイミングだった。彼女がくるりと身を翻したとき、偶然にも京弥の隣を歩く男の姿を目にした。男は早口で何かをまくし立てていた。京弥はずっと冷たい表情を崩さず、まったく興味を示さないまま、隣の男の話をただ聞き流していた。その光景を見た瞬間、紗雪の中で何かが繋がった。そもそも、プロジェクトの相談に来ているのは彼じゃない。あの態度からして、明らかに相手の方が京弥に話を持ちかけている。でも、どうしてこの会社の社員たちは彼にあんなに敬意を払っているの?まさか......紗雪は赤い唇をきゅっと引き結び、目にひらめきのような光が宿る。どんなことがあっても、今日中に真相を突き止めてみせる。そう決意した彼女は、足早にその場を追いかけていった。ただ、今回は前とは違った。前回は追いかけようとしても、すでに姿が見えなくなっていた。けれど今回は、京弥のすぐ隣で、男が彼を囲むように話しかけ続けており、その顔には明らかな敬意の色が浮かんでいた。紗雪は今や、京弥が椎名グループの幹部か何かではないかと疑い始めていた。そうでなければ、他の社員がここまで丁重に接する理由がつかない。ちょうどそのとき、匠は熱を込めて業務報告をしていたが、視界の隅にどこかで見たことのあるシルエットが映った。それが誰かと気づいた瞬間、匠は思わず息をのんだ。おいおいマジかよ、奥様また来たのか!?匠は小声で京弥にそっと耳打ちした。「社長......奥様がいらっしゃってる気が......」京弥も立ち止まり、それ以上オフィスの方へ進むのをやめた。「本当か?」匠は目をぎゅっと閉じて答える。「間違いありません、彼女......すぐそこにいます」その言葉を聞いた瞬間、京弥はゆっくりと振り返った。見ると、スーツ姿の紗雪がこちらに向かってゆっくりと歩いてきており、その顔には明らかな怒りの色が浮かんでいた。その瞬間、京弥の胸がドクンと鳴る。まさか紗雪、自分の正体に気づいたのか?何がどうなってる......彼女がここまで来たのに、どうして誰も報告しなかった?紗雪の怒りをはらんだ
「やっぱり、緒莉のほうが気が回るわね。今回は確かに、私が唐突すぎたわ」美月はそう言って続けた。「あなたの言う通りよ。たとえ会社に入れるとしても、紗雪の部下という形ではいけないわね。他人の噂話が絶えなくなるもの」美月がやっと自分の言葉を理解してくれたのを見て、緒莉の顔にはさらに誠実そうな笑みが浮かんだ。「じゃあお母さんは、私が会社に入るとしたら、どのポジションが一番ふさわしいと思ってるの?」「もう少し考えさせて。改めて話すわ」美月はすぐには答えなかった。希望を持たせたあとで落とすのは可哀想だと考えたのだ。だが、緒莉は心の中で既に不満を募らせていた。同じ娘なのに、なぜ紗雪は直接会長のポストを得られて、自分はデザインディレクターなんて下位のポジションなのか。しかも、紗雪の下で働けだなんて。そんな扱い、納得できない。ここまで来ても、美月はまだ具体的な役職を教えてくれず、「考えさせて」とだけ言う。やっぱり、母は偏っている。そうとしか思えなかった。そう考えながらも、緒莉は顔に一切出さず、むしろ優しく母の後ろに回り、肩を揉みはじめた。「お母さん、最近は会社でもずっとお忙しいでしょ。私のことまで気を使わせてしまって、ごめんなさい」さらに緒莉は、思いやりのある口調で言葉を続けた。「私のことは急がなくて大丈夫。時間あるときに、少し考えてくれればそれでいいの。それか、いっそ私は会社に入らず、家でお母さんのそばにいてお仕えするのもいいよ」「お母さんのそばにいられれば、私はそれだけで満足なの」美月の顔には満足そうな微笑みが浮かび、緒莉の手の甲に自分の手を重ねて、優しく軽く叩いた。「本当に、気が利く子ね」だが、それきり彼女は何も言わなかった。緒莉は美月の後ろに立ちながら、徐々にその笑みを陰らせていった。美月はいつもこうだ。どちらも自分の娘なのに、ここまで差をつける。そんな緒莉の心中など露知らず、美月は一人でしみじみと感じていた。本当にいい娘たちに恵まれた、と。一人は有能で、一人は気が利いて思いやりがある。これから二川家がさらに発展するのも、もはや時間の問題だ。自分が心配することなんて何もない。......だが、こうしたやり取りのすべてを、紗雪は知らなかった。彼女は最初から心配
この言葉を聞いた美月は、本当に沈黙してしまった。そうだ、自分は緒莉の意見なんて聞いていなかった。ただ紗雪が嫌がるかどうかばかりを気にしていたのだ。なにせ、こんなチャンスは滅多にないし、緒莉にとっても会社の仕事に触れるいい機会になると思っていた。だから彼女は、この機会を手放すはずがない。そう、勝手に決めつけていたのだった。だが今、紗雪の言葉を聞いて、美月は「自分のやり方は本当に正しかったのか」と疑い始めていた。紗雪は母の表情が曇っていくのを見て、すっと立ち上がった。「その感じだと、やっぱり姉さんとはまだ相談してないんだね。だったら私の意見としては、まず彼女と話してみてほしい」「私のほうは、特に問題はないよ。もし姉さんが来てくれるなら、私は大歓迎だし」その言葉に美月の顔に少し安堵の笑みが浮かんだ。「さっちゃんは、本当に大人になったのね」紗雪は微笑んで答えた。「大人になったというより、母さんに少しでも楽をしてほしいからだよ。母さんがこれまでずっと苦労してきたのは、ちゃんと知ってる」「だから、もう少し考えてみて。私はもう行くから」そう言って紗雪は扉のほうへと歩いていった。美月も止めることはせず、彼女が残した言葉を反芻しながら、頭の中で整理していた。確かに、紗雪の言う通りだ。緒莉の意向を聞かずに勝手に話を進めてしまえば、独善的になりすぎる。結果として二人の娘がどちらも不満を抱えるようなことになれば、自分はその板挟みになってしまう。それだけは避けたい。やはり慎重に進めるべきだ。そう思った美月は、緒莉と話すことを決めた。一方、部屋を出た紗雪の顔つきは一変していた。先ほどの言葉は、ただの方便にすぎない。彼女は確信している。緒莉が自分の下で「デザインディレクター」を務めるなんて、絶対に受け入れないはずだ。あの女の野心の強さを、今や紗雪も嫌というほど思い知っている。あれでいて母の前では、あんなにも「善良なお嬢様」みたいな顔をしている。でも実際には、能力と野心がまったく釣り合っていない。だからこそ、自信がある。緒莉は絶対に自分の下には来ない。それは、彼女にとって「屈辱」でしかないのだから。紗雪は唇をつり上げてつぶやいた。「緒莉......プライド見せなよ。絶対来ないで。
彼女がここまで素直に応じてくれて、しかも自分によく似ているのを見て、美月としても、やはり心の奥で複雑な思いが渦巻いた。紗雪は美月の視線と向き合いながら、今日の彼女がどこかおかしいと感じていた。ずっとこんな目で自分を見つめてくるのに、何も言わないし、用件を切り出すこともしない。以前の彼女なら、言いたいことはズバッと口に出して終わりだったのに。どうして今日はこんなに引き延ばして、もったいぶっているのか。紗雪は我慢しきれずに、再び口を開いた。「母さん、今日は私を呼んだのって、何か用があるんじゃないの?」母とこうして並んで座っているだけでも、どこか気まずかった。この言葉を聞いた美月の表情に、少しだけ崩れが見えた。紗雪と視線を交わした後、彼女は深くため息をつき、やはり本当のことを話す決心をした。「......実は、今日はあなたと、あなたの姉のことを話したかったのよ」美月は深く息を吸ってから、静かに続けた。「今は会社を主にあなたに任せているけれど......緒莉の方は、どうすればいいかずっと考えていた」「どちらも私の娘。どちらか一方だけを選ぶなんて、母親として耐えられないのよ」その言葉を聞いた瞬間、紗雪の顔色が一変した。けれど、彼女はすぐに自分の感情を押さえ込んだ。反発するでもなく、静かにその話に沿うように問い返した。「それで......母さんは、どうしたいの?」美月は少し驚いた表情を見せた。まさか紗雪がこんな冷静に対応してくるとは思っていなかったらしい。反論されると思っていたし、激しく反発されることも覚悟していたのに。こうして穏やかに受け止め、話を続けようとする姿勢は、美月にとっても意外だった。本来なら時間をかけて彼女の感情をなだめるつもりだったのに、当の本人は最初から最後まで落ち着いていて、むしろこちらの言葉にきちんと付き合ってくれている。美月は小さく咳払いをしながら、本題に入った。「だから......緒莉も会社に入れて、何か役職を用意しようかと思ってるの」紗雪は眉をわずかに上げて尋ねた。「それで、母さんは彼女にどんなポジションが合うと思ってるの?」母の意見を正面から否定するのではなく、逆に問い返す形を取った。こうして母の方からこの話題を切り出してきたとい
紗雪は赤い唇をきゅっと引き結びながら、心中で思案を巡らせていた。母がわざわざ呼び出す目的は何なのか。「やっぱり一度顔を出した方がいいかも」いろいろ考えてみたものの、このことを知ってしまった以上、知らないふりなどできるはずもなかった。なにしろここは二川家の企業、彼女が戻って来ようが来まいが、美月にはすぐに分かってしまう。隠し立てなどできる状況ではなかった。紗雪は深く息を吸い込み、この事実を認識したうえで、やはり向き合うべきだと決意を新たにした。逃げても意味がないと悟ったのだ。秘書もまた、紗雪の言葉に頷いた。「他に何か変わったことは?」紗雪の問いかけに、秘書は首を振った。「いえ、緒莉お嬢様の方はとても静かで、特に目立った動きもありません。今のところあなたを訪ねてきたのは美月会長だけです」紗雪は軽く頷き、次回椎名グループに行く予定も心の中で一旦棚上げにして、そのまま会長室へと向かった。歩きながら、紗雪はなおも考えていた。母が呼び出した理由がどうしても読めない。扉を軽くノックすると、「入って」と中から声がしたので、彼女は扉を押して中へ入った。今回は、美月はいつものように机に伏して書き物をしている様子ではなく、姿勢を正して静かに座っていた。まるで彼女が来るのを待っていたかのようだった。その様子に紗雪は一瞬驚き、目を見開いた。だがすぐに平静を保ち、丁寧に挨拶した。「会長、私に何かご用でしょうか?」「午後は椎名グループでプロジェクトの報告をしていたので.....」美月は軽く「うん」と答えたが、それ以上の反応はなく、ゆっくりと目の前の茶を口にした。「ボーッとしてないで、座って」美月はそう言って顎でソファを示し、そこに座るよう促した。「はい」紗雪は素直に頷いて、何も言わずソファに腰掛けた。目の前の母があまりに穏やかな表情を浮かべているので、どこか落ち着かず、違和感すら覚えた。すると美月も立ち上がり、紗雪の隣へやってきて腰を下ろした。その距離の近さに、紗雪は動くことすら躊躇った。血の繋がりというものだろうか。母のそばでは、なぜか彼女はいつもよりずっと大人しくなってしまうのだった。美月はそんな紗雪の緊張を感じ取ったのか、彼女の膝の上に置かれていた手の甲の上に、自らの手を重ね、やさしく叩
紗雪がその場を離れた後、特に深く考えることはなかった。結局のところ、京弥の言うことはどれも筋が通っていたし、考えすぎても仕方がない。責任者は匠から緊急の電話を受けて以来、紗雪を見る目がどこか変わっていた。元々は、彼女をただのプロジェクト担当者だと思っていた。しかし今となっては、紗雪の立場がそれほど単純ではないことに気づいた。そうでなければ、匠から直接電話が来るはずがない。あの井上匠は社長直属の特別補佐で、普通なら一年に一度会えるかどうかという存在だ。それが今回、まさか自分に電話をかけてくるとは思いもしなかった。しかも、その電話の主な内容は――紗雪をその場からうまく連れ出すこと。彼が現場に向かったとき、なんと社長本人がそこにいたのだ。その光景に、責任者の眉間には思わずしわが寄った。彼の心の中では、あるひとつの答えが、静かに浮かび上がりつつあった。紗雪は、責任者がしきりに自分を見てくるのに気づいた。一度や二度ならともかく、何度も繰り返されると、さすがに彼女も不思議に思った。「どうしました?私の顔に何かついてる......?」「い、いえ......」責任者はその問いに即座に反応し、自分の行動が少し不自然だったと悟った。紗雪は思わず笑ってしまった。「ずっと見られているので、何か不都合かと思いましたよ」責任者は乾いた笑いを二度ほど漏らした。「いえ、本当に。ただ、二川さんが若いのにとても見識が深くて、それに能力も優れているので......部下たちにもぜひ見習ってほしいなと、そう思っていただけです」何はともあれ、褒めておけば問題ない、と彼は思った。果たしてその読みは正しかった。紗雪の注意はそちらに逸れ、彼を見つめる件について深追いしなくなった。「では本題のプロジェクトに戻りましょうか」紗雪は軽く咳払いをして、少し気まずそうに話を戻した。それを聞いた責任者はすぐに頷いた。「はい」......紗雪が椎名グループの建物を出たとき、どこかまだぼんやりとした感覚が残っていた。まさか、京弥の実家の会社と椎名グループがここまで深い協力関係にあるとは思わなかった。どうやら自分の見識が浅かったようだ。紗雪は瞳を細め、なぜか椎名グループに対して少し違和感を抱いていた。特に最
紗雪はその場に立ち尽くしたまま、真剣な表情の京弥を見つめながら、心の奥で自分の思い違いではないかと疑い始めていた。本当に、京弥が言っていたようなことなのだろうか。だが他に思い当たる節もなかった。紗雪の中で募っていた怒りと疑念は少し和らぎ、彼女は半信半疑のまま尋ねた。「本当に?」京弥は紗雪にそっと近づき、瞳を優しく輝かせながら、柔らかい声で答えた。「もちろん本当さ」その言葉に、紗雪はようやく彼の話を信じることができた。本当にプロジェクトの話をしに来ただけなのかもしれない。彼女が疑いを解いたのを見て、京弥もほっと胸をなでおろす。だが彼が完全に気を緩める前に、紗雪は不意に口を開いた。「でも、私がプロジェクトの進捗を聞きに来るたびに、京弥さんの姿があるんだけど。それは、本当に偶然?」その一言に、京弥も一瞬言葉に詰まった。だが真剣な眼差しを向けてくる紗雪を前に、必死に頭を働かせて、言い訳を考え出す。「椎名グループはいつも、クライアントとの面会時間が決まってるんだ」紗雪は初めて聞く話に、少し戸惑う。しかし、京弥は逆に主導権を握るような口ぶりで言った。「今日も15日だろ?」紗雪は眉をひそめた。「そうだけど、それが何?」京弥の唇が、微かに笑みを描く。「そう、今日は15日。だから俺も椎名グループにいるんだ」ようやく紗雪もすべてを理解する。彼女はうなずき、少し気まずそうに京弥を見て言った。「そっか......やっぱり私の勘違いだったみたい」京弥は自然な動作で、紗雪の頭を優しく撫でた。「気にするな。君のためなら、予定のひとつやふたつ、変えるのも構わない」彼の低く優しい声が紗雪を包み込み、まるで頭の中で花火が弾けたかのように、思考が吹き飛んでしまいそうだった。方向もわからなくなるような感覚に、彼女は言葉を失っていた。そのとき、プロジェクトの責任者がやって来て、彼女を呼びに来た。「じゃあ、行ってくるね」紗雪は京弥にそう言って、足早にその場を離れる。外では、紗雪もさすがに京弥の面子を立て、これ以上深く詮索しようとはしなかった。彼女も知っていた。男というのは、こういうことを一番嫌がるのだ。前回のように、もし問い詰めすぎたら、また不機嫌になられるかもしれないし
この言葉を聞いて、場には拍手が響いた。皆の紗雪を見る目には、さらに称賛の色が増していた。年は若いが、話し方も立ち居振る舞いも見事で、容姿端麗で仕事もスマート、性格も潔く、謙虚で堂々としている。これほどの女性を、誰が好まないだろうか。むしろ、もっと親しく付き合いたいとさえ思わせる魅力があった。会議がひと段落すると、紗雪は給湯室に水を汲みに行った。その途中で、京弥を中心に人々が取り囲んで歩いているのを目にした。スーツ姿の京弥は無表情で、どこか冷たく、近寄りがたい雰囲気をまとっていた。彼を取り囲む人々の態度は明らかに違い、ひどく丁寧で、ある者は明確に彼を恐れていた。紗雪はカップを置き、心の中の疑念が濃くなっていくのを感じた。彼女は自然と足を踏み出し、京弥に近づいて、何が起きているのか確かめようとした。一度や二度なら偶然かもしれない。だが今日は、どうにもただのプロジェクト交渉とは思えなかった。紗雪は唇を引き結び、腕をぎゅっと握りしめる。ここは椎名グループだ。ここにいる者たちは、高い地位と給料を得ているエリートばかり。どれもこれもプライドが高く、目線も厳しい人たちのはずだ。そんな彼らが、たかが案件を持って来ただけの男に、あそこまで頭を下げるはずがない。紗雪は早足で彼らを追いかけた。京弥たちが曲がり角を進んでいくのを見て、彼女も小走りでそこに向かう。だが、角を曲がった時、彼らの姿はすでに消えていた。「え......?」さっき確かにこの道を通ったはずなのに、どうして......?紗雪は首を傾げた。もしかして見間違えた?......いや、そんなはずはない。彼女はそのままもう少し前に進み、辺りを見回した。この一帯には会議室がいくつも並んでいた。もしかして、ここで会議をしている?だとしても、なぜ自分を避けるような真似をする?紗雪はさらに数歩進み、そろそろ諦めようかとしたその時、背後から、京弥の声が響いた。「さっちゃん?こんなところで何してるの?」その声に、紗雪は勢いよく振り返った。そこには京弥ひとりだけが立っていた。......え?さっきまで周りにいたあの人たちは?紗雪は一瞬言葉を失い、そして心を落ち着けるように問い返した。「もちろ