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第824話

Author: レイシ大好き
「母さん」

紗雪が声を上げたその瞬間、電話の向こうの美月の言葉はぴたりと止まった。

その懐かしい声を聞いて、美月は一瞬何が起こったのか理解できなかった。

伊藤と目を合わせた美月も、どちらも驚きの表情を浮かべて、信じられない思いでお互いを見つめた。

どうやら、二人とも同じことを考えていたようだ。

たった一言、美月は最初、自分が聞き間違えたのかと思った。

でも、今になって気づいた。

自分の娘は、どんな時でも一言だけで、自分のことを分かってくれるのだと。

紗雪は再び言った。

「母さん、ごめんなさい。心配をかけて。もう目を覚ましたよ。今病院で体調を整えているところ」

紗雪の声を確認した後、そしてその言葉を聞いた瞬間、美月の涙は止まることがなかった。

自分がどれほど愚かだったのか、ようやく分かった。

こんなに素晴らしい娘がいるのに、その愛情を与えなかった。

同じ娘なのに、なぜ違いをつけていたのか?

やはり、人は失って初めて、本当に大切なものが何かを理解し、何を大切にすべきかを学ぶものだ。

伊藤は年齢を重ねているが、そっと顔をそむけ、袖で涙をぬぐった。

この子は本当にしっかりしている。

目を覚まし、自分の母親に電話をかけ、すべてを自分の責任にしている。

美月は涙を流しながら、喉が詰まるように言った。

「バカな子ね。そんなこと言わないで。

紗雪が謝ることなんてないわ。私は紗雪の母親なのよ。本当に心配してたんだから......」

後半の言葉は、美月が声を震わせて言ったので、あまりはっきりと聞き取れなかった。

美月は自分が言いたいことが言えないことに少しもどかしさを感じていた。

でもその時、紗雪の冷静な声が電話の向こうから響いた。

「母さん、ちゃんとわかってるよ」

美月はその一言を聞いた瞬間、自分が何を言ったのか、紗雪は全部聞いていたことに気づいた。

しかも、きっとしっかりと聞き取っていたことが分かった。

美月は完全に我慢できなくなり、涙ながらに声を震わせて叫んだ。

「紗雪、本当に心配だったのよ。

私が悪かった、あなたに厳しすぎた。全部私のせいだ......

もう何も望まないから。これからは自分を大切にしてほしいの」

紗雪の目にも涙が浮かんでいた。

彼女は今まで、こんなに涙を流している美月を見たことがなかった。

美月が
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