LOGINそんな嫌な気持ちを抱えたまま始まったデートは、いつも通りノープランだった。私が「ここ行かない?」と提案し、「これ食べたいな」と言う一方的なもの。正広は機械のように、「いいよ」とだけ返す。まるで、私の言葉にただ従っているだけ。義務で一緒にいるんじゃないかと思うほど、彼の態度は淡々としていて、しらけてしまう。会話も盛り上がらない。これって、本当にデートって言えるのかな。そして、出かけた後に時間が余ると、決まって連れて行かれるのは、正広の家。彼は実家暮らしで、お母さんは専業主婦。日曜ともなれば、お父さんも家にいる。最初に訪れたときの緊張感は、今でも鮮明に覚えている。だって彼氏のご両親に会うんだもの。粗相のないように、ちゃんとしなくちゃと思った。正広は私のことをきちんと紹介してくれるわけでもなく、自分でしっかり自己紹介から始めたっけ……。そして今日も、正広は何も気にせず親に「ただいま」と言い、私はぎこちない笑顔で「お邪魔します」と挨拶をした。彼の家族は優しかったけれど、慣れない空気に息が詰まりそうだった。そんな私の緊張に気づくこともなく、正広はいつも通りの顔で隣に座る。その無頓着さが、本当に憎らしいと思った。
実を言うと、こういうことは、今回が初めてじゃない。何度も何度も、同じような目にあってきた。約束の時間を過ぎても連絡はなく、気づけば彼は職場で仕事をしながら談笑している。そんな場面に何度も遭遇するうちに、心の中に小さな波紋が広がっていった。以前、私は勇気を出して、やんわりと伝えたことがある。「そういうこと、あまりしてほしくないな」そのときの正広は、少し驚いたような顔をしてから、パッと真剣な顔つきに変わり、言ったのだ。「可愛い萌を、みんなに自慢したいんだ」その言葉に、私は思わず頬を染めた。 えへへ、可愛い? そんなふうに思ってくれてるんだ。 嬉しいなぁ。ほんの少し、胸がキュンとした。その瞬間だけは、悪い気はしなかった。むしろ、ちょっと幸せだった。でも――、何度も同じことを繰り返されるうちに、その「自慢したい」という言葉は、だんだんと空っぽに響くようになってきた。私の気持ちを汲むでもなく、ただ自分の満足のために私を連れ回すような態度。そのたびに、胸の奥にモヤモヤが溜まっていく。あのとき、胸がキュンとなった過去の自分を、今では叱ってやりたいくらい。どうしてそんな、薄っぺらい言葉に揺れたんだろう。今はただ、嫌な気持ちが胸の奥で静かに燻っている。どうにかしたいのに、できないもどかしい気持ち……。
「迎えに行く」なんて言っておきながら、連絡ひとつ寄越さず、約束の時間はとうに過ぎていた。彼女との約束を無視し、そのくせ郵便局で仕事をしているとは、一体どういうことなのか。「……今日、非番じゃなかったっけ?」ぽつりと漏れた言葉は、誰にも届かない。怒りとも呆れともつかない感情を抱えながら、私は郵便局の扉の前を行ったり来たり、所在なげにうろうろしていた。勝手に中に入る勇気はない。だって、私は郵便局員じゃないもの。正広の彼女だからといって、入っても許されるものではないだろう。それに……、私から正広を訪ねていくのは、なんだか負けた気がする。本来の待ち合わせは私の家で、正広が迎えに来ることになっていたのだから。そんな私の葛藤をよそに、ようやく私の姿に気づいたのか、正広がガラス扉をガラガラと開ける。そして、先ほどまで談笑していた同僚に向かって、勝ち誇ったような笑みを向ける。「じゃあ、俺たちはこれからデートだから」 「いやー、羨ましいっすねー」同僚からの、明らかな社交辞令の一言。それなのに、正広は社交辞令と気づいていないのか、誇らしげな顔で私の隣に立った。なに、その顔。 その、ドヤ顔。私は恥ずかしいやら呆れるやらで、ため息しか出なかった。
切れたままの携帯電話を握りしめ、私はしばらくその場で呆然としていた。頭の中にハテナがたくさん浮かぶ。まったくもって理解が追いつかない。約束の意味とは……? はて……?私の家から徒歩一分の距離にある郵便局――そこが正広の職場だが、どうやらとうの昔に着いているらしい。 少しも悪びれることもなく、「歩いて来い」と言い放った正広に、私はもう思考が停止しかけていた。郵便局まで、確かに近い。文句を言うほどの距離じゃない。でも、迎えに来るって言ったじゃないか。約束は約束じゃなかったのだろうか。だったら最初から郵便局集合にしてほしいものだ。ぶつぶつと不満をこぼしながら、私は歩を進める。朝の光に照らされたアスファルトはじんわりと温かいのに、私の心は温度をなくしていくみたいだ。郵便局の敷地、建物の裏側に回る。郵便車やバイクが並んでいるが、正広の姿はない。「中かな……?」私はそっとガラス窓に近づき、反射する自分の顔を避けるようにして中を覗いた。するとそこには、カウンターの奥で同僚と談笑しながら仕事をしている、正広の姿があった。笑っている。それも、とんでもなく楽しそうに。なんでやねんと、ツッコまずにはいられない。この状況が意味不明すぎる。正広の予測不能な行動に、まったくもってついていけない私がいた。
日曜日は、決まって正広の運転する車に乗ってデートをすることがいつも通りの私たち。私の仕事は土日休みで、正広は日曜と平日が交互のシフト制。だから、ふたりの休みが重なるのは日曜だけ。その貴重な一日を、私はいつも楽しみにしている。前日に、「明日家まで迎えに行くよ」と連絡をくれたから、私は朝から少しだけ浮かれた気持ちで、家の前で待っていた。髪もいつもより丁寧に整えて、服も選んだ。だってデートだもの。少しでも可愛く見せたいって思う。だけど、約束の時間になっても、正広の車は現れない。時計の針が静かに進んでいく。五分、十分、十五分――。そのたびに、胸の中に小さな不安が芽生え、やがてじわじわと広がっていく。もしかして、事故にでもあったんじゃないか? 連絡できない何か重大なことでも起こったのか?そんな考えが、頭の中をぐるぐると巡る。考えても埒が明かないので、不安になりながらも正広に電話をかけた。コール音が鳴るたびに、不安でいっぱいになる。そして、いつも通りの彼の声が聞こえた。「もしもし?」「正広、今どこ?」「ああ。郵便局にいるから、来て」その言葉はあまりにもあっさりしていた。まるで、私との約束はなかったものとして扱われているようだ。私が電話したことは間違いだったのか。今日って、デートの約束だったよね? 家まで迎えに行くって、言ったよね?わけがわからない。 私の中で、正広に対する気持ちが、静かに崩れ落ちていく気がした。
江藤くんは、システムエンジニアとして入社しただけあって、パソコンにめっぽう強い。だから、私はパソコン関係でわからないことがあると、たいてい江藤くんに頼ってしまう。忙しいとは思っているけれど、頼りやすいのは江藤くんなのだ。「江藤くん、ちょっといい?」 「どうしました?」声を掛けると、江藤くんは手を止め、モニターから顔をひょこっと上げる。私くらいのパソコンの悩みなら、彼にとっては朝飯前なのか、いとも簡単に解決してくれる頼もしい存在だ。そんな関係を続けていたからか、江藤くんとは遠慮なく、何でもざっくばらんに話せる仲になった。仕事のことも、ちょっとした愚痴も、時には恋愛の話も。私は普段お弁当を持ってきているけど、そうじゃない日は一緒に社員食堂でお昼を食べたりもする。「今日は食堂?」なんて、江藤くんから声をかけてくれる日もある。そんな日はきまって、社員食堂で並んで昼食をとる。他愛もない話をしながらの、ゆったりとした昼食時間。私に彼氏がいることも、江藤くんに今彼女がいないことも、お互い知っている。だからこそ、「最近どうよ?」なんて会話が、成り立つのかもしれない。その関係が、なんとも言えず安心する。近すぎず、遠すぎず。その距離感が心地いいみたいだ。