Masukふいに、江藤くんが口を開いた。「保存する場所に本来あるはずのフォルダが、なぜかなかったから。 追加してインストールしたら、成功したよ」 「えっ? ああ、うん。そうなんだ」江藤くんが、私にもわかるように丁寧に説明してくれる。そうだった、今はパソコンのエラーを直してもらっているんだった。私ったら、余計なことばかり考えてしまっている。でも、ちゃんと聞きたいのに、雑念ばかりが頭を支配し、何も入ってこない。こんなんじゃダメだってわかっているのに。ずっとドキドキしている。 ありえないくらいに、緊張もしている。 自分の鼓動を抑えるので、精一杯だ。「あ、ありがとう」そう言うと、江藤くんは軽く微笑んで、自席へ戻っていった。――こんなの、いつものことなのに。 いつも通りの私たちのはずなのに。やけに心臓の音がうるさく響いてくる。 こんな気持ち、初めてで戸惑う。だって、江藤くんが私のことを好きって言うから。 だから、意識しちゃうんだよ。 意識しないわけないじゃない。この気持ちは、もしかして……恋とでもいうのだろうか? いやいや、まさか、そんな。そんなことを思いつつも、胸の奥で何かが膨らんでいく気配がする。 それは、否定しようとしても否定できない、江藤くんへの気持ちだった。
いつも優しくて、頼りになって。 楽しい話もいっぱいしてくれて。 私の話も、いっぱい聞いてくれて。 一緒に仕事をするのが、楽しくて。だけど、それが当たり前だと思っていた。 当たり前すぎて、それがどんなに優しい対応だったのか、気づいていなかった。江藤くんと一緒にいることは心地よくて、自然と甘えられたんだ。 そして、江藤くんはそれを快く受け入れてくれる、懐の広い人だった。でも、今わかった気がする。それは、相手が江藤くんだから甘えられたんだと思う。 江藤くんじゃなかったら、こんな風に甘えることはできなかった。江藤くんだったから――あれもこれも、相手が江藤くんだったからできたこと。私は、江藤くんのこと――ふと、視線が合う。彼の瞳が、まっすぐにこちらを見ている。私が江藤くんのことばかりを考えていたことが、バレてしまったのではないかと動揺してしまう。心臓がドキリと揺れ、頬に熱が集まるのがわかった。私は思い切り、江藤くんのことを意識している。 目をそらしたいのに、そらせない。 そらしたくないのに、そらしたい。 そんな、恥ずかしいような気持ちに、自分でもあり得ないくらい動揺しているのがわかる。心臓の音が、どんどん速くなっていく。 胸の奥をぎゅっと掴まれるような感覚に、ぶるりと体が震えた。
仕事中、ソフトウェアのインストールに失敗してしまい、見たこともないエラーメッセージが出てきた。焦った私は、すぐに江藤くんに助けを求めてしまう。やっぱり江藤くんを頼りにしているし、江藤くんなら何とかしてくれるはずという信頼感があるからだ。急な私の呼び出しに、江藤くんは嫌な顔ひとつせず来てくれる。 パソコンを覗きこむ姿に、私は椅子ごと左に寄って、彼の作業を見守った。モニターに現れる、たくさんのウィンドウ。それを見ているだけで、目が回りそうになる。私には、それが何をやっているのか、さっぱりわからない。江藤くんは、右手でマウスを操作しながら、左手はキーボード。そして視線はモニターへ。ブラインドタッチでキーボードを叩き、流れるような作業をこなしていく。 その姿が、なんだかすごくかっこよく見えた。真剣な横顔。 迷いのない手の動き。 私にはない、豊富な知識。きっと、頼れるって、こういうことなんだな、なんて漠然と思った。 あの日から、ずっと江藤くんを意識している。 答えは出していない、ありがとうとお礼を言っただけ。 江藤くんは答えを待っているのかもしれないけれど、整理できない私の頭は、まだ江藤くんへの答えを渋っている。だけど、折に触れて江藤くんの優しさや気遣いを感じて、胸の奥がふわっとあたたかくなる。心にぽっと灯りがともる感じ。簡単には消えそうにないその灯りは、私の胸をじわじわと広範囲に照らしていく。
どう考えても、告白をされている。 いくら超鈍感な私でも、わかっている。でも……予想外すぎて、どうしたらいいかわからない。 だって、まさかそんなことが起こるなんて、思いもよらなかったもの。思考回路はショート寸前。ああ、そんな歌詞、どこかの歌にあったなぁ。なんて、そんな余計なことは頭をよぎるのに、肝心の江藤くんへの返事が思い浮かばない。 だって、そんなことあるわけないって、まだ頭のどこかで思っていて……。 現実を受け止められなくて……。必死に考えて考えて、ようやく出てきたのは、なんともシンプルなものだった。「ありがとう」 「この期に及んでありがとうなの?」 「だ、だって、突然だったから……」 「辻野さんらしいね」これでもかと赤くなる私とは対照的に、江藤くんは楽しそうに笑った。その笑顔は、なんだか素敵に眩しくて。 いつもの江藤くんなのに、いつもの江藤くんじゃないような。そんなことがあったものだから、家に帰ってからもドキドキが止まらなかった。布団に入っても、目を閉じても、心臓の音がうるさい。バカみたいにドキドキとしてしまって、胸がきゅっとなって苦しくなって――その日はもう、自分の情緒が大変だった。でも、その大変が、ちょっとだけ嬉しかったりもした。
やばい、心臓がドキドキと音を立て始めた。 待って、待って。ちょっと落ち着いて私。江藤くんがそんなことを言うものだから、今までの思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。会社にいるときは、いつも気にかけてくれる。 わからないところを丁寧に教えてくれる。 突然のお誘いにも、快く付き合ってくれる。 いつだって愚痴を聞いてくれ、アドバイスをくれる。 結婚式に乗り込んでさらいに行くと言ってくれて――もしかして、全部が私に向けられたメッセージだったとでも言うのだろうか。 だとしたら、私ったら、超鈍感すぎて申し訳ない。江藤くんを意識した途端、ますます鼓動が速くなり、頬が熱くなってきた。 今にも顔から湯気が出そうで、思わず両手で頬を押さえる。ちらりと彼を見れば、とても真剣な瞳で私を見つめる。「俺は、ずっと前から辻野さんが好きだよ」 「っ!」その言葉に、私は息を飲んだ。衝撃が大きすぎて、言葉が出てこない。息をするのも忘れるくらい、時が止まったように感じた。目の前にいる江藤くんは、出会ってからずっと優しくて、ずっとそばにいてくれた人。そんな彼が、私のことを「好き」だと言う。全然気づかなかった。そんな素振り、なかったように思う。 だけど、妙に胸の奥があたたかくて、くすぐったい。 素直に、嬉しいと思ってしまった。
だって、江藤くんったら、そんなこと一言も言わないんだもの。それならそうって言ってくれたら、私だってもう少し遠慮したと思うのに。こんな風に気軽に誘って付き合ってもらって、申し訳なかったな。そんなことを考えていると、江藤くんにじっと見られていることに気づいた。頬杖をつきながら、大きく息を吐き出す。その目は呆れているようで、でも少し優しい。「え、何?」 「辻野さんって、ほんと鈍感だよね」 「え、私?」 「ずっとアピールしてるのに、何で気付かないの?」その言葉に、私はきょとんとしてしまう。ん? どういうこと? 鈍感? 気付かない?って、私のこと? ずっとアピールしてるって、まさか私に?頭の中を整理していくと、そうとしか解釈できない。理解が進んでいくと、体の奥の方がぶわっと熱くなった。「えっ、うそ?!」 「俺の言葉は冗談じゃなく、全部本気だからね」ま、まままままさかの、私ですか?!頭の中が真っ白になって、椅子から転げ落ちそうになる。心臓はバクバクと暴れ出し、顔は一気に熱を帯びていくようだ。衝撃が大きすぎて、さっきまでの自己嫌悪も涙も、全部どこかへ吹き飛んでしまった。目の前の江藤くんは、いつも通りの顔で、でもその目だけがまっすぐに私を見つめていた。その目はすごく優しくて甘くて、私をドキドキさせるには十分すぎるほどの破壊力があった。







