LOGINずっとワイングラスを手にしたままだったセレーネが、ついに顔を上げた。顔に浮かべた笑みは崩さなかったが、その瞳の奥の色はより澄み切り、そしてより鋭く変わっていた。彼女は静かに問い返す。「謝罪ですって?私があなたに、一体何をしたというのですか?」広間の空気が一瞬にして張り詰めた。モルウェンナは微笑み続けた。まるで自身が本当に理不尽な被害者であるかのように、忍耐強く、理解に満ちた笑みだった。彼女は柔らかく、しかし的確に急所を突く声で答える。「私を尊重してくださるからこそ、ここにいる全ての淑女の皆様が、皇妃殿下も含めて、私に謝罪してくださいましたわ。彼女たちは私を無視し、孤立させ、さらには不当に差別したのです」全員の視線が彼女に集まった。モルウェンナは少し言葉を区切り、セレーネを真っ直ぐに見据える。「あなたもその全てにおいて、大きな役割を果たしていたのではありませんこと、公爵夫人?」セレーネはすぐには答えなかった。ワインを少しだけ口に含み、それから平坦な声で告げる。「私はそのようなことはしておりません。そして当然ながら、それらは全て、各々がこの社交界でどう生き抜くかを選び取った、個人の決断によるものですわ」モルウェンナは心底失望したかのように、小さく息を吐いた。そして、少しだけ圧をかけるように言葉を継ぐ。「ですが、お分かりになるはずです。私があなたを尊重しているように、あなたも私を尊重する必要があるのだと」セレーネは眉をひそめた。モルウェンナは横へ顔を向ける。「そうは思いませんこと、公爵閣下?」ずっと沈黙を保っていたディリアンが、ついに視線をセレーネからモルウェンナへと移した。短く間を置き、彼はようやく口を開く。「セレーネは、セレーネの好きにすればいい」その一言は、何かが砕け散るような音を立てて広間に落ちた。モルウェンナは絶句した。ほんの一瞬で笑みが完全に凍りつき、それから再びセレーネへと視線を戻す。周囲の客たちは互いに顔を見合わせていた。ディリアンの答えは明白だった。彼はモルウェンナを庇うつもりなど、毛頭ないのだ。モルウェンナはその気まずさを必死に塗り潰そうとした。彼女の声は先ほどよりも明らかに硬くなっていた。「せめて公爵夫人に、振る舞いに気をつけるよう注意を促すくらいはできるはずです
セレーネは薄く微笑み、静かに答えた。「ええ……もしそうしなければならないのなら、好きにさせればいいですよ」その言葉はひどく軽やかで、彼女の胸の奥底には微塵も触れていないかのようだった。周囲の何人かもつられて微笑む。安堵から笑みを浮かべる者もいれば、どう反応していいか分からずに笑う者もいた。エステラはセレーネの顔をしばらく観察し、冗談めかしながらも明らかな探りを入れるような声で尋ねた。「今回は本当に……彼が愛妾を囲うのを許すおつもりなの?」セレーネは一切の迷いなく言い切る。「あの方がそれを望まれるのでしたら」それを聞いた女たちの顔に再び安堵の笑みが浮かんだ。その一言が、最初から澱のように溜まっていた緊張感を解きほぐすのに十分だったからだ。エステラは低くくすくすと笑い、気楽な様子で手をひらひらと振った。「ただの冗談よ。これで全てが終わったのだから、これからは私たちが結託してあの女を排斥してやるわ」セレーネもつられて笑ったが、その眼差しは鋭さを帯びていた。彼女は軽やかに指摘する。「皆様には到底無理なご相談ですわ。この後、彼女が公爵と共に現れたりすればなおさらですもの」エステラは少しも気にした様子もなく肩をすくめる。「私は全く構わないわ。あの女とはもう、これ以上関わり合いになりたくないの」他の数人の女たちも即座に相槌を打ち、頷いて同意を示した。「その通りよ」「私たちもですわ」「もううんざりだわ」セレーネは彼女たちを少しの間見つめ、薄い笑みを浮かべて広間の方へ顔を向けた。「それでしたら、あの方が到着される前に……今のうちにこの宴を楽しんではいかがでしょうか?」ほぼ一斉に、賛同の声が上がった。セレーネが歩き出そうと振り返った瞬間、誰かとぶつかりそうになる。彼女は反射的に立ち止まった。「失礼――」目の前に立つ人物の顔を見た瞬間、その言葉が途切れた。ジェイレスだった。第二皇子は人当たりの良い笑みを浮かべ、温かな眼差しでセレーネを見つめていた。「ちょうど良い時に到着したようですね、公爵夫人」セレーネは少し驚きながらも、優雅さを崩さずに微笑み返した。「あるいは、最も間の悪い時かもしれませんわ」全ての視線が、一点に集中した。セレーネが何か目立つことをしたわけでも、ジェイ
空気は完全に凍りついていた。ディリアンは一切怯むことなくモルウェンナを見据え、その体は決して崩れることのない強固な城壁のように立ち塞がっていた。たとえ守るべきものと運命を共にし、砕け散ろうとも、一歩も退くつもりはない。その背後で、セレーネは拳を固く握り締め、顎をこわばらせていた。モルウェンナが次に出る行動は、誰にも予測できなかった。しかし、今日この場にいる全員にとって、ただ一つだけはっきりと理解できたことがある。あの短い平穏な時間は、もう完全に終わりを告げたのだ。ディリアンはモルウェンナから微動だに視線を外さず、低く警告した。「俺を脅すな」モルウェンナは心底驚いたように眉を上げ、薄く微笑んで問い返した。「脅す?私はそんなことしているつもりはないけれど。あなた、脅されていると感じたの?」ディリアンは平坦に答える。「いや。だが、お前の言葉は脅しに聞こえる。俺に対してでなければ、他の誰かに対してな」モルウェンナの笑みが少し深まり、彼女は視線を滑らせてセレーネで止めた。「あなたもそう感じるかしら、公爵夫人?」セレーネは答えなかった。ただ視線を外し、顔は平静を保ちながらも、肩を硬直させていた。モルウェンナは狡猾な光を瞳に宿し、低くくすくすと笑った。「ああ、忘れていたわ。公爵夫人は元々私のことがお嫌いだったわね。私があなたの夫を誘惑したから」セレーネは沈黙を保ったままだった。一言も発さない。ディリアンは長く息を吐き出し、明らかに忍耐の限界を堪えて短く告げた。「行くぞ」モルウェンナは心底名残惜しそうに溜息をつき、少し小首を傾げて提案した。「残念だわ。どうしてここに残って、私と一緒に楽しんでいかないの?私たち、もうすぐ結婚するんじゃないの?それはつまり、私たちは家族になるということでしょう?」ディリアンは氷のような眼差しで彼女を見下ろした。「もう雰囲気はぶち壊しだ。また今度にしろ」返事も待たず、ディリアンはモルウェンナの腕を掴み、庭から無理やり引きずり出した。二人の足音が遠ざかり、モルウェンナの姿が木々の向こうへと消えていく。そこへ来てようやく、残された全員がまともに息を吸うことができた。胸を圧迫していた緊張感が、ゆっくりと溶け落ちていく。ジェイは肩の力を抜き、将軍たちは互いに顔を見合わ
セレーネはカーテンの隙間から差し込む朝の光で目を覚ました。全身が軋むように痛く、至る所が重だるい。完全に目を開けるまで、彼女はしばらくそのままでじっとしていた。諦めと微かな苦笑いが入り混じった溜息を吐く。昨夜、ディリアンは休む暇も与えず、休むことなく彼女を愛し続けたのだ。隣のベッドはすでにぬけがらだった。ディリアンはとうに目を覚ましているらしかった。セレーネはゆっくりと起き上がり、乱れた髪を整えると、身支度を済ませた。ほどなくしてデイジーが部屋に入ってきて、綺麗な衣服と封印された手紙を差し出す。「ご招待状でございます、奥様」デイジーが慎重に告げた。セレーネはそれを受け取り、差出人の名を確認する。エステラだった。彼女は長く息を吐き出し、小さく呟く。「いよいよ、今日なのね……」それはエステラや多くの者たちが決めた日――モルウェンナに心からの謝罪を捧げる日だった。宴や笑い声、偽りの仮面で包み隠された謝罪。モルウェンナを主役に据えた、そのための招待状。身支度を整えた後、セレーネはすぐには大広間へ向かわなかった。代わりに城を出て、ダグニーとディヴリオがラミアたちと共に暮らす山小屋へと足を向ける。胸のつかえが取れないまま、あの華やかな宴に臨む前に、子供たちが無事でいるかを確かめたかったのだ。ラミアの山小屋に近づくにつれ、そこに満ちていたのは緊張感などではなく、妙に楽しげで、ひどく賑やかな喧騒だった。裏庭では、ディリアンが腕を組んで無表情に立っており、その足元には何羽かの獲物となった鳥が無造作に転がっていた。ダグニーとディヴリオはすっかり泥だらけで、服は汚れ、髪はボサボサだ。その傍らでは、ジェイが二羽の鳥を掴み、誇らしげな表情を浮かべて立っている。「こいつは私が仕留めたのです」ジェイが早口で自慢する。「一発で」ダグニーは鼻で笑った。「一発ってね。最初は藪の中に盛大に外してたクセに」「あれは戦略ですよ」ジェイは涼しい顔で反論した。ディヴリオが一羽の鳥を持ち上げ、疑わしげにじっと見つめる。「これ、鳥なのそれともコウモリ?変な形だよ」ダグニーは弟の頭を軽く叩いた。「渡り鳥よ、バカね。黒いものが何でもかんでもコウモリに見えるわけないでしょ」セレーネは笑みを堪えながら近づき、声をかけた。
辺りの空気が、一瞬にして張り詰めた。ジェイレスは落ち着きを払い、セレーネは押し黙り、デイジーは息を呑む。単なる帰路に過ぎなかったはずの時間が、今や避けられない衝突の火種へと変わっていた。セレーネは眼差しを硬くしてディリアンを睨みつけ、声のトーンを一定に保ちながらも、その奥に明らかな怒りの炎を燻らせて言い放った。「そんな風に聞くなんて、どういうつもり?私がこの方と一緒に何をしたって言うの?」ディリアンが一歩踏み出し、二人の距離が縮まる。その眼光は鋭く、到底飲み込めない嫉妬を必死に堪えているかのように、顎の筋肉が引き結ばれていた。彼は重く、ほとんど詰問するような声で凄む。「一人で出かけておいて、こいつと一緒に帰ってきた。説明しろ、セレーネ。一体どういうことだ?」セレーネの斜め後ろに立っていたジェイレスが、事態を収拾しようと口を開きかけた。「俺は――」ディリアンは荒々しく声を荒らげてそれを遮り、氷のような視線を横に走らせて凄んだ。「俺は妻に聞いているんだ。貴様は黙っていろ」空気が完全に凍りつく。ジェイレスは口を噤んだ。先ほどまで残っていた薄い笑みは消え去り、代わりに、作り上げられた平穏な表情が浮かぶ。明らかにその扱いを不快に思いながらも、引くべき時を弁えている皇子としての振る舞いだった。セレーネは深く息を吸い込んだ。一度大きく胸を上下させ、どうにか声を一定に保ちながらきっぱりと告げる。「私の車が故障したの。エンジンが完全に動かなくなってしまったわ。だから、ジェイレス殿下にお送りいただけるようお願いしたのよ」ディリアンはたった今聞いた言葉が信じられないとでも言うように彼女を見つめ、より一層危険な響きを帯びた低い声で繰り返した。「……お願いしただと?」セレーネは一切の躊躇なく、彼を睨み返して答える。「ええ」ディリアンの忍耐が完全に決壊し、彼は声を張り上げた。「車なら修理できるだろう!でなければ、使いの者に別の車を呼ばせればいい。どうして、わざわざこいつと一緒にいる必要があるんだ?」その問いの裏には、単なる嫉妬だけでなく、より深く、暗く、苦々しい感情が渦巻いていた。セレーネは明らかに気を悪くした様子で鼻で笑い、反論する。「それが何か問題でも?皇子殿下とご一緒する方が、遥かに安全でしょう」
ジェイレスは口元に薄い笑みを浮かべた。「このような慈善夜会は、無視するにはあまりにも重要ですからね」彼は軽やかに答える。「それに、皆が恐怖から遠ざかることを選んだなら、帝国がまだ健在であることを示す者がいなくなってしまいます」二人の視線が、ほんの束の間交差した。冷え切り、距離感に満ちた大広間の中央で、この短い対話だけが唯一の「正常」なものに感じられた。それは、たとえ今は高い代償を払うことになろうとも、勇気というものがまだ存在しているという、無言の承認だった。セレーネは微笑んだ。穏やかでありながら、微かな距離を保った笑みだ。彼女は軽快な口調で告げる。「今夜、そのようにお考えなのは、殿下、あなたお一人かもしれませんわ」ジェイレスは彼女の視線を追い、閑散とした帝国の芸術大広間を見渡した。普段は笑い声に満ちているはずの壮麗な空間は、今や押し殺したような囁き声と、互いに距離を測り合う足音だけで満たされていた。彼は再びセレーネを見つめ、少し声を落とす。「皆が囁き合って……」彼は慎重に言葉を選ぶ。「あなたを……恐れているからですか?」セレーネは気を悪くした様子は見せなかった。その笑みは完璧に保たれ、むしろ一層柔らかみを増したように見えた。「そうではありませんわ」彼女は淡々と答える。人々の恐怖など、嘆くほどの価値もないとでも言うように。ジェイレスは彼女の顔を少しの間観察した。噂の嵐の中心にいる女にしては、その平穏はあまりにも整いすぎていた。やがて、何かを決断したかのように彼は口を開く。「それならば、今夜は私があなたのエスコートを務めさせていただきましょう」セレーネの瞳に僅かな驚きが走ったが、それはすぐに隠された。彼女は優雅に頭を下げる。「殿下にご一緒していただけるとは、光栄ですわ」ジェイレスは小さく声を立てて笑った。「遠慮なさらないでください。社交界に滅多に顔を出さないことで有名な公爵夫人をエスコートできる機会など、そうそうあるものではありませんから」「それもそうですわね」セレーネは薄い笑みと共に返す。「残念ながら、多くの社交行事はそれほど重要ではありませんもの」彼女の声に傲慢さはなく、ただ純粋な本音だった。その率直さが、ジェイレスの笑みをさらに深める。「ですが、あなたにお会いし
その朝、セレーネは違和感を覚えていた。朝食の席に、ディリアンがいる。しかも、同じ卓に腰を下ろしている。それは、ほとんどあり得ない光景だった。彼が屋敷にいる日でさえ、朝は執務室か自室に籠もるのが常だった。セレーネも、もう近づこうとはしない。どんな言葉も、どんな気遣いも。彼にとっては「邪魔」でしかないと、知ってしまったから。心の傷が、彼女の足を止めていた。「お祖母さんと母上が、後で来る」食器を置き、ディリアンが言う。セレーネは一瞬だけ彼を見た。「わたくしが、まだ療養中だとお伝えしましたか?」「だからこそ、見舞いに来る」淡々とした答え。セレ
その朝、空気は凍えるほど冷たかった。いつも通り、セレーネはディリアンの姿を見なかった。もはや慣れきっている。夫が屋敷に戻らないことなど、今に始まった話ではない。かつては、城の執務が忙しいのだと自分に言い聞かせていた。だが真実を知ってしまった今、胸に残るのは嫌悪だけだった。心の傷はまだ癒えていない。それでもセレーネは、時間が自分を強くしてくれると、必死に信じようとしていた。しかし、その朝は違った。突然、公爵邸に父、モロー伯爵が現れたのだ。「ヴィヴィエンヌに、いったい何を言った?」低く、重たい声。逃げ場のない問いかけだった。「何を?あの娘が、何か
――流産したばかり?混乱しているだけ?ヴィヴィエンヌは一瞬、言葉を失った。不快感を押し殺すように表情が強張る。ディリアンは彼女の手を無造作に振りほどき、そのまま振り返りもせずに歩き去る。取り残されたヴィヴィエンヌは、その場で静かに目を細めた。唇が歪み、怒りを噛み殺すが、やがてその端に、かすかな笑みが浮かぶ。――セレーネが本気で、離婚するつもりなら……胸の奥で、期待が膨らむ。「レヴェンティス公爵夫人、ね?」その称号を、舌の上で転がすように囁く。ずるりとした笑みが広がり、低く喉を鳴らして笑った。そして何事もなかったかのように、ディリアンの後を追う。…
食堂の空気が凍りついた。セレーネの言葉は氷のように落ち、ヴィヴィエンヌの顔色を奪い、ディリアンを立ち尽くさせる。まるで、初めて彼女を知ったかのように。「これは、お前らしくないな」ディリアンが低く呟く。セレーネは薄く微笑んだ。「わたくしのほうこそ、驚いておりますわ。ようやく、あなたがわたくしを見てくださったのですから」「その言い方、恥ずかしくないの?」ヴィヴィエンヌが堪えきれずに割り込む。セレーネの視線は平坦だった。「お二人に合わせているだけですわ。それで動揺なさるのは、なぜでしょう?」ヴィヴィエンヌは顔を引きつらせ、勢いよく立ち上がる。そのまま足