嬰喰使の女

嬰喰使の女

last updateLast Updated : 2025-09-10
By:  夜野たけりゅぬCompleted
Language: Japanese
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汝の劈開を示せ! 平安の怪物に嬰喰使クサビがハラワタを捻り込む!! 不死の山、富士山の貞観(じょうがん)大噴火が起こった平安初期。関東では各地に人の心魂に土魄(どはく)が憑いた怪物、嬰嶽(えいがく)が出現していた。  クサビは、地獄判官が指揮する関東検非違使所(けびいしどころ)で嬰嶽狩りに従事する嬰喰使(えばみし)である。嬰喰使とは身中の嬰喰(えばみ)を駆使して嬰嶽を解除(げじょ)=滅殺する者のことだ。         ある日の嬰嶽狩りの途次にクサビは野盗に強殺された旅の一行の中から幼女を救い出す。 ユウヅツと名付けて養女にしたその子はクサビが忘れていた平穏を取り戻すよすがとなるが、その正体は全てを変える運命の子だった。

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一、関東検非違使所(カントウケビイシドコロ)
 平安初期の貞観年間(865年前後)、不死の名を冠する富士山は大噴火を繰り返し常に噴煙を上げていた。その不死の山を西方に臨む最果ての地、武蔵の国に関東検非違使所はあった。国衙(=国の役所)に隣する検非違使所の館は貴顕の住まいもかくやというほど豪壮だ。 檜皮葺きの巨大な母屋に東西の対屋を従え、白砂を敷き詰めた御前の向こうは滔々と池水が広がり、須弥山を模した峻厳極まる中島が浮かんでいる。館の主は地獄判官様。その名は、悪逆の咎を受け死罪となりながら地獄より蘇ったことが由来だという。本来の長官、別当は京の都にあって武蔵国には下向しないゆえ、在所で政を司るのが判官である。判官は辺境の地にあって衛門尉、従五位下という官位を持ち、さらに軍事・警察・裁判を統べるがゆえに、大守(国司)を凌ぐ権勢を誇る。 その館の一角、東の対屋は上臈の御方々の居所で、母屋並びに廂の間には御簾や屏風、几帳で仕切られた局室が並んでいる。東廂の簀子を通って一番奥まで行くと漆喰壁で囲われた一室、塗籠だ。そこは間口が格子になっていて、まるで檻のような設えなのだった。それでもこの離れの局室という扱いになっているが、居るのは上臈ではない。格子から中を覗くと、光がうっすらと射し込む藁床の上に襤褸のようなものが載っていることに気づくだろう。その襤褸は藁の上で全く動かないのだが、飽きずにじっと見ていると、かすかに上下に動いているのが分かる。息をしているのだった。 足音が近づいて来る。しっかりとはしているが調子の崩れた足音が格子の前に停まる。その音に反応して襤褸が頭をもたげ、炯炯と光る眼を格子の外の人影に注いだ。「クサビ、地獄様がお召しだ」 クサビというのがその襤褸の名だった。この関東検非違使所で走り隷の役につく女だ。走り隷とは野盗や罪人の追捕を担うものを言う。それならば上臈の住まう東の対屋でなく、域外の隷長屋にいるのがふさわしいが、クサビは判官様の命で去る夏からず
last updateLast Updated : 2025-09-01
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二、夕星(ユウヅツ)
 翌朝、関東検非違使所の門前はまだ暗く人の往来はない。獄門下に目をやるとそこに赤い小袿を壺に被り市女笠を手にした旅装姿のクサビが佇んでいる。小袿の中から東の空を一瞥して茜色に染まりだしたのを確認すると、クサビは一人出立した。スハエは現れていないがいつものことだ。ここから西には一本道で最初の三叉まで終日歩かねばならない。いずれ追いつくつもりなのだ。 一時ほど歩いて来たところ、薄の穂が風に揺らぎ、まるで波のように揺蕩う原に出た。右手奥に禿山が控えもするが目に見える限り全て薄である。そこを壺装束のクサビがよろよろと歩く。薄野を割って走る一本道は泥濘んで足元が心もとないのだ。ただでさえ歩きずらい格好をしている上、草履に慣れないため、クサビの足はなかなか前に進まない。こんなことでは早々にスハエに追いつかれ汚い言葉で罵られてしまう。クサビは草履を脱ぐと慣れた素足になって歩き出す。これならば倍の速さで進んで日の入り前に西の三叉にたどり着ける。  クサビが歩き出してしばらくすると男が駆けて来くるのが見えた。足元はクサビと同じく裸足で、身なりは黄ばんだ水干を着てい、姿からすればおそらく公家や寺社に仕える雑色のようだ。その雑色はそのままの勢いでクサビの横を通り過ぎたが、少し行ってから足を止め、「この先はだめだ」 と喘ぎながら言った。しばしこちらを見ていたが、クサビの反応がないものだからすぐに走って行ってしまった。あの慌てようでは野盗でも出たのだろう。こんな一本道でも見渡す限り生い茂ったこの薄野ならばありえそうなことだった。待ち伏せするに潜みやすく、逃げるに紛れやすい。彼方に見える禿山の裏手に山塞があってもおかしくはない。 しかしクサビはまったく動じない。野盗など恐るるに足りないのだ。女のクサビが屈強な男どもと
last updateLast Updated : 2025-09-02
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三の上、座間輝安彙(ザマキアンノタグイ)
 クサビとユウヅツが三叉に辿り着いたのは、一つ星が西の地平に消えた後だった。スハエはさらに先に行ったのか三叉周辺には見当たらなかった。道標は苔生して読み取りにくかったが苔を削り落とすと「左 さま」とあった。座間とは古くは大寺があって栄えた場所で、ここからだと南に位置する。右は、夜空に不死の噴煙が赤く見えるから西へ行く道だ。今クサビが行くべきは南へ向かう左の道であろう。 左の道を進み出そうとした時ユウヅツを見ると月の光を浴びて不吉な顔色になっていた。クサビは思わずその小さな体を引き寄せて近くの木陰に隠れた。 クサビは先を急ぎたかったが、ユウヅツはひどく疲れていそうだ。元は貴顕の姫様。おそらく今まで長い道を歩いたことなどなかったのだろう。クサビはしかたなくこの辺りで夜を過ごすことにした。といっても苫屋すらない。道ばたで寝ていれば、それこそ野盗や野犬の餌食だ。見渡すと少し離れたところに夜空を背に森が黒く見える。あそこの木に拠れば休むことができるだろう。 近づくとそれは森と言うにはあまりに若すぎる橡の木々が生えた林だった。これでは樹上に昇る事も出来ないし、細すぎる木の幹には身を隠す事も出来ない。しかしユウヅツはこれ以上歩けなさそうだ。クサビは黙ってユウヅツを背負うと橡林の奥へと入って行った。遠くで犬が吠えている。ここで野犬の群れにでも襲われたら逃げようがないなと思いながら、クサビはさらに奥へと進む。  クサビはユウヅツのために梢の狭間から射し込む月の光を避けながら森の中を歩いてゆく。月光は人の命を吸い取るという迷信があるからだ。道からかなり離れてしまって三叉に戻れるか心もとなくなった。クサビもそろそろ疲れを感じ始めている。そうでなくとも今日はいろいろあったのだ。一人ならばそこらに体を横たえればいい。
last updateLast Updated : 2025-09-03
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三の下、座間輝安彙(ザマキアンノタグイ)
 まどろみの中、クサビは戸外に激しい衝突音を聞いた気がした。それは地鳴りを伴ってクサビのいる屋根裏の床をも揺るがしている。外で何事か起こっている。クサビは飛び起きた。ユウヅツが階の降り口に立って表を指差している。そのユウヅツは夢の中とはうって変わって色つやのある頬をしていた。クサビはひとまず安堵した。 階はすでに降ろされていて、屋根裏を明るくしていたのが下からの光だと気づく。女は外にいるのか、屋根裏部屋には居なかった。クサビはユウヅツにここにいるように言うと階を駆け降り、階下の石敷きにまろび出た。一瞬その明るさに奪われた視力が戻ると、須弥壇が破壊され石敷がめくれ上がって破壊尽くされた宇堂を見た。さらに壁にきららのような光の粒が踊っているのを見て振り返ると、昨夜は閉じてあった大扉も破られている。前庭に生い茂った曼珠沙華にもきららが散華していて、その中心に、降り注ぐ日差しを乱反射する小山のごとき物体がある。その上を舞うように動き回っている雉の尾がスハエだった。屋根裏で聞いた地鳴りはスハエの打槌だったのだ。スハエがクサビを待たず打槌を下すのは余程のことだ。それほど突然に対面したのだろう。クサビはスハエに手を上げて合図すると、堂宇から日差しの中に飛び出しスハエとの間に立った。クサビが代わって対峙する山、それこそ嬰嶽の一、座間輝安彙だった。  まるで近衛の剣のごとき輝く刺列を幾重にも纏ったその肢体、無数の切先をクサビに向けて蹲るその姿には一分の隙もない。時折聞こえる地の底から響く破擦音は、突然現れたクサビへの威嚇なのか、それとも非道な攻撃を繰り出すスハエへの恨み言なのか。「どこを攻める」 スハエがクサビに叫ぶ。クサビには分からない。嬰嶽はこれまで何度となく目にして来たがこの型はまったくの初見だった。 まず、嬰嶽の心魂を見出さなければならない。そうでなければクサ
last updateLast Updated : 2025-09-04
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四の上、厚木蛍宇津保(アツギホタルノウツボ)
 クサビらが関東検非違使所に帰ると、局室が西の離れの隷長屋に移されていた。嬰嶽の一、座間輝安彙を解除したことによる物忌のためであるが、おそらくこれからここがクサビの局室になる。判官様の居所からは少し離れたが檻でもなく明るい局室でクサビは気に入った。それとクサビがユウヅツを連れ帰ったことに頓着する者はいなかったので、おのずとそこに同居することになった。与えられる食餌はこれまでと変わらないので、そこはクサビの分をユウヅツに分けねばならなかったが。 そのユウヅツといえば、もとは貴顕の姫なのだからこの局室は決して相応しいとは言えない。それなのに己が境遇を嘆かず、当たり前のように振る舞っている。忌が明けてからというもの、内住まいの刀自や采女の子らに誘われて西の離れの中庭で駆けまわったりしているのを見ると、もともとここで育ったかのような気さえして来る。クサビとてもそれが違和感なく、むしろいついなくなるかと不安が募って、夜半にふと目覚めては隣で寝ているユウヅツの艶やかな髪に触れてみて安堵することがあるくらいなのだった。  意外だったのは、これまでクサビを恐れて近づこうともしなかった女たちが、ユウヅツが来た途端に親しげに局室を訪うようになったことだ。最初のうちはユウヅツに食べさせろと、山芋を干したものや赤米を盛ったのやらを持って来てすぐに帰って行ったのだが、そのうち何も用事がなくともクサビの局室へ来るようになって世間話というものをするようになった。それでも女たちは相変わらずクサビは怖いらしく、機嫌のよさそうな時しか話を交わそうとしなかったものの、おかげでこれまで全くといっていいほど情報のなかった検非違使所の外の様子が少し分かるようになった。厚木の市に現れるという嬰嶽を知ることにもなったのもここからである。  その時は、いつもより多くの女たちがクサビの局室に来て厚木の市の話で盛り上がっていた。それは先月の三の市が立った時のことだというから最近の事らしかった。
last updateLast Updated : 2025-09-05
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四の下、厚木蛍宇津保(アツギホタルノウツボ)
 クサビたちは晴れ渡った空の下をザワの母の居所に向かう。厚木の集落を抜けた先に小高い山が見えてきた。麓から続く急勾配の石段を上ると、貞観の大噴火前からのものなのか蒼然とした杜に隠れて古びた祠があった。さらにその杜に分け入り斜面を北側に回ると岩屋があった。入り口周辺には割れた土器が散乱していてどれもが錆色に赤く染まっている。ザワの母はこの中に居ると言う。「三秋になる」 ザワが絞り出すように言った。クサビが身をかがめて中を覗くとすぐ手前で二方に分かれていてどちらの奥も見えないが、洞内の饐えた土気の匂いから推して嬰嶽の巣であることがすぐに分かった。クサビはザワに小袿を渡し、ユウヅツを下の祠まで連れて行って見張っているように頼むと一歩中に足を踏み入れた。天井は低く赤錆色の壁が奥に向かって続いている。左手はすぐに行き止まりで、土気の匂いは右手の奥からしているようだ。じめついた中に進むとすぐに光が届かなくなった。クサビは脂燭に火を灯し壁に頼って洞内を進む。濡れた壁は丸みを帯びた小さな突起物がいくつも連なっていて蝋のように滑らかだ。洞は奥まるにつれ傾斜していて滑りやすく、草鞋に付いた泥濘の重さを足指に感じながら転ばぬように慎重に進む。さらに洞内を行くと、前方に一点の紫の光が見えてきた。クサビはそれまでの咽返るほどの土気が晴れて息苦しさが少し和らいだ気がした。灯に導かれつつさらに進むと、段々と足もとが水に浸されてきて、気付けば腰のあたりまで水没していた。その水は温かくそのままそこで安らいでいたい気にさせる。クサビは脂燭を捨て、手で水を漕ぎながら灯りに向かって行く。近付いて見ると、池の中に苔生した小島があって、そこに尺高の燈台が置かれ紫に光る玉が乗っていた。 クサビが寄せると小島が小さな波音をたて上下し、小島の燈台も右に左に揺れる。まるで波間の小舟のようなそれはおそらく浮島なのだ。クサビは燈台を倒して紫玉を落とさぬように慎重に取りつい
last updateLast Updated : 2025-09-06
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五、天青鬼鹿毛(テンセイオニカゲ)
 世話好きな刀自や采女たちが、紅潮した頬をクサビに向けて話しかけてくる。「またとない話じゃないか。なにを拒む理由があるのかい」 無論だ。関東最強の判官様がユウヅツの裳着の後見をしてくださると仰せになられたのだから。たかが走り隷の養女ごときを、この関東でおそらくもっとも権勢のある、これ以上望みようもない御方が介添えを申し出てくださるなど、僥倖以外のなにものでもない。だから拒んでいるわけではない。クサビは不安なのだ。ユウヅツの後見人になるということは、親になるのも同じこと。判官様のおわします御簾の向こうにユウヅツをやるということ、それは二度と会うことができなくなるということだった。ユウヅツのことを思えばその方がよいに決まっているが、同時にユウヅツと離れて暮らすなど今となっては考えられない、ユウヅツとの出会いは運命だとも思う。クサビはそれでずっと逡巡しているのだった。  ある日、大きな地震があった。ユウヅツが早朝より外出して不在だったためクサビは無事を案じた。大きな揺れがおさまり隷長屋から中庭へ出ると、人々が慌てふためいて行き来していて、全ての視線が不死の頂に向けられていた。西の空では噴煙の勢いが増し、黒々とした叢雲が広がり出していた。 クサビが局室にもどり倒れた調度を片付けているとエツナが訪れて言った。「地獄様が御馬を曳けと仰せだ」 以前は天災、人災に関わらず事が起きた時は、御前に馬を曳く習わしとなっていたが最近では珍しいことだった。それでも、それは御厩の役まわりだ。走り隷の任ではない。判官様の御馬を自分のような下郎に曳かせて良いものではあるまいとクサビは思ったが、それが仰せとあらば否応するべきことではないのだった。  判官様の御馬は鬼鹿毛という名で、庁の南に広がる牧のさらに奥、茅の生い茂る野原の中で飼われている。噂では相当な気性の荒さだと聞いていた
last updateLast Updated : 2025-09-07
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六、小夜姫(サヨヒメ)
 館の西門からユウヅツたちの痕跡は続いていた。それは道幅いっぱいの轍と、真ん中のか弱げな足跡だ。轍も足跡も泥濘るんだ道にはっきりと残っていたので、暗い夜道でもよく分かった。クサビはそれを頼りにユウヅツを追うことにした。 途中、遊行の僧に行き会った。ユウヅツのことを聞くと国分寺の者だというその僧侶が笠の中から言った。「そなたの娘御は、巨大な泥の山を積んだ土車を一人で曳いておった。土車から荒縄が伸びて娘御の首に巻き付けられておった」 さらに続けて、「あまりに不憫であったので、拙僧が書にて『ひと引き引いたば千歳供養、ふた引き引いたば万歳供養』という札を泥の山に立てておいたので、奇特な御仁がおれば助けてくれよう」 クサビは僧侶にお辞儀すると不死山が噴煙を上げる西に向けて先を急いだ。  ユウヅツの曳く土車が速いのか、それともクサビの出立が遅すぎたのか、全力で駆けているはずなのにまったく土車に追いつかなかった。 出立してから夜通しクサビは駆け続け、時に暗闇に轍を見失っては道の上をはいずって探し、見出しては追いかけた。やがて当たる風が冷たくなり、あたりが明るくなってきた。振り返るとすでに東の空が白み始めていた。道の上に目を落とすと足跡とともに血痕が点々と残っている。クサビが遅れれば遅れるほどユウヅツの身が危うくなってゆく。  それからしばらく行くと前方に木々が鬱蒼と生い茂る山塊が迫って来た。足柄山、関東の西端にたどり着いたのだった。山中は昼にもかかわらず暗く静謐に包まれていた。足柄の山道にもこれまで通りユウヅツの足跡と土車の轍は続いていたが、ここに来てクサビにはユウヅツに近づきつつあることが分かっていた。ところが山中に踏み入れてよりクサビは不思議な感覚にとらわれてなかなか歩が進まなくなってしまう。それはこの轍が今できたものなのか、ずっと以前にできたものなのかが分からないというものだった。さらにありえないことだが今よりもずっと先
last updateLast Updated : 2025-09-08
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七の上、琥珀地獄判官(コハクノヂゴクハンガン)
 クサビは人の背に負ぶわれていた。負ぶっているのは母のようだった。クサビは身を固くした。負ぶった赤子がぐずると後ろ頭でド突いて黙らすような女だからだ。そんなはずはない。母はずっと昔に死んだのだ。押しつぶされるような頭の重さを感じつつ、クサビはそこで目を覚ました。    クサビは衛士に負ぶわれていた。ザワだった。「どうして」「轍を追って来たらお前が道中で倒れていたので連れてきた」「サヨ姫は、いやユウヅツはどうした」「わからぬ。轍は足柄からずっと続いているが、ユウヅツは見当たらない」「ここはどこだ」「横走りの関」 そこから西に不死の山がもうもうと噴煙を上げる姿が遠望できた。「すまぬ。降ろしてくれ」 クサビはすこしよろけたが立てた。「礼を言う。ここからは一人で行く」「人手はいくらあってもよかろう」 相手はユウヅツだけではなく関東最強の嬰嶽、琥珀地獄判官と一緒なのだった。しかし、この任は誰のものでもない。クサビ自身のものだ。それにザワを巻き込むわけにはいかなかった。「ありがたいが一人で行く」 思った通りだという表情でザワは言った。「そう意固地になるな。援軍も直に来る」 すると真上から声が降ってきた。「すでにここに居るぞ」 見上げるまでもなく声でスハエだと分かった。逃げたのではなかったか。「糞のためではない。積年の恨みをはらす」 判官様から一番恩恵を受けたのはスハエだったはず。思いはザワも同じらしく、大げさなあきれ顔をクサビに向けた。 クサビは少し気持ちがほぐれて、ザワたちと同行することにした。「他の者たちは」   とクサビが聞くと、クサビの背後を指
last updateLast Updated : 2025-09-09
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七の下、琥珀地獄判官(コハクノヂゴクハンガン)
 溶岩帯は果てしなく続き、それにつれてクサビは自分の位置がわからなくなっていた。スハエの姿も見失っていまや溶岩の襞の中をはいずりまわる小動物の気分になっていた。両側は高々とそびえる溶岩の壁に迫られ、空は一筋の線のように見える。もうなん時も歩いているのに山へ登る感じがない。平坦な狭い場所をひたすら歩き続けている。世界から断絶してしまったかのようだった。 そんな中、溶岩壁が透けて見える時がある。幾重にもなった襞の中を戸惑いながら歩む衛士たちの姿が右手にも左手にも見える。大声をあげて呼んだが声は届かぬようだった。それに気を取られている間に足元がぬかるんで来ていた。底に溜まった蜜のようなものが絡みついて足を上げるのさえ億劫だ。蜜は溶岩壁の隙間からにじみ出ているようで、だんだんと嵩が増し、腰のあたりまで来て動けなくなった。蜜を手に取ってみる。刺激のある匂いがした。クサビはその時になってようやく気が付いた。関東最強の嬰嶽、琥珀地獄判官に取り込まれたのだと。 蜜はクサビの喉元の高さまで達し、いよいよ息の根を止めに来たかのようだった。泳ごうにも蜜は濃厚で重く、手先すら動かすことがままならない。このまま蜜に埋もれて嬰嶽の中で息絶えるのか。  その時、上方からずっしりとした衝撃音が響いてきた。見上げると一筋の空から強い光が降り注いでいる。そして再び、衝撃音とともに地鳴りのような振動が溶岩壁を伝って、蜜溜りの表面をゆらした。何度となく繰り返されるそれは、まさしくスハエが琥珀地獄判官へ打槌を仕掛けているものだった。その振動は蜜溜りを揺らし、クサビの体を浮き上がらせる。数十回も繰り返したころには、クサビは腰まで蜜溜りの上に出ることができた。そのまま溶岩壁に手を伸ばし、自分の体を引き上げ蜜溜りを脱出すると、クサビは溶岩壁をよじ登り始めた。壁か
last updateLast Updated : 2025-09-10
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