Masuk
――「リア充」って一体何なんだろう? 十分に自分の能力が発揮できる仕事があって、安定した収入があって、イケメンで仕事もバリバリできる彼氏がいて? 周りの人から羨ましがられる生活?
そんなの、ただのまやかしだ。現実はまったく違う。
仕事ができたって、手柄は横取りされる。収入はなかなか上がらない。なのに物価は高くなる一方で、生活はいつもカツカツだ。
彼氏はいる。同じ雑貨メーカーに勤める三年先輩で、イケメンで仕事もバリバリできる人。ただし、いいのは外ヅラだけ。その実態は束縛の強すぎるDV男だった。
彼――
あたしの仕事での実績は全部彼が自分のものにしてしまうし、会社の中でもあたしが他の男性と話しているだけで、彼は不機嫌な顔になる。それがたとえ上司だとか、取引先の人だったとしても。
そして、あたしのスマホにはいつの間にか所在確認アプリがインストールされている。もちろん入れたのは彼だ。つまり、あたしは常に彼から行動を監視されているのだ。
実家を離れて(とはいっても同じ都内だけれど)ひとり暮らし中なので、ほとんど逃げ場がない。どこに相談していいかも分からない。いつからか、「手を上げられるのはあたしが悪いからだ」と思うことで、自分が被害者だという現実から逃げるようになってしまっていた。
でも――、そんなあたしのことを救ってくれるヒーローがとうとう現れた。それも、マンションの同じ階のお隣に。
しかもそれは、意外にもあたしもよく知っている人だった――。
「……なぁ由衣。さっきからお前のスマホ、ブーブー鳴ってるけど、それ放っといて大丈夫なのか?」 直也くんと二人で楽しく晩酌しているというのに、水を差すような昨日とデジャヴな光景。あたしは画面も見ずにひとつ盛大なため息をついた。確かめなくても分かる。どうせ、こんなにしつこく電話してくる相手は一人しかいない。「無視していいよ。どうせ、かけてきてるのあの人だから」「あの人……って、あのDV彼氏か!? 連絡先ブロックしたんじゃなかったのかよ?」「したけど、あの人のスマホ、もう一台あったんだ。『こっちは仕事用だからほとんど使ってないんだ』って言ってたの。そっちもブロックするの、すっかり忘れてた……」 自分のマヌケさにガックリうなだれていると、直也くんは「お前は悪くねえって」と優しく慰めてくれた。「そんなん騙し討ちみてえなもんじゃん。一台ブロックされたからって、ほとんど使ってねえもう一台使ってまで電話してくるそいつの方がおかしいだろ。ストーカーの素質十分だな」「ストーカーって、そこまで言う? 直也くん辛辣……」 あたしは唖然として彼の顔を見つめる。 彼の中では、幸樹さんの評価はドン底らしい。……そりゃ、子供の頃からずっと好きだった初恋の相手(もちろんあたしのことだ)がこれまでどんなに酷い目に遭わされたかを知っていたら、悪い印象しか持てないだろうけれど。「言うだろ、そりゃ。だいたいなぁ、たかだか一年くらい前にお前と知り合ったようなヤツが、お前のこといいようにするのが気に入らねえよ。それも、大事にしてくれてんならまだいいけどさ。DVとか絶対許せねえ。こっちはもう二十年も由衣のこと想ってきたっつうのに」「二十年も……。直也くんも十分ストーカーの素質ありそうだよね。まあ、こうして両想いになれたからもうストーカーにはならないけど」「おう、そりゃもちろんならねえよ。俺、お前を困らせらるようなことだけはしねえって決めてっからな、ガキの頃から」 それはあたしがいちばんよく知っている。というか、それは人として当たり前のことだから、何もわざわざ声高に言う必要なんてないのだ。「それにしても、二十年の片想いか……。長いよね」「うん、長えな。自分でもそう思う」 それだけあたしのことを本気で好きだったということなのだろう。そうでなけれ
「――とりあえず、何か飲むか? ノンアルビールならあるけど」 直也くんはキッチンで、冷蔵庫を覗きながらあたしに声をかけた。飲み物とは別に、いくつかの食材も取り出しているのは、何か簡単なおつまみでも作ろうとしているのかもしれない。「うん、それでいいよ。明日も仕事だし、今日は直也くんに話さないといけないことがあるから酔っ払ってる場合じゃないし」「オッケー。じゃあ俺、簡単に何かつまみ作って持ってくから。先にこれ、テーブルに持ってってくれる?」「はいはーい」 彼はあたしにノンアルコールビールの缶を二つ預け、自分はIHコンロの前に立った。ちなみに、あたしの部屋と彼の部屋のキッチンにあるIHコンロはどちらも二口タイプである。どちらもよく料理をするからだ。「何なら由衣、先に飲んでてもいいけど」「ううん、待ってるよ。その前にあたし、直也くんに一つ謝らないと」「ん? 謝るって……、勝手に玲奈ちゃんに俺の連絡先教えたことか? それなら俺は別に怒ってねえから、謝る必要ねえけど」 彼は手を動かしながらも、ちゃんとあたしの話に耳を傾けてくれる。「そのことじゃなくて……。あたしね、今日会社帰りにお店の近くまで行ったの。直也くんじゃなくて、陽菜さんに会いに」「陽菜ちゃんに?」 その名前を聞いた途端に、直也くんはビックリしたように声を跳ね上げた。でも動揺しているからじゃなく、彼女の名前が出たのが意外だったからだと思う。「うん。彼女に、直也
――マンションへ帰った後、スマホを確かめたら幸樹さんから嫌がらせのような数の着信とメッセージ受信の通知が来ていたけれど、あたしは全部無視した。「うざっ! いつまでも彼氏ヅラしてんじゃねえっつうの」 ……いや、一応まだ「彼氏」ではあるのだけれど。あたしは画面の向こうにいる幸樹さんに口悪く毒を吐いた。 一度ベッドに腰を下ろすとバッグを床に置き、クレンジングシートでメイクをキレイに落とした後、部屋着に着替える。冷凍しておいたご飯と、昨日の残りのカレーで夕飯を済ませた。 洗い物を片付けてから、あたしはスマホで直也くんにメッセージを送った。〈直也くん、お仕事お疲れさま。 今日の夜、直也くんの部屋に行ってもいい? 直也くんに会いたい。 帰ってきたら電話して下さい〉 彼はまだ仕事中だから、返信どころか既読すらつかなくても仕方がない。でも、仕事が終わってからでも気づいてくれたらきっと返事をくれると信じて待つことにした。 * * * * いつかみたいに入浴を済ませて、直也くんからの連絡を待っていた夜十時過ぎ。スマホに電話がかかってきた。一応、メッセージには既読がついているけれど、彼からの返信はない。「もしもし、直也くん。お仕事お疲れさま」『おう、今帰ってきた。ただいま。メッセージの返信打つよりチョクで電話した方が早いと思ってさ』「そっか。……あのさ、今からそっち
――その日の午後も無事に仕事を終えた(WEBページの文章はあまり納得のいく出来ではなかったけれど)。 ちなみに、玲奈に直也くんの連絡先を勝手に教えた件については、彼から午後四時ごろになって返信があった。「俺は別に構わないけど、できれば事後報告はやめてほしかった」と。その点についてはあたし自身も反省しているので、「ごめん!」と謝っておいた。 退勤後、あたしの足はマンションのある恵比寿ではなく、〈アポロ〉のある池袋へと向いていた。陽菜さん本人に、直也くんへの気持ちを確かめようと思ったのだ。とはいえ、彼女が今日もシフトに入っているかどうかは分からないのだけれど。もしかしたらランチタイムで彼女の勤務時間は終わっているかもしれない。だからといって、直也くんに「陽菜さん、今日はシフトに入ってる?」と訊くのも何だか変な話だし。 陽菜さんに会えるかどうかも分からないままお店の周りをウロついていると、反対方向から彼女がトートバッグとショッピングバッグを肩から提げて歩いてきた。彼女はあたしに気づくと、足を止めてペコリとあたしに頭を下げる。「こんにちは、由衣さん。昨日はご来店下さってありがとうございました」「あ……、こちらこそどうも。今はバイトの帰り?」「はい、今日もランチタイムで上がりでした。住んでるのはこっちの方角なんですけど、安いスーパーが反対側にあるので買い物してきたんです」「そうなんだ……」 私服姿で、屈託ない笑顔であたしにそう言ってショッピングバッグを掲げて見せる彼女に、あたしは完全に出鼻を挫かれた。「あ、そうだ。直也さんと由衣さん、お付き合い始められたんですよね。おめでとう
「でも、彼は昔の恩返しのつもりであたしにそうしてくれてるのもあると思うんだ。自分が先に胃袋掴まれた側だったから、って」 「え、そうなの?」「うん。高校時代にさ、毎朝彼にお弁当作ってあげてたんだ。自分のお弁当のついでだったけど、彼はそれがすごく嬉しかったんだって」 それはあたしにしてみればただの〝お隣さんのお節介〟のつもりだったけれど、彼からすれば「好きな女の子が俺にお弁当を作ってくれた」ことになったわけで。そりゃあ嬉しかっただろうなと思う。特別手の込んだお弁当じゃなかったし、冷凍食品とかもバリバリ使っていたけれど。「それで、えーっと……何の話をしてたんだっけ? あ、そうそう。胃袋から始まる恋もアリなんじゃないか、ってあたしは言いたいわけよ、うん」 話があたしのことにすり替わってしまったので、あたしは脱線していた話題の軌道をどうにか修正した。「だから玲奈、あんたも頑張って料理できるようになりなよ。あたしと直也くんみたいなカップルもいるんだから」「……分かった。一応努力はしてみる。自炊できるようになった方が、節約にもなるしね」「そうそう。コンビニフードとかカップ麺とかばっかり食べてたら栄養も偏っちゃうし、デリバリーもお金かかっちゃうでしょ」「……だね」 玲奈が納得して箸を進めたところで、あたしは彼女がくれたチキン南蛮の一切れも食べてみた。ウチの会社の社食メニューはどれも美味しくて、これも多分に漏れなかった。「でも、あたしも一度しか会ったことないけどさ。直也さんってイケメンだし優しいし、気配りできるし、なんかモテそうだよね。由衣のライバル候補もいっぱいいそう」 楽しく食事していたのに、玲奈が何気なく放った一言であたしのスプーンがピタッと止まってしまった。「……あれ? 由衣、もしかしてあたし、地雷踏んじゃった?」「ううん、別にそんなんじゃないけど。……あたしのライバルって呼べるコ、〝いっぱい〟はいないけど一人だけは知ってる。彼と同じお店で働いてるウェイトレスさん」 ライバルと聞いて真っ先に頭に浮かんだのは、山根陽菜さんの顔だった。でも彼女は横恋慕なんてするようなタイプには見えない。「え、マジで!?」「彼女も元カレからDV受けてて、〈止まり木〉のことを直也くんに紹介してくれたのも彼女だったんだって。彼女
――その後は幸樹さんがあたしたちの席まで怒鳴り込んでくることもなく、平和な時間が過ぎて、お昼休みになった。「――わぁ、美味しそう! あたし、もっと手の込んだカレーを想像してたけど、なんかごく普通のカレーだね」 チキン南蛮定食のトレーをテーブルに置いた玲奈が、隣の席からあたしのお弁当を覗き込んで言ったのがこのコメントである。ちなみに、お弁当――タッパーに入ったカレーライスは社食に備え付けられている電子レンジで温め済みだ。「うん、ウチのお母さん直伝のカレーだよ。お肉は豚肉なんだ。直也くんね、母子家庭で育ってきたから小さい頃からウチでゴハン食べることが多くて。ウチのカレーがその頃から大好きだったんだ」「へえ、直也さんって母子家庭育ちなんだ? じゃあ、お母さんが働きづめで、ずっと家にいなかった感じ?」「そうなの。そのお母さんも、彼が専門学校の寮に入ってる頃にガンで亡くなったらしいんだけどね。でも、昨夜あたしと一緒にこれ作った時、楽しそうにしてたよ。まあ、これにはプロの料理人らしい工夫も色々とされてるけど。……じゃ、いただきま~す♪」 タッパーからカレーをスプーンですくって食べるというのも、なかなか乙である。福神漬けも欲しかったな……。「……ね、由衣。あたしにも一口ちょうだい。チキン一切れあげるから」「いいよ。実はお弁当で持ってきたの、玲奈にも食べてもらいたかったからっていうのもあるんだ。どうぞ」「ありがとー♪ じゃあ、このお皿からチキン、一切れどうぞ」 玲奈はテーブルのスプーン立てから取ったスプーンで、カレーを一口すく







