تسجيل الدخول斯くして、宗一さん・清さん兄妹の御陵本家に迎え入れて貰った私は、数日掛けて御陵家ご用達の大病院で体調を整えた後に退院し、そのまま本家の屋敷へと引っ越すことになりました。
引っ越し当日、宗一さんからの指示で病院屋上へと足を運んだ私を出迎えたのは、爆音を轟かせながらヘリポートへと今正に着陸せんとする中型多目的ヘリ、UH-60……通称"ブラックホーク"でした。 アメリカ合衆国のヘリコプター製造会社、シコルスキー・エアクラフト社製の本機は、汎用性に極めて優れる多目的ヘリコプターであり、"日ノ本の裏御三家"もその汎用性の高さを認め、相当数を購入・保有していました。 本来、アメリカや日本の自衛隊、台湾やオーストラリアなどの、国家の防人たる御陵 宗一は、憂えていた。 鳴神山地の此岸町へと、まつろわぬ神々に関する調査のため送り出した巫女、御陵 奏の精神状態を。 早川の瀬に坐す姫君──ミコトによって齎された、奏が鳴神山地に眠るまつろわぬ神々の王・天津甕星に魅入られたとの報せ。それは、奏の特異体質を知る宗一を不安にさせるには、十分であった。 やはり、奏を送り出すべきではなかったか。遍く神々を惹き付ける特異体質、それは強みであると同時に致命的な弱点でもある。 神々と心を通わせることが出来る代わりに、障りによって心身を蝕まれる。非常に便利だが、相手次第では心身を侵食されて衰弱し、最悪の場合は命を落としかねない。 正に諸刃の剣……況してや、相手は最強と謳われる、まつろわぬ神々の王にして、星を司る神。魅入られたが最後、奏が廃人となってしまう可能性、危険性が常に付き纏うことは薄々分かっていたことだ。「……お兄さま」 鈴を転がすような、透き通った声が耳に届き、宗一は考えるのを止めて、ふと顔を上げた。見ると、純白の寝間着浴衣に身を包んだ清が、執務室の扉を開けて入ってくるところだった。「……清。まだ、寝ていないと駄目だろう?」 宗一が咎めると、清は血の気の失せた青白い顔を僅かに綻ばせて、ぴったりとした白足袋に包まれた小さな爪先を優雅に滑らせながら、宗一の傍らまで歩み寄り、彼の右手をそっと握り締めた。「……いえ、お兄さま。私には分かります。お兄さまは今、何かを憂えていらっしゃいます。そして恐らく、それは私が抱くものと同じ憂い」「……そうか。お前も、鳴神山地へと赴いた奏のことが心配なんだな」「……はい、お兄さま。故に、お兄さまの元へと馳せ参じました。お兄さまが、独りで抱え込むことのないように」 特務機関【敷島】に全てを奪われた奏……天涯孤独の身の上となってしまった彼女を、宗一と清は今日に至るまで本当の妹のように可愛がってきた。文字通り、無償の愛を注いで育ててきたのだ。 そんな彼女を、鳴神山地という危険な場所に送り込むことになってしまったのは、自分が御門本家の当主代理……彼が長の器ではないことを知りながら、我関せずと見て見ぬふりをし続けた結果である。 自分が御堂本家と協力し、御門本家の当主代理を引きずり下ろしていれば、こんなことにはならなかった。宗一
氏子総代の加賀さんの去り際の言葉に、言い表しようのない恐れを抱きつつも、私は巫女長さんと共に社務所内の談話室で一時間ほど昼食を兼ねたお昼休憩をとり、その後またお務めに戻りました。 金剛さんが作った昼食は、神主さんや巫女さんたちからはとても美味しいと絶賛されており、健啖家ではなく食欲のない私でも、少々時間こそ掛かれども綺麗に完食する程に絶品でした。 さて、午後に入って私が最初に取り組んだのは、午前中ずっと和さんがしていた御朱印の練習でした。が、数回ほどで練習の必要なしと合格を言い渡され、その後は午前中と同様に、授与所で巫女長さんや和さんと共に、御守りやお札の授与に携わりました。 神社の敷地内の至る所で作業している氏子の方々と私が極力接することのないよう、どうやら優さんが配慮して下さったようで、今後も基本的には巫女長さんが、可能な限り私と一緒に行動して下さるとのことでした。 幸いにも加賀さんのような奇人変人は現れず、参拝客から変に絡まれることはありませんでした。目を合わせて貰えない、此方から声を掛けても基本無視という反応は相変わらずでしたが、加賀さんを目の当たりにした後だと、そのような参拝客たちの反応が却ってありがたいと思えるのですから、人間の感情というのは不思議なものです。 比較的平穏に時間は流れ、気が付けば午後四時半を回っていました。香々星神社は午後四時半を終業時間としていますので、一日のお務めはこれで終了です。 授与所を閉めると、巫女長さんと和さんは着替えのために更衣室へと向かいます。私は着替えには向かわず、巫女装束のまま事務室でお茶を飲みながら、皆さんが着替えを終えて降りてくるのを待ちます。 正直気は進みませんが、今夜も星降山に立ち入って天津甕星と接触を試みるつもりでしたから、洋服に着替えるのは二度手間になってしまいます。故に、表向きは優さんたちを見送ってから着替える、ということにして、彼らが神社から立ち去るのを待っていたのでした。「そろそろ、かな……」 帰宅する神主さんや巫女さんたちを見送るため、私は社務所を出て鳥居前へと向かいます。平坂さんに調査の進捗状況などを報告するには、彼らが全員帰宅するのをこの目で直に見届けなければなりません。 若し仮に、彼らの中に特務機関【敷島】の息がかかった者がいて、話を盗み聞きでもされ
拝殿を後にした私はその後、優さんの指示通り巫女長さんの元へと向かい、彼女と共に授与所で参拝客にお守りやお札の授与をすることになりました。 「努めて笑顔で、愛想良く。分かった?」 「はい──分かりました、巫女長さま」 こくりと頷く私を見て、巫女長さんはたいへん満足した様子でくすっと微笑みます。 「うん、良い返事ね──県外から来たって言うから、正直不安だったのだけれど……思っていたよりも、しっかりしてそうで安心したわ。こんな風に考えてしまうなんて、私も結局は、鳴神山地に生きる人間なのね……」 どうやら、巫女長さんは村社会さながらの陰湿さを持つ地元に対し、何か思うところがあるようでした。二十代後半と立派な大人世代ではありますが、それはそれとして、若者世代と非常に近しい感覚をお持ちのようです。 積もり積もった雪が何れは解けて消えてゆくように、鳴神山地に蔓延る村社会的風潮も、少しずつ変わってゆくのだろう。巫女長さんに横髪を優しく撫でてもらいながら、私はそのようなことを考えました。 授与所に居るのは、私と巫女長さんの二人。和さんは御朱印の練習をしており、この場には居ません。巫女長さんが特務機関【敷島】の工作員である可能性も、現状ゼロではありませんが、そこまで高くもありません。適度な距離感を維持して接すれば、仮に【敷島】の工作員だったとしても、不意打ちを受けることはないでしょう。 背乗りは【敷島】の十八番《おはこ》ですから、勿論参拝客や敷地内で作業している氏子の方々にも要注意です。何処にでもいて、何処にもいない蜃気楼のようなもの……それが、彼ら【敷島】の在り方ですから。 昼間でも太陽が大地を照らす時間より、雲に覆われている時間の方が多い此岸町……ちらほらといらっしゃる参拝客の殆どが、陰鬱なる空模様と瓜二つのどんよりとした表情をした、中高年の方々です。 彼らは、此岸町出身者である巫女長さんには愛想良く接するのですが……見慣れぬ余所者である私とは、頑なに目を合わせようとすらしません。私がお守りやお札を授与しても唇を尖らせて小さく頷くだけで、後は巫女長さんと他愛もない世間話をしていました。 若し、授与所にいるのが私一人だったなら、彼らは息をするように陰湿な嫌がらせをしてきたことでしょう。今の私は、巫女長さんという抑止力がいて下さるお陰で、精々無視さ
私と優さんを除き、全員が退出した拝殿内は、恐ろしい程に静かでした。外界の音も殆ど聞こえず、文字通り静寂に包まれています。 周囲に誰もいないことを入念に確認すると、優さんは用具室から竹箒を二柄取り出し、そのうち一柄を私に手渡してきました。宮司の平坂さんには表向き、優さんと私で拝殿内の掃き掃除をするとでも言ってあるのでしょう。怪しまれないようにするための、一種のカムフラージュとも言えました。「……手を動かしながらで良いから、私の話を話半分にでも聞いてほしい」 そう言うと優さんは、竹箒を手に拝殿内の埃を掃きつつ、私に帰るよう忠告した理由を語り始めました。「星神さま──世間一般では天津甕星と呼ばれているが、この此岸町を含めた鳴神山地周辺に於いては香々星さまと呼ばれている」「はい──昨日、到着した際に平坂宮司から、そのようにお聞きしております」「そうか。じゃあ、此岸町や鳴神山地一帯が排他的な村社会であることも、血腥い歴史を有していることも小耳には挟んでいる、ってことで良いのかな?」「はい。既存の神道とは異なる、独自の信仰体系を構築してきた……そのように窺っております」 私も手を動かしつつ、適度に彼の紡ぐ言の葉に相槌を打ちます。巫女として仕込まれていますので、立ち話をしながらでも掃除などの作業は卒なくこなせます。私たち裏御三家の巫女、覡にとっては何気ない作業もまた大事なコミュニケーションなのです。「それで──それと、私が香々星さまに魅入られたことに何の関わりが? 何故、この鳴神山地から離れて今すぐ逃げろなどと、優さんは仰るのですか?」 私の問い掛けに、優さんは答えます。「香々星さまに魅入られた者が、どうなったのか。どのような末路を辿ったのか。それを示したのが、拝殿内に描かれた数々の絵たちだよ」 出入口の上、壁、天井に描かれた、何かの物語を描いたような煌びやかな絵……成程、事情を説明するのに拝殿の方が都合が良いと優さんが仰ったのは、どうやらこれが理由のようです。「……見たところ、何かの物語のようですが」「流石、察しが良いね。これらは、鳴神香々星奇譚……要は、この鳴神山地に伝わる民間伝承の数々を纏めた物語集に収められた逸話を、それぞれ絵に起こしたものだ」「鳴神香々星奇譚……ですか」「うん。鳴神香々星奇譚が世に出たのは江戸時代中期頃と言
時間にして、凡そ午前八時四十分頃── 私たちは禰宜の優さんに言われた通り、朝拝に参加するため社務所内を通って拝殿の入口へと集合していました。 拝殿に入る前に、巫女さんが柄杓で差し出した水で手と口を清め、手を拭き終えたら巫女長さんから神拝詞をそれぞれ受け取ります。金剛さんたちは初めての経験だったようで、私の見よう見まねで器用に突破した金剛さんは兎も角、周防さんや鈴木さんはおっかなびっくりといった様子で、少し微笑ましい光景でした。 宮司の平坂さんが扉の鍵を開け、拝殿内へと入ってゆきます。優さんに促され、私たちもその後に続きます。 扉の先には広々とした空間が広がっており、よく見ると出入り口の扉の上や天井、壁などに、煌びやかな絵が描かれています。絵から内容を察するには時間が掛かりそうですが、何かの物語のようです。 そして午前八時四十五分──神前に、香々星神社で奉仕する神職と巫女、そして外界からの来訪者たちが整列しました。神主さんは三名、巫女さんは私と和さんを除き、巫女長さんを含めた四名。何れも此岸町、或いは鳴神山地一帯の市町村の出身者でした。「──宮司に続いて、ご唱和下さい」 優さんが指示を出すと同時、平坂さんが祓詞《はらえことば》を厳かな声音で奏上します。朝拝の始まりです。 掛けまくも畏き伊邪那岐大神《いざなぎのおおかみ》 筑紫《つくし》の日向《ひむか》の橘《たちばな》の 小門《おど》の阿波岐原《あはぎはら》に 禊ぎ祓へ給ひし時に生《な》り坐《ま》せる 祓戸《はらえど》の大神等《おおかみたち》 諸々の禍事《まがこと》・罪・穢《けがれ》を有らむをば 祓へ給ひ浄め給へと白《もう》す事を聞こし食せと 恐《かしこ》み恐みも白す「────」 神拝詞に記された祓詞を諳んじながら、私は平坂さんたちに気付かれぬようそれとなく、金剛さんたちの様子を横目で観察します。馴染みがない言葉の羅列に、どうやら金剛さんたちは困惑しているようです。 祓詞とは、神事の前に必ず行われる祓の際に唱える祝詞です。国生みで有名な伊邪那岐大神、そして彼が海水で禊ぎをした際に生まれでた祓戸の四神と呼ばれる、罪穢れを祓い浄める神々に対し、もし諸々の災いや良くないこと、罪穢れなどがあるのであれば、祓い浄めて綺麗な状態にして欲しいとお願いする内容と
シャワーと着替えを済ませた私は、ちょうど起床してきたと思しき金剛さんたちと顔を合わせ、一人一人に足首の内出血の処置をして下さったことや、意識を失っている間介抱して下さったことへのお礼を述べ、彼ら一人一人と固く握手を交わしながら、深々と頭を下げて回りました。 そのまま流れで、巫女装束の着替え方を習得し切れていない和さんの着付けを手伝い、皆で談話室にて軽めの朝食を摂りました。 食事中は何故か、各々が今朝に至るまでに経験した怪奇現象の話で盛り上がりました。曰く、和さんは消灯直後に部屋の片隅に浮かぶ生首を見て、周防さんは私と金剛さんが星降山に立ち入っていた頃に巫女装束の女の子を社務所内で目撃し、鈴木さんは入浴中に曇りガラス越しに小さな人影を見たとか。 この神社は実は曰く付きの場所なのではないか、と皆さん疑っていらっしゃる様子でしたが、事情を知る私と金剛さんはそうかもしれない、と言うのみに留めました。 宮司の平坂さんの奥さんと娘さんが、特務機関【敷島】の秋津に殺され、生首だけの状態で神社の鳥居前に見せしめとして置かれていたという痛ましい事件。それを不用意に話す訳にはいきませんでしたから。 朝食を摂り終えた後、私たちは各々歯磨きを済ませ、朝拝が始まるまで神社の敷地内とその周辺を掃除することにしました。 表向き、私と和さんは巫女、金剛さんたちはアルバイトです。平坂さん以外にも禰宜《ねぎ》や巫女長、神主に巫女といった関係者の方もいらっしゃいますので、彼らにだけでも好印象を抱いて貰わねばなりません。 竹箒を手に、私と和さんは神社の鳥居前の落ち葉を掃いて集めながら、目の前を行き交う此岸町の人たちに笑顔で挨拶をします。 時刻は午前七時半──通学中の小学生たちや、自転車に乗った中学生、高校生といった所謂《いわゆる》子供世代の方たちは、見慣れない二人の若い娘が巫女装束を纏って鳥居前を掃除している光景を物珍しそうに見つめながら、元気よく挨拶を返したり、挨拶を返さずとも笑顔で会釈してくれたりします。 閉鎖的且つ排他的と言っても、若者世代は必ずしもそうではないのだと、少し心が温まるのを感じました。 その分、大人世代の反応は冷ややかでした。私と和さんを横目で見やりながら、これ見よがしにひそひそと小さな声で陰口を叩いて、私たちの挨拶には耳を貸しません。無表情なが