LOGIN未解決事件の集まり集です、名古屋妊婦事件から
View Moreこれは完全なフィクションです
一、鏡のひび割れ 昭和六十三年三月、小林真由美は朝の鏡の中に、自分自身の四十一歳の顔が死にかけているのを見た。 白髪がこめかみから広がり始めていた。まるで時間という炎が放たれた森のように。彼女は剃刀で慎重にそれを剃り落とした。刃を肌にぴったりと当て、白い灰を削り落とす。鏡の中の女は黙ってそれに従い、動くのは目だけだった――ガラスの向こう側に閉じ込められた二十歳の頃の目。標本瓶の中の、まだ腐っていない標本のように。 二十一年前、彼女は国立大学の医学部に合格した。 合格通知書を三日間握りしめたまま、父に取り上げられ、代わりに小林浩一との婚約が決められた。「女の子がそんなにたくさん本を読んで何になる?」と父は言った。母は廊下の角でうつむきながら涙を拭い、その後ろ姿は風に押し曲げられた竹のようだった。 結婚式は七月だった。白無垢は重く、頭飾りが首筋に痛かった。浩一は彼女の隣に座り、横顔は灯籠の明かりの中で能面のように見えた。その夜、彼は言った。「書斎で寝るよ。君には時間が必要だろう」 真由美が必要とした時間は三年だった。 昭和五十年の冬、杏子が生まれた。 「奇跡だ」と浩一は超音波写真を持ち、手を震わせながら言った。「医者はほとんど不可能だと言っていたんだ」 真由美は写真の中のぼんやりとした白い影を見つめていた。それが、彼女の灰色に沈んだ人生に初めて、そして最後に走ったひび割れだった。光が差し込む場所。 光は三年間差し続けた。 昭和五十三年一月、浴室でガス漏れが起きた。真由美が目を覚ました時、彼女は病院に横たわり、浩一がベッドの脇に立っていた。背筋をぴんと伸ばして。 「杏子は?」と彼女は尋ねた。 浩一は振り返らなかった。 「杏子はどこ?!」と彼女は絶叫した。 彼は振り向いた。蛍光灯の下で、顔は青白く見えた。「すまない。真由美、すまない」 鏡が割れたのは、その日だった。 本当に割れたわけではない。ただ、彼女にはもう、自分自身を完全に見ることができなくなったのだ。 二、待合室の鏡 昭和六十三年三月十日、大学病院の産婦人科待合室。 真由美は再診に来ていた――ホルモン調整の薬をまだ服用していた。浩一がとっくに「無意味だ」と言っていたにもかかわらず。待合室は人でいっぱいで、空気中には消毒液の匂い、ミルクの香り、そして汗の匂いが混ざっていた。 美津子は窓際に座っていた。 陽の光が彼女の全身を柔らかく縁取っていた。二十四、五歳だろうか。肌は白く、手にした育児雑誌に目を落とし、指が無意識に高く膨らんだ腹部を優しく撫でていた。口元には静かな微笑みが浮かんでいた。 真由美は彼女を見つめ、目を離せなくなった。 初めはただその腹部だった。そして、その顔がはっきりと見えた――目元、鼻筋のライン、顎の線。鏡だった。二十年分の埃を拭い去った鏡のように。彼女は自分の顔に手を触れさえした。まるで皮膚の下にある骨の形を確かめるかのように。 そして、彼女はその男を見た。 彼が歩いてきて、美津子の隣に腰を下ろし、自然な仕草で彼女の腰に手を添えた。四十歳前後だろうか。わずかに前かがみの肩。生え際の形、眉骨の高さ、そして横向きに耳を傾ける時の首の角度―― 浩一だった。 二十数年前、まだ生活に魂を吸い取られていなかった頃の浩一。 真由美の呼吸は一瞬止まった。彼女はその男が美津子の話を聞こうと身を乗り出し、彼女の腹部をそっと撫でるのを見ていた。美津子は顔を上げて彼に笑いかけ、唇を動かし、何かを言った。 真由美にはその唇の動きが読めた。 「きっと、女の子だね」 声はとても小さかったが、真由美には聞こえた。いや、彼女の体内のどこか眠っていた部分がそれを聞き取り、鋭い反響を返したのだ―― 杏子。 もし杏子が生きていたら、今年はいくつになっていただろう?どんな姿をしていただろう?もしかしたら、こうして自分のお腹を撫でながら、浩一にそっくりな男に「きっと、女の子だね」と言っているかもしれない。 美津子が友人と話している間、真由美は斜め後ろに座り、指で診察券を強く握りしめていた。紙の端が手のひらに食い込んでいた。 「本当?美津子?久しぶり!涼子は元気?桜華高校を卒業してから、あんまり連絡取れてなくて……」 美津子は笑顔で応じていた。彼女の声、彼女の仕草、お腹を撫でる優しい手つき――そのすべてが、彼女の隣にいる浩一そっくりの男と共に、真由美の目の前で一つの、息苦しいほどの完璧な絵を形作っていた。 自分に似た女。 浩一に似た男。 そして間もなく生まれ、女の子だと予言されている子供。 杏子。 その二文字は弾丸のように、真由美が長年の間に無感覚と薬で築いてきた堤防を打ち抜いた。濁流が轟音と共に押し寄せ、二十一年分の埃や紙くず、白無垢の重み、ガスボンベの微かな音、そして浩一の「すまない」という言葉までもが一緒くたになって流れ出た。 彼女は美津子を見つめた。いや、彼女は鏡の中に映る、本来あるべきだった自分自身を見つめていた――合格通知書を破り捨てず、子供を失わず、夫の愛と、もうすぐ訪れる新しい命を持つ自分自身を。 本来、生きているはずだった自分自身を。 美津子は視線を感じたらしく、顔を上げた。真由美と目が合うと、一瞬きょとんとした後、礼儀正しい微笑みを浮かべ、軽く会釈した。 真由美は応じなかった。 ただじっと見つめ続け、美津子が気まずそうに視線をそらし、再び雑誌に目を落とすまで。 しかし、真由美はすべてを見て取っていた。 桜華高校。涼子。自分にそっくりな顔。浩一にそっくりな男。そして、もうすぐ生まれる「女の子」。 十分だった。 これらの断片は彼女の頭の中で回転し、衝突し、そして完璧に、戦慄するほどの等式へと組み合わさった。 この女 + この男 = 杏子 この考えは狂っており、荒唐無稽で、全く論理的ではなかった。 しかし、すべてを失って二十一年、毎日ホルモン剤を服用し、夜は酒に頼らなければ眠れない女にとって、これは暗闇を照らす唯一の光だった。 真由美は立ち上がり、ぎこちない動作で化粧室へ向かった。 鏡の中の女の顔は青ざめていたが、目だけは異様に輝いていた。 あの子は、杏子だ。 彼女は自分に言い聞かせた。 あの子を家に連れて帰る。 三、計画 三日間あれば、偏執的な女が準備を完了するには十分だった。 真由美は玩具店でミッキーのキーホルダーを買った――新品で、プラスチックのケースが店頭の照明の下でぴかぴかと輝いていた。杏子も持っていた。二歳の誕生日に買ったものだ。東京ディズニーランドで。杏子はそれを一年間握りしめて眠り、プラスチックの縁が擦れて滑らかになるまでになった。 また、文房具店で材料を買い、浩一の書斎で「区役所健康推進員」の身分証を偽造した。写真は数年前に撮ったもので、今より若く見える。名前は「山田良子」とした。 手術器具は既にあった――浩一が学生時代に使っていた一式で、濃紺のキャンバス地の袋は縁が擦り切れていた。彼女はそれを盗み出し、繰り返し消毒し、安物の人形モデルでメスを入れる角度や深さを練習した。 ナイロン繩、ビニール手袋、滅菌布、消毒用アルコール。一つ一つ念入りに点検し、整然と並べた。 最後に、彼女には一つの説明の筋書きが必要だった。 浩一の愛人だとか、何かを奪い返すのだとか、そういうのではない。 もっと単純で、もっと残酷なものだ。 あの子が欲しい。 いや。 あの子は元々、私の子だ。運命が私に貸しがあるんだ。今、それを取り戻す。 昭和六十三年三月十八日、午後二時。 真由美は守屋家のアパートの玄関前に立っていた。手にはあの重い鞄。中には器具、手袋、繩、そして彼女の狂気じみた、しかし冷静な計画のすべてが詰まっていた。 彼女は呼び鈴を押した。 四、扉が開く 扉が開いた。美津子が立っていた。薄手の色のついたマタニティウェアを着て、腹部は高く盛り上がっていた。 「はい?」彼女の顔には礼儀正しい疑問の色が浮かんでいた。 真由美は身分証を掲げ、何度も練習した笑顔を作った。「こんにちは。区役所の健康推進課の者です。新生児のいるご家庭への健康訪問をしておりまして、少しお時間よろしいでしょうか?」 美津子は身分証を一瞥し、それから真由美を見た。真由美はこの日、地味なスーツを着て、薄化粧をしており、どこにでもいる普通の公務員のように見えた。 「健康訪問……?」 「はい。主に妊産婦のご家庭の健康に関するニーズを伺い、今後の施策立案の参考にさせていただくものです」真由美は鞄から記録ボードとアンケート用紙を取り出した。「ご協力いただいたご家庭には、ささやかですが記念品をお渡ししています」 彼女はそのミッキーのキーホルダーを取り出した。新品で、プラスチックのケースが廊下の灯りでぴかぴかと輝いていた。 美津子は少し躊躇した。真由美は絶好のタイミングで言葉を継いだ。 「それと、つい先ほど階下でお見かけした時にふと思い出したのですが、もしかして桜華高校のご出身ではありませんか?私の妹もそこ出身で、いつも涼子って名前の友達の話をしていたものですから……」 美津子の表情がたちまち和らいだ。 「ああ、はい!涼子は高校時代の親友なんですよ」彼女は笑った。「本当に偶然ですね。さあ、どうぞお上がりください」 扉が開いた。 五、茶と繩 居間は広くなかったが、きちんと片付いて温かい雰囲気だった。美津子がお茶を運んできて、真由美はそれを受け取り、指先で磁器の温もりを感じた。 十分ほど世間話をした。桜華高校の古い桜の木、図書館の裏のベンチ、卒業式の日の雨。美津子は話す間中、手を腹部に置き、時折、未来に対する何の曇りもない期待をにじませた。 陽の光が床の上をゆっくりと移動していた。埃が光の柱の中で舞い、まるでどこかの映画のスローモーションのようだった。 美津子が立ち上がり、真由美にお茶のお代わりを入れようとした。 彼女が背を向けた、その瞬間だった。真由美は手提げ袋からナイロン繩を抜き取った。 動作は素早く、そして静かだった。 繩の輪が首に巻き付き、締まり、力が込められた。 美津子の体が硬直した。湯飲みが手から滑り落ち、絨毯の上に落ちて鈍い音を立て、茶がこぼれた。彼女は首に絡まった繩に手を伸ばし、爪が真由美の手の甲を引っかいた。 三十秒。 激しかった抵抗は次第に弱まり、やがて止んだ。 真由美が手を離すと、美津子の体はぐったりと床に崩れ落ちた。 静寂。 時計の秒針の音と、真由美自身の荒い呼吸だけが残された。 六、切り開く 真由美はビニール手袋をはめた。手術器具の包みを開ける。金属が午後の日差しを受けて冷たく輝いた。 メスを取り、新しい刃を装着した。 「カチッ」 小気味良い音がした。 彼女はひざまずき、美津子のマタニティウェアの裾をまくった。腹部の皮膚は妊娠線で凸凹になり、へそが突出していた。刃先を皮膚に当て、わずかに押し込む。 第一刀。恥骨の上方から始め、上方へ切開した。 皮膚が左右に分かれ、その下の脂肪層が現れる。黄色く、細かい血の玉がにじみ出ていた。第二刀。筋膜と筋肉層を切る。第三刀。腹膜を開く。 血が溢れ出た。温かく、粘ついていた。 真由美は気にしなかった。続けた。 子宮の壁は厚く、ピンク色で、曲がりくねった血管が走っていた。刃先を突き立て、切り開いた。 羊水が溢れ出た。澄んでいてわずかに黄色みがかり、特有の生臭い匂いがした。 彼女は手を中に差し入れた。 探った。 ぬるぬるした手足に触れた――小さな腕、小さな脚、丸まった背中。 慎重に、壊さないように取り出した。 臍の緒がついたまま、全身が白い胎脂に覆われ、空気の中でかすかに震えていた。 真由美はそれを見つめた。 男の子だった。 杏子ではない。 世界が数秒間、静まり返った。そして、見慣れた、焼け付くような熱いものが鼻の奥から込み上げ、目の縁を直撃した。 一粒の涙。 何の前触れもなく落ち、手にしていたミッキーのキーホルダーの笑顔の上で、小さな水染みを作って弾けた。すぐに二粒目が続き、隣にあった黒い電話の受話器の上に落ちた。 真由美は呆然とした。 この赤ん坊のためではない。この場違いな弱さに対してだった。 そして、恐怖が彼女を捉えた。 テレビのニュースで言っていた。今の警察は唾液や汗の跡さえ調べられるって。涙だって?きっと方法があるに違いない。 この涙の一滴が、彼女の名前を物語る証拠になるのだ。 処理しなければ。 彼女はその小さな水染みを睨みつけた。まるで未来の取調室で、警察が鑑定書を掲げ、動かぬ証拠として突きつける光景が見えるかのように。 腹腔。そこしかない。血が薄め、体温が破壊し、複雑な生体環境がすべての分析を無駄にするだろう。 彼女はほとんど敬虔な気持ちでキーホルダーと受話器を拾い上げた。 臍の緒を切った。赤ん坊を脇の滅菌布の上に置いた。それはまだかすかに呼吸していた。まるで水から上げられた魚のように。 そして彼女は、あの真っ赤に裂けた創口をまくった。 電話の受話器と、彼女の涙のついた新品のミッキーのキーホルダーを、一緒に、深く、深く押し込んだ。 かつて命を宿していた、温かい空間の中へ。 よし。これでもう大丈夫だ。 七、後始末 真由美は立ち上がり、手袋を脱いだ。後始末を始める:触れた可能性のある場所を拭き、湯飲みの破片を拾い、滅菌布で絨毯の茶の染みを吸い取った。 動作は機械的で、正確で、感情はなかった。 彼女は白い磁器の湯飲みを二つ、ビニール袋に入れ、口を密封した。袋の中で磁器がかすかにぶつかり合い、「チン」という微かな音を立てた。 最後に、彼女は血溜まりの端でかすかに呼吸する男の子を一瞥した。 杏子ではない。 彼女は片付け終えた鞄を手に取り、振り返り、扉を開け、立ち去った。 廊下は静かで、誰もいなかった。彼女はゆっくりと階段を下りた。足音ががらんとした階段に響いた。 八、帰路 アパートの建物を出ると、午後の日差しが目に痛かった。 三月の午後の風は柔らかく、顔に当たると少しくすぐったい。通りは車が行き交い、人々は忙しなく歩いている。世界は正常に動いていた。 真由美は鞄を提げて、ゆっくりと歩き去った。 鞄の中の物が歩調に合わせてかすかにぶつかり合う――手術器具、湯飲み、そして涙のついたあのミッキーのキーホルダーの記憶。 陽の光が彼女の影を長く引き伸ばした。 彼女は知る由もなかった。自分がちょうど、完璧な過ちを犯したばかりだということを。 涙には、完全な細胞核DNAはほとんど含まれていない。三十六年経った現在でさえ、法科学は涙から個人識別に十分な遺伝物質を抽出することはできないのだ。 彼女が葬り去ったのは、元々存在しない幽霊のような証拠だった。 そして、彼女が本当に残したものは―― 開きっぱなしの傷口。 その中で沈黙する受話器とキーホルダー。 どんなDNAよりも雄弁に語る、ある女が別の女の命を奪った瞬間に、なぜ涙を流したのかという、永遠の謎。 影は後ろに長く、黒く伸びていた。 しかし真由美は知っていた。その中には何もないのだ。 ただ、1988年3月の風が、名古屋の街を吹き抜け、二度と戻ることのない午後を吹き過ぎてゆくだけだ。 そして、決して証拠にはなり得なかった一粒の涙とともに。 (了)