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万有禊ぐ天津甕星 のすべてのチャプター: チャプター 1 - チャプター 10

18 チャプター

序章 第1話 未知との邂逅

──いざや参らん、君がもとへ ──いざや来たらん、門を開きて ──千の屍を築きし者よ ──万の血河を成したる者よ ──君が願いを聞き届けん ──君が思いを受け止めん ──万有を禊ぎ、楽土を望むか ──穢れを禊ぎ、浄土を望むか ──いざや、星となりて天に昇らん ──憂世を絶ち、現世を禊ぎ、 ──然して君が末葉と、御国を照らさん ──千代に八千代に、永久に ◇◆◇◆◇ 本来ならば、普段と何も変わらない穏やかな日常を過ごす筈でした。 父が宮司を、母が巫女長をしている実家の神社に奇妙な来訪者が訪れたのは、五歳になったばかりの冬のある日……まだ、肌寒い夜明け前のことでした。 「──おはよう、可愛らしいお嬢さん? 宮司は今、此方にいらっしゃるだろうか?」 国旗掲揚をしている、巫女装束に身を包んだ母をぼんやりと眺めていると、子連れの若い男性が突然私に声を掛けてきました。 ダークグレーのスーツの上から黒い外套を羽織り、やや唾が広い黒い帽子を目深に被ったその出で立ちは、まるで映画に出てくるマフィアの首領のようでしたが、一方で容姿は如何にも優男と言った感じの端麗なる風貌で、物腰や態度も紳士的で穏やかな、何処か奇妙で不思議な雰囲気を纏う方でした。 ですが、私が惹かれたのは彼ではなく、彼と付かず離れずの距離を維持して傍らに静かに佇む、白の和服姿の小さな少女でした。 年は私と同じくらい……いえ、ほんの少し相手の方が年上でしょうか。背丈は私とそう変わりませんが、背中まで伸ばした艶やかな黒髪を白い和紙で結わえており、色白で華奢な見た目も相まってまるでお人形さんのようです。 年齢が年齢ですので、当然まだまだあどけなさが色濃いのですが、それを差し引いても非常に綺麗な顔立ちをしていました。可愛らしさと美しさを絶妙な加減で上手く両立しており、恐らくこれ以上に整った容貌の人はこの世に二人と居ないだろう……そう思わせるだけの美貌を、その少女は幼くして既に有していたのです。 何よりも魅力的だったのは、少女の瞳です。左の瞳は髪と同じく澄んだ黒色でしたが、右の瞳は綺麗な翡翠色をしていました。 義眼でしょうか。それとも、先天的なオッドアイでしょうか。何れにせよ、そのちぐはぐな両の瞳が、彼女の魅力をより引き立てていました。 「ふふ
last update最終更新日 : 2025-12-22
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序章 第2話 日常は焔の中に消ゆ

神社が、燃えていました。 夕闇の中で煌々と燃え盛るその様はまるで、暗がりを照らす灯火のようにも見えなくはありませんでした。 そこに広がっている光景が、この世の地獄であることを除けば、ですが。 至る所に、神社で働いている巫女さんが血を流して倒れていました。胸や腹に大きな穴が穿たれている人、喉を搔き切られている人、左肩口から心臓にかけてナイフによる強烈な一撃を受けた人……原因は異なれど、何れも血の海の中で即死していました。 「…………」 この惨劇を引き起こしたのは、黒一色で統一された隊員服を纏い、私を人質にして氷のような眼差しを母に向ける複数の男女。 皆、見知った顔でした。毎朝参拝に来ては、私に飴玉をくれた男の人。毎日、神社の前をジョギングし、私に気さくに挨拶してくれた人。母の下で巫女の研修をしていた人。 けれども、そのような彼らの振る舞いは全て、私たちを油断させるための演技だったのです。 特務機関【敷島】──それが、彼らの正体でした。とある筋からのバックアップを受け、特殊な訓練を受けた自衛隊員。狂信的な愛国者たち。潜入、背乗り、破壊工作、要人暗殺……目的のためなら手段を問わぬ狂人の集まり。 仕事終わりの直前……彼らは神社内部に潜ませていた仲間の手引きで侵入して社務所の事務室にいた父を殺害。更には異変を察知した他の巫女さんたちも……皆、声を上げる間もなく彼らによって殺されました。 運良く──いえ、運悪く難を逃れて生き残ったのは、買い出しのために外出しており、帰宅した丁度その時に殺戮ショーの現場に居合わせた私と母でした。 「──巫女長さん? 申し訳ないが、あまり時間を取らせないで頂きたい。生憎と、我々【敷島】は気が長い方ではないので、ね」 リーダー格と思しきまだ若い男が、片腕で私を拘束し、空いた手に持つ拳銃を私のこめかみに突き付けながら、他の面々によって地面に組み伏せられている母を見下ろしつつそう言いました。毎日決まった時刻に神社へと参拝に来ては、笑顔で私に飴玉をくれた人と同一人物だとは、とても思われません。 「────」 サイレンは聞こえるのに、近くでパトカーのものと思われる、回転する赤の警告灯は見えるのに……消防も警察も、誰一人として駆け付けてきてはくれません。寧ろこの場に、他の民間人を近づけさせまいとしている……その
last update最終更新日 : 2025-12-23
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序章 第3話 現人神に招かれて

清さんと宗一さん、御陵本家の当主兄妹たちによって救出され、そのまま彼らに保護された私でしたが……やはり目の前で母やお友だちを【敷島】の構成員・秋津に無惨にも殺された精神的ショックというものは大きく、半ば死人同然の状態で無為な時間を過ごしました。 食べ物も水も喉を通らず、ふとした拍子に怨敵・秋津が母やお友だちを惨たらしく殺害する光景がフラッシュバックしては、錯乱を起こして暴れ回り、物を激しく散らかした後、その場で蹲り嘔吐する。そして、異変を察知して駆け付けてきた清さんや宗一さんに抱きしめられ、彼女たちの腕の中で、大きな声を上げて泣く。 そんな悪夢のような日々が、二ヶ月も続きました。宗一さんも清さんも、何か有効な打開策はないものかと、日夜思案している様子でした。 如何に宗一さんや清さんが"日ノ本の裏御三家"の中でも上位に位置する存在とはいえ、他者の心の痛みまで肩代わり出来るわけではありません。 そうして── 悩みに悩み抜いた末、宗一さんが一つの解を見出しました。決して最善とは言い難い、けれども死人同然の私を正気に戻し、生きる活力を与える最短の道。 そう、それは──私の心に刻まれた過日のトラウマを、より恐ろしい存在と遭遇させることで半ば強制的に上書きする、というショック療法。一種の荒療治でした。 ある日── 私は宗一さんと清さんに連れられて、私が入院している病院の近くにある、小洒落た喫茶店へと足を運びました。 宗一さんは初めて会った時と殆ど変わらぬ黒のスーツ姿でしたが、清さんは見慣れた和服姿ではなく、珍しく洋服を身に付けていました。無地の白いブラウスの上からこれまた無地の黒いカーディガンを羽織り、紺色の膝丈スカートからすらりと伸びた細い脚には、裏起毛の黒タイツと黒い革靴を履いていました。 装飾も何もない無地で目立たない服装の筈なのに、清さんが着ると途端に"深窓の令嬢"という言葉が良く似合う清楚な雰囲気を醸し出すのは、やはり清さんが幼いながらも他の追随を許さぬほどに、神秘的で綺麗な容姿の持ち主だったからなのでしょう。 私は清さんのお下がりの服を借りていましたが、きっと酷い有り様だったと思います。肌から血の気は失せ、目の下には隈があり、虚ろな目をしてぼんやりと、何処か遠くを見つめている。その様は喩えるなら、まるでホラ
last update最終更新日 : 2025-12-25
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序章 第4話 黄昏に微笑むあの子

斯くして、宗一さん・清さん兄妹の御陵本家に迎え入れて貰った私は、数日掛けて御陵家ご用達の大病院で体調を整えた後に退院し、そのまま本家の屋敷へと引っ越すことになりました。 引っ越し当日、宗一さんからの指示で病院屋上へと足を運んだ私を出迎えたのは、爆音を轟かせながらヘリポートへと今正に着陸せんとする中型多目的ヘリ、UH-60……通称"ブラックホーク"でした。 アメリカ合衆国のヘリコプター製造会社、シコルスキー・エアクラフト社製の本機は、汎用性に極めて優れる多目的ヘリコプターであり、"日ノ本の裏御三家"もその汎用性の高さを認め、相当数を購入・保有していました。 本来、アメリカや日本の自衛隊、台湾やオーストラリアなどの、国家の防人たる軍隊が運用しているブラックホークですが、目の前に着陸したそれは迷彩など不要とばかりに真っ黒に塗装されており、見る者に底知れぬ不気味さを感じさせました。 着陸したブラックホークの中より、特殊部隊のような格好をした黒ずくめの男たちが降りてきたかと思うと、一糸乱れぬ動きで敬礼します。【敷島】の者たちと見間違え、一瞬身構えた私でしたが、程なくしてその不安は杞憂であったと知りました。「御陵 奏さまですね、お会い出来て光栄です──これより我らが貴女を、御陵本家までお連れ致します」 目の前の男たちはそう言って、再度私に敬礼しました。裏御三家が保有する私兵部隊、通称【彼岸】。それが、彼らの正体でした。清さんたち裏御三家の人間を敵対者から守護し、裏御三家に仇なす者を見つけ出しては、手段を問わず闇へと葬り去る……云わば、裏御三家の影とでも言うべき存在。 あの日、宗一さんからの指示を受け、清さんと共に私を救出しにやって来たのも【彼岸】の人たちでした。【敷島】とは似て非なるもの……私は即座に警戒を解き、御陵本家まで私を護送してくれる彼らに対し最大限の敬意を示そうと、その場で深々とお辞儀をしました。「御陵……奏、です。どうか、宜しくお願いします」「はっ──こちらこそ、宜しくお願い致します」 時間が勿体ないということで、私は直ぐに機内へと案内されました。思った以上に狭い──それが、機内に乗り込んだ際の第一印象でした。ブラックホークは軍用ヘリですので、当たり前と言えば当たり前なのでしょうが……。「軍用ヘリゆえに、乗り
last update最終更新日 : 2025-12-30
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序章 第5話 ファーストコンタクト

それから七歳になるまでの二年間、私は宗一さんや清さん、薫さんから無償の愛を注がれ、比較的平穏な毎日を過ごしました。 比較的……と言ったのには、勿論理由があります。何気ない日常の中で時折、ふとした拍子に物陰からあの子の視線を感じたり、視界の片隅に《あの子》のものと思しき白い着物の裾が見え隠れしたからです。 どうやらあの子は、余所者かつ新参者の私に興味津々のようで、直接的な危害こそ加えては来ませんでしたが、それでもまだ幼かった私を怖がらせるには充分な不気味さがありました。 見てくるだけで、特に何もしてこない──ある意味、これが一番恐ろしかったりするものです。頭の中で一体、何を考えているのか。何をしようとしているのか分からない、まるで底なしの沼を想起させる得体の知れなさ。 ゆらぁ……と、彼女が物陰から鬼灯のように赤い瞳で見つめてくる度、急激に体感温度が低くなり、吐く息は冬の朝のように白くなり、二の腕に鳥肌が立つのです。 私に見つかると、決まってくすりと微笑みながらすうっと姿を消すのですが、その行為が好意によるものなのか否かは、当時の私には分かりかねました。 そして、七歳になった年の春──私は裏御三家に奉仕する巫女になるため、候補生として教育プログラムを受けることになりました。 教育プログラムはまず、裏御三家のトップたる各本家の当主たちが候補生たちの適性と成長型を見極めるところから始まります。早熟、普通、晩成……そして不適。ここでまず、巫女としての素質のない子、素質はあっても成長の見込みがない子はふるいにかけられます。 幸い……私は適性があると判断され、成長型は普通であるという結果でした。結果を受けて私が安堵したのは、言うまでもありません。これで少なくとも、私を救ってくれた宗一さん・清さん兄妹……私を一族に迎え入れる許可を出してくれた御堂家の本家当主・清治さん──彼らへの恩義に報いることが出来ないという最悪の事態は、避けることが出来ましたから。 指導は主任教官がそれぞれに一人ずつ付き、特定の分野のみ補佐で他の指導者が呼ばれます。私の場合は、幸か不幸か清治さん自ら指導してくれることになりました。 御堂本家の当主自らが、巫女を教育する……これはかなり珍しいことのようで、私の主任教官が清治さんであると発表された際には
last update最終更新日 : 2026-01-04
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序章 第6話 神に魅入られるということ

私があの子から横笛を貰ったこと、立ち入り禁止の神域に立ち入ったことは、直ちに清さんの知るところとなりました。 巫女の仕事を終え、神域の手入れをしに来た清さんが、魂が半ば抜けたような状態で横笛を手にし、その場にぼうっと佇んでいる私を発見したからです。 清さんから何度か声を掛けられ、私は程なくして正気を取り戻しました。同時に、自分が取り返しのつかぬことをしてしまったということも……思い出しました。 清さんに叱られること、失望されることに怯え、私は身を震わせながら何度も謝罪を繰り返しました。しかし意外にも清さんは私を責めようとはせず、寧ろ何処か諦めたような調子でポツリと、こう呟いたのでした。 ──そう。魅入られてしまったのね。あの子に。 そして私をそっと抱き締めると、耳元に顔を寄せ、鈴の鳴るような声で私を宥めてくれました。 「……このことは一切、他言無用。お兄さまにも、伯父上にも……それから御門家の当主たちや薫さんたちにも、絶対に口外はしません。私と、奏ちゃんだけの秘密。だから、そんなに怖がらないで? 大丈夫です……私は何時だって、奏ちゃんの味方ですから」 清さんに手を引かれ、神域を後にした私……それ以降は特に何もなく平穏無事にリフレッシュ休暇を終え、教育プログラムを受けるため再び御堂本家の屋敷へと舞い戻りました。 しかし──清治さんの目は、誤魔化せませんでした。 「──お前。見たところどうやら、命《ミコト》に気に入られたみたいだな?」 ヘリから荷物を持って降りてきた私を見るや否や、清治さんはそう言ってすっと翡翠色の目を細めました。開口一番とは、正しくこのことを言うのでしょう。 「ふむ、ふむ……成程、成程……これは、流石に予想外だったな。まさか、清の他にも彼女と心通わせることが出来る者が現れようとは──」 そう言えば、清治さんが相手の記憶を平気で読み取れることを忘れていました。私が神域に入った時の記憶は全て、彼に容易く読み取られてしまったようです。 「清は他言無用と言ってくれたか。良かったな、見つかったのがお前の大好きな清で。若しこれが他の奴だったら、お前は叱られるだけじゃ済まなかったぞ?」 ニヤァ……と、底意地の悪い笑みを浮かべながら、清治さんは無言で私に着いてくるよう指示を
last update最終更新日 : 2026-01-06
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第一章 第7話 赤紙

その日の朝は、何時もと変わらぬ平穏な朝でした。週番で当直をしていた【彼岸】の隊員さんが、午前六時に起床ラッパ代わりとして自分の好きな音楽を大音量で流し、その音で皆が一斉に目を覚まします。 タオル片手に手洗い場へと向かい顔を洗っていると、外の方から歌を歌いながら隊列を組んで朝のジョギングをしている【彼岸】の皆様の元気な声が聞こえてきて、冷たい水の感触も相まってシャキッとすることが出来ます。 冷水で丁寧に顔を洗い終えたら、再び部屋に戻って今度は着替えをします。 私たち巫女も、任務がない時は日替わりで神社のお仕事をしているため、当番の日は部屋に備え付けられた姿見の前で白足袋を履き、寝間着から巫女装束に着替えて、後ろ髪を白い和紙で一つに結わえます。私は今日は非番でしたが、神域のお手入れという役目があるので、当番の時と同じ巫女装束に着替えました。 着替えを済ませたら、洗濯物を洗濯籠に入れて部屋の入口の傍へ置き、朝食を摂るべく食堂へと向かいます。洗濯物を自分で洗濯機まで持っていかないのは、使用人から仕事を奪ってはならないという、宗一さんの意向です。 食堂で宗一さんや清さん、そして正式に宗一さんのお嫁さんになった薫さんや、薫さんと宗一さんとの間に出来た子供たちと顔を合わせて挨拶した後、皆で朝食を摂ります。 このひと時は和やかで、とても癒される時間です。他愛もない話で盛り上がり、皆が楽しそうな笑顔で……こんな素敵な時間が、永遠に続けば良いのにと、ついついそう思ってしまいます。 朝食を終えたら歯磨きをし、当番なら神社へ……非番ならそのまま自由時間です。普段はしないおしゃれをして、お気に入りの服に着替えて、【彼岸】の皆様の護衛付きではありますが人里へ買い物に行ったり、都会の娯楽施設なんかに行くのも許されています。門限さえ守れば、非番の日はある程度の自由が担保されているのです。 私は自分用にサイズを調整された赤い鼻緒の草履を履き、ミコトから貰った横笛を持って彼女の居る神域へと向かいました。道中、当番の巫女たちや、銃器を手に巡回している【彼岸】の方々とすれ違い、軽く手を挙げて挨拶しながら、そよ風や小鳥の囀りに耳を傾けました。 "声なき声に、耳を傾けよ"──教育プログラムの中で、清治さんから何度も何度も教わったことです。風のざわめきや馬の嘶
last update最終更新日 : 2026-01-08
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第一章 第8話 不快極まる来訪者

清さんに連れられ、御陵本家の屋敷の最奥……宗一さんの執務室へと私は案内されました。 調査任務を担当する巫女と、調査任務を依頼する依頼人とが予め顔合わせをする……それが、一族の決まりでした。赤紙で召集されましたので、危険性・緊急性の高い依頼内容なのは確定しているのですが……果たして依頼人は、どのような方なのでしょうか。 どんな依頼内容で、どんな危険性を孕んでいるのか。そのようなことを考えながら、私は清さんの小さな手をそっと握り返し、一緒に執務室まで歩を進めました。 「──お兄さま。奏ちゃんをお連れしました」 「……ご苦労。入れ……奏も一緒に、な」 宗一さんの許可を得て、清さんは執務室の扉を開けます。 扉が開かれた、その先には──実に不愉快な男が、宗一さんと対峙する形で佇んでいました。高級スーツをだらしなく着込み、ぶくぶくと醜く肥えた初老の男。肌は脂でぬらぬらと光沢を放ち、如何にも何も考えてなさそうなポカンとした顔の、喩えるならば、打ち上げられたフグのような奇怪にして面妖なその男はある意味、現代日本国に於いて注目の的となっている存在と言えました。 日本国内閣総理大臣・因幡《いなば》 経家《つねいえ》。自称・保守政治家の売国奴。政権与党たる保守第一党の総裁。今だけ金だけ自分だけを地でゆく、どうしようもないろくでなしにして、腐敗した日本政界の象徴。 清さんも私も、困惑を隠せませんでした。赤紙の内容は、まさか因幡からの依頼関連のものなのだろうか、と。 ですが、それは杞憂でした。 「お兄さま……まさか、今回のご依頼は……」 「……いや、清。因幡総理は先刻、アポもなしに我が屋敷へと押し掛けてきた、云わば招かれざる客だよ。依頼人は今も、応接室でお待ちだ。聞くところによると因幡総理に、順番を譲るよう脅されたそうだ」 宗一さんの答えを聞き、安堵する清さんと私……それとは対照的に、因幡はかなり不服そうでした。 「御陵本家の当主ともあろうお方が、そのような笑えない冗談を口になさるとは……ご当主さまも重々承知かとは存じますが、物事には優先順位がある。故に、個人の依頼よりも、日本国という船の舵取りをしている私の方が優先順位が高いと、そう判断したまでであります」 ねっとりとした口調で、さも当然かのようにそう嘯く因幡に対し、宗一さんの反応は実に冷ややか
last update最終更新日 : 2026-01-09
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第一章 第9話 依頼人との顔合わせ

「──お兄さま。依頼人の平坂《ひらさか》さまをお連れしました」 部屋の外──扉の向こう側から、鈴を転がすような清さんの声が耳に届きます。 遂にこの時が来た……依頼人との、顔合わせの時が。依頼人を不安にさせぬよう、私は緊張で強ばっている表情筋を懸命に動かし、努めて穏やかな笑顔を浮かべるよう心掛けます。担当者が不安そうにしていたら、ただでさえ不安な依頼する側も余計に不安を募らせてしまいますから。「……大丈夫です。いけます、宗一さま」 小声で私がそう言うと、宗一さんは険しい表情のまま小さく、けれどもはっきりと頷きました。「──ご苦労、清。入れ」 宗一さんが許可を出したのと同時、執務室の扉が重々しい動きでゆっくりと開かれ……清さんに連れられて、スーツ姿の一人の男性が、緊張した面持ちで入ってきました。 年齢は五、六十歳前後……良く言えば優しそうな、悪く言えば気の弱そうな方でした。整えられた白髪、汚れ一つない眼鏡、顔に程よく刻まれた皺。背筋もピンとしていて、先刻の因幡とは大違いです。 二人が入室した直後、扉がやや乱暴にバタンと閉められます。見ると、清さんと依頼人を護衛するかのように、【彼岸】の隊員さんと思しき三十代半ばの男性が、彼女たちの背後に佇んでいました。 何故でしょう──彼とは不思議と、初めて会った気がしません。昔、何処かでお会いしたような……そんな気がしてなりませんでした。「──どうぞ、こちらに座って」 宗一さんは笑顔で依頼人と固く握手をすると、ホテルマン顔負けの優雅な所作で、依頼人を来客用のソファーに座るよう促します。「──奏。それから、清……こっちに来なさい」「はい、宗一さま」 テーブルを挟み、依頼人の対面のソファーに腰掛けた宗一さん……その隣に遠慮がちに腰を下ろす私を見て、依頼人はわずかに表情を曇らせました。「まさか……この小さな女の子が? 私の頼みを引き受けて下さるという巫女さんなのですか?」「はい。仰る通りです、平坂さん」 宗一さんは小さく首肯すると、依頼人に私のことを紹介しました。「──紹介します。御陵本家所属の巫女、御陵 奏。昨年末に十五になったばかりとまだまだ幼いですが、御堂本家の当主・清治の下で鍛錬を積み、教育課程で場数も相応にこなしてきた一族きっての有望株です。必ずや、平坂さんのご期待に応えて
last update最終更新日 : 2026-01-11
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第一章 第10話 同期が来たりて警鐘鳴らす

鳴神山地の此岸町へと赴くことが決まった私は、直ちに出発の準備に入りました。 持ってゆく巫女装束は全てクリーニングに出し、新品の白足袋と草履をおろして、洋服に関しても一足早く初陣を飾り生還した同期の八雲ちゃんから助言を貰い、動きやすさを重視しつつも、現地の同年代に違和感なく溶け込めるような衣類を揃えました。 スマートフォン越しに八雲ちゃんと話しながら、世間一般の自分と同年代の女の子たちが、どのような格好をしているのか知った時には大いに驚きました。冬でもミニスカートやショートパンツを履いて足を露出させ、派手なデザインのタイツや膝上丈のニーハイソックス、更にはそれより丈の長いサイハイソックスなどを履いて自らの脚線美を見せつけるのが流行りだと言うのですから。 御陵本家にも、教育課程でお世話になった御堂本家にもそのような女性は居ませんでした。清さんも薫さんも基本的には和服で、洋服の時も極力無地のものを選んで肌の露出も控えめにしていましたから。 それを八雲ちゃんに言うと、八雲ちゃんは笑いながらこう言ったのでした。 ──あの二人みたいな規格外の別嬪さんは基本的に、何を着せても似合ってしまうからね。 兎にも角にも、八雲ちゃんのアドバイスの下、私は調査に必要と思われる物資を揃えていきました。一足先に初陣を飾り、生還した同期からのアドバイス。これほど、心強いものは正直なかったと思います。 そんな頼もしい同期の八雲ちゃんが、御陵本家へと顔を出したのは、依頼人の平坂さんと顔合わせをしてから三日後の正午過ぎ。出発の二日前のことでした。 「久しぶり、奏」 「八雲……ちゃん……一体、どうして急に……?」 部屋に入ってきた八雲ちゃんを見て、私は驚きのあまり言葉を失いました。任務を遂行したとはいえ、八雲ちゃんは負傷していました。調査任務の終盤、【敷島】との戦闘に巻き込まれ、右の太ももと脇腹に銃弾を一発ずつ受けたと聞いています。 「あはっ……同じ釜の飯を食べて、八年も一緒に清治さまのしごきに耐えた。そんな苦楽を共にした唯一の同期がいよいよ初陣だって言うのに、病院のベッドで呑気に寝ている訳にもいかないでしょ?」 私の勉強机に軽く身をもたせかけながら、八雲ちゃんはそう言ってにこりと笑います。白いキャミソールに、青みがかったデニムのショートパンツ。すらりと伸びた細い
last update最終更新日 : 2026-01-13
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