LOGIN「桐生さんが私の車に乗りたくないなら、別に構いませんよ。理解できます。私がここまで来たのは神崎さんを空港に迎えに来るためですからね。桐生さんはそのついでです。それを断わられるのであれば、好きな方法で帰っていただいて大丈夫です」弦はニコニコしながらその話をしていたが、善の耳には全てが皮肉にしか聞こえなかった。善の心に逐一余計な言葉で刺してくる。それから弦は姫華に尋ねた。「桐生さんがお持ちのスーツケースは神崎さんのですね?ピンクですから恐らくそうでしょう。女の子はみんなピンクが好きなようですから」そう言うと、彼は善の手から姫華のスーツケースをとり、トランクのほうへ引いてきて軽々と持ち上げてトランクに入れた。トランクを閉めると、にこやかに姫華に向かって言った。「スカイロイヤルのレストランにはもう注文していますので、到着したらすぐに食事できますよ。食後はそのまま家に帰っていただいてもいいですし、ショッピングに行きたいなら部下に連れていくように手配しておきます」つまり、彼自身は姫華に付き合ってショッピングには行かないということだ。弦はここへは姫華を迎えに来て、ただ予定通りに送り届けたあとは、さっさと退散するつもりだ。寛哉は理仁が父親になるのだと知った後、息子の弦を「もっとしっかりしろ」と言わんばかりの焦りの目で見つめてくる。まるで弦には子供ができないのかというふうに。唯花が妊娠した事はただ身近な人間だけしか知らない。しかし、弦の父親にとってそれは隠し事ではない。彼は動作もなく多くの知らせを耳にすることができる。「どうも、九条さん。私は直接家に帰りたいです」姫華は弦が自ら出陣すれば、彼女が断わっても、どうあがいても最終的には車に乗せられて帰らないといけないことがわかっていた。だから、断わることもせず、善の手を繋いだまま弦の車に乗った。弦は微笑みながら彼女のためにドアを閉め、車体をぐるりと回って車に乗り込もうとしたところに、何か踏んだようで下を見てみると、そこにはキーケースが落ちていた。鍵と一緒に何か小さな金属のケースのようなものがあるのに気づいた。それは中に写真が入れてあるロケットペンダントのキーホルダーだった。弦はそれを見つけると腰をかがめてそのキーケースを拾った。そして埃をかぶったそのロケットペンダントの中を開けて写真
「神崎さん」この時、前方から弦のよく知っている声が聞こえてきた。気分を良くしていた姫華と善はここになんたらドアでもあったらそれを使って今すぐ家に飛び込みたいくらいだと思った。そうすれば、あの全く空気を読んでいない笑顔をしている二枚目の弦と顔をあわせる必要はない。弦はあまりにも傍若無人だ!姫華の傍には善がいて、二人はとても仲良さそうに手を繋ぎ合っていた。それでも、弦は自ら堂々とその最高に鬱陶しいお邪魔虫になっている。この時、善のあの端正な顔が一瞬にして曇ってしまった。母親が引き留めるのにも構わず、予定より早いが姫華と一緒に星城に戻ってきて良かった。そうでなければ、姫華一人で帰ってきて、弦が迎えに来て送ったはずだ。弦は明らかに姫華にそういう気はない。それなのにとにかくしつこく付きまとっている。毎日プレゼントを送ってくるだけならまだしも、姫華が星城から離れる時には空港まで送り迎えをしようとするのだから、善よりも皆勤賞が狙えるくらいだ。「神崎さん、私はここで三十分待っていましたよ。やっと会えました。二人がもっと早くに帰ってしまったのかと思っていました」弦は黒のサングラスに黒マスク、さらに黒服で、まっくろくろだった。自分の正体がばれないようにしっかりと隠し、普段から神出鬼没なことも相まって、誰も彼が九条弦だと気づかない。もし、以前であれば、姫華と善も彼が弦だとは気づかなかっただろう。弦に暫くの間追いかけまわされて、姫華はすでに弦が一目でわかるようになった。善なら言うまでもない。彼は弦を恋のライバルと見なしているから、弦の声は一発でわかる。弦がまた出現するとその瞬間に善は全身の神経を研ぎ澄ませ、整った顔をものすごく陰険な顔に変えてしまう。一体誰を怒らせてしまったのか、どうして九条弦という「恋のライバル」を呼び寄せてしまうことになったのかわからない。もし弦以外の男であれば、善はそのライバルにさっさと攻撃を仕掛けることができるが、相手はあの九条弦だ。だから対処のしようがない。弦を怒らせでもすれば返り討ちに遭うことになり、善にそれは耐えられない。善は兄の蒼真に愚痴をこぼしたことがある。自分は誰かを怒らせるようなことをした覚えはないし、姫華に対しても誠実で一途にやってきた。どうして神様はそんな彼を見放し、結婚相手を得るのに
「お母さん、今から唯花のところに届けに行くの?」この時、明凛はりんごをかじりながら、母親に尋ねた。「それはもちろんよ。あなたは夕飯もここで食べていく?唯花ちゃんにお祝いを持っていって、帰ってきたらちょうど夕食の支度に取りかかれるわ」莉子は車のドアを開けて乗り込みながら娘に尋ねた。「あなた、一緒に来てちょうだい。到着したら荷物を一緒に運んでほしいのよ」莉子はこの時また夫に言った。祐大は笑って言った。「言われなくてもついて行くつもりだったよ」彼は助手席のドアを開けて車に乗ると、明凛と悟に少し声をかけ、二人して出かけていった。悟は屋敷前にある段差のところに立ち、義父母が唯花にあれだけ多くの物を準備して急いで届けに行くのを見送った。そして、庭の門を閉めて妻のところに戻って言った。「うちにもって来てくれた物と同じくらい大量だったな」「まあ、私と唯花はもう十年以上の付き合いで、うちの両親もあの子が大人になるまでずっと見届けてきたからね。昔から唯花のことを自分の娘みたいに思ってるのよ。そんな彼女が妊娠したからお母さんもすっごく喜んでたわ。だからあれだけの物を持って行ったの」明凛は両親のこの行動は普通のことだと思った。「ちょっと休もうか」悟は愛妻の手を引き、夫婦一緒に家の中に戻っていった。「あなたは仕事に戻っていいわよ。私はちょっと昼寝してから店に戻るわ」「俺も明凛に付き合うよ。君が寝てから会社に戻る。結城グループは理仁の会社だろ、あいつが仕事に来ないってのに、なんで俺のほうが牛馬のように働かされないといけないんだ、まったく。俺は前世であいつに何か借りでも作ったんだろうか」悟はそう愚痴を言いながらも、結局は会社に戻って仕事をしなければならない。……星城空港。姫華が鞄を手に提げ、善と指を絡め合って手を繋ぎ歩いていた。彼女のスーツケースは善が引いている。本来、善は甥と姪の百日祝いだから、そんなに急いで姫華と一緒に星城に戻る予定ではなかった。しかし、唯花の妊娠を聞いて姫華が焦って帰ろうとするので、善はもちろん彼女と一緒に飛んで帰ったのだ。二人は歩きながら話をしていて、姫華はかなりテンションを上げている様子だった。善はそんな彼女がとても嬉しそうにしているのを見て、少しからかうように言った。「まだ妊娠した
唯花は喧嘩には勝ったが、服は汚れて鞄の紐は相手のせいで切れてしまった。だから、唯花は姉が知って悲しむのではないかと思い、家に帰れずにいたのだ。姉はその時高校生で、学業のプレッシャーが大きかった。それに家にはあまりお金がなかった。彼女の両親が交通事故で亡くなった時の賠償金はほとんど親戚たちに奪われてしまい、姉妹二人に残った金額も大学まで行くことを考えると決して十分ではなかった。姉はできるだけ日々節約しないと、大学までの学費は払えないと言っていた。だから、唯花は鞄を壊してしまって、姉が自分のためにまた買うとお金が必要だから、家に帰る勇気がなかった。幸い、いつもよく遊んでいる同級生の明凛が牧野家に連れて来てくれた。莉子は当時その話を聞いて驚き、非常に心を痛めた。そして莉子はまだ子供だった唯花を抱きしめて慰めてあげた。その鞄は姉に気付かれないようにきちんと直してあげると約束してくれた。汚れた服は洗って乾いたら、それを着て帰ればいい。莉子はこの時、唯花が着ていた制服は少し大きめなことに気付いた。唯花は、以前着ていた制服は小さくなりサイズが合わなくなったから、姉が昔着ていたものを着ていると教えてくれた。しかし、その姉の制服は彼女には少し大きかったのだ。莉子は裁縫が上手で、その制服を唯花のサイズに合うように仕立てなおしてくれた。そしてそれから数日経った日曜日、唯月が妹を連れて、りんごの入った袋を提げて尋ねてきた。莉子にしてみれば、唯花は自分の娘の同級生だ。唯花の制服のサイズが合っていなかったから少し手直ししてあげただけで、そんなに大変な作業でもなかった。しかし、唯月と唯花の二人にしてみれば、莉子は人の温かさをくれた人だった。二人は両親がこの世を去って二人だけの力で苦労してきた。この世の厳しさと、薄情な親戚たちのせいで、莉子のこのような小さな行動がまるで寒い冬を照らす太陽の光のように温かかった。「うちの鶏も卵を生んだから、後でバスケットに入れてくるわ。鶏肉と一緒に唯花ちゃんにあげましょう」莉子は呟いた。「別に高価なものじゃないけど、気持ちね。あの姉妹二人はとても苦労してきたわ。唯花ちゃんが妊娠したって聞いて、とっても安心できた。神様がちゃんと彼女を見てくれてるって前も言ったじゃない?良い旦那さんをもらって、素敵
「別に唯花ちゃんと比べなくたっていいでしょ。唯花ちゃんは空手をやっていて、体力はあなたよりあるでしょうし。あの姉妹は昔からいろいろ苦労してきて何かに対処するのには慣れているわよ。明凛、今に満足して楽観的にいるの、いつも人と比べていてはいけないよ。物ならいろいろ比較してどちらにするか迷ってもいいけど、人と人を比較しないほうがいいわよ、ネガティブな気持ちになるから」母親の言葉を聞いて、悶々としていた明凛の気持ちは晴れ、頷いた。「お母さん、わかった。もう唯花と自分を比べたりしない。悟も、人によっては出産近くまで外で働いてい苦労している人もいるって言ってた。私にはそんな思いはさせないでゆっくり出産まで過ごさせてくれるって言ってたし」「そうそう、悟さんはあなたに良くしてくれてるんだから何も文句なんてないはずよ。それに九条家の方々だってあなたを自分の娘のように可愛がってくれているじゃないの。妊娠十ヵ月の期間、穏やかな気持ちでいるとあなたにとってもお腹の子供にとっても良いことなのよ」明凛は何度も頷いた。「食後のデザートに果物でも切って。お母さんは唯花ちゃんにお祝いの何か買ってくるから。彼女に足りない物なんてないだろうけど、お祝いの気持ちをあげたいから。唯花ちゃんは小さい頃からずっと見守ってきた子だから、あなた達を姉妹だと思ってるのよ」唯花が十一歳の時に、莉子ははじめて彼女と会った。その時唯花は誰かと喧嘩したらしく、鞄の紐は外れているし、服も汚れていた。唯花はそんな格好を姉に知られたくないので、借りている部屋に帰れなかった。それで明凛が唯花を連れて家に来たのだ。そして莉子が唯花の鞄の紐を縫い付けてあげて、明凛の服を貸してあげた。唯花にお風呂に入らせてからそれに着替えさせた。莉子は当時、唯花の髪を洗ってあげた記憶がある。ドライヤーで髪を乾かしている時に、唯花にどうして喧嘩したのか理由を尋ねてみた。莉子は、女の子というものはみんな優しいものだと思っていた。同級生と何かトラブルがあっても、最悪口喧嘩する程度で、手を出すまではしないと考えていた。その質問に唯花は答えなかった。しかし、目からぽたぽたと涙をこぼし始めた。その様子に莉子はとても驚いてしまった。莉子は尋ねた。「唯花ちゃん、どうしたの?誰かに怪我でもさせられた?どこが痛
母親の言葉に今度は明凛のほうが言葉を失った。あれはただ、明凛と悟に縁があっただけだ。パーティーで寝転がってみせた明凛のことを悟はとても面白いと思い、印象に深く残った。だから、理仁から紹介された時には快くお見合いを決めたのだ。「唯花は私よりずっと幸せよ、結城家の方たちってみんな考え方が今風なんだもん。それに結城さんは一族の中でも発言権を持っているから、彼と結城おばあさんが揃えば、唯花の生活だって今までと大きく変わることないもの。唯花はやりたいことを自由にできるけど、私は違うわ。私は本屋で店番をしたいだけでも、悟が代わりに彼のお母さんを説得しなければならないの。唯花と姫華たちと一緒に会社の農場視察に行きたいって言ったら、それは遠すぎるから駄目だよって言われて、行かせないのよ」実際、その農場までは車で一時間ちょっとの距離だ。もし渋滞に巻き込まれなければ、一時間あれば十分だ。「そんなふうに不満を漏らさないの。あなたね、今でも十分じゃないの。九条家には悟さんの世代でご結婚なさっているのは彼だけでしょ。そしてあなたのお腹には赤ちゃんがいるんだから、そりゃあ九条家の方々が期待するのも無理はないわ。だから、あなたに注目が集まるのは当然よ。九条家から大事にされてるんだから、冷たく扱われるよりずうっとマシでしょう」莉子は娘を諫めた。「あなたはもう結婚したんだから、実家のわがまま娘は卒業なさい。以前のように、あれしたいこれしたいって言ったら、私とお父さんがすぐに言うことを聞くような時期はとっくに過ぎてるの。結婚して新しい家族や親戚ができたんだから、夫やあちらのご家族のために考えないといけないこともあるのよ」「だからよ、やっぱり結婚しないで娘をやっていたほうが自由でいいわ。それなのにお母さんったら、私が家でゴロゴロしてるって、結婚しろしろ煩くするんだもん」明凛は食器を洗い終えると言った。「ただちょっとお母さんに愚痴をこぼしただけ。実際とても幸せなんだってのはわかってる」「わかってるならいいけどね。自分が選んだことなんだから、責任を持たないと。あなた自身が悟さんと結婚するって決めた日から、名家の規則を受け入れる覚悟をもたないとね。それに、さっきも言ったけど、伊織さんが金城家に嫁いだ時よりも、九条家の規則は多くないから、あなたはずっと良いのよ。
唯月は未だ弱っていて、すぐにまた眠ってしまった。陽でさえも唯花の懐の中で眠った。唯花は甥を病室にある簡易ベッドに寝かせ、薄いブランケットをかけてやった。そして姉の点滴剤がもうすぐなくなるのを見て、ベッドにあるナースコールを押し、看護師に換えに来てもらった。点滴剤を新しいものに換えてもらった後、唯花はまた数分間見つめていてから、振り返ってそっと音を立てないように離れていった。この時、理仁が部屋に入ってきた。するとソファの上で唯花がぼうっとしていた。彼は彼女に近づいてきて、唯花の隣に座り、肩に手を回して優しく尋ねた。「どうしたの?義姉さんは寝てしまった?」「お姉ちゃんも
九条家。理仁の専用車の列が到着したのは早めの時間だった。理仁と悟は親友で、上司と部下の関係でもある。さらに彼は悟と明凛の縁を結んだこともあり、理仁夫妻はもちろん早めに到着した。九条家と牧野家の全員がすでにこの場にいた。そして結城栄達夫妻が車を降りてくると、両家は率先して彼らを迎えにいき、悟と明凛は親たちの後に続いた。栄達と麗華の二人は明凛の両親とは面識がないので、悟の両親が紹介する形となった。握手をし、挨拶を終わらせると、明凛の母親である莉子が麗華のほうを見て微笑んで言った。「結城夫人は、息子さんとは姉弟のように見えますね。肌がとってもお綺麗だわ」唯花が車を降りて近
咲は、警察がこんなに早く、伯父が当時、彼女の父親を殺したという証拠を掴んだわけではないとわかっていた。伯父が勾留されたのは、母親の件に絡んで、彼も関係しているという証拠を理仁が持っていたからだ。弦が手に入れた証拠は、そのほとんどが表面上は加奈子に罪があるような内容だった。正一は妻を隠れ蓑として使うことができると考えていたが、弦がそれを逃すはずもなく、次々と新たな証拠を見つけ出したのだ。それで正一は自由を失ってしまった。加奈子の件は、星城で大きな話題となった。各メディアがこの事件を報道し、星城だけでなく、他の都市でもニュースを見る人は皆知っていた。だから、柴尾グループの社員たちも
「結城さん、すみません」咲はやはり丁重に断ることにした。辰巳は彼女の手からジョウロを取ると、その手を引きレジの奥に座らせて言った。「柴尾さん、座って、ちょっと話したいことがあるんだ」「話?」辰巳は二人の店員がいないのを確認した。彼女たちは客に配達に行っているのだ。実は辰巳が人に頼んでわざと二つの花束を注文させたのだ。こうすれば店員二人ともいなくなる。ブルームインスプリングは、柴尾家のあの二人のおばが騒いでいることで一気に商売が下り傾向にある。「君はずっと、どうして俺が君に近づいて、助けようとするのか、知りたいと思っていただろう?」咲は彼のほうを向いて、返事をしなかっ