愛する妻が置き手紙一つ置いて家出をしました。~初恋を拗らせた旦那様は妻を取り戻したい~

愛する妻が置き手紙一つ置いて家出をしました。~初恋を拗らせた旦那様は妻を取り戻したい~

last updateZuletzt aktualisiert : 17.08.2026
Von:  美木 猫助Gerade aktualisiert
Sprache: Japanese
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Zusammenfassung

甘々

溺愛

TL

独占欲

一途

初恋

一目惚れ

スェミス国王の腹違いの弟イアン・ジョー・グゥインは、自身を「世界一幸福な男」だと自負していた。 初恋の女性と結婚できたからだ。 結婚四年目を迎える前日。 妻は「伝えたいことがあるの」と優しく笑っていた。 忘れられない結婚記念日になる――そう思っていた。 だが翌朝、妻は置き手紙を一つ残して姿を消す。 『貴方との結婚生活は最悪でした』 嫌われていたのか。それとも、妻の身に何か起きたのか。 初恋を拗らせた愛が重すぎる公爵と、『月の女神』と謳われる幸薄い年下妻が、もう一度夫婦として愛を育んでいく異世界ラブストーリー。

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Kapitel 1

第1話 黄金の瞳の落胤

「本当に好きなら、監禁すれば良かったのよ」

 スェミス大国の王妃、ジェシカはそう言って紅茶を一口含んだ。六歳のイアンは『監禁』という単語が分からずに目の前に座る彼女を見る。

「母上。弟に聞かせて良い単語ではありません」

 イアンと腹違いで五歳上の兄、ロイドが母親であるジェシカを戒めた。それを見て、良い言葉ではないのだとイアンは悟った。

「イアンも自分の父親がどれだけ愚かなのか知るべきだわ」

「父上を語るのに、そんな単語を聞かせなくても良いんです」

「この子ったら頭固いのね。そこは陛下に似なくても良いのよ」

「顔だけで十分よ」とジェシカは肩を竦めた。

 イアンは椅子の背凭れに背中を預けて足をぶらぶらさせながら二人を眺めた。脚の長い椅子に座っているせいで床に足がつかないのだ。行儀が悪いと教育係がいればイアンを叱責しただろう。王宮の庭園に居るのはイアンとロイド、ジェシカに彼女直属の近衛隊の騎士とイアンの護衛騎士二人が三人から距離を取るようにして背後に立って居るだけだった。口煩い家庭教師がおらず、イアンはいつも以上にのびのびしていた。

 ──イアンの母親は庶民の出で美しい女だったという。現国王が少年と言える年齢で皇太子時代にお忍びで市井に出かけた時に彼女と出会った。パン屋で働く彼女に一目惚れをしてその場でプロポーズをし、見事に玉砕した。それでも彼は諦めなかった。口説いては断られ、また口説いては断られ──折れたのは彼女だったという。それから彼女は宮殿に連れて行かれて自分を口説いていた男の正体を初めて知った。

 男は国王となりパン屋の娘を側室に迎えるつもりだったが、妾ならまだしも側室に迎える事を反対された。彼女は心無い言葉をかけられ、心神耗弱となり──宮殿から忽然と姿を消した。

 その五年後にとある噂が国王の耳に入るのだ。

『陛下と同じ瞳の色をした子供がいる』

『陛下の落胤ではないか』

 スェミス大国の王族の血を継ぐ者は必ず『黄金の瞳』を持って産まれる。国王もロイドの瞳も金色こんじきだった。

 噂を聞きつけた国王は北端にある海が見える小さな町の養護院へ自ら足を運んだ。そこに金色の瞳に黒髪の幼子がいて、愛した女の面影があった。

 愛した女は息子イアンを小さな町で産み、暫くして感染病で命を落としたという。それを知った国王は人目を憚らずに泣き崩れた。

 知らない男が自分を見て泣いている姿をイアンは不思議に眺めていたら男から手を引かれ、あれよこれよと宮殿に連れて行かれる。そうして国王自ら義母となるジェシカと兄ロイドを紹介されたのは一年前の話だ。

 この宮殿でイアンにとって救いだったのはジェシカとロイドから温かい歓迎を受けた事だ。ロイドは弟が出来た事を喜び、王の落胤と陰口を叩く家臣達を戒めてくれたし、貴族の子供がイアンに嫌がらせをすれば守ってくれた。ジェシカはイアンを息子のように可愛がった。彼女は使用人達や貴族達にイアンを「卑しい血」だと貶めないよう自ら禁じた。それにより表立ってイアンを蔑む人間は居ない。

 彼女はイアンの母親を嫌う事はせず、無理矢理宮殿に連れて来られた彼女を気にかけていた。友のように接し──姉のように彼女を見守った。

『あの子が私の為に焼いてくれたクロワッサンが大好きだったわ』

 懐かしそうな目を浮かべて呟いたジェシカの碧い瞳に嘘はなかった。

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55 Kapitel
第1話 黄金の瞳の落胤
「本当に好きなら、監禁すれば良かったのよ」 スェミス大国の王妃、ジェシカはそう言って紅茶を一口含んだ。六歳のイアンは『監禁』という単語が分からずに目の前に座る彼女を見る。「母上。弟に聞かせて良い単語ではありません」 イアンと腹違いで五歳上の兄、ロイドが母親であるジェシカを戒めた。それを見て、良い言葉ではないのだとイアンは悟った。「イアンも自分の父親がどれだけ愚かなのか知るべきだわ」 「父上を語るのに、そんな単語を聞かせなくても良いんです」 「この子ったら頭固いのね。そこは陛下に似なくても良いのよ」「顔だけで十分よ」とジェシカは肩を竦めた。  イアンは椅子の背凭れに背中を預けて足をぶらぶらさせながら二人を眺めた。脚の長い椅子に座っているせいで床に足がつかないのだ。行儀が悪いと教育係がいればイアンを叱責しただろう。王宮の庭園に居るのはイアンとロイド、ジェシカに彼女直属の近衛隊の騎士とイアンの護衛騎士二人が三人から距離を取るようにして背後に立って居るだけだった。口煩い家庭教師がおらず、イアンはいつも以上にのびのびしていた。    ──イアンの母親は庶民の出で美しい女だったという。現国王が少年と言える年齢で皇太子時代にお忍びで市井に出かけた時に彼女と出会った。パン屋で働く彼女に一目惚れをしてその場でプロポーズをし、見事に玉砕した。それでも彼は諦めなかった。口説いては断られ、また口説いては断られ──折れたのは彼女だったという。それから彼女は宮殿に連れて行かれて自分を口説いていた男の正体を初めて知った。  男は国王となりパン屋の娘を側室に迎えるつもりだったが、妾ならまだしも側室に迎える事を反対された。彼女は心無い言葉をかけられ、心神耗弱となり──宮殿から忽然と姿を消した。  その五年後にとある噂が国王の耳に入るのだ。『陛下と同じ瞳の色をした子供がいる』 『陛下の落胤ではないか』 スェミス大国の王族の血を継ぐ者は必ず『黄金の瞳』を持って産まれる。国王もロイドの瞳も金色だった。  噂を聞きつけた国王は北端にある海が見える小さな町の養護院へ自ら足を運んだ。そこに金色の瞳に黒髪の幼子がいて、愛した女の面影があった。  愛した女は息子を小さな町で産み、暫くして感染病で命を落としたという。それを知った国王は人目を憚らずに泣き崩れ
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-07-02
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第2話 王妃の持論
「あの人に足りなかったのは、愛する女を監禁する、という決断力よ」 またもや過激な発言をした母親を戒める兄の会話を聞きながらイアンはずっと考えた。まだ六年しか生きていないイアンには『愛』だの『恋』だの分からない。父親が彼女に恋し愛したが為に、母親を苦しめた、という事実は母親を覚えていないイアンにとって自分に関係がない話のように聞こえてしまう。ただイアンがおもむろに思う事は、『愛』だの『恋』だというものは、大の大人が赤子のように泣きじゃくってしまうほど、人を弱くさせてしまうものなんだ、という認識だった。    赤ちゃんみたいに泣く姿を人前で見せたくはない──だから、恋なんてしなくて良い。  でも──もし、『恋』をしたなら。父上みたいに泣かないで済む方法は、(カンキン、っていうのをしたら良いのかな)  どういうものか、分からないけど──……。『すきなひと』を監禁したら、きっと泣かないで済むんだ。 世間一般的に間違った考えに辿り着いたイアンだったが、目の前に置かれたケーキのお陰でイアンの頭の隅に追いやられた。フォークを手に取って一口目を口に放り込む。口の中に甘い美味しさが広がって笑顔が浮かぶ。それを隣で見たロイドは自分のケーキ皿をイアンに寄せた。  一つ目のケーキを食べ終えて「ありがとう、兄上」とイアンはロイドに礼を言った。瞳を輝かせているイアンを見てロイドは口元を綻ばせた。  そうしているとイアンは目の前の視線に気付く。顔を上げるとジェシカが自分を見ていた。「……?」 首を傾げたイアンを見てジェシカは「イアンは母親似ね」と微笑んだ。母の顔を知らないイアンはフォークを置いて、自分の頬を擦った。「本当に優しい子だったのよ。私が落ち込んでいる時に、ずっと手を握ってくれたの」 「大好きでした?」 イアンの問いに驚いたように一瞬だけ目が見開いたが「えぇ」と目が細くなる。その目に嘘はない。「あの頃私は王妃になったばかりで小娘だったし、それにまだ王太后は存命だったから。使用人へ禁じても私の目が届かない場所で酷い言葉を投げつけられていたようよ」「守れなくてごめんなさいね」とジェシカの言葉にイアンは激しく首を横に振った。イアンにとって顔を知らない本当の母親よりも血が繋がっていない王妃が彼にとって母だ。だから彼女が辛そ
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-07-02
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第3話 兄を守るために
ガタン!    椅子を勢い良く倒したイアンに庭に居る全員が注目をする。「大人になったら兄上をお守りする騎士になります!」 (愛する、というのは女性に対してじゃなくても良いよね) イアンは「騎士になる」そう宣言をした。  イアンはブラコン気味──気味と言うより正真正銘のブラコンだ。彼が王位を継いだら右腕として支えになりたいと思うほどに。  自分の髪は面白みがない真っ黒で、兄上は金色の髪に蜂蜜を溶かしたような金色の瞳。太陽のように眩しくて、誰でも明るく照らしてくれる。僕の真っ黒な髪も彼の隣にあれば輝きを放てる、そう思っていた。自分も金色の瞳をしているというのにイアンの目にはロイドの瞳の方が輝いて見えていた。「兄上に騎士の誓いというのをしたいので、教えて下さい」 イアンはそう言って、背後に立つ騎士を見ようと腰を捻ると兄の笑い声で振り向くのを止めた。「ははははっ! イアン、面白い事を言うね」 イアンはロイドを見た。ムッと口を曲げるとロイドは「馬鹿にしたわけじゃないよ」と自分の目尻に付いた涙を指で拭う。「嬉しいけど、騎士の誓いはこれから出会う大事な人にとっておくべきだよ」 「兄上以上の人に出会わない! これからの人生、兄上を主君とし全てを捧げます!」 「まだ六歳じゃないか」 笑いながらロイドはイアンの髪をクシャクシャと掻き乱す。不機嫌そうに口を曲げているものの、擽ったそうに目を細めた弟を見てロイドは満足そうだ。  重い空気は一転し明るいムードが流れる。その雰囲気にイアンは心なしかホッと胸を撫で下ろした。  義母の様子が気になって彼女を見ると瞳の奥に恋しさと寂しさが見えた。もう一つ、見えるものの、イアンにはそれがなんなのか分からない。(母を認めていたと言っていたけど、本当かな? 本当は一番になれず寂しかったんじゃないのかな?) 使用人の話を耳にした事がある。義母は国王の幼馴染で、友人同士だった。国内有数の侯爵家だった事もあり婚約者に選ばれた。そんな義母に父は、『片想いをしている人がいる。その人を愛しているんだ』 『貴女を王妃として幸せにするけど──俺の気持ちは彼女にしかない』 と告げたという。  婚約者の心に別の女性が居ると知った時、どんな気持ちだったんだろう。  ──使用人達はジェシカの心を思うと辛い、と涙した。辛い
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-07-02
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第4話 あの日、振り返らなかった
テーブルに置いていた手を突然握られて、イアンは肩を上下させた。「騎士の誓い、は今では寂れた風習よ。だからこそ、騎士の誓いをこの時代にする場合、本気度が違うわ」 ──母上が真っ直ぐに自分を見つめている。イアンはコクリと力強く頷いた。「僕は本気なので」「えぇ、そうね。本気でしょうね。イアンの目を見れば分かるわ」「でもね」とジェシカは続けた。「実力が伴っていなければ、するべきではないわ。嘘になってしまう。簡単に破れてしまう約束はしては駄目」(僕はまだ弱い) 貴族の子供に身体を押されて簡単によろけて尻餅をついてしまうような僕だ。 己の弱さに辛くなってイアンは目を伏せる。隣のロイドが心配そうにしてイアンの背中を優しく摩った。 イアンは視線だけをロイドに向けると目が合った。その瞬間、ロイドの微笑みを見て、本気で彼の為に強くなろう、と思った。 暫くそうして顔を見つめ合っていると、握られている指に力が入ってイアンは顔を上げた。チラッと視線を横にすると兄上も同じようにジェシカから手を握られていた。「二人とも――私と約束をして欲しいの。これから先、本当に愛する人ができたなら、愛し守り抜くの。手放しては駄目。後悔しない愛し方をなさい。その為に強くなりなさい。身体を鍛えるだけでは駄目、精神も鍛えるの。死ぬ気で愛しなさい、死ぬ気で守りなさい」 握られた手に痛みはあったものの「痛い」とは言えず我慢する為にイアンは下唇を噛んだ。痛いよ、と言えるような空気ではなかった。ジェシカの碧い瞳からは先程まであった恋しさと寂しさは消え去っていて底が見えない海のようだ。背筋に小刻みの波のような寒さが襲う。ジェシカが今から発する言葉に否定の言葉を発すれば殺されてしまうのではないか、というような雰囲気――実際、そうだった。「その愛が生半可な気持ちなくせに愛を誓ったの。愛する度胸も守り抜く自信がないくせに。国の為を思い一緒になるべきではないと御託を並べ、身を引いた、ですって。そんなの私から言わせれば逃げたのよ。本当に愛しているなら全てを敵に回して相手に戦争をけしかけたはずだわ。国の為、貴女の為、ですって? ふざけないで。あの子の気持ちを踏み躙り、傷つけた。あの子が欲しかった言葉をあの男は間違えた。選択を間違えたから、私の大事な|半《・
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-07-02
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第5話 血塗られた悪魔
──野蛮だわ。 ネロペイン帝国皇女本人は手に持ったクジャクの羽の扇子で口元を隠すようにして吐いた。聞こえないと思って呟いたのだろう。確かに声は蚊が鳴くように小さかったし、普通の人間ならば聞こえない音量だ。しかし目の前に立つイアン・ジョー・グゥインの耳にはしっかりと入っていた。すぐ目の前にいて近距離だからという理由でも何でもなく、イアンは普通ではないので聞こえてしまったのである。「では、またの機会に私とダンスを踊ってくださいませ」 皇女の目が糸のように細くなり、背を向ける。ヒラリと舞ったドレスの裾をイアンは見てから皇女の背中に一礼した。(そんな機会二度とないがな) 無表情の顔の下で、そう吐きながらイアンも皇女に背を向ける。──こういう時、常日頃から表情筋が死んだ能面ヅラは楽だ。相手をどんなに嫌っていてもそう簡単にバレる事はないからな。 皇女はクジャクの羽で表情を隠し、微笑んだつもりだったのだろう。目は真実を語る。その瞳は明らかな軽蔑が浮かんでいた。 しかしイアンは、皇女の暴言にも、その表情にも気付かないフリをした。相手が身分の高い皇女だからではない。身分で言えばイアンはネロペイン帝国と同盟国であるスェミス大国国王と腹違いの弟ではあるが、第二継承者である。ここでそれを指摘した所でこの場所はネロペイン帝国の城内だ。他国でそれを指摘するにはリスクがあり過ぎる。 しかし、イアンが帝国の皇女に「野蛮」と言われてしまったのはワケがあった。 イアンは皇女からファーストダンスを誘われた。帝国の習わしで、ファーストダンスは婚約者同士だと決まっている。ここでイアンが皇女の手を取り踊ってしまえば、他国中に二人は婚約者同士だと噂が立ってしまい、婚約せねばならなくなってしまうだろう。皇女にイアンをダンスに誘うよう仕向けたのはネロペイン帝国の皇帝だ。帝国はスェミス大国の豊富な資源を虎視眈々と狙っていて、結婚という形でスェミス大国を支配下に置きたいのだ。しかし断られてしまえば、それは失敗に終わるのだが、皇帝はイアンは断らないと踏んでいた。スェミス大国では女性からのダンスの誘いを断るのは失礼に当たる。女性が勇気を振絞ったのものを無下にする事は無礼とされていた。だから皇女の誘いに乗ってダンスを踊るだろう──しかし、イアンには通用しなかった。何故ならイアンは自国で王族
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-07-02
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第6話 戦場こそ居場所
 スェミス大国の王族はしきたりでは十五歳を迎えると王家直下の聖騎士団へ入団する。国王か王太子かが総長を務める騎士団は、この頃はロイドが座についていた。ロイドは弟が聖騎士団へ入団したら総長の座を譲る手筈だった。しかし、イアンは十五を迎えた同時に軍へ入隊をした。「将軍に登り詰めたい」 とまで発言しており、これが誤解を招いてしまった。  イアンはブラコンだ。そんなブラコンが兄を裏切るつもりなんぞあるはずがない。イアンは兄の力になりたいが為に騎士団ではなく軍隊に入隊したのだ。敵軍の情報は防衛を司る軍が最も詳しく聖騎士団の役割は王城内の警備と王族の護衛の為、そう言った情報は一切入ってこない。入ってきたとしても、いくら総長だとしても第二王子のイアンの耳には入ってくる事はないのだ。そうなると、ロイドの危機に早い段階で動けない。そう考えたイアンは、軍への入隊を決め、将軍になれば軍を掌握し、ロイドの為になるだろう、と考えに至ったのだった。  その上、イアンは十七歳にして敵軍に『血塗られた悪魔』という通り名で恐れられていた。黒い髪を戦場で見たら、逃げろ、というお達しまで出ているらしい。どうやら漆黒の髪から悪魔という発想になり、血塗られたというのは戦場で浴びた返り血を頭から被り、拭きもせずにいるからだというが……そう言った話を聞いて、『危険分子』だと思われてしまう事に拍車がかかっていた。  そんな男が、令嬢から人気がある筈がないのである。  勿論、イアンからダンスを誘った事なんぞ一度もない。彼の定位置は壁際、兄かジェシカの隣だ。部屋に戻りたいのだが、反対を押し切って軍に入隊した際に、茶会や舞踏会の招待状を受け取ったら必ず参加するよう義母から義務付けられた為、場に居るだけなのである。イアンは曲に乗ってダンスを踊るよりも、銃声と肉が切れる音を聞きながら戦場を走り回っている方が好きだった。
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-07-04
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第7話 ジャスミンの庭で見つけた少女
 ※ イアンは部屋に戻るつもりだったが、帝国の悪政を目の前で見たからか、腹が立っていた。(ああいう奴らに兄上の爪の垢を煎じて飲ませたい) ――と苛つきながら足を進める。 表情は能面顔のお陰で苛ついているように見えないが内面はそうではなかった。 イアンは、頭を冷やそうと外に出て庭を散策することにした。 ゆっくりと歩き庭の花でも眺めようと思ったものの、広間から流れる音楽がどこまでもついて来て落ち着かない。 音楽から逃げるようにひたすら進んで行くと、今までとは違う雰囲気の庭に差し掛かった。 樹木が生い茂り、周囲は薄暗い。庭というより──森の中だ。しかし、まだ城内で、城壁の外へ出ていないはずだ。 たとえ、ネロペイン帝国との戦争の話をすると逃げ腰になるサーレン将軍への苛立ちと、そんな彼にどう逆立ちしてもカリスマ性と実力で勝てない自分の不甲斐なさに気を取られていたとしても、流石に城の外へ出たら気付くはずである。(ここだけ、整備されていないのか?) 派手に着飾る帝国が、この庭だけを忘れることがあるだろうか。 ふと、花の香りがイアンの鼻先を掠った。自分の膝丈まで生えた雑草の中に埋もれて、狭い範囲ながらも白いジャスミンの花が広がっている。この香りはあのジャスミンから漂っているのだろう。(不快感はない、いい香りだ) 先程まで通った庭に咲いていた薔薇の香りよりも、ジャスミンの甘い香りの方がイアンは好きだと感じた。それに、この香りは皇女達の香水の匂いを忘れさせてくれる。 あの香りを近くで嗅ぎたいと思ったイアンは、あの場所まで足を進めることにした。 雑草を掻き分けて、ジャスミンの目の前に辿り着くと、何かに躓いて危うく転びそうになった。 もう少しでジャスミンの花の上に倒れるところだった、と安堵する。 大きな石に当たったか、と足元のジャスミンをそっと掻き分けると──花の中で女の子が仰向けで倒れていて、イアンはギョッとした。 銀髪で髪色と同じ色の睫毛をした女の子。思わずその場にしゃがみ込んで、鼻の下に人差し指を当てると息が当たる。(人形じゃなかった……) よく目を凝らせば胸の上で結ばれた手が上下している。(何故ここで寝ているんだ?)「起こした方が良いか……?」 悩みながら顔をジッと見つめる。(……動かない) 規則的に胸は上下しているが、若干肌寒
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-07-04
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第8話 天使だなんて、俺が?
 鈴を鳴らしたかのような可愛らしい声と同時に、目の前に影が差した。コテンと首を傾げながら幼女に顔を覗き込まれ、近距離で顔を見てしまう。 髪色と同じ睫毛は瞬きするたびに音が出そうなほどに長い。戦場でどんな相手でも怯まなかった男が、尻もちをついたまま後退った。(天使のようだ……) その背中に羽が生えちゃいないかと、イアンは何度も目を擦るが……どうやら羽は生えていないらしい。 ――ここまで考えて、イアンの顔色はみるみる青くなる。自分の発想に自分で引いたのだ。(て、てん……し? て?? 羽って? は? なんだ、それ? 俺が? お? お?)『処す』『潰す』『火を放て』『前進』『進撃』 軍人になって、何度も口にした言葉。もっと過激な言葉も、その場の勢いで口にしたことがあるかもしれないが、記憶にないものが殆どだ。 なんせ頭の中は常にスェミス大国の防衛と戦争を仕掛けようとする敵国を如何に潰すか、自国にスパイは潜り込んでいないか、とアンテナを張っているばかりだ。そんな自分の口から『天使』というメルヘンな言葉が発せられるなんて信じられない。「だいじょうぶ?」「俺の頭は大丈夫だ」 女の子はイアンが胸を押さえているから心配したのだが、違う返答が返ってきた。しかし、気にしていない様子だ。「だいじょうぶ、なら、よかった!」 純粋にイアンを心配していたようで、安堵した表情が返ってくる。それを見てキューンと胸がときめいた……のだが、イアンは『ときめき』を『不整脈』だと勘違いした。 心を落ち着かせる為にイアンは深呼吸を繰り返し、「どうしてここで寝ていた?」「ねていたんじゃないの、かくれていたの」「隠れて……?」(誰から?)「親は?」「おかあさまは、おつきさまにいった」 空を見上げた姿を見てイアンは「しまった」と内心呟いた。「お月様に行った」というのは亡くなったということだろう。大人は子供に真実を告げずに濁してそう伝えたのだ。「おかあさまに、あいたい」 その声音は弱々しく、妙に心苦しくさせる声だ。悲しい思いをさせてしまったことをイアンは後悔──したものの、他人を慰める言葉が思い浮かばない。 言葉が見つからず夜空を仰いだままの少女を、イアンはじっと見つめた。月夜の闇の中、月光に照らされた女の子は、絵画から飛び出してきたような美しさだった。風が吹け
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-07-04
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第9話 わんちゃんにそっくり!
 アーモンドの形をした目がイアンを捉えた。  金色の目が琥珀色を映し出してイアンの意識は、現実世界へ引き戻される。  しかし、琥珀色の瞳はまたもやツイッと逸らされてしまった。  イアンは落胆した。  能面顔は子供からのウケも悪い。睨んだつもりはないのに、皆からそう思われてしまう。今まで気にしたことがなかったというのに、イアンは生まれて初めて自分の顔つきの悪さを呪った。  誰も言葉を発さず、風と草が擦れ合う音しか耳に入らない。イアンに小さな背中を向けたままで、ジャスミンを摘むことに一生懸命だ。『どうして夜中に隠れている?』 母親が亡くなっているなら、父親と城へ来たのか、それならどうして父親から離れて、こんな所で寝ていたのか──本人曰く隠れていたらしい。だが……誰から隠れていて、その理由はなんなのか……。貴族なら従者が居るはずだが、その姿がない。(従者を雇えない程貧乏なのか……?) 少女が身に纏っている純白のドレスは良く似合っていて、より一層彼女の天使っぷりが発揮されている。どう見てもイアンの目には安物のドレスには見えず、生活に困窮しているように見えなかった。──実のところ、少女のドレスは現在の流行よりも前に流行った子供用のドレスである。ファッションに詳しくない男が見て分かるものではなかった。  簡単な質問さえ出来ない自分を不甲斐ないと思ったイアンは眉間を押さえた。(今更だが──茶会や舞踏会で女と会話を繰り広げていたら、言葉が簡単に思い浮かぶものなのか?) イアンの義母であるジェシカは、スェミス大国有数の侯爵家の長女の出で、前王とは幼馴染であるものの、結婚は政略結婚だった。  しかし、政略結婚をした者にしては珍しく、ジェシカは恋愛主義者だった。  それは、彼女の妹のサラが関係している。  ネロペイン皇帝から見初められる前、サラには恋仲の男性が居た。二人は身分違いのせいで父親から反対を受け、二人の仲は引き裂かれた。  しかし二人は別れることはなく姉と公爵家長男、つまりは義母上の兄の手を借りて駆け落ちを計画。それは必ず成功するはずだったが──悲劇が起きた。外交のために訪れたネロペイン帝国の皇太子、現在の皇帝である男に一目惚れされ、その場で求婚されてしまったのだ。それを知ったサラの恋人は帝国を恐れて逃げてしまい、二人は破局。傷心のサラは愛した
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第10話 名前を教えてはいけない子
「わん?」 コクリと頷かれて、イアンは狼狽した。(わんちゃんとは、犬か? 俺が犬にそっくりなのか?) 狂犬とは言われたことはある。勿論、比喩だ。「まっくろで、そっくり。おめめのいろもおなじ」 犬にそっくりだと言われ、ショックを受けるべきだが……嬉しそうに笑っている姿を見て、そのショックはどこかへ消え去った。少女の笑顔を見ると、不思議と胸が温かくなるのだ。犬と同じ毛色をしているから『わんちゃん』と呼ばれたことはとても小さなことだと思えた。「犬が好きなのか?」「くろいいぬをかってたの。でも、いなくなっちゃった……」 目の縁に涙が浮かぶのを見て、イアンは冷や汗が出て、慌てふためいた。敵に追い込まれ、大勢の敵兵に囲まれても慌てなかった男である。 とにかく、泣き止ませないと、とポケットからハンカチを取り出す。 猫のように大きな瞳から溢れる涙を拭うと、琥珀色の瞳が驚きで大きく見開いて、その瞳に自分が映り込む姿が見えた。幼女は黙ってイアンに涙を拭われている。「わんちゃんも、わたしがないたらね、ペロペロしてくれた」 はにかんだ表情を見て、胸が鳴った。イアンは咄嗟に自分の胸に手を当てた。「だいじょうぶ?」「大丈夫だ」 スーハーと息を整えて、イアンは頭を振った。 それから、息を大きく吸い込んだ。「名前はなんていうんだ?」 生まれて初めて女性に名を訊ねた。「なまえはおしえちゃダメなの。アンにおこられちゃう」 ──出鼻を挫かれてしまう。 気を取り直して、質問を変えてそれが誰なのか訊ねた。「わたしのきし」「騎士ってあの騎士?」「アンはね、わたしにきしのちかいをしたの」「騎士の誓いを?」 コクリと頷いたのを見てイアンは更に首を傾げることになる。 騎士の誓いはスェミス大国では寂れた風習である。 今では叙任式といった形式的な形や、指輪を贈る時に貴婦人へ求婚をする時に行う敬礼だ。しかしこの帝国では違う。 スェミス大国の騎士団と国軍はそれぞれ独立した組織で、騎士団は城内を警備し王族を護衛している。 王族へ忠誠を誓い、王族の為に動く組織だ。軍は国家を防衛している機関であり、将軍の命令にのみ従い、王族だからと言って従うことはない。 それなのに、友好的な関係を保つことができているのは、互いの領域に口を出さないからだ。 一方帝国は、騎士団と軍は
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-07-04
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