「お姉ちゃん、来ないって。外で食事をするには会社からここまで来るのにちょっと遠くて面倒だからって。昼もそんなに長く休憩時間がないしさ、会社の食堂で食べるんだって」結城理仁は一言うんと短く返事した。「夜、義姉さんが仕事から戻ってきたら、会社でやっていけそうか聞いてみて。誰か彼女をいじめるような人はいないかって。俺は東社長に直接少しくらいなら言えるからさ。もし義姉さんをいじめるような人間がいたら、社長にどうにかしてもらうよ」内海唯花は彼の方をちらりと見た。「お姉ちゃんがあなたのことを大事にしなさいって言うわけね。いっつも私にあなたにはよくするようにって釘を刺されるんだから」結城理仁の整った顔が少し赤くなった。彼は義姉の前ではいつも自分をよく見せようとしていた。時間があまりなかったので、内海唯花は簡単な昼食を作った。それでも結城理仁は美味しそうに食べてくれて、全く嫌そうにしなかった。内海唯花は彼が安い肉と一部の薬味を食べないだけで、実際はそこまで好き嫌いが激しい面倒くさい人じゃないと思っていた。食後、結城理仁はすぐには会社に戻らなかった。内海唯花は食器を洗ってキッチンから出てきて、彼がまだいるのを見ると、携帯を取り出して時間を確認し、彼のほうに向かいながら尋ねた。「結城さん、午後は仕事に行かなくていいの?もう一時過ぎだよ。確か以前は一時くらいになったら急いで会社に戻ってなかったっけ」明凛と甥がいないのを見て、内海唯花はまた尋ねた。「陽ちゃんと、明凛は?」「牧野さんなら、スーパーに買い物に行って来るとか言って陽君を連れて行ってしまったけど」結城理仁は牧野明凛がわざとこの場にいるのを避け、夫婦が二人きりになる時間を作ってくれたのだと思った。どうやら牧野明凛は金城琉生と内海唯花の仲を取り持とうとする気は全くないようだ。結城理仁は牧野明凛に対する見方がとても良くなっていた。「そうなの」内海唯花はレジのほうへ行った。「内海さん」結城理仁は迷って口を開いた。内海唯花が彼のほうに目を向けた時、彼が言いたい言葉がまた喉につっかかってしまい、どうしても出てこなかった。彼が続きの言葉を吐き出さないので、内海唯花は彼を気にかけて尋ねた。「結城さん、何か困ったことでもあった?なんだか迷ってるみたいだし、何かあるなら言
結城理仁は黙ったまま暫くの間内海唯花を見つめ、本当に何も言わずに後ろを向いて去っていった。内海唯花は口を開けて、彼を呼び止めようとしたが、それを止めてしまった。彼が話したくないなら、たとえ彼のその口をこじ開けたとしても、絶対に何も言わないだろう。「何か言おうとして止めてしまうのが一番嫌いなのよね。はっきりと口にできないのかしら?」内海唯花は結城理仁の煮え切らない様子に愚痴をこぼした。人というものはみんな好奇心を持っている。彼のあの言おうとして止めてしまうその態度のせいで、彼女の好奇心が更に増してしまった。彼は一体彼女に何を言いたかったのか気になって仕方がない。すると、二分も経たずに、あの言いたいことをはっきりと言えない男が花束を抱えて戻って来た。内海唯花は驚いて彼を見つめた。結城理仁が花束を抱えてやって来るなんて信じられなかった。彼女は目をこすってもう一度彼のほうを見た。確かに彼女の夫である結城理仁だ。彼はつまりこの花を彼女に贈るつもりなのか?なぜだか急に内海唯花の鼓動が速くなり、全身が突然こわばった。なんと、彼女が緊張している!彼はその花束を直接彼女に手渡すことはせず、両手に抱えられたその花束はレジの上に置かれた。そして彼女は重たい口の男のセリフを聞いた。「ここへ来る途中の花屋にきれいな花があったから、君にこれを買ってきたんだ。別に何か意味があったわけじゃない」そう言い終わると、彼は彼女の反応を待たずにガチガチにこわばった身体の向きを変え、大きな一歩を踏み出し、歩いて行った。彼のその一連の動作はあっという間だった。それはまるで、数秒でもそこに長く留まってしまうと、彼女が花束を持って彼を殴りにかかるとでも言わんばかりだった。「結城さん」内海唯花は我に返ると、瞬時に外に飛び出して彼を呼んだ。そして、彼女は結城理仁がまるで鬼に追いかけられているかのように、急いで車に乗り込み、急いでエンジンをかけて瞬く間に遠ざかって行くのを見ていた。内海唯花「……」少ししてから、彼女は感心して言った。「あの動き、まさに電光石火。彼には敵わないわ」さっきの様子を思い出し、彼女はまたおかしくなった。そして、笑いを抑えられず、はははと大きく笑った。結城理仁という人物は、たまに本当に面白くなる。彼女は存分に笑
「旦那からもらったのよ、綺麗でしょ?私はすごく綺麗だと思うの、気に入っちゃった」内海唯花はその花束の写真をたくさん撮った後、携帯を置いて花束を抱き上げ鼻を近づけ匂いを嗅いでみた。「すっごくいい香り!」このシーンは金城琉生の目にはかなりの衝撃だった。「唯花さんの旦那さんからだったんですね。今日って何かの記念日ですか?今まで旦那さんが唯花さんに花を贈ったところなんて見たことがありませんから」金城琉生の笑顔はすこしこわばっていて、その口調にも少し嫉妬の色がうかがえた。それに少し皮肉っぽさがあった。内海唯花は顔を上げて彼を見て言った。「夫婦なんだもの、別に何かの日じゃないと花束を贈っちゃいけないなんてこともないでしょう?私が好きなら、夫は毎日でも花束を贈ってくれるのよ。以前は、私がお金を無駄に使うのを気にしていたからね。花束って安いものでもないし、食べられもしないし。私が花束をくれるくらいならそのお金でお肉を食べさせてくれたほうがいいって言ってたから、彼も花束をプレゼントすることはなかったのよ」金城琉生「……それもそうですよね」「琉生君、何か明凛に用事でもあるの?電話してみたらどう?たぶんもうすぐ帰ってくるとは思うんだけど」「いえ、なんでもないんです。ただ通りがかりにここにちょっと会いに来ただけですから。唯花さん、俺会社に戻りますね」「わかったわ」内海唯花はそう一言答えると、すぐにまた結城理仁が彼女にプレゼントしてくれた花束を満喫した。金城琉生は彼女の意識が花束に注がれているのを見て、とても胸が苦しくなった。しかし、それ以上は何も言い出せず、後ろを向いて店を出ていった。この間、内海唯花にビジネスパーティーに一緒に参加してほしいとお願いして、それを断られてからというもの、内海唯花は彼に対して冷たい態度を取るようになっていた。内海唯花はいつも彼に対して無意識に彼女は旦那のいる人妻なのだと強調していた。内海唯花とその夫はスピード結婚したのではなかったのか?従姉の明凛も内海唯花は姉である唯月を安心させたいがためにこのようなことをしたのだと言っていた。二人は半年の契約を交わしていて、その契約期間が過ぎれば離婚するのだとも。まさか、内海唯花はスピード結婚した夫のことを愛してしまったのか?金城琉生はかなり落ち込んでいた。「琉
「彼が何の意味もないって言うのを信じるつもり?唯花、今きっとお互いに気持ちがあるのよ。このチャンスをしっかり掴まなくちゃ。私あなた達の本当の結婚式に参加してブライズメイドをしてあげるからね」牧野明凛は親友をからかって言った。「そう考えるにはちょっと早すぎると思うけど」「私はそんなことないと思ってるけどね、ははは。唯花、琉生を呼び止めてあるの。あの子と一緒にコーヒーを飲んでくるわ。あなた、何が飲みたい?帰って来る時にテイクアウトしてくるわ」内海唯花は少し考えてから言った。「キャラメルラテでいいわ」「わかった」牧野明凛はこころよくそれに応えた。「店番頼んだわよ。私コーヒー飲んでくるね」「いってらっしゃい」どのみち今は店にお客は少ない。普段、この時間帯には彼女はレジの奥で休憩しているか、ハンドメイドを作っているのだ。牧野明凛は出かけて行った。金城琉生は外で待っていた。牧野明凛は店から出てくる時、笑顔を消して真面目な顔つきになった。「行きましょ」彼女は直接金城琉生の車に乗った。金城琉生は従姉の表情が厳しくなったのを見て、なぜだか心細さを感じていた。ちょうどこれと同時刻の結城グループにて。結城理仁は気分上々でエレベーターに入って行った。アシスタントの木村がある封筒を持ってやって来た。「社長、この手紙なんですが、九条さんが必ず社長に直接渡すようにと言付かってきたものです。なんでも社長の奥様に関係があるとかで」会社の中で社長が結婚していると知っているのは、数人程度しかいない。木村はラッキーなことにその中の一人だ。結城理仁はその封筒を受け取り、何も言わず、直接彼の社長オフィスへと入って行った。黒の社長椅子に座り、結城理仁はその封筒を開けて、中から一枚の手紙を取り出した。それを開いて見てみると、それは匿名の者からで、内容は非常に簡潔だった。彼に神崎姫華がしつこく彼に付き纏っているのは、裏で内海唯花が手を引いているからだというものだ。結城理仁はすぐに九条悟に電話をかけた。人の噂話が大好物である九条悟は上司からの電話をまだかまだかと待っていたのだった。「これは誰が書いた手紙だ?」九条悟が内海唯花と関係あるものだと言っていたのだから、彼は絶対にこの手紙を誰が書いたのか知っているはずだ。「
彼は内海家のクズな人間達を乞食にさせようとしても難しいと言っていた。九条悟は笑って言った。「一度に決着付けちゃったらさ、面白いもんが見られなくなるじゃんか」結城理仁の顔が暗くなった。「こういう人間にはさ、焦らずゆっくりじわじわと迫っていかないとダメなんだよ。すこーしずつ彼らが持っているものの全て奪っていくんだ。どうにかしてそれを取り戻そうと足掻くのに、それが消えていくのを指をくわえて見ているだけしかできないあの苦しみを与えてこそ、ああいう奴らにでかいダメージを与えられるんだから」九条悟は自分が確かに手を緩めていると認めていた。あの内海家のクズどもをすぐには地獄に叩き落さなかったのだ。「だけど、安心してくれよボス。最終的には君の満足いく結果になるだろうからさ。今や内海智文はすでに会社から解雇されている。あの時ネットで大炎上してたからな、あいつのビジネス界での評判はだだ下がりなんだ。これから良い仕事を見つけようったってなかなか簡単にはいかないぞ」内海智文が完全に職を失ったと聞いて、結城理仁の顔はようやく少し和らいだ。「この件に関しては、神崎さんに感謝しないといけないぞ。神崎さんが彼女の兄さんに頼んで内海智文をクビにさせたんだから。神崎さんが君の奥さんのために色々やってくれてると言わざるを得ないだろう」結城理仁は冷たく二度鼻を鳴らした。内海唯花は事情が複雑であることなどまったく知らない。神崎姫華に彼を落とすテクニックを教えているのだから、彼女が唯花に良くしてくれているのは当然のことだ。内海唯花はそれを聞けば、神崎さんが追いかけているのは結城家のあの御曹司であって、あなたではないでしょ?と言うことだろう。結城理仁「……」神崎姫華が彼こそ内海唯花の夫であることを知っても、彼女が内海唯花に依然として良くしてくれて、守ってくれるのであれば、彼は神崎姫華が本当に唯花を友達だと思っていると信じるだろう。結城理仁はあのゴールドの指輪をまた取り出し、左手の薬指にはめた。内海唯花の店に行った時は、彼はその指輪を外していたのだ。「あ、そうだった。内海智文の野郎、俺ら結城グループに入ろうとしているらしく、うちの面接官に連絡してきたみたいだぞ。彼はアーロン基板株式会社で長年働いていて、平社員から管理職になり、仕事の経験が豊富であ
カフェにて。牧野明凛は店の目立たないところの席を選んで座った。金城琉生は彼女の向かいに座っている。「琉生、あなた何飲む?」「なんでもいいよ。明凛姉さんが頼むのと同じのでいいから」牧野明凛は店員に言った。「ブラックコーヒーを二つください」「明凛姉さん、ブラックは美味しくないよ」牧野明凛が横目で彼を睨むと、金城琉生は身を縮こませて言った。「やっぱブラックでもいい」二人が頼んだブラックコーヒーが来てから、牧野明凛はストレートに尋ねた。「琉生、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、あんたってもしかして唯花のこと好きなの?」金城琉生は驚いた。彼は驚いた眼で牧野明凛を見つめた。「明凛姉さん……」「正直に答えなさい!」牧野明凛は命令口調で言った。金城琉生の顔はだんだん赤く染まっていった。バレてしまったのか?「姉さん、お……俺、俺は唯花さんのことが好きです」「いつからなの?」金城琉生は小声で答えた。「いつからだったかは、はっきりわからないよ。たぶん14、5歳の恋愛に興味を持ち始めた頃じゃないかな。もしかしたら17、8歳くらいだったかもしれないけど」牧野明凛の顔色は暗くなった。「唯花にそんなに長く片思いしているのね」長い間よく隠してきたものだ。彼女と内海唯花はこのことを全く知らなった。彼女たちは金城琉生のことを完全に弟としてしか見ていなかったからだ。実際、金城琉生は彼女たちよりも三歳年下であるから、弟でしかない。金城琉生の顔は真っ赤になっていた。「琉生、諦めなさい。唯花はあんたを好きになることはないわ。彼女はずっとあんたを弟として見ているのよ。それに以前、彼女がまだ独身だった頃ならまだしも、今は結婚しているのよ……」「明凛姉さん、この間唯花さんと旦那さんは契約結婚だって言ってたじゃない?半年後に離婚する予定なんだって」牧野明凛は冷ややかな顔つきで言った。「彼らがどんな結婚なのかなんてあんたに関係ないのよ。唯花はもう既婚者なの。人妻なのよ。あんた、他人の妻に幻想を抱いて、浮気相手にでもなろうっての?」金城琉生は不機嫌そうに言った。「俺の方が先に唯花さんと知り合ったんだ」「愛ってのは別に先に知り合ったほうが有利だなんてもんでもないでしょ。この間唯花があんたにご馳走した時、あんたが好き
「私があんたの従姉だから、わざわざここまで来て直接あんたに話してるんでしょうが。唯花があんたを好きじゃなくて、もし好きだったとしても、私はあんた達二人が一緒になるのは反対よ」「なんで?」「だって、あんたの家よ。あんたの母親はどんな人?私はよくわかってるんだからね。おばさんがもしあんたが唯花を好きだって知ったら、彼女が喜んで唯花を受け入れるとでも思ってんの?彼女は絶対にどんな手を使ってでも、あんた達が接近するのを邪魔するはずよ。それに唯花に極端な行動に出る可能性だってあるわ。おばさんは上流社会という世界に二十数年間住んでいるのよ。かなり前から目を肥やしてるわ。あんたは彼女のたった一人の息子で、彼女の希望だし、金城家の後継者よ。彼女のあなたに対する期待は相当なものに決まってるでしょう。あなたには絶対に名門のどこかのお嬢様と結婚させたいと思ってるはず。唯花はとっても優秀な女性よ。だけど、彼女の出身を考えるとそれが大きな足枷になってあんたの相手としては考えられないのよ。おばさんは私のことを考慮してくれて、唯花のことを自分の姪っ子のように喜んで可愛がってくれているけど、あんたのこととなると話は別。手のひらを返したかのように唯花に冷たくなるわ。だから、おばさんの目には唯花はあんたのお嫁さん候補に映っていないのよ」牧野明凛のこの話は急所をずばりと言い当てていて、情け一つなかった。「琉生、あんたの唯花に対する気持ちは、彼女に幸せじゃなく、ただ災いをもたらすだけよ。私はあんたの従姉のお姉さんだから、愛のために傷ついてほしくないの。私は唯花の親友だから、私の家族のせいで彼女に傷ついてほしくないのよ。琉生、諦めて。唯花はあんたには合わないの。彼女だって絶対にあんたを好きになることはないんだから。あんた達が知り合って十数年、彼女は私と一緒にあんたが大きくなるのを見守ってきたわ。彼女がもしあんたを好きになるんだったら、十数年のこの時間でどうして心を動かさなかったの?十数年もの時間、彼女はずっとあんたを弟としてしか見てこなかった。お姉さんが自分の弟に恋愛感情を抱くようなことはないでしょ。ここで諦めず、このまま唯花を好きでい続けたら、苦しむのはあんた自身なのよ」金城琉生の顔色が更に青ざめていった。彼は唯花のことが好きで、自分の母親も唯花をとても気に入ってい
牧野明凛は彼を見つめ、顔色が段々厳しくなり、冷たい声で言った。「まさか、本当に唯花と結城さんの間に無理やり割って入ろうなんて考えてないよね?琉生、そんなことしたら、私あんたを見下すわよ」 金城琉生は自分が内海唯花を諦めきれないと思っている。しかし、彼女を傷つけさせることもしたくない。酷いことを言っていたが、やはり自分の従弟だ。今の彼が可哀想だと思って牧野明凛は顔色を和らげ、ため息をついて言った。「琉生、聞くに堪えない言葉だけど、言えることは全部言ったつもりだよ。まずは頭を冷やしてちょうだい。お姉ちゃんの店には暫く来ないように努力して。唯花に会わなかったら、自然にその感情は去って行くものよ」言い終わると、彼女は椅子から腰を上げた。「コーヒーを奢るから、気にしないでね。私は先に店に帰るから、琉生も早く会社に戻るのよ。今経験を積んでいる重要な時期でしょ。誰よりも頑張らないと。金城家の今の世代には、あなたしかいないわけじゃないということを肝に銘じるべきよ。努力しないと、あなたのものもなくなっちゃうんだから」言い終わると、牧野明凛は彼に背を向けて、店を出ていった。金城琉生はぼんやりとそこに座っていた。彼は自分が内海唯花に恋をしていると気づいた時、勇気を出して告白することが出来なかったから、そのチャンスを逃がしてしまったのではないだろうか。牧野明凛は店に戻った時、佐々木陽はもう起きていた。内海唯花はハンドメイドをしていて、佐々木陽が大人しく彼女の隣でおもちゃで遊んでいた。牧野明凛は静かに自分の親友を見つめた。親友は整った顔をしていて、かなり美人だった。こうやって自分が好きなことに専念している時、特に美しい。金城琉生が彼女に恋をしても、別に不思議なことではない。「明凛、何を見ているの?まさか見惚れている?」牧野明凛は笑った。「私が男だったら、絶対あなたに恋に落ちるよ。唯花、自分がとても魅力的な存在だという自覚がないの」「魅力的な存在なんて大袈裟だよ。結婚する前に、彼氏もいなかったって知っているでしょ」「それは唯花が彼氏を作りたくなかっただけでしょ」牧野明凛は自ら椅子を引いてレジの前に座り、内海唯花に聞いた。「ネットショップはかなり順調なの?ここ最近、時間があればいつもハンドメイドしているね」「結城さんと彼の弟
その時、聞いていて我慢できなくなった人が英子に反論してきた。「そうだ、そうだ。自分だって女のくせに、あんなふうに内海さんに言うなんて。内海さんがやったことは正しいぞ。内海さん、私たちはあなたの味方です!」「こんな最低な義姉がいたなんてね。元旦那が浮気したから離婚したのは言うまでもないけど、もし浮気してなくたって、さっさと離婚したほうがいいわ、こんな最低な人たちとはね。遠く離れて関わらないほうがいいに決まってる」野次馬たちはそれぞれ英子を責め始めた。そのせいで英子は怒りを溜め顔を真っ赤にさせ、また血の気を引かせた。唯月が彼女に恥をかかせたと思っていた。そして彼女は突然、力いっぱい唯月が支えていたバイクを押した。バイクは今タイヤの空気が抜けているから、唯月がバイクを押すのも力を入れる必要があった。それなのに英子が突然押してきたので、唯月はバイクを支えることができず、一緒に地面に倒れ込んでしまった。「金を返せ。あんたのじいさんがお母さんから金を受け取ったのを認めないんだよ。じいさんの借金は孫であるあんたが返せ、さっさとお母さんに金を払うんだよ」英子はバイクと一緒に唯月を地面に倒したのに、それでも気が収まらず、彼女が持っていたかばんを振り回して力を込めて唯月を叩いた。さらには足も使い、立て続けに唯月を蹴ってきた。唯月はバイクを放っておいて、立ち上がり乱暴に英子からそのかばんを奪い、狂ったように英子を殴り返した。彼女は英子に対する恨みが積もるに積もっていた。本来離婚して、今ではもう佐々木家とは赤の他人に戻ったので、ムカつくこの佐々木家の人間のことを忘れて自分の人生を送りたいと思っていた。それなのに英子は人を馬鹿にするにも程があるだろう、わざわざ問題を引き起こすような真似をしてきた。こんなふうに過激な態度に出れば、善悪をひっくり返せるとでも思っているのか?この間、唯月と英子は殴り合いの喧嘩をし、その時は英子が唯月に完敗した。今日また二人が殴り合いになったが、佐々木母はもちろん自分の娘に加勢してきた。この親子は手を組んで、唯月を二対一でいじめてきたのだ。「警察、早く警察に通報して!」その時、誰かが叫んだ。「すみません警備員さん、こっちに来て喧嘩を止めてちょうだい。この女二人がうちの会社まできて社員をいじめてるんです」
唯月がその相手を見るまでもなく、誰なのかわかった。その声を彼女はよく知っている。それは佐々木英子、あのクズな元義姉だ。佐々木母は娘を連れて東グループまで来ていた。しかし、唯月は昼は外で食事しておらず、会社の食堂で済ませると、そのままオフィスに戻ってデスクにうつ伏せて少し昼寝をした。それから午後は引き続き仕事をし、この日は全く外に出ることはなかったのだ。だからこの親子二人は会社の入り口で唯月が出てくるのを、午後ずっとまだか、まだかと待っていたのだ。だから相当に頭に来ていた。やっとのことで唯月が会社から出てきたのを見つけ、英子の怒りは頂点に達した。それで会社に出入りする多くの人などお構いなしに、大声で怒鳴り多くの人にじろじろと見られていた。物好きな者は足を止めて野次馬になっていた。唯月はただの財務部の職員であるだけだが、東社長自ら採用をしたことで会社では有名だった。財務部長ですら、自分の地位が脅かされるのではないかと不安に思っていた。唯月は以前、財務部長をしていたそうだし。上司は唯月を警戒せずにいられなかった。さらに、唯月が東社長に採用されことで、上司は必要以上に彼女のことを警戒していたのだ。唯月は彼女にとって目の上のたんこぶと言ってもいい。周りからわかるように唯月を会社から追い出すことはできないから、こそこそと汚い手を使っていた。財務部職員によると、唯月は何度も上司から嫌がらせを受け、はめられようとしていたらしい。しかし、彼女は以前この財務という仕事をやっていて経験豊富だったので、上司の嫌がらせを上手に避けて、その策略に、はまってしまうことはなかった。「あなた達、何しに来たの?」唯月は立ち止まった。そうしたいわけじゃなく、足を止めるしかなかったのだ。元義母と元義姉が彼女の前に立ちはだかり、バイクを押して行こうとした彼女を妨害したのだ。「私らがどうしてここに来たのかは、あんた、自分の胸に聞いてみることだね。うちの弟の家をめちゃくちゃに壊しやがって、弁償しろ!もし内装費を弁償しないと言うなら、裁判を起こしてやるからね!」英子は金切り声で騒ぎ立て、多くの人が足を止めて野次馬になり、人だかりができてきた。彼女はわざと大きな声で唯月がやったことを周りに広めるつもりなのだ。「あなた方の会社の社員、ええ、内海唯
「伯母さんはあなた達が簡単にやられてばかりな子たちだとは思っていないわ。ただ妹のためにも、あの人たちをギャフンと言わせてやりたいのよ」唯花はそれを聞いて、何も言わなかった。それから伯母と姪は午後ずっと話をしていた。夕方五時、詩乃はどうしても唯花と一緒に東グループに唯月を迎えに行くと言ってきかなかった。唯花は彼女のやりたいようにさせてあげるしかなかった。そして、唯花は車に陽を乗せ自分で運転し、神崎詩乃たち一行と颯爽と東グループへと向かっていった。明凛と清水は彼らにはついて行かなかった。途中まで来て、唯花は突然おばあさんのことを思い出した。確か午後ずっとおばあさんの姿を見ていない。唯花はこの時、急いでおばあさんに電話をかけた。おばあさんが電話に出ると、唯花は尋ねた。「おばあちゃん、午後は一体どこにいたの?」「私はそこら辺を適当にぶらぶらしてたの。仕事が終わって帰るの?今からタクシーで帰るわ」実はおばあさんはずっと隣のお店の高橋のところにいたのだった。彼女は唯花たちの前に顔を出すことができなかったのだ。神崎夫人に見られたら終わりだ。「おばあちゃん、私と神崎夫人のDNA鑑定結果がでたの。私たち血縁関係があったわ。それで伯母さんが私とお姉ちゃんを連れて一緒に神崎さんの家でご飯を食べようって、だから今陽ちゃんを連れてお姉ちゃんを迎えに行くところなの。おばあちゃんと清水さんは先に家に帰っててね」「本当に?唯花ちゃん、伯母さんが見つかって良かったわね」おばあさんはまず唯花を祝福してまた言った。「私と清水さんのことは心配しないで。辰巳に仕事が終わったら迎えに来てもらうから。あなたは伯母さんのお家でゆっくりしていらっしゃい。彼女は数十年も家族を捜していたのでしょう。それはとても大変なことだわ。伯母さんのお家に一晩いても大丈夫よ。私に一声かけてくれるだけでいいからね」唯花は笑って言った。「わかったわ。もし伯母さんの家に泊まることになったら、おばあちゃんに教えるわね」通話を終えて、唯花は一人で呟いた。「午後ずっと見なかったと思ったら、また一人でぶらぶらどこかに出かけてたのね」年を取ってくると、どうやら子供に戻るらしい。そして唯月のほうは、妹からのメッセージを受け取り、彼女たちが神崎夫人と伯母と姪の関係で
昔の古い人間はみんなこのような考え方を持っている。財産は息子や男の孫に与え、女ならいつかお嫁に行ってしまって他人の家の人間になるから、財産は譲らないという考え方だ。息子がいない家庭であれば、その親族たちがみんな彼らの財産を狙っているのだ。跡取り息子のいない家を食いつぶそうとしている。それで多くの人が自分が努力して作り上げた財産を苗字の違う余所者に継承したがらず、なんとかして息子を産もうとするのだった。「二番目の従兄って、内海智文とかいう?」詩乃は内海智文には覚えがあった。主に彼が神崎グループの子会社で管理職をしていて、年収は二千万円あったからだ。彼女たち神崎グループからそんなに多くの給料をもらっておいて、彼女の姪にひどい仕打ちをしたのだ。しかもぬけぬけと彼女の妹の家までも奪っているのだから、智文に対する印象は完全に地の底に落ちてしまった。後で息子に言って内海智文を地獄の底まで叩き落とし、街中で物乞いですらできなくさせてやろう。「彼です。うちの祖父母が一番可愛がっている孫なんですよ。彼が私たち孫の中では一番出来の良い人間だと思ってるんです。だからあの人たちは勝手に智文を内海家の跡取りにさせて、私の親が残してくれた家までもあいつに受け継がせたんです。正月が過ぎたら、姉と一緒に時間を作って、故郷に戻って両親が残してくれた家を取り戻します。家を売ったとしても、あいつらにはあげません!」そうなれば裁判に持っていく。今はもうすぐ年越しであるし、姉が離婚したばかりだから、唯花はまだ何も行動を起こしていないのだ。彼女の両親が残した家は、90年代初期に建てられたものだ。実際、家自体はそんなにお金の価値があるものではないが、土地はかなりの値段がつく。彼女の家は一般的な一軒家の坪数よりも多く敷地面積は100坪ほどあるのだ。彼女の両親がまだ生きていた頃、他所の家と土地を交換し合って、少しずつ敷地面積を増やしていき、ようやく100坪近くある大きな土地を手に入れたのだった。母親は、彼女たち姉妹に大人になって自立できるようになったら、この土地を二つに分けて姉妹それぞれで家を建て、隣同士で暮らしお互いに助け合って生きていくように言っていたのだ。「まったく人を欺くにも甚だしいこと。妹の財産をその娘たちが受け継げなくて、妹の甥っ子が資格を持っ
姫華は唯花たちが引っ越し作業を終えてから、ようやく自分がそんなに面白いことを逃したのだと知ったのだった。だから彼女は明凛と唯花に不満を持っていた。明凛は唯花に姫華にも教えるよう言ったが、唯花が彼女はお嬢様だから家をめちゃくちゃにするという乱暴なシーンは見せたくないと思い姫華には伝えなかったのだ。確かに姫華は名家の令嬢であるが、神崎姫華だぞ。神崎姫華は星城の上流社会ではあまり評判が良くない。他人が彼女のことを横暴でわがまま、理屈が通じないというくらいなのだから、そんな彼女が家を壊すくらいのシーンで音を上げるとでも?逆に、彼女自身も機嫌が悪い時にはハチャメチャなことをしでかすというのに。「姉がもらうべき分はしっかりと財産分与させました。ただ内装費に関しては佐々木家が拒否したので、私たちが人を雇ってその内装を全て剥がしたんです」詩乃はそれを聞いて「それはそうすべきよ。どうして佐々木家においしい思いをさせる必要なんてあるかしら」と唯花たちの行動を当たり前だと言った。そして最後にまた残念そうにこう言った。「もし伯母さんが知っていれば、あなた達の家族として、大勢で彼らのところまで押しかけて内装費を意地でも出させてあげたものを。これは正当な権利よ」この時、唯花はふいに姫華の性格は完全に母親譲りなのだと悟った。「唯花ちゃん、もうちょっとしたらお店を閉めて私たちと一緒に神崎家に帰りましょう。家族みんなで食事をするの。そうだ、あなたの旦那さんはお時間があるのかしら?彼も一緒にいらっしゃいよ」唯花は「夫は今日出張に行ったばかりなんです。たぶん暫くの間帰ってきません。彼が帰ってきたら、一緒に詩乃伯母さんのお宅にお邪魔します」と返事した。「出張に行ってらっしゃるのね。なら、彼が帰って来てからお会いしましょう」詩乃はすぐに姪の夫に会えなくても特に気にしていなかった。彼女にとって、二人の姪のほうが重要だったからだ。今、彼女は姪を見つけることができて、姪二人にはこの神崎詩乃という後ろ盾もできた。ちょうど唯花に代わってその夫が頼りになる人物なのか見極めることができよう。「あなたのお姉さんは五時半にお仕事が終わるのよね?」「ええ」神崎夫人は時間を見て言った。「お姉さんはどこで働いていらっしゃるの?」「東グループです」神崎夫人は「そ
姫華は父親である神崎航と一緒に母親を気にかけていたので、理紗が忘れずにこの鑑定結果を持ってきたのだった。唯花は理紗から渡された鑑定結果を受け取って見た。彼女はその結果を見た後、少しの間沈黙してからそれをテーブルの上に置いた。「唯花ちゃん、あなたは私の姪よ。私のことは詩乃伯母さんって呼んでね」今世では妹と再会を果たすことはできなかったが、妹の娘である二人の姪を見つけることができただけでも、神崎詩乃(かんざき しの)にとっては一種の慰めになった。彼女は唯花の手をとり、自分のことを「詩乃伯母さん」と呼ばせた。「唯月ちゃんは?それから陽ちゃんも」神崎詩乃はもう一人の姪のことも忘れていなかった。「姉は昼にはここへは来ないんです。夕方五時半に退勤したら帰ってきますよ」唯花はそう説明して、明凛のほうを見た。明凛が陽を抱っこして近づいて来て、唯花が彼を抱っこした。「神崎おば様……」唯花がそう言うと、詩乃は言った。「唯花ちゃん、私のことは詩乃伯母さんって呼んでね。私はずっとあなた達を見つけられるのを夢見ていたのよ。ようやく見つけたんだから、そんな距離感のある言い方で呼ばれると寂しいわ」唯花は少し黙った後「詩乃伯母さん」と言い直した。DNA鑑定結果はもう出てきたのだ。彼女が神崎詩乃の血縁者であることが証明されたのだから、神崎夫人はまさに彼女の伯母にあたるのだ。本当にまるでドラマのようだ。詩乃は唯花に詩乃伯母さんと呼ばれて、目をまた赤くさせた。そして姫華がこの時急いで言った。「お母さんったら、もう泣かないで。陽ちゃんもいるのよ、お母さんが泣いたりしたら、陽ちゃんを驚かせちゃうでしょ」明凛と清水はみんなにお茶とフルーツを持ってやってきた。詩乃は陽を抱っこしたいと思っていたが、陽のほうはそれを嫌がり、背中を向けて唯花の首にしっかりと抱きついた。「陽ちゃん、こちらはおばあちゃんのお姉さんなのよ」詩乃は立ち上がって、陽をなだめようとした。「いらっしゃい、おばあちゃんが抱っこしてあげる、ね」しかし陽は彼女の手を振り払い「やだ、やだ、おばたんがいいの」と叫んだ。詩乃は陽が過剰な反応をしたのを見て、諦めるしかなかった。そして少し前の出来事を思い出し、彼女はまた容赦なくこう言った。「あの最低な一家が、陽ちゃんにショックを
数台の高級車が遠くからやって来て、星城高校の前を通り過ぎ、唯花の本屋の前に止まった。隣の高橋の店で暇だからおしゃべりをしていた結城おばあさんが、道のほうに目を向けると数台の高級車がやって来ていた。そしてすぐに顔をくるりと元の位置に戻し、わざと頭を低くした。あの数台の車から降りてきた人に見られないようにしたのだ。「唯花、唯花」姫華が車から降りて、唯花の名前を呼びながら店の中へと小走りに入ってきた。その時は隣の店でおしゃべりしていた結城おばあさんを全く気にも留めていなかった。その後ろの車から降りてきた神崎夫人の夫の神崎航がボロボロに泣いている妻を支えながら、娘の後ろに続いて店の中に入ってきた。理紗はボディーガードたちに入り口で待機するように伝え、それから彼女も店の中へと入ってきた。唯花は三分の一ほどビーズ細工のインコを作り終えたところで、姫華に呼ばれる声を聞き、その手を止めて姫華のほうへ視線を向けた。「姫華、来たのね。ご飯は食べた?もしまだなら……」その時、神崎夫人が夫に支えられて入ってきて、夫人が涙で顔を濡らしているのを見て、唯花は状況を理解した。神崎夫人はDNA鑑定の結果を手にしたのだ。神崎夫人のその顔を見れば、聞くまでもなく彼女と神崎夫人には血縁関係があるのだということがわかった。「唯花ちゃん――」神崎夫人は急ぎ足で、レジ台をぐるりを回って彼女のもとへとやって来て、唯花を懐に抱きしめ泣きながら言った。「伯母さんにもっと早く見つけさせてよ――」彼女はそれ以上他に言葉が出てこないらしく、ただ唯花を抱きしめて泣き続けた。唯花は彼女に慰める言葉をかけたかったが、自分もこの時何も言葉が出せなかった。「私の可哀想な妹――」神崎夫人は妹がすでに他界していることを思い、また大泣きした。唯花は彼女と一緒に涙を流した。明凛は陽を抱っこして清水と一緒に遠くからそれを見守っていた。陽は全くどういうことなのかわかっていない様子だった。姫華と理紗も目を真っ赤にさせていた。神崎航がやって来て、妻を唯花から離し、優しい声で慰めた。「泣かないで、姪っ子さんが見つかったんだ、良かったじゃないか。私たちは喜ぶべきだろう。そんなふうにずっと泣いてないで、ね」神崎夫人は夫に支えられて椅子に腰かけた。妹の不幸な境遇と、二人の
「内海のクソじじい、あんたはしっかり私から百二十万受け取っただろうが。現金であげただろう、あれは私がずっと貯めていたへそくりだったんだよ。あの金を受け取る時にあんたは唯花を説得してみせると豪語してたじゃないか。それがあんたは何もできずに、うちの息子はやっぱり唯月と離婚してしまったんだぞ。だからさっさと金を返すんだよ。じゃないと本気で警察に通報するわよ」佐々木母は内海じいさんがどうしても認めようとしないので、怒りで顔を真っ赤にさせていた。内海じいさんは冷たい顔で言った。「もし通報するってんなら、通報すりゃええだろ。俺がそんなことを怖がるとでも思ってんのか。俺はお前から金を受け取ってないし、もし受け取っていたとしてもそれが何だって言うんだ?それは唯月が結婚した時の結納金の補填だろう。うちの孫娘がお宅の息子と結婚する時に一円も出しゃあしなかったくせによ。結納金に代わって百万ちょいの補填だけで済んだんだぞ。お宅にも娘がいるだろ。その娘が結婚する時に一円も結納金を受け取らずにタダで娘を婿側に送ったのか?」佐々木母はそれを聞いて腹を立てて言った。「なにが結納金だ、お前は唯月を育ててきたのか?そうじゃないくせに結納金を受け取る資格があんたにあるとでも?彼らはもう離婚したってのに、馬鹿みたいにあんたらに結納金を今更補填してあげるわけないでしょうが。さっさと金を返すんだよ!」「金なんかねえ。命ならあるけどな。それでいいなら持って行くがいい」内海じいさんは、もはやこの世に何も恐れるものなど何もないといった様子で、佐々木母はあまりの怒りで彼に飛びかかって引き裂いてやりたいくらいだった。そこに英子が母親を引き留めた。「お母さん、あいつに触っちゃダメよ。あいつはあの年齢だし、床に寝転がりでもされちゃったら、私たちが責任を追及されちゃうわよ」「ああ、じいさんや、私はすごくきついよ。もう息もできないくらいさ。こいつらがここで大騒ぎしたせいで私まで気分が悪くなってきたみたいだ。死にそうだよ……」病床に寝ていたおばあさんが突然、気分が悪そうな様子で胸元を押さえて荒い呼吸をし始めた。内海じいさんはすぐにナースコールを押して、医者と看護師に来るように伝えた。そして、佐々木母たち三人に向って容赦なく言った。「もしうちのばあさんがお前らのせいで体調を悪化させた
唯花は笑って言った。「姫華が言ってたの、九条さんって情報一家らしいわ。彼と一緒にいたら、ありとあらゆる噂話が聞けるわよ。あなたって一番こういうのに興味があるでしょ。九条さんってまさにあなたのために生まれてきたみたいな人だわ、あなた達二人とってもお似合いだと思うけど」明凛「……」彼女が彼氏を探しているのは、結婚したいからなのか、それとも噂話を聞くためなのか。「そういえば、お姉さんの元旦那のあの一家がまた来たって?」明凛は急いで話題を変えた。親友に自分の噂話など提供したくないのだ。「お姉ちゃんと佐々木のクソ野郎が離婚して、お姉ちゃんがあの家から出て行ったでしょ。あいつらは待ってましたと言わんばかりに引っ越して来ようとしてたわけ。だけど、今は部屋を借りるかホテル暮らしするか、はたまた実家に帰るしかなくなったでしょ。あの一家は絶対市内で年越ししたいと思ってるはずよ。実家には帰らないでしょうね」佐々木一家は絶対に実家のご近所たちに、年越しは市内でするんだと言いふらしていたはずだ。だから、住む家がなくとも、彼ら一家は部屋を借りるまでしてでも、市内で正月を迎えようとするに決まっている。唯花は幽体離脱でもして佐々木家に向かい、彼らの様子を見てみたいくらいだった。「あの人たち、家の内装がなくなってめちゃくちゃになった部屋を見て、きっと大喜びして失神したことでしょうね」唯花はハハハと大笑いした。「そりゃそうね」唯花が今どんな状況なのか興味を持っている佐々木家はというと、この時、すでに内海じいさんがいる病院までやって来ていた。内海ばあさんは術後回復はなかなか順調で、もう少しすれば退院して家で休養できるのだった。佐々木母は娘とその婿を連れて病室に勢いよく入っていった。佐々木父は来たくなかったので、ホテルに残って三人の孫たちを見ていた。ただ佐々木父は恥をかきたくなかったのだ。「このクソじじい」佐々木母は病室に勢いよく入って来ると、大声でそう叫んだ。内海じいさんは彼女が娘とその婿を連れて入ってきたのを見て、不機嫌そうに眉をしかめた。彼の息子や孫たちはどこに行ったのだ?誰もこの狂ったクソババアを止めに入りやしないじゃないか。「これは親戚の佐々木さんじゃないですか、うちのばあさんはまだ病気なんで、静かにしてもら