暗いため息をついて、結城理仁は内海唯花の隣に横になった。理仁は、彼女が欲しいと思っても、このような形で関係を持ちたいわけではない。彼女もそうしたいと思っていて、起きている時じゃないとだめだ。彼女が寝ぼけて朦朧としている時に、一体誰と関係を持ったのかわからないような状況では絶対に嫌なのだ。内海唯花は寝る環境が変わっても、相変わらずいつもと同じようにぐっすりと眠っていた。しかし、結城理仁のほうはそうはいかなかった。彼は今まで誰とも一緒に寝たことがない。容姿が美しく、スタイルが良い若い女性となんてなおさらだ。しかもこの女性は好きで結婚して妻となったわけではなく、名ばかりの妻なのだ。彼はものすごく慣れなかった。眠ってしまった内海唯花は彼のほうへ身を寄せ、暖を取ろうとしている。それに悶々とした結城理仁は手を伸ばして彼女が着ているパジャマのボタンを外そうとした。一つだけ外して彼はやはり止めてしまった。彼女の綺麗に整った寝顔を見つめ、結城理仁はもっと近づき、唇に口づけをした。そして、覚悟を決め、彼女が自分の胸に潜り込んできたのに全力で意識しないようにして、心の中で念仏を唱えるかのようにつぶやいていた。「俺は聖人君子だ!」絶対に邪なことなどしたりしない!機が熟すのを待とう。食べ頃になったら、彼は遠慮なく彼女の全てをいただくとしよう!正直本当に眠かった結城理仁は、このような考えを巡らしながら、ウトウトと夢の中へと落ちていった。この夫婦二人は、この時、彼の部屋の扉の前に誰かがピタリと身体をドアに貼り付け、部屋の中の様子をうかがっていることなど知る由もなかった。そこにいるのは言わずもがな、おばあさんだ。「どうですか?」驚いたことに、清水が尋ねる声が聞こえた。その声はとても小さかったが、おばあさんはびっくりして心臓がバクバクした。清水はおばあさんがこんなに激しく動揺するとは思っておらず、彼女自身も驚かされて数歩後ずさりした。おばあさんは清水を見て、自分の心臓辺りをトントンと叩きながら、小声で彼女を責めた。「清水さん、なんで忍びみたいに気配を消して急に現れるのよ。びっくりしたわ」清水は「私の存在にはとっくにお気づきかと思っていまして」と返した。おばあさんは全ての神経を孫の部屋の動きに集中させていて、清水が来たことには
雨は一晩降り続いて、明け方には止んだ。内海唯花はいつもの時間に目が覚めた。目を開けるとすぐ結城理仁のあの端正な顔が見えて、彼女は驚いたが、昨晩のことを思い出し急いでベッドに座ると、そうっと音を立てないようにして出て行こうとした。少し考えて、彼女は結城理仁のほうへ振り返った。起きていないか試すために彼の体を少し揺さぶってみると、彼はまだぐっすりと寝ていた。昨日一日中、コーヒーだけでなんとかやり過ごしていたことを考え、熟睡するのは当然だと思った。どうせ彼は今日会社に休みを申請したことだし、このまま暫く寝させてあげよう。内海唯花は心では結城理仁の邪魔にならないようにしようと思っているが、やっていることはそれとは真逆だった。彼のあの整った顔を見て、内海唯花は我慢できずに何回かキスをし、小声でつぶやいた。「私よりも綺麗だなんて、もしあなたが一日中、冷たく厳しい顔をしていなかったら、さっさと襲ってあげてたのになぁ。私がもうちょっと度胸がついたら、しっかり炙って食べてやるんだから」数回こっそりと彼にキスをした後、内海唯花は最も重要なことを思い出した。彼の部屋は彼女にとっては立ち入り禁止区域だ。苦労してようやくこの部屋に入ることができた。しかも、彼がまだ熟睡している隙に、彼の分の契約書を盗んでこの世から消し去る絶好のチャンスではないか。でなければ、彼女はやはり自分だけなんの保証もないように感じた。なぜなら、彼女の分はすでに彼が無意識のうちに捨ててしまったからだ。そう思いながら、内海唯花は結城理仁が夢の中にいるうちに、彼の部屋でこっそりとあの契約書を探すことにした。動きは大胆にはできない、彼が物音で目を覚ましてしまっては困るから。しかし、残念なことに、彼女がベッドの下まで隈なく探しても結城理仁の分の契約書は見つからなかった。彼の部屋には金庫がある。それは彼女には開けることができない。「まさか金庫の中に保管しているっていうの?」内海唯花はぶつぶつ言った。ただの契約書なのに、それを金庫に入れて固く守る必要があるのだろうか。彼女は自分の予想が間違っていないと確信した。彼はあの契約書を大事にここに保管してしまっているのだ。なんの収穫もなく、内海唯花は自分のまくらを抱きかかえて、まだ明け方の誰も起きていない中、そろりそろりと彼の部屋を出て
結城理仁が起きた時、内海唯花はいなくなっていた。彼は不機嫌そうに独り言をつぶやいた。「俺と寝たくせに、俺が起きるまで待ってないのか」その言葉を聞いていれば唯花は「お兄さん、ご飯は好き勝手に食べればいいけど、話は言葉を選んだほうがいいわよ。好き勝手に話さないで。私はあなたと寝たんじゃなくて、ただベッドに横になって寝させてもらっただけだし」と言うだろう。そんなことを言われたら理仁は無言になるくせに。彼が部屋を出ると、家にはペットの犬と猫以外、女性たちはみんないないことに気づいた。聞く必要はない。みんなで市場に買い物に行っているのだ。結城理仁はベランダのハンモックチェアに腰かけた。そして昨夜、妻と同じベッドで寝たことを思い出していた。まとめて言うと、慣れない。けど、すごく期待してしまった。少しして、内海唯花たち三人が帰ってきた。野菜を買うだけでなく、彼女はベッド用品も一緒に買ってきていた。家具屋はまだ開いていなかったので、新しいベッドはまだ選んでいない。もう少ししてからもう一度出かけて、ベッドを買って帰りセットすれば、安心して仕事に行くことができる。あ、今日は仕事に行かないのだった。結城理仁は今日会社を休むので、彼女とおばあさんを連れて、なんとか山荘に気晴らしに連れて行ってくれるのだった。これでおばあさんを喜ばせてあげる予定だ。話し声が聞こえてきて、結城理仁はベランダから部屋へと戻り、おばあさんがたくさん袋を下げているのを見た。それはすべてベッド用品で、彼は不満そうな目をしていたが、何も言わなかった。「理仁、まだ家にいたの。私はてっきりあんたはもう仕事に行ったのかと思ってたわよ」おばあさんの孫を見る目つきは不満そうだった。彼女が演技をしたのは無駄だったのだ。この孫は千載一遇のチャンスを無駄にしてしまった。本当に融通の利かないバカ者だ。「ばあちゃん、今日は仕事は休みにしたから、後で朝食を食べたら、久光崎まで陽君を迎えに行こう。そのあと、俺がみんなを連れて西郊外の山荘に気晴らしに行こうじゃないか」結城理仁はおばあさんが睨みつけてくるその目を無視して、彼女たちのほうに向かって来ながら、自分が家で待機していたその理由を説明した。彼はやって来て、内海唯花の荷物を持ち、夫婦二人でベッド用品を空の客室に運んで行
内海唯花はそれを聞いてギクリとした。離婚する時、夫婦のどちらかが自分の財産を他所に移すようなことは意外と多いのだ。佐々木家のあの性格を考えると、佐々木俊介が本気で財産を移してしまう可能性は大きい。「おばあちゃん、私、必ずお姉ちゃんにこのことを伝えるわ」おばあさんは頷きながら「何か必要なことがあれば、理仁に言ってちょうだい。彼が人に頼んで調べさせるから」と言った。「おばあちゃん、本当に助けが必要な時は私、絶対に結城さんに遠慮せず言うんだから」おばあさんは内海唯花が結城理仁に気を使わずに接してくれることにとても満足していた。結城理仁は優しそうな顔をしていた。おばあさんが彼のほうを見ると、また厳しそうな真面目な顔つきに戻った。おばあさんはそれを見て、心の中で彼に文句をこぼした。そうやっていつまでも取り繕ってなさい。一体いつまでそうしていられるでしょうね?朝食を取ってから、彼らはまず久光崎へと向かった。唯月はすでに息子を連れて、マンションの下で待っていた。数日間続けて叔母と一緒にいたので、陽はもう慣れてしまい、今日はもう泣くことはなかった。「おばあさん」おばあさんも一緒にいるのを見て、唯月は笑顔でおばあさんに挨拶をした。おばあさんは笑顔を見せ、彼女にファイトのポーズをしてみせた。唯月はそれを見て心が温かくなった。妹の夫家族は彼女の夫家族と比べて何倍も良い人たちだった。内海唯花は甥を抱き上げ、姉に言った。「お姉ちゃん、佐々木俊介の収入が一体いくらくらいあるかわかる?あいつが財産を他所に移さないように気をつけて。明日、私たちみんな一緒に行くから、落ち着いて話し合いましょう。この世が終わろうとしても、私たちはお姉ちゃんの傍にいるんだから」唯月は言った。「私はだいたいは知っているわ。彼の本業のほうの給料はそんなに多くはないと思うけど、他所でやってる副業を考えれば、もし彼がこっそり彼の姉一家にお金をあげていないなら、貯金はたぶん三千万くらいあると思うわ」佐々木俊介が成瀬莉奈にプレゼントしていた高価なジュエリーたちに関しては、彼女のところにはその証拠が揃っている。離婚訴訟を起こしたら、佐々木俊介が贈ったそれらも彼女に返してもらう。今、佐々木俊介は唯月の夫であるのだから、佐々木俊介の財産は結婚後にできた夫婦の共同財産
唯月は妹とはあまり会話はせずに息子を預けた後、妹の夫とおばあさんに手を振って、急いでバイクに乗って行ってしまった。唯月が会社に到着したのは、仕事開始時間の十五分前だった。彼女が五周ジョギングするのには最初のころは二十分かかっていたが、ここ数日で慣れてその走る速度は上がっていた。だから、まだ間に合うのだ。バイクを止めた後、鍵をかけて唯月はジョギングに行った。唯月は毎日仕事を始める前に、オフィスビルの目の前にある花壇のある小さな公園で五周走らないといけないということを東グループの社員たちはみんな知っていた。最初はみんな面白いものでも見るかのように彼女を見ていた。二日も経たず、ある人達はそのジョギングに参加するようになった。彼らは毎日オフィスで座りっぱなしで、運動量が少なく簡単に太ってしまう。ただ唯月のようにあそこまでは太っていないだけだ。仕事を始める前に二周するだけでもダイエットができるだろう。唯月は十四分で五周を走り終わり、最後の一分で出勤カードを押しに行った。今日は家を出発するのが遅くなったから、少しの遅れがあった。それでも幸いなことに遅刻はしなかった。「東社長、おはようございます」「東社長」後ろから同僚たちが挨拶をする声が聞こえてきた。東隼翔が出勤してきたのだ。唯月が後ろを振り返ると、まさに東隼翔が大きな歩幅で流星のごとく颯爽と会社へと入って来た。彼は結城理仁のように毎日革靴とスーツに身を包んでいるわけではなかった。彼の格好はかなりラフで、出かける時にもボディーガードはつけていない。豪華な生活はせず自分の権力や富を見せびらかすような態度ではない。誰から挨拶をされても、彼は一人一人に会釈をして答えてくれる。唯月がここで仕事をし始めて数日、裏でよく聞く噂話は同僚たちが話す東隼翔についてのことだった。彼らの噂によると、東隼翔は東家の第四男坊で今年35歳の独身。彼が青春時代の反抗期に以前ヤクザに混じったことがあって、彼の顔に残るあの刀傷は彼がその頃に残した若かりし頃の記念と言ったところだ。このような過去と、彼が生きていく中で培ってきたあの威圧的な勇猛さのおかげで、一目でこの人は手に負えるような相手ではないとわかる。35歳にもなって彼女がいないのだが、聞くところによると、名家の令嬢たちは彼の顔の傷や昔の
東隼翔の話を聞いて唯月は顔を真っ赤にさせた。彼女は確かに食いしん坊で、それに胃袋が大きいのと運動を全くしていなかったので、今のように、どんどん太ってしまったのだ。「東社長、わかりました。試用期間中に必ず痩せてみせますので」今後は朝だけでなく夜にもジョギングに行かなければ。彼女は自分が痩せられると信じていた。「うん、試用期間は一ヶ月にしよう。しっかりやってくれ」東隼翔はまた少し挨拶をしてから、唯月をその場に残し、社長専用エレベーターのほうへと向かって行った。瞬く間に、彼の逞しい姿がすでにエレベーターの入口へと消えていった。彼の姿が見えなくなってから、唯月はようやく視線を元に戻した。振り向くと、自分の上司が不機嫌そうに彼女を睨んでいた。唯月は口を閉じて何も言わなかった。黙ったまま財務部のオフィスへと上がっていった。彼女は以前、財務部長という肩書を持っていたし、今はただの普通の財務職員ではあるが、みんなが彼女と東隼翔の間には何か関係があると確信していたから、財務部長は彼女を目の上のたんこぶだと思っていた。つまり自分の肩書を唯月に取られてしまわないか心配しているのだった。彼女が自ら唯月に何か行動を起こす必要はなかった。他の人たちが裏で唯月に汚い真似を使い、いろいろな方法で彼女を陥れ、仕事上で失敗をさせようと画策していたのだ。試用期間に彼女の仕事が評価されないようにすれば、ここから追い出すことが可能だ。以前の唯月だったら、同僚たちからこのようにいじめの矛先を向けられ、孤立したら、きっとさっさと退職していたことだろう。しかし今は彼女は耐え忍ばなくてはならない。彼女が離婚し、息子の陽の親権を得られるまでは絶対に我慢しなくては。唯月が去った後、財務部の他の職員たちが財務部長のもとに駆け寄ってきて言った。「自分がどんな姿なのか見もせずに、東社長に色目を使うなんて。東社長は彼女と結構おしゃべりをしていましたよ」唯月が東隼翔と話している時、彼と正面に向き合って話していただけで、彼らに色目を使っているなどと言われる羽目になってしまった。「彼女は結婚していて、2歳過ぎの息子がいるらしい」財務部長は淡々と言った。「東社長が彼女を好きなはずはないわ」「それはそうですよ。彼女のあの姿ときたら。東社長とは言わず、どんな男だって彼女の
……西郊外にある山荘へと行く途中、内海唯花は明凛に電話をかけた。「明凛、今日はおばあさんを気晴らしのために外へ連れて行くから、お店に行けないのよ。お店のことはあなたに任せるわ」牧野明凛は笑って言った。「大丈夫よ。あなたはできるだけおばあさんと一緒にいて、発散させてあげてちょうだい。店には私がいるから、いつもと同じよ」どのみち明日は週末だ。彼女たちは週末になると、ふつうお店を開けない。店を開けても、内海唯花が店の中で自分のハンドメイド商品を作るくらいだ。通話を終えてから、牧野明凛は独り言をつぶやいた。「唯花の結婚生活はだんだんイイ感じになってきたわね」「明凛姉さん」聞きなれた声が響いた。それを聞いて牧野明凛は顔色を険しくさせた。金城琉生が向かって来るのを見て、やれやれといった様子で彼を批判した。「琉生、私はこの前あんたに言ったでしょ。全然わかってないの?今後はこの店には来るなって伝えたはずよ。あんたと唯花はそういう関係には絶対なれないんだから!」数日間会ってないだけで、金城琉生は少しやつれたようだった。目の周りにはくまができ、ひげも伸びていた。この時の彼は22歳という若者には見えなかった。このような従弟の様子に、牧野明凛は心を痛めた。愛というものは容赦なく人を傷つけるものなのだ。金城琉生が内海唯花に長い間片思いしていたのだから、すぐにあきらめろと言われてもそれはとても難しい話なのだ。「明凛姉さん」金城琉生は悲痛な叫びを漏らした。「自分に言い聞かせてみたけど、数日経っても無理だった。毎日すごく辛いんだ。少しでも時間があると唯花姉さんのことばかり考えてしまうんだ。本当に、本当に彼女のことが好きなんだよ。俺はあきらめきれない。姉さん、どうしたらいい?どうにかしてくれないか?」金城琉生は牧野明凛の両肩をがっしりと掴み、懇願した。「姉さん、俺は従弟だろ。姉さん以外に頼れる人はいないんだよ」牧野明凛は自分の両肩に置かれたその手を払いのけて、厳しい顔をして言った。「琉生、また何度も言わせる気?唯花はもう結婚しているの。彼女には夫がいるのよ。あんたが彼女のことを愛していたって、この事実は変えられないの。だから、自分の気持ちに区切りをつけなさい。彼女はあなたには相応しくないわ。あの子があんたを好きになることなんて絶対ないん
金城家は彼女のおばの夫の実家である。牧野明凛は小さい頃からおばが金城家でどれだけ苦労してきたのかを見続けてきた。彼ら牧野家は政府の土地計画によって得たお金からのし上がっていった家で、多くの賃貸の家や店を持っている。その資産は二十億に近かったが、おばが名家に嫁入りするのはとても大変だった。おばですらそうなのに、内海唯花は言うまでもないだろう。牧野明凛は決して内海唯花を貶しているわけではない。彼女はただ本当のことを言っているだけだ。「唯花さん……」「唯花なら旦那さんとデートしに行ったわ」金城琉生はそれを聞いて、顔色が一瞬にして青ざめた。そしてすぐに、彼は店の中に内海唯花の姿を探した。牧野明凛は彼の好きなように店の中を隅々まで探させてやった。金城琉生は内海唯花の姿が見当たらず、従姉が言った内海唯花は店にいないという言葉を信じた。彼は完全に生気を失った様子で去って行った。牧野明凛はため息をついた。彼女は金城琉生が早くあきらめをつけて、立ち直るを望んでいた。愛というもののために何か間違ったバカな真似はしないように願った。彼女は今、従弟である金城琉生と親友である内海唯花に挟まれた形で、非常に身動きがとりにくかった。従弟が唯花を深く愛していることに心を痛め、また全力で親友を応援したいと思っていた。従弟には親友の結婚生活の邪魔をさせるわけにはいかない。一方、西郊外の山荘では。結城理仁とおばあさんは結城家の老婦人と現当主という身分ではここにやって来ず、彼は他の一般人と同じように、駐車場に車を止めて、みんなを連れて入場のチケットを買いに行った。そう、この避暑地としても使われている山荘はテーマパークのように営業という形をとっていて、中に入るには入場券を買わなくてはいけないのだった。チケットを購入し、彼はそれを内海唯花に手渡した。そして彼女から陽を抱き上げた。「俺が陽君を抱っこしてあげよう」内海唯花が疲れないように。「陽ちゃんのベビーカーを車から降ろして、そこに座らせたらいいわ。ベビーカーを押しながら歩いたほうが、楽だから」結城理仁はすぐに車の鍵を清水に渡し、清水は車から陽のベビーカーを降ろした。入場口に入り、一行は中へと入っていった。そこに入ると、内海唯花はそこの美しさに釘付けになって、歩きながら言った。
神崎詩乃は冷ややかな声で言った。「あなた達、私の姪をこんな姿にさせておいて、ただひとこと謝れば済むとでも思っているの?私たちは謝罪など受け取りません。あなた達はやり過ぎたわ、人を馬鹿にするにも程があるわね」彼女はまた警察に言った。「すみませんが、私たちは彼女たちの謝罪は受け取りません。傷害罪として処理していただいて結構です。しかし、賠償はしっかりとしてもらいます」佐々木親子は留置処分になるだけでなく、唯月の怪我の治療費や精神的な傷を負わせた賠償も支払う必要がある。あんなに多くの人の目の前で唯月を殴って侮辱し、彼女の名誉を傷つけたのだ。だから精神的な傷を負わせたその賠償を払って当然だ。詩乃が唯月を姪と呼んだので、隼翔はとても驚いて神崎夫人を見つめた。佐々木母はそれで驚き、神崎詩乃に尋ねた。「あなたが唯月の伯母様ですか?一体いつ唯月にあなたのような伯母ができたって言うんですか?」唯月の母方の家族は血の繋がりがない。だから十五年前にはこの姉妹と完全に連絡を途絶えている。唯月が佐々木家に嫁ぐ時、彼女の家族はただ唯花という妹だけで、内海家も彼女たちの母方の親族も全く顔を出さなかった。しかし、内海家は六百万の結納金をよこせと言ってきたのだった。それを唯月が制止し、佐々木家には内海家に結納金を渡さないようにさせたのだ。その後、唯月とおじいさん達は全く付き合いをしていなかった。佐々木親子は唯月には家族や親族からの支えがなく、ただ一人だけいる妹など眼中にもなかった。この時、突然見るからに富豪の貴婦人が表れ、唯月を自分の姪だと言ってきたのだった。佐々木母は我慢できずさらに尋ねようとした。一体この金持ちであろう夫人が本当に唯月の母方の親戚なのか確かめたかったのだ。どうして以前、一度も唯月から聞かされなかったのだろうか?唯月の母方の親族たちは、確か貧乏だったはずだ。詩乃は横目で佐々木母を睨みつけ、唯月の手を取り、つらそうに彼女の傷ついた顔を優しく触った。そして非常に苦しそうに言った。「唯月ちゃん、私と唯花ちゃんがしたDNA鑑定の結果が出たのよ。私たちは血縁関係があるのあなた達姉妹は、私の妹の娘たちなの。だから私はあなた達の伯母よ。私のこの姪をこのような姿にさせて、ひとことごめんで済まそうですって?」詩乃はまた佐々木親子を睨
一行が人だかりの中に入っていった時、唯花が「お姉ちゃん」と叫ぶ声が聞こえた。陽も「ママ!」と叫んでいた。唯花は英子たち親子が一緒にいるのと、姉がボロボロになっている様子を見て、どういうわけかすぐに理解した。彼女はそれで相当に怒りを爆発させた。陽を姉に渡し、すぐに後ろを振り向き、歩きながら袖を捲り上げて、殴る態勢に移った。「唯花ちゃん」詩乃の動作は早かった。素早く唯花のところまで行き、姉に代わってあの親子を懲らしめようとした彼女を止めた。「唯花ちゃん、警察の方にお任せしましょう」すでに警察に通報しているのだから、警察の前で手を出すのはよくない。「神崎さん、奥様、どうも」隼翔は神崎夫婦が来たのを見て、とても驚いた。失礼にならないように隼翔は彼らのところまでやって来て、挨拶をした。夫婦二人は隼翔に挨拶を返した。詩乃は彼に尋ねた。「東社長、これは一体どうしたんですか?」隼翔は答えた。「神崎夫人、彼女たちに警察署に行ってどういうことか詳しく話してもらいましょう」そして警察に向かって言った。「うちの社員が被害者です。彼女は離婚したのに、その元夫の家族がここまで来て騒ぎを起こしたんです。まだ離婚する前も家族からいじめられて、夫からは家庭内暴力を受けていました。だから警察の方にはうちの社員に代わって、こいつらを処分してやってください」警察は隼翔が和解をする気はないことを悟り、それで唯月とあの親子二人を警察署まで連れていくことにした。隼翔と神崎夫人一家ももちろんそれに同行した。唯花は姉を連れて警察署に向かう途中、どういうことなのか状況を理解して、腹を立てて怒鳴った。「あのクズ一家、本当に最低ね。もしもっと早く到着してたら、絶対に歯も折れるくらい殴ってやったのに。お姉ちゃん、あいつらの謝罪や賠償なんか受け取らないで、直接警察にあいつらを捕まえてもらいましょ」唯月はしっかりと息子を抱いて、きつい口調で言った。「もちろん、謝罪とか受け取る気はないわよ。あまりに人を馬鹿にしているわ!おじいさんが彼女たちを恐喝してお金を取ったから、それを私に返せって言ってきたのよ」唯花は説明した。「あの元義母が頭悪すぎるのよ。うちのおじいさんのところに行って、お姉ちゃんが離婚を止めるよう説得してほしいって言いに行ったせいでしょ。あ
佐々木親子二人は逃げようとした。しかし、そこへちょうど警察が駆けつけた。「あの二人を取り押さえろ!」隼翔は親子二人が逃げようとしたので、そう命令し、周りにいた社員たちが二人に向かって飛びかかり、佐々木母と英子は捕まってしまった。「東社長、あなた方が通報されたんですか?どうしたんです?みなさん集まって」警察は東隼翔と知り合いだった。それはこの東家の四番目の坊ちゃんが以前、暴走族や不良グループに混ざり、よく喧嘩沙汰を起こしていたからだ。それから足を洗った後、真面目に会社の経営をし、たった数年だけで東グループを星城でも有数の大企業へと成長させ、億万長者の仲間入りをしたのだった。ここら一帯で、東隼翔を知らない者はいない。いや、星城のビジネス界において、東隼翔を知らない者などいないと言ったほうがいいか。「こいつらがうちまで来て社員を殴ったんです。社員をこんなになるまで殴ったんですよ」隼翔は唯月を引っ張って来て、唯月のボロボロになった姿を警察に見てもらった。警察はそれを見て黙っていた。女の喧嘩か!彼らはボロボロになった唯月を見て、また佐々木家親子を見た。佐々木母はまだマシだった。彼女は年を取っているし、唯月はただ彼女を押しただけで、殴ったり手を出すことはしなかったのだ。彼女はただ英子を捕まえて手を出しただけで、英子はひどい有り様になっていた。一目でどっちが勝ってどっちが負けたのかわかった。しかし、警察はどちらが勝ったか負けたかは関係なく、どちらに筋道が立っているかだけを見た。「警察の方、これは家庭内で起きたことです。彼女は弟の嫁で、ちょっと家庭内で衝突があってもめているだけなんです」英子はすぐに説明した。もし彼女が拘留されて、それを会社に知られたら、仕事を失うことになるに決まっているのだ。彼女の会社は今順調に行ってはいないが、彼女はやはり自分の仕事のことを気にしていて、職を失いたくなかったのだ。「私はこの子の義母です。これは本当にただの家庭内のもめごとですよ。それも大したことじゃなくて、ちょっとしたことなんです。少し手を出しただけなんですよ。警察の方、信じてください」佐々木母はこの時弱気だった。警察に連れて行かれるかもしれないと恐れていたのだ。市内で年越ししようとしていたのに、警察に捕ま
東隼翔は顔を曇らせて尋ねた。「これはどういうことだ?」英子は地面から起き上がり、まだ唯月に飛びかかって行こうとしていたが、隼翔に片手で押された。そして彼女は後ろに数歩よろけてから、倒れず立ち止まった。頭がはっきりとしてから見てみると、巨大な男が暗い顔をして唯月を守るように彼女の前に立っていた。その男の顔にはナイフで切られたような傷があり非常に恐ろしかった。ずっと見ていたら夜寝る時に悪夢になって出てきそうなくらいだ。英子は震え上がってしまい、これ以上唯月に突っかかっていく勇気はなかった。佐々木母はすぐに娘の傍へと戻り、親子二人は非常に狼狽した様子だった。それはそうだろう。そして唯月も同じく散々な有様だった。喧嘩を止めようとした警備員と数人の女性社員も乱れた様子だった。彼らもまさかこの三人の女性たちが殴り合いの喧嘩を始めてあんな狂気の沙汰になるとは思ってもいなかったのだ。やめさせようにもやめさせることができない。「あんたは誰よ」英子は荒い息を吐き出し、責めるように隼翔に尋ねた。「俺はこの会社の社長だ。お前らこそ何者だ?俺の会社まで来てうちの社員を傷つけるとは」隼翔はまた後ろを向いて唯月のみじめな様子を見た。唯月の髪は乱れ、全身汚れていた。それは英子が彼女を地面に倒し殴ったせいだ。手や首、顔には引っ掻き傷があり、傷からは少し血が滲み出ていた。「警察に通報しろ」隼翔は一緒に出てきた秘書にそう指示を出した。「東社長、もう通報いたしました」隼翔が会社の社長だと聞いて、佐々木家の親子二人の勢いはすっかり萎えた。しかし、英子はやはり強硬姿勢を保っていた。「あなたが唯月んとこの社長さん?なら、ちょうどよかった。聞いてくださいよ、どっちが悪いか判定してください。唯月のじいさんが私の母を恐喝して百二十万取っていったんです。それなのに返そうとしないものだから、唯月に言うのは当然のことでしょう?唯月とうちの弟が離婚して財産分与をしたのは、まあ良いとして、どうして弟が結婚前に買った家の内装を壊されなきゃならないんです?」隼翔は眉をひそめて言った。「内海さんのおじいさんがあんたらを脅して金を取ったから、それを取り返したいのなら警察に通報すればいいだけの話だろう。内海さんに何の関係がある?内海さんと親戚がどんな状況なの
その時、聞いていて我慢できなくなった人が英子に反論してきた。「そうだ、そうだ。自分だって女のくせに、あんなふうに内海さんに言うなんて。内海さんがやったことは正しいぞ。内海さん、私たちはあなたの味方です!」「こんな最低な義姉がいたなんてね。元旦那が浮気したから離婚したのは言うまでもないけど、もし浮気してなくたって、さっさと離婚したほうがいいわ、こんな最低な人たちとはね。遠く離れて関わらないほうがいいに決まってる」野次馬たちはそれぞれ英子を責め始めた。そのせいで英子は怒りを溜め顔を真っ赤にさせ、また血の気を引かせた。唯月が彼女に恥をかかせたと思っていた。そして彼女は突然、力いっぱい唯月が支えていたバイクを押した。バイクは今タイヤの空気が抜けているから、唯月がバイクを押すのも力を入れる必要があった。それなのに英子が突然押してきたので、唯月はバイクを支えることができず、一緒に地面に倒れ込んでしまった。「金を返せ。あんたのじいさんがお母さんから金を受け取ったのを認めないんだよ。じいさんの借金は孫であるあんたが返せ、さっさとお母さんに金を払うんだよ」英子はバイクと一緒に唯月を地面に倒したのに、それでも気が収まらず、彼女が持っていたかばんを振り回して力を込めて唯月を叩いた。さらには足も使い、立て続けに唯月を蹴ってきた。唯月はバイクを放っておいて、立ち上がり乱暴に英子からそのかばんを奪い、狂ったように英子を殴り返した。彼女は英子に対する恨みが積もるに積もっていた。本来離婚して、今ではもう佐々木家とは赤の他人に戻ったので、ムカつくこの佐々木家の人間のことを忘れて自分の人生を送りたいと思っていた。それなのに英子は人を馬鹿にするにも程があるだろう、わざわざ問題を引き起こすような真似をしてきた。こんなふうに過激な態度に出れば、善悪をひっくり返せるとでも思っているのか?この間、唯月と英子は殴り合いの喧嘩をし、その時は英子が唯月に完敗した。今日また二人が殴り合いになったが、佐々木母はもちろん自分の娘に加勢してきた。この親子は手を組んで、唯月を二対一でいじめてきたのだ。「警察、早く警察に通報して!」その時、誰かが叫んだ。「すみません警備員さん、こっちに来て喧嘩を止めてちょうだい。この女二人がうちの会社まできて社員をいじめてるんです」
唯月がその相手を見るまでもなく、誰なのかわかった。その声を彼女はよく知っている。それは佐々木英子、あのクズな元義姉だ。佐々木母は娘を連れて東グループまで来ていた。しかし、唯月は昼は外で食事しておらず、会社の食堂で済ませると、そのままオフィスに戻ってデスクにうつ伏せて少し昼寝をした。それから午後は引き続き仕事をし、この日は全く外に出ることはなかったのだ。だからこの親子二人は会社の入り口で唯月が出てくるのを、午後ずっとまだか、まだかと待っていたのだ。だから相当に頭に来ていた。やっとのことで唯月が会社から出てきたのを見つけ、英子の怒りは頂点に達した。それで会社に出入りする多くの人などお構いなしに、大声で怒鳴り多くの人にじろじろと見られていた。物好きな者は足を止めて野次馬になっていた。唯月はただの財務部の職員であるだけだが、東社長自ら採用をしたことで会社では有名だった。財務部長ですら、自分の地位が脅かされるのではないかと不安に思っていた。唯月は以前、財務部長をしていたそうだし。上司は唯月を警戒せずにいられなかった。さらに、唯月が東社長に採用されことで、上司は必要以上に彼女のことを警戒していたのだ。唯月は彼女にとって目の上のたんこぶと言ってもいい。周りからわかるように唯月を会社から追い出すことはできないから、こそこそと汚い手を使っていた。財務部職員によると、唯月は何度も上司から嫌がらせを受け、はめられようとしていたらしい。しかし、彼女は以前この財務という仕事をやっていて経験豊富だったので、上司の嫌がらせを上手に避けて、その策略に、はまってしまうことはなかった。「あなた達、何しに来たの?」唯月は立ち止まった。そうしたいわけじゃなく、足を止めるしかなかったのだ。元義母と元義姉が彼女の前に立ちはだかり、バイクを押して行こうとした彼女を妨害したのだ。「私らがどうしてここに来たのかは、あんた、自分の胸に聞いてみることだね。うちの弟の家をめちゃくちゃに壊しやがって、弁償しろ!もし内装費を弁償しないと言うなら、裁判を起こしてやるからね!」英子は金切り声で騒ぎ立て、多くの人が足を止めて野次馬になり、人だかりができてきた。彼女はわざと大きな声で唯月がやったことを周りに広めるつもりなのだ。「あなた方の会社の社員、ええ、内海唯
「伯母さんはあなた達が簡単にやられてばかりな子たちだとは思っていないわ。ただ妹のためにも、あの人たちをギャフンと言わせてやりたいのよ」唯花はそれを聞いて、何も言わなかった。それから伯母と姪は午後ずっと話をしていた。夕方五時、詩乃はどうしても唯花と一緒に東グループに唯月を迎えに行くと言ってきかなかった。唯花は彼女のやりたいようにさせてあげるしかなかった。そして、唯花は車に陽を乗せ自分で運転し、神崎詩乃たち一行と颯爽と東グループへと向かっていった。明凛と清水は彼らにはついて行かなかった。途中まで来て、唯花は突然おばあさんのことを思い出した。確か午後ずっとおばあさんの姿を見ていない。唯花はこの時、急いでおばあさんに電話をかけた。おばあさんが電話に出ると、唯花は尋ねた。「おばあちゃん、午後は一体どこにいたの?」「私はそこら辺を適当にぶらぶらしてたの。仕事が終わって帰るの?今からタクシーで帰るわ」実はおばあさんはずっと隣のお店の高橋のところにいたのだった。彼女は唯花たちの前に顔を出すことができなかったのだ。神崎夫人に見られたら終わりだ。「おばあちゃん、私と神崎夫人のDNA鑑定結果がでたの。私たち血縁関係があったわ。それで伯母さんが私とお姉ちゃんを連れて一緒に神崎さんの家でご飯を食べようって、だから今陽ちゃんを連れてお姉ちゃんを迎えに行くところなの。おばあちゃんと清水さんは先に家に帰っててね」「本当に?唯花ちゃん、伯母さんが見つかって良かったわね」おばあさんはまず唯花を祝福してまた言った。「私と清水さんのことは心配しないで。辰巳に仕事が終わったら迎えに来てもらうから。あなたは伯母さんのお家でゆっくりしていらっしゃい。彼女は数十年も家族を捜していたのでしょう。それはとても大変なことだわ。伯母さんのお家に一晩いても大丈夫よ。私に一声かけてくれるだけでいいからね」唯花は笑って言った。「わかったわ。もし伯母さんの家に泊まることになったら、おばあちゃんに教えるわね」通話を終えて、唯花は一人で呟いた。「午後ずっと見なかったと思ったら、また一人でぶらぶらどこかに出かけてたのね」年を取ってくると、どうやら子供に戻るらしい。そして唯月のほうは、妹からのメッセージを受け取り、彼女たちが神崎夫人と伯母と姪の関係で
昔の古い人間はみんなこのような考え方を持っている。財産は息子や男の孫に与え、女ならいつかお嫁に行ってしまって他人の家の人間になるから、財産は譲らないという考え方だ。息子がいない家庭であれば、その親族たちがみんな彼らの財産を狙っているのだ。跡取り息子のいない家を食いつぶそうとしている。それで多くの人が自分が努力して作り上げた財産を苗字の違う余所者に継承したがらず、なんとかして息子を産もうとするのだった。「二番目の従兄って、内海智文とかいう?」詩乃は内海智文には覚えがあった。主に彼が神崎グループの子会社で管理職をしていて、年収は二千万円あったからだ。彼女たち神崎グループからそんなに多くの給料をもらっておいて、彼女の姪にひどい仕打ちをしたのだ。しかもぬけぬけと彼女の妹の家までも奪っているのだから、智文に対する印象は完全に地の底に落ちてしまった。後で息子に言って内海智文を地獄の底まで叩き落とし、街中で物乞いですらできなくさせてやろう。「彼です。うちの祖父母が一番可愛がっている孫なんですよ。彼が私たち孫の中では一番出来の良い人間だと思ってるんです。だからあの人たちは勝手に智文を内海家の跡取りにさせて、私の親が残してくれた家までもあいつに受け継がせたんです。正月が過ぎたら、姉と一緒に時間を作って、故郷に戻って両親が残してくれた家を取り戻します。家を売ったとしても、あいつらにはあげません!」そうなれば裁判に持っていく。今はもうすぐ年越しであるし、姉が離婚したばかりだから、唯花はまだ何も行動を起こしていないのだ。彼女の両親が残した家は、90年代初期に建てられたものだ。実際、家自体はそんなにお金の価値があるものではないが、土地はかなりの値段がつく。彼女の家は一般的な一軒家の坪数よりも多く敷地面積は100坪ほどあるのだ。彼女の両親がまだ生きていた頃、他所の家と土地を交換し合って、少しずつ敷地面積を増やしていき、ようやく100坪近くある大きな土地を手に入れたのだった。母親は、彼女たち姉妹に大人になって自立できるようになったら、この土地を二つに分けて姉妹それぞれで家を建て、隣同士で暮らしお互いに助け合って生きていくように言っていたのだ。「まったく人を欺くにも甚だしいこと。妹の財産をその娘たちが受け継げなくて、妹の甥っ子が資格を持っ
姫華は唯花たちが引っ越し作業を終えてから、ようやく自分がそんなに面白いことを逃したのだと知ったのだった。だから彼女は明凛と唯花に不満を持っていた。明凛は唯花に姫華にも教えるよう言ったが、唯花が彼女はお嬢様だから家をめちゃくちゃにするという乱暴なシーンは見せたくないと思い姫華には伝えなかったのだ。確かに姫華は名家の令嬢であるが、神崎姫華だぞ。神崎姫華は星城の上流社会ではあまり評判が良くない。他人が彼女のことを横暴でわがまま、理屈が通じないというくらいなのだから、そんな彼女が家を壊すくらいのシーンで音を上げるとでも?逆に、彼女自身も機嫌が悪い時にはハチャメチャなことをしでかすというのに。「姉がもらうべき分はしっかりと財産分与させました。ただ内装費に関しては佐々木家が拒否したので、私たちが人を雇ってその内装を全て剥がしたんです」詩乃はそれを聞いて「それはそうすべきよ。どうして佐々木家においしい思いをさせる必要なんてあるかしら」と唯花たちの行動を当たり前だと言った。そして最後にまた残念そうにこう言った。「もし伯母さんが知っていれば、あなた達の家族として、大勢で彼らのところまで押しかけて内装費を意地でも出させてあげたものを。これは正当な権利よ」この時、唯花はふいに姫華の性格は完全に母親譲りなのだと悟った。「唯花ちゃん、もうちょっとしたらお店を閉めて私たちと一緒に神崎家に帰りましょう。家族みんなで食事をするの。そうだ、あなたの旦那さんはお時間があるのかしら?彼も一緒にいらっしゃいよ」唯花は「夫は今日出張に行ったばかりなんです。たぶん暫くの間帰ってきません。彼が帰ってきたら、一緒に詩乃伯母さんのお宅にお邪魔します」と返事した。「出張に行ってらっしゃるのね。なら、彼が帰って来てからお会いしましょう」詩乃はすぐに姪の夫に会えなくても特に気にしていなかった。彼女にとって、二人の姪のほうが重要だったからだ。今、彼女は姪を見つけることができて、姪二人にはこの神崎詩乃という後ろ盾もできた。ちょうど唯花に代わってその夫が頼りになる人物なのか見極めることができよう。「あなたのお姉さんは五時半にお仕事が終わるのよね?」「ええ」神崎夫人は時間を見て言った。「お姉さんはどこで働いていらっしゃるの?」「東グループです」神崎夫人は「そ