「あんたら何しに来たんだい?」英子は彼らにきつい口調で尋ねた。彼女は唯花たちを中へ入れる気はなかったが、一人では力不足で彼らを止めることができなかった。彼女の夫はそんな彼女と真逆の態度で、腰を低くし唯花たちを中へと通した。智哉は唯花たちを見ると、怒りで目を大きく見開き睨みつけていた。それを父親に見つかり、捻られてしまった。「後できちんと謝罪しろよ」輝夫は小声で息子に注意した。「この人たちは、手に負えるような相手じゃない」柏木家の中をめちゃくちゃに破壊しても、彼らは何のお咎めなしなのだから。昨日警察は、まったく柏木家のほうに味方しようとはしなかったのだ。輝夫は結城家に何か並々ならぬものを感じ、逆らってはならない一家だと不安になり、自分たちの負けを認め息子には誠心誠意彼らに謝罪するよう注意した。実は輝夫は考えすぎだった。警察は監視カメラを見て、智哉がさすがにやり過ぎだと判断し、家の中が壊されたことには目を伏せることにしただけなのだ。他人の子供を病院送りにまでしておいて、相手に腹を立ててはいけないと言えるか?まだ子供を持っていない人なら、両親のその怒りと心を痛めることを理解することは難しいだろうが、子供がいる人なら、誰でもその映像を見れば怒りを爆発させることだろう。智哉は口を尖らせて、黙っていた。彼は自分が悪いとは全く思っていない。恭弥が陽に殴られたんだと主張していたからだ。智哉は恭弥の兄なのだから、弟が殴られたらもちろん弟の代わりに仕返しをするだろう。陽が先に手を出さなかったら、こんなことにならなかったくせに。それに別に陽が死ぬまで殴ることはしていないというのに、どうして大人たちの世界では、自分が大罪を犯した極悪人のようになっているのだ。智哉の考え方は彼の母親と完全に一致している。「唯花さん」佐々木父は穏やかな声で唯花に尋ねた。「陽君の様子は?」「お父さん、智哉を見てよ、この子はもうすっかり良くなったでしょ。陽ちゃんだって絶対治ってるわよ」英子は唯花が話す前に自分が話し出した。唯花は冷ややかな目で英子を睨みつけた。英子は不機嫌そうに言った。「なによその目は?唯花、昨日よくもうちの中をめちゃくちゃにしてくれたわね。被害額は……」父親に睨みつけられ、また夫から止められて、英子は結
佐々木母は陽が可哀想だと叫び、目をこする仕草を見せて、智哉を怒鳴った。「智哉、陽ちゃんはあんたの従弟なのよ。どうしてこんなひどいことができるのよ。陽ちゃんをこんなになるまで殴るだなんて」「お母さん、智哉だって自分が間違ってたってわかってるわ。この子だってまだ子供なんだから、力加減するなんてわかるわけないでしょ?」英子は息子に代わって弁解し、また唯花に向って言った。「唯花、智哉が陽ちゃんを殴ったことは、確かにこの子の間違いよ。昨日、この子の父親がしっかりしつけておいたわ。そして、自分が間違ってたって認めたの。後でこの子を連れて果物を買って、陽ちゃんのお見舞いに行くわ。しっかり陽ちゃんに謝るからさ。どうせ親戚同士だし、今回の件であんたらがうちの中を壊したことだって、お咎めなしにしてあげるから。だからそっちも、うちの子がやったことはもう言わないでちょうだい。子供同士で殴り合いの喧嘩をするなんてよくあることでしょう。私ら大人が出てきたらいけないんだよ。それに、恭弥が言うには陽ちゃんが先に手を出してきたらしいじゃないの。智哉はお兄ちゃんなんだから、そりゃ弟を守って当然でしょう。今あんたが姉を庇ってるのと同じことだよ」唯花は冷ややかに笑った。「英子、あんたってまったく物事が見えないようね。一体どっちが先に手を出したかって?監視カメラに本当のことがはっきりと映ってますけど」英子は言葉を詰まらせた。彼女はまた心の中で夫は使い物にならないと罵っていた。先に監視カメラの映像を消すのを忘れ、それが警察の手に渡ってしまったのだから。その監視カメラ映像が証拠となり、彼女が口で上手いこと言って、責任の矛先の向きを変えようと思っても、説得力の欠片もなくなってしまう。「今日あんたたちがここに来た目的は?言いな」陽のほうに責任を押し付けることができなくなり、英子は話題を変え、唯花たちにここまでやって来た目的を尋ねた。彼女は結城家側のほうへ目線を向けた。彼らは特別に何かをする必要などなかった。このようにそこに座っているだけで、ものすごい威圧感で、心臓まで震え上がってしまう。彼女の実家側の人間は見るまでもない。みんな肝っ玉が小さく怯えて何も言えない。一家揃って全く役に立たない!英子は心のうちで自分の家族を罵っていた。おばあさんと目が合うと、英子
英子は父親に睨みつけられ、何も言えなくなり、弟のほうに目線を向けて何かを訴えていた。俊介は姉からの救難信号を受け取り、ゴホンと咳をして唯花に言った。「唯花、姉ちゃんに智哉を連れて陽に謝罪させに行くだけで十分だろ。その、俺は陽の父親だ、あの子の保護者であるわけだし、俺に決定権があるはずだろう」唯花は俊介のその口ぶりにカチンと来て、皮肉を返した。「あんた、陽ちゃんの父親だって自覚あったんだ?他所の家庭の父親は自分の息子がいじめられたと知ったら、竹刀でも持って相手の家に殴り込みに行くでしょうけどね。あんたも人の父親だっていうのに、なるべく事を荒立てないようにしたいなんて、甥って自分の息子よりも大事なんだ?」そういい終わると唯花は輝夫に言った。「陽ちゃんは緊急で手術室に運ばれて、全身の検査もしたわ。全部で数万円はかかった。病院から領収書はもらって来てる。あんたたちに私が余分に金をだまし取ろうとしてるなんて言われないようにね。今日私が来たのは、まずはあんた達が子供を連れて姉と陽ちゃんに謝罪に行ってもらうため、そして今後は二度と陽ちゃんに近づかないと約束してもらうためよ。次に、慰謝料についてよ。陽ちゃんは心に大きなダメージを負ってるわ。今後彼の心の傷を癒すためにどれほどお金がかかるかわからないけど。これははっきりといくら賠償してと、今ここで言うことはできないわ。とりあえず先に治療費を払ってちょうだい。今後も治療費が必要になるなら、それは全部あんた達に出してもらうわ。栄養をつけて早く回復させるための栄養補填のための食費や、精神的ダメージを癒すのにかかる費用も、そんなに高い金額を請求したりしないわ。昨日の治療費と合わせて、今はとりあえず、陽ちゃんに対して百万円慰謝料として渡してちょうだい」英子はそれを聞くと飛び上がった。「あんた、いっそのこと銀行強盗でもやってくれば?陽ちゃんは一体いくつよ?栄養をつけるための食費に、精神的なダメージを受けたことへの賠償もだって?だったらうちの智哉も殴られたんだから、それの賠償もしなさいよ」唯花は彼女に聞き返した。「あんたの息子は誰に殴られたんだっけ?」英子「……」「その息子を殴った相手に慰謝料を請求しなさいよ。どのみち私たちは誰一人としてあんたの息子を殴ってないし」英子「……」暫くして、彼女は恨めしそ
唯花がすぐに息子の嫁にお金を送金したのを見て、佐々木父は小さくホッと息をついた。お金は息子の嫁に渡ったのだから、自身の孫に使われるのだ。赤の他人の手に渡ったわけではない。もし息子に渡していたら、それはまた自分の娘の財布の中に戻ってきてしまう。柏木家から出ると、結城家の一番年下である結城蓮は兄の車に乗ると言って聞かなかった。車に乗った後、彼は唯花に言った。「お義姉さん、昨日喧嘩しに来た時、どうして俺の事も呼んでくれなかったんですか。兄さんたちが俺だけ除け者にしたんですよ」唯花は後ろを振り返り、一番年の若い義弟を見て言った。「あなたはまだ未成年だもの。私たち大人は未成年を守らないといけないでしょ」「……確かに俺は未成年ですけど、智哉だって未成年じゃないですか。俺とあいつが喧嘩すれば、未成年同士の喧嘩になるでしょ」「私たちが手を出す必要はないわ。あちらの父親に子供の教育をしっかりさせればいいの。さっき佐々木英子っていうあの子の母親が言った話は聞こえてたでしょ。私たちに賠償を要求しようとしていたわ。あの子は自分の父親に殴られたんだから、英子は私たちに請求することができなかったのよ」「おばあちゃんが、俺を連れて来たのは数を稼ぐためだって」蓮は不満そうに口を尖らせた。「来てみたら、まさか本当にただの数合わせ役だなんて」理仁は低い声で言った。「お前は何がしたかったんだ?」蓮はすぐに口を閉じた。実際、彼らが今日柏木家に一緒に来たのは、義姉のサポートをするためだ。話し合いは全部義姉自ら行い、兄は何も口出ししなかった。義姉は陽の叔母だから、彼女はここに来た彼らの中で一番陽のために仕返しをする資格を持っているのだ。唯花は夫が蓮をビビらせたのを見て、彼に代わって言った。「理仁さん、蓮君を脅かさないであげて、彼だって良かれと思って来てくれたんだから」「そうだよ。兄さんはいっつも俺を脅してくるんだ。お義姉さん、兄さんはうちの父さんよりも厳しいんですよ。毎回家に帰って来て俺に会ったら、大箱いっぱいに練習ドリルを持ってくるんです。ずっとその問題をさせられて、休むことも許してくれないんですからね」蓮は初めて唯花に会った時、唯花に媚びを売っておこうと決めていた。彼の兄は今後、絶対に彼女の尻に敷かれることになると確信したからだ。それ
唯花はかなりの衝撃だった。当時、彼女が高校生の時、必死に頑張って勉強して、やっと良い大学に合格できたのを思い出していた。結城家の兄弟たちは軽々と良い大学に合格したうえに、飛び級までしていたなんて。「お義姉さん、そんなショックを受けて自分の人生を疑うような顔しないでくださいよ。一番ダメージ受けてるのは俺のほうなんですからね」唯花は考えてみると、確かにその通りだと思った。蓮が最も可哀想だ。彼女は笑って「蓮君、そんなふてくされないで、良い大学に合格できるわよ、きっと。頑張ってね!」と言った。「俺は絶対兄さんたちが行った大学に合格してみせますよ。もし受からなかったら、俺……浪人します」彼は受からなかったら自分で自分を殴ると言おうと思ったが、よく考えて、そんなことをするのはやっぱり良くないと思い、言葉を改めた。理仁は振り向いて弟をちらりと見ると、また車の運転に専念した。「もし合格できなかったら、俺の弟だと絶対に言うなよ」結城蓮「……」「理仁さん、弟さんにそんなにプレッシャーかけないほうがいいわよ」「こいつゲームするのに夢中で、全然緊張感がないんだよ。プレッシャーを与えないとだめなんだ」結城蓮「……みんなが兄さんみたいに自分を律していると思わないでよ」自分を律しすぎて、もしおばあさんが心配して行動を起こしていなければ、彼に義姉と呼ばれる存在は一生現れないことだったろう。理仁は冷たく、フンッと鼻を鳴らした。蓮はそれ以上何も言う度胸はなかった。「ピピッ――」理仁の携帯に新しいメッセージが届いた。彼は少し車のスピードを落として、そのメッセージを確認した。それは清水からのメッセージだった。清水が言うには「若旦那様、神崎夫人がお嬢さんを連れていらっしゃいました。若奥様を送って来られた後は上にあがってこないほうがよろしいですよ」ということだ。理仁は清水から送られて来たメッセージを確認すると、すぐにそれを削除した。姫華たち母娘二人の行動がこんなに早いとは。こんなにすぐ唯月と陽に会いに来た。彼は引き続き、何事もなかったかのように車を走らせた。暫くして、彼は九条悟にメッセージを送った。「後で十分おきに俺に電話をかけてくれ」九条悟はそのメッセージを受け取った後、最初は事態をよく把握できていなかったが、少し考
しかし、おばあさんは彼女自身、実は楽しんでいるのを決して認めないのだ。唯花は一晩寝ておらず、朝コーヒーを一杯飲んで目を覚ましただけで、今眠気に襲われていた。彼女は「ちょっとお姉ちゃんに電話して陽ちゃんは今どうなのか聞いてみるわね」と言った。電話をかけると、神崎親子が手土産を持って陽に会いに来ていることを知った。その目的は唯花はよくわかっていた。「お姉ちゃん、神崎夫人は何か言ってた?」このことを唯花はまだ姉には伝えていなかった。「特に何も言ってなかったわよ。ただ陽ちゃんがひどい目に遭って、辛いわって。姫華ちゃんが三十分ほどずっと柏木家の文句言ってたわよ」妹の友人、それから嫁ぎ先の家族、そのみんなが彼女の夫とその家族たちよりも優しく頼りがいがあるので、唯月はなんだか悲しく心が冷たく感じた。昔の彼女は人を見る目がなく、馬鹿だったのだ。佐々木俊介のようなクズと結婚なんかしてしまったのだから。俊介のような父親が、彼女と息子の陽の親権争いをしようだなんて、どんな了見なのだ?離婚訴訟の裁判に突入したら、彼女は陽が虐待された写真を一緒に裁判官に渡すつもりだ。裁判官が陽のためを考えて、きっと親権は彼女に渡してくれると信じていた。「神崎夫人はちょっと……体調が優れないご様子だったわよ。顔色が真っ青になってびっくりしちゃった。そんなに長い時間ここにはいなくて、姫華ちゃんが急いでお母様を支えて帰って行ったわ」唯月がただ一つ気になったのは神崎夫人の様子がおかしかったことだった。神崎夫人の顔がどんどん青くなっていくので、彼女はとても驚いてしまった。姫華も同じように驚いていて、急いで母親を支えながら帰っていったのだ。唯花は姉のその話を聞いて、少し黙ってから姉に告げた。「お姉ちゃん、私たちのお母さん、もしかしたら、神崎夫人が数十年捜していた妹さんなのかもしれない」「げほっごほっ――」後部座席に座っていたおばあさんは唯花のその言葉を聞いて、急に猛烈に咳をし始めた。唯花は後ろを振り返り、心配して尋ねた。「おばあちゃん、どうしたの?エアコンの風が強すぎたかしら?」「ええ、そうね。エアコンの風は乾燥してるから、咳が出やすくって」おばあさんはもちろん唯花の話に驚かされたとは言えない。理仁は落ち着いて車を運転し、ついでに車のエアコ
理仁は唯花を抱きかかえて二人の住処へと帰った。玄関のドアを開けた瞬間、ペットの犬が飛び出してきた。「どけ!」理仁が低い声で一喝すると、子犬はおとなしく床に伏せて、それ以上は近寄って来なかった。シロは知っている。オスのほうの主人は自分のことを好きではないと。幸い、彼は犬をいじめることはなく、餌も水も十分だった。「プルプルプル……」この時、理仁の携帯が鳴り響いた。彼は唯花を抱きかかえているので、携帯を取り出して電話に出ることができなかった。すると相手はすぐに電話を切った。きっと悟が彼に言われた通りに、十分おきに彼に電話をしてきているのだろう。理仁が言い訳をして逃れるために事前に準備しておいた策だ。しかし、今となってはその必要もなくなった。神崎夫人親子はすでに唯月の家にはいないのだから。彼は唯花を彼女の部屋へと連れて行き、ベッドの上に横たわらせて布団をかけた後、携帯を取り出して悟に電話をかけ、小声で言った。「悟、もう電話はかけてこなくていいぞ」「もういいのか?ちょうど自動電話サービスでも利用しようかと思ってたところだぞ」理仁の口角が引き攣った。「ご飯食べたか?よかったら一緒に行く?」「俺はいい。お前は牧野さんと約束して食事しないのか?」悟は言った。「もしデートに誘って断られたら恥ずかしいだろうが。俺たちは会って連絡先を交換はしたけど、彼女のほうから連絡してきてないんだ。俺だって彼女が俺のことをどう思ってるのかさっぱりわからないしさ」理仁「……俺はようやくばあちゃんがなんで俺に対してやきもきしていたのか、わかったような気がする」悟は言葉を詰まらせ尋ねた。「じゃ、今から彼女を食事デートに誘ったらいいかな?」「お前次第だろ。どのみち、女性を追いかけるなら、少しくらい図々しくならないとな」「どうやら君は今、顔の面の皮が相当分厚くなってるようだね」理仁は自分の顔を触った。「その厚さを測ったことはないから、どのくらいかは知らんがな」悟はハハハと笑った。「内海さんは俺の人生の中で最も尊敬すべき女性だよ。この世でたった一人しかいないね!」「黙れ!」理仁は彼に怒鳴り、電話を切った。彼は唯花のベッドの端に腰をかけて、彼女の寝顔を静かに見つめていた。その表情は非常に優しく穏やかになってい
理仁はやはり素直になれなかった。「それは断じてない!」「ほんとのほんとに?」「ない!」唯花は姿勢をまっすぐにし、残念そうに言った。「もしあなたが私のことが恋しくて眠れないっていうんなら、清水さんにお姉ちゃんの家に残ってもらって、私はあなたと一緒にいようと思ったのになぁ。まあ、あなたがそう言うんだったら、やっぱりお姉ちゃんのところに行って来ようっと。最近どんどん寒くなってきたし、もう冬の気配だわ。一人で寝たらなんだかちょっと冷えるのよねぇ、はぁ」結城理仁「……」彼女はつまり、彼が彼女のことを恋しいとひとこと言えば、まくらを抱きかかえて彼の部屋にやって来て、一緒のベッドで寝ると言いたいのか?唯花は、やはり残念そうな様子で、手を伸ばし理仁の顔を二度触った。そしてその手を下のほうへ滑らし、彼の首を通って、最後は胸の位置まで来ると、またそこを触った。理仁が何を思っているのか読み取れない瞳で彼女をじっと見つめた時、彼女はスッとそのやりたいように動かしていた自由な手を離した。「お腹ペコペコだわ。ご飯食べましょ。うちの旦那さんが自ら作った料理の味を確かめに行かなくちゃね」唯花はからかい終わると部屋を出て行こうとした。彼女は理仁の横を通り過ぎて行った。理仁は突然彼女のほうへ体の向きを変え、後ろから彼女の腰を抱き寄せた。「俺をからかっといて、そのまま行く気?」彼の声は低くかすれていて、彼女の腰をぎゅっと強い力で抱きしめた。空手を習っていた彼女でも、彼のそのがっちりと絡みついているその両手を引き離すことができなかった。「ちょっと力を緩めてよ」唯花は彼の手をほどくことができず、彼に力を緩めるようにお願いするしかなかった。理仁は彼女の頬にキスをし、ようやくその力を緩めた。そして彼女は彼の胸の中でくるりと体の向きを変え、顔を上げて美しいその顔に彼をからかうような笑みを浮かべていた。瞳はキラキラと綺麗に輝いていて、まるで真っ暗な夜空に瞬く星のようだった。理仁の瞳にはこの時の彼女がとても魅力的に映っていた。「内海さん」「あなたに『唯花さん』って呼ばれるのが好きなんだけどなぁ」「君こそよく俺を『結城さん』って呼んでるだろ」理仁のこの言葉は少し拗ねているようだった。彼女はどうもあまり親しげに呼んでくれない。「私
その時、聞いていて我慢できなくなった人が英子に反論してきた。「そうだ、そうだ。自分だって女のくせに、あんなふうに内海さんに言うなんて。内海さんがやったことは正しいぞ。内海さん、私たちはあなたの味方です!」「こんな最低な義姉がいたなんてね。元旦那が浮気したから離婚したのは言うまでもないけど、もし浮気してなくたって、さっさと離婚したほうがいいわ、こんな最低な人たちとはね。遠く離れて関わらないほうがいいに決まってる」野次馬たちはそれぞれ英子を責め始めた。そのせいで英子は怒りを溜め顔を真っ赤にさせ、また血の気を引かせた。唯月が彼女に恥をかかせたと思っていた。そして彼女は突然、力いっぱい唯月が支えていたバイクを押した。バイクは今タイヤの空気が抜けているから、唯月がバイクを押すのも力を入れる必要があった。それなのに英子が突然押してきたので、唯月はバイクを支えることができず、一緒に地面に倒れ込んでしまった。「金を返せ。あんたのじいさんがお母さんから金を受け取ったのを認めないんだよ。じいさんの借金は孫であるあんたが返せ、さっさとお母さんに金を払うんだよ」英子はバイクと一緒に唯月を地面に倒したのに、それでも気が収まらず、彼女が持っていたかばんを振り回して力を込めて唯月を叩いた。さらには足も使い、立て続けに唯月を蹴ってきた。唯月はバイクを放っておいて、立ち上がり乱暴に英子からそのかばんを奪い、狂ったように英子を殴り返した。彼女は英子に対する恨みが積もるに積もっていた。本来離婚して、今ではもう佐々木家とは赤の他人に戻ったので、ムカつくこの佐々木家の人間のことを忘れて自分の人生を送りたいと思っていた。それなのに英子は人を馬鹿にするにも程があるだろう、わざわざ問題を引き起こすような真似をしてきた。こんなふうに過激な態度に出れば、善悪をひっくり返せるとでも思っているのか?この間、唯月と英子は殴り合いの喧嘩をし、その時は英子が唯月に完敗した。今日また二人が殴り合いになったが、佐々木母はもちろん自分の娘に加勢してきた。この親子は手を組んで、唯月を二対一でいじめてきたのだ。「警察、早く警察に通報して!」その時、誰かが叫んだ。「すみません警備員さん、こっちに来て喧嘩を止めてちょうだい。この女二人がうちの会社まできて社員をいじめてるんです」
唯月がその相手を見るまでもなく、誰なのかわかった。その声を彼女はよく知っている。それは佐々木英子、あのクズな元義姉だ。佐々木母は娘を連れて東グループまで来ていた。しかし、唯月は昼は外で食事しておらず、会社の食堂で済ませると、そのままオフィスに戻ってデスクにうつ伏せて少し昼寝をした。それから午後は引き続き仕事をし、この日は全く外に出ることはなかったのだ。だからこの親子二人は会社の入り口で唯月が出てくるのを、午後ずっとまだか、まだかと待っていたのだ。だから相当に頭に来ていた。やっとのことで唯月が会社から出てきたのを見つけ、英子の怒りは頂点に達した。それで会社に出入りする多くの人などお構いなしに、大声で怒鳴り多くの人にじろじろと見られていた。物好きな者は足を止めて野次馬になっていた。唯月はただの財務部の職員であるだけだが、東社長自ら採用をしたことで会社では有名だった。財務部長ですら、自分の地位が脅かされるのではないかと不安に思っていた。唯月は以前、財務部長をしていたそうだし。上司は唯月を警戒せずにいられなかった。さらに、唯月が東社長に採用されことで、上司は必要以上に彼女のことを警戒していたのだ。唯月は彼女にとって目の上のたんこぶと言ってもいい。周りからわかるように唯月を会社から追い出すことはできないから、こそこそと汚い手を使っていた。財務部職員によると、唯月は何度も上司から嫌がらせを受け、はめられようとしていたらしい。しかし、彼女は以前この財務という仕事をやっていて経験豊富だったので、上司の嫌がらせを上手に避けて、その策略に、はまってしまうことはなかった。「あなた達、何しに来たの?」唯月は立ち止まった。そうしたいわけじゃなく、足を止めるしかなかったのだ。元義母と元義姉が彼女の前に立ちはだかり、バイクを押して行こうとした彼女を妨害したのだ。「私らがどうしてここに来たのかは、あんた、自分の胸に聞いてみることだね。うちの弟の家をめちゃくちゃに壊しやがって、弁償しろ!もし内装費を弁償しないと言うなら、裁判を起こしてやるからね!」英子は金切り声で騒ぎ立て、多くの人が足を止めて野次馬になり、人だかりができてきた。彼女はわざと大きな声で唯月がやったことを周りに広めるつもりなのだ。「あなた方の会社の社員、ええ、内海唯
「伯母さんはあなた達が簡単にやられてばかりな子たちだとは思っていないわ。ただ妹のためにも、あの人たちをギャフンと言わせてやりたいのよ」唯花はそれを聞いて、何も言わなかった。それから伯母と姪は午後ずっと話をしていた。夕方五時、詩乃はどうしても唯花と一緒に東グループに唯月を迎えに行くと言ってきかなかった。唯花は彼女のやりたいようにさせてあげるしかなかった。そして、唯花は車に陽を乗せ自分で運転し、神崎詩乃たち一行と颯爽と東グループへと向かっていった。明凛と清水は彼らにはついて行かなかった。途中まで来て、唯花は突然おばあさんのことを思い出した。確か午後ずっとおばあさんの姿を見ていない。唯花はこの時、急いでおばあさんに電話をかけた。おばあさんが電話に出ると、唯花は尋ねた。「おばあちゃん、午後は一体どこにいたの?」「私はそこら辺を適当にぶらぶらしてたの。仕事が終わって帰るの?今からタクシーで帰るわ」実はおばあさんはずっと隣のお店の高橋のところにいたのだった。彼女は唯花たちの前に顔を出すことができなかったのだ。神崎夫人に見られたら終わりだ。「おばあちゃん、私と神崎夫人のDNA鑑定結果がでたの。私たち血縁関係があったわ。それで伯母さんが私とお姉ちゃんを連れて一緒に神崎さんの家でご飯を食べようって、だから今陽ちゃんを連れてお姉ちゃんを迎えに行くところなの。おばあちゃんと清水さんは先に家に帰っててね」「本当に?唯花ちゃん、伯母さんが見つかって良かったわね」おばあさんはまず唯花を祝福してまた言った。「私と清水さんのことは心配しないで。辰巳に仕事が終わったら迎えに来てもらうから。あなたは伯母さんのお家でゆっくりしていらっしゃい。彼女は数十年も家族を捜していたのでしょう。それはとても大変なことだわ。伯母さんのお家に一晩いても大丈夫よ。私に一声かけてくれるだけでいいからね」唯花は笑って言った。「わかったわ。もし伯母さんの家に泊まることになったら、おばあちゃんに教えるわね」通話を終えて、唯花は一人で呟いた。「午後ずっと見なかったと思ったら、また一人でぶらぶらどこかに出かけてたのね」年を取ってくると、どうやら子供に戻るらしい。そして唯月のほうは、妹からのメッセージを受け取り、彼女たちが神崎夫人と伯母と姪の関係で
昔の古い人間はみんなこのような考え方を持っている。財産は息子や男の孫に与え、女ならいつかお嫁に行ってしまって他人の家の人間になるから、財産は譲らないという考え方だ。息子がいない家庭であれば、その親族たちがみんな彼らの財産を狙っているのだ。跡取り息子のいない家を食いつぶそうとしている。それで多くの人が自分が努力して作り上げた財産を苗字の違う余所者に継承したがらず、なんとかして息子を産もうとするのだった。「二番目の従兄って、内海智文とかいう?」詩乃は内海智文には覚えがあった。主に彼が神崎グループの子会社で管理職をしていて、年収は二千万円あったからだ。彼女たち神崎グループからそんなに多くの給料をもらっておいて、彼女の姪にひどい仕打ちをしたのだ。しかもぬけぬけと彼女の妹の家までも奪っているのだから、智文に対する印象は完全に地の底に落ちてしまった。後で息子に言って内海智文を地獄の底まで叩き落とし、街中で物乞いですらできなくさせてやろう。「彼です。うちの祖父母が一番可愛がっている孫なんですよ。彼が私たち孫の中では一番出来の良い人間だと思ってるんです。だからあの人たちは勝手に智文を内海家の跡取りにさせて、私の親が残してくれた家までもあいつに受け継がせたんです。正月が過ぎたら、姉と一緒に時間を作って、故郷に戻って両親が残してくれた家を取り戻します。家を売ったとしても、あいつらにはあげません!」そうなれば裁判に持っていく。今はもうすぐ年越しであるし、姉が離婚したばかりだから、唯花はまだ何も行動を起こしていないのだ。彼女の両親が残した家は、90年代初期に建てられたものだ。実際、家自体はそんなにお金の価値があるものではないが、土地はかなりの値段がつく。彼女の家は一般的な一軒家の坪数よりも多く敷地面積は100坪ほどあるのだ。彼女の両親がまだ生きていた頃、他所の家と土地を交換し合って、少しずつ敷地面積を増やしていき、ようやく100坪近くある大きな土地を手に入れたのだった。母親は、彼女たち姉妹に大人になって自立できるようになったら、この土地を二つに分けて姉妹それぞれで家を建て、隣同士で暮らしお互いに助け合って生きていくように言っていたのだ。「まったく人を欺くにも甚だしいこと。妹の財産をその娘たちが受け継げなくて、妹の甥っ子が資格を持っ
姫華は唯花たちが引っ越し作業を終えてから、ようやく自分がそんなに面白いことを逃したのだと知ったのだった。だから彼女は明凛と唯花に不満を持っていた。明凛は唯花に姫華にも教えるよう言ったが、唯花が彼女はお嬢様だから家をめちゃくちゃにするという乱暴なシーンは見せたくないと思い姫華には伝えなかったのだ。確かに姫華は名家の令嬢であるが、神崎姫華だぞ。神崎姫華は星城の上流社会ではあまり評判が良くない。他人が彼女のことを横暴でわがまま、理屈が通じないというくらいなのだから、そんな彼女が家を壊すくらいのシーンで音を上げるとでも?逆に、彼女自身も機嫌が悪い時にはハチャメチャなことをしでかすというのに。「姉がもらうべき分はしっかりと財産分与させました。ただ内装費に関しては佐々木家が拒否したので、私たちが人を雇ってその内装を全て剥がしたんです」詩乃はそれを聞いて「それはそうすべきよ。どうして佐々木家においしい思いをさせる必要なんてあるかしら」と唯花たちの行動を当たり前だと言った。そして最後にまた残念そうにこう言った。「もし伯母さんが知っていれば、あなた達の家族として、大勢で彼らのところまで押しかけて内装費を意地でも出させてあげたものを。これは正当な権利よ」この時、唯花はふいに姫華の性格は完全に母親譲りなのだと悟った。「唯花ちゃん、もうちょっとしたらお店を閉めて私たちと一緒に神崎家に帰りましょう。家族みんなで食事をするの。そうだ、あなたの旦那さんはお時間があるのかしら?彼も一緒にいらっしゃいよ」唯花は「夫は今日出張に行ったばかりなんです。たぶん暫くの間帰ってきません。彼が帰ってきたら、一緒に詩乃伯母さんのお宅にお邪魔します」と返事した。「出張に行ってらっしゃるのね。なら、彼が帰って来てからお会いしましょう」詩乃はすぐに姪の夫に会えなくても特に気にしていなかった。彼女にとって、二人の姪のほうが重要だったからだ。今、彼女は姪を見つけることができて、姪二人にはこの神崎詩乃という後ろ盾もできた。ちょうど唯花に代わってその夫が頼りになる人物なのか見極めることができよう。「あなたのお姉さんは五時半にお仕事が終わるのよね?」「ええ」神崎夫人は時間を見て言った。「お姉さんはどこで働いていらっしゃるの?」「東グループです」神崎夫人は「そ
姫華は父親である神崎航と一緒に母親を気にかけていたので、理紗が忘れずにこの鑑定結果を持ってきたのだった。唯花は理紗から渡された鑑定結果を受け取って見た。彼女はその結果を見た後、少しの間沈黙してからそれをテーブルの上に置いた。「唯花ちゃん、あなたは私の姪よ。私のことは詩乃伯母さんって呼んでね」今世では妹と再会を果たすことはできなかったが、妹の娘である二人の姪を見つけることができただけでも、神崎詩乃(かんざき しの)にとっては一種の慰めになった。彼女は唯花の手をとり、自分のことを「詩乃伯母さん」と呼ばせた。「唯月ちゃんは?それから陽ちゃんも」神崎詩乃はもう一人の姪のことも忘れていなかった。「姉は昼にはここへは来ないんです。夕方五時半に退勤したら帰ってきますよ」唯花はそう説明して、明凛のほうを見た。明凛が陽を抱っこして近づいて来て、唯花が彼を抱っこした。「神崎おば様……」唯花がそう言うと、詩乃は言った。「唯花ちゃん、私のことは詩乃伯母さんって呼んでね。私はずっとあなた達を見つけられるのを夢見ていたのよ。ようやく見つけたんだから、そんな距離感のある言い方で呼ばれると寂しいわ」唯花は少し黙った後「詩乃伯母さん」と言い直した。DNA鑑定結果はもう出てきたのだ。彼女が神崎詩乃の血縁者であることが証明されたのだから、神崎夫人はまさに彼女の伯母にあたるのだ。本当にまるでドラマのようだ。詩乃は唯花に詩乃伯母さんと呼ばれて、目をまた赤くさせた。そして姫華がこの時急いで言った。「お母さんったら、もう泣かないで。陽ちゃんもいるのよ、お母さんが泣いたりしたら、陽ちゃんを驚かせちゃうでしょ」明凛と清水はみんなにお茶とフルーツを持ってやってきた。詩乃は陽を抱っこしたいと思っていたが、陽のほうはそれを嫌がり、背中を向けて唯花の首にしっかりと抱きついた。「陽ちゃん、こちらはおばあちゃんのお姉さんなのよ」詩乃は立ち上がって、陽をなだめようとした。「いらっしゃい、おばあちゃんが抱っこしてあげる、ね」しかし陽は彼女の手を振り払い「やだ、やだ、おばたんがいいの」と叫んだ。詩乃は陽が過剰な反応をしたのを見て、諦めるしかなかった。そして少し前の出来事を思い出し、彼女はまた容赦なくこう言った。「あの最低な一家が、陽ちゃんにショックを
数台の高級車が遠くからやって来て、星城高校の前を通り過ぎ、唯花の本屋の前に止まった。隣の高橋の店で暇だからおしゃべりをしていた結城おばあさんが、道のほうに目を向けると数台の高級車がやって来ていた。そしてすぐに顔をくるりと元の位置に戻し、わざと頭を低くした。あの数台の車から降りてきた人に見られないようにしたのだ。「唯花、唯花」姫華が車から降りて、唯花の名前を呼びながら店の中へと小走りに入ってきた。その時は隣の店でおしゃべりしていた結城おばあさんを全く気にも留めていなかった。その後ろの車から降りてきた神崎夫人の夫の神崎航がボロボロに泣いている妻を支えながら、娘の後ろに続いて店の中に入ってきた。理紗はボディーガードたちに入り口で待機するように伝え、それから彼女も店の中へと入ってきた。唯花は三分の一ほどビーズ細工のインコを作り終えたところで、姫華に呼ばれる声を聞き、その手を止めて姫華のほうへ視線を向けた。「姫華、来たのね。ご飯は食べた?もしまだなら……」その時、神崎夫人が夫に支えられて入ってきて、夫人が涙で顔を濡らしているのを見て、唯花は状況を理解した。神崎夫人はDNA鑑定の結果を手にしたのだ。神崎夫人のその顔を見れば、聞くまでもなく彼女と神崎夫人には血縁関係があるのだということがわかった。「唯花ちゃん――」神崎夫人は急ぎ足で、レジ台をぐるりを回って彼女のもとへとやって来て、唯花を懐に抱きしめ泣きながら言った。「伯母さんにもっと早く見つけさせてよ――」彼女はそれ以上他に言葉が出てこないらしく、ただ唯花を抱きしめて泣き続けた。唯花は彼女に慰める言葉をかけたかったが、自分もこの時何も言葉が出せなかった。「私の可哀想な妹――」神崎夫人は妹がすでに他界していることを思い、また大泣きした。唯花は彼女と一緒に涙を流した。明凛は陽を抱っこして清水と一緒に遠くからそれを見守っていた。陽は全くどういうことなのかわかっていない様子だった。姫華と理紗も目を真っ赤にさせていた。神崎航がやって来て、妻を唯花から離し、優しい声で慰めた。「泣かないで、姪っ子さんが見つかったんだ、良かったじゃないか。私たちは喜ぶべきだろう。そんなふうにずっと泣いてないで、ね」神崎夫人は夫に支えられて椅子に腰かけた。妹の不幸な境遇と、二人の
「内海のクソじじい、あんたはしっかり私から百二十万受け取っただろうが。現金であげただろう、あれは私がずっと貯めていたへそくりだったんだよ。あの金を受け取る時にあんたは唯花を説得してみせると豪語してたじゃないか。それがあんたは何もできずに、うちの息子はやっぱり唯月と離婚してしまったんだぞ。だからさっさと金を返すんだよ。じゃないと本気で警察に通報するわよ」佐々木母は内海じいさんがどうしても認めようとしないので、怒りで顔を真っ赤にさせていた。内海じいさんは冷たい顔で言った。「もし通報するってんなら、通報すりゃええだろ。俺がそんなことを怖がるとでも思ってんのか。俺はお前から金を受け取ってないし、もし受け取っていたとしてもそれが何だって言うんだ?それは唯月が結婚した時の結納金の補填だろう。うちの孫娘がお宅の息子と結婚する時に一円も出しゃあしなかったくせによ。結納金に代わって百万ちょいの補填だけで済んだんだぞ。お宅にも娘がいるだろ。その娘が結婚する時に一円も結納金を受け取らずにタダで娘を婿側に送ったのか?」佐々木母はそれを聞いて腹を立てて言った。「なにが結納金だ、お前は唯月を育ててきたのか?そうじゃないくせに結納金を受け取る資格があんたにあるとでも?彼らはもう離婚したってのに、馬鹿みたいにあんたらに結納金を今更補填してあげるわけないでしょうが。さっさと金を返すんだよ!」「金なんかねえ。命ならあるけどな。それでいいなら持って行くがいい」内海じいさんは、もはやこの世に何も恐れるものなど何もないといった様子で、佐々木母はあまりの怒りで彼に飛びかかって引き裂いてやりたいくらいだった。そこに英子が母親を引き留めた。「お母さん、あいつに触っちゃダメよ。あいつはあの年齢だし、床に寝転がりでもされちゃったら、私たちが責任を追及されちゃうわよ」「ああ、じいさんや、私はすごくきついよ。もう息もできないくらいさ。こいつらがここで大騒ぎしたせいで私まで気分が悪くなってきたみたいだ。死にそうだよ……」病床に寝ていたおばあさんが突然、気分が悪そうな様子で胸元を押さえて荒い呼吸をし始めた。内海じいさんはすぐにナースコールを押して、医者と看護師に来るように伝えた。そして、佐々木母たち三人に向って容赦なく言った。「もしうちのばあさんがお前らのせいで体調を悪化させた
唯花は笑って言った。「姫華が言ってたの、九条さんって情報一家らしいわ。彼と一緒にいたら、ありとあらゆる噂話が聞けるわよ。あなたって一番こういうのに興味があるでしょ。九条さんってまさにあなたのために生まれてきたみたいな人だわ、あなた達二人とってもお似合いだと思うけど」明凛「……」彼女が彼氏を探しているのは、結婚したいからなのか、それとも噂話を聞くためなのか。「そういえば、お姉さんの元旦那のあの一家がまた来たって?」明凛は急いで話題を変えた。親友に自分の噂話など提供したくないのだ。「お姉ちゃんと佐々木のクソ野郎が離婚して、お姉ちゃんがあの家から出て行ったでしょ。あいつらは待ってましたと言わんばかりに引っ越して来ようとしてたわけ。だけど、今は部屋を借りるかホテル暮らしするか、はたまた実家に帰るしかなくなったでしょ。あの一家は絶対市内で年越ししたいと思ってるはずよ。実家には帰らないでしょうね」佐々木一家は絶対に実家のご近所たちに、年越しは市内でするんだと言いふらしていたはずだ。だから、住む家がなくとも、彼ら一家は部屋を借りるまでしてでも、市内で正月を迎えようとするに決まっている。唯花は幽体離脱でもして佐々木家に向かい、彼らの様子を見てみたいくらいだった。「あの人たち、家の内装がなくなってめちゃくちゃになった部屋を見て、きっと大喜びして失神したことでしょうね」唯花はハハハと大笑いした。「そりゃそうね」唯花が今どんな状況なのか興味を持っている佐々木家はというと、この時、すでに内海じいさんがいる病院までやって来ていた。内海ばあさんは術後回復はなかなか順調で、もう少しすれば退院して家で休養できるのだった。佐々木母は娘とその婿を連れて病室に勢いよく入っていった。佐々木父は来たくなかったので、ホテルに残って三人の孫たちを見ていた。ただ佐々木父は恥をかきたくなかったのだ。「このクソじじい」佐々木母は病室に勢いよく入って来ると、大声でそう叫んだ。内海じいさんは彼女が娘とその婿を連れて入ってきたのを見て、不機嫌そうに眉をしかめた。彼の息子や孫たちはどこに行ったのだ?誰もこの狂ったクソババアを止めに入りやしないじゃないか。「これは親戚の佐々木さんじゃないですか、うちのばあさんはまだ病気なんで、静かにしてもら