見た目はそこそこ奇麗なのに、なぜか男性運がない。鈴山雪音。働かない父を見て育った彼女の夢は安定職の男性と結婚して幸せな家庭を築くこと。ただそれだけ。 そんなある日、婚約者であった絢斗が転勤先で同僚に寝取られた。 会社にも婚約者がいる話をしていた雪音は、ショックのあまり日常生活にも影響が出始めていた。 一人、部屋で飲んだくれの日々が続いていた雪音は仕事でもミスばかり。 桜が咲いているのになぜか雪が降っていた、そんな幻想的でおかしなある日のこと。 会社に行く途中で雪音は、スマホを触っていた龍太郎を避けようとして、雪で滑って、転び、スマホを落としてしまう。 「パンツ、見えてますよ」 龍太郎から笑われた雪音は急いでスマホを拾うも、それはぶつかった龍太郎のスマホで、スマホが入れ違いになってしまい、彼が不倫していることを知ったのだった……。 家庭の事情で、歪んだ性格のドSな龍太郎から溺愛される日々がなぜか始まった。 努力家で身分違いの彼との恋に悩み、自分の生きる道、自分を心から愛することを知り、本当に自分のしたい仕事を見つけて成長する雪音。 そんなスマホ間違いから始まる恋愛と結婚のお話。
Lihat lebih banyakあれは四月なのに、雪が降った日だった。
桜が満開なのに、雪が降って桜に奇麗に積もったんだ。 それはそれは幻想的で、そんな世界に出会えたことに驚き、そんな中でまさか自分の人生をも変える出来事に出会うなんて、信じられなかった。 運命を変えた一日だった。 あの日、あなたはあの雪桜の中を歩いていたんだ。 スマホばかり見て、私を見ていないあなたを避けようとして、雪で滑った私にあなたは言った。 しかも笑って言った。 「パンツ見えてますよ?」 なんで「大丈夫ですか?」じゃなくて、そんなセリフなのよって、あの時はすごくムカついたけど、自分を肯定できるようになったのも、自分を好きになれたのもぜんぶ、あなたのおかげだよ。 龍太郎、今、どこにいますか? 会いたいです……。 「はぁ、はぁ、はぁ」 息が上がって喉が痛いよ、|龍太郎《りゅうたろう》。 足が|鉛《なまり》みたいに重いよ。 それでも私はあなたを探し続ける。 私はまだあなたに一番、大切なこと言えてない、ずっと言えなかった。 なんやかんやで、あなたときちんと向き合うことから逃げてきた。 お願い、神様。 龍太郎が決断する前に、もう一度会わせてください。 お願いします—— あなたにもし、また会えたら言いたいことがあります。 「私を変えてくれたのはあなたです、ありがとう」 ⭐︎⭐︎⭐︎ 「ねぇ、|鈴山《すずやま》さん、最近、婚約してる彼とはどうなの? 上手くやってる?」 あ~、出た出た、パートの葉山さんたちだ。葉山さんは古株で、この会社にもう三十年いるらしい。 嫌だな、昼休みなのに、パートさんたちの体験談を混えての聞き取り調査。 『私の時はこうでああで』と結局言いたいのだ。 私は今、仕事の休憩時間なのだけど、遅番だったから、会社で一番のうわさ好きの葉山さんを含む、このメンバーと昼休みが一緒になってしまった。 葉山さんは強いから、みんな逆らえない。逆らわないことも生きる|術《すべ》だってことはみんな知ってる。 でなきゃ、会社勤めなんてできない。 「あ、はぁ……。まぁ、ぼちぼち……」 嘘だった。作り物の笑顔で私はなんとか答えた。 「そう、それならいいのよ~。最近、鈴山さん、元気ないんじゃないって、みんなで心配してたのよ~。ねぇ?」 「そうそう、葉山ちゃんがね、鈴山ちゃんが彼氏と別れたんじゃないか、って言い出してね~。それなら良かったわぁ」 葉山さんの機嫌を取るのが上手な西田さんが笑いながら、会話に加わる。 私は手が震えてきた。この話題には触れられたくない。すぐに限界がきた。 「あ、あのあんまり、こういう話は……」 私は動悸がしだした。 「最近はなんちゃらハラスメントってすぐにいうじゃな~い。でもそんなこと言ってたら、なんにも話できないし、壁ができるだけよねぇ。そのひとの人間性もわからないし」 「そうそう。一緒に働くのにコミュニケーションは必要不可欠よ」 「そうよね~」 周りの人たちも同調する。パートさんたちが悪魔にしか見えない。 羨ましい……。平和だから、人の様子を観察して色々言えるんだよね。 「でも元気なかったから、心配しただけで悪気はないから」 西田さんがうつむく私に声をかけた。 「さ、最近、少し体調が悪くて……。それで……」 そう答えるので私は精一杯だ。 「あらぁ、まさかおめでたなの⁉︎」 葉山さんが嬉々とした様子で訊いてきた。格好のネタができたと言わんばかりに。 そんなわけない。 婚約者だった|絢人《けんと》とは一ヶ月前に終わったし、最後に肌を重ねたのなんて、もう三ヶ月以上前だ。 私は涙腺が少しずつ、崩壊する音を聞いた。 「そのぐらいにしてください、ここは会社です。プライベートに干渉するのはよくないですよ」 声を出したのは係長だ。まだ若い。詳しくは知らないけど、まだ二十代のはずだ。 仕事もできるうえに爽やかイケメンで、女性はもちろんのこと、男性からも人気がある。 「あ、あら、係長いらしたんですか? お疲れ様です」 「今から係長も休憩ですか。ごゆっくり~っ」 パートさんたちが顔の色を無くし、蜘蛛の子を散らすように去っていった。 「大丈夫ですか?」 係長の優しい声が頭上から降ってきた。龍太郎に視線を注いだまま、絢斗が唇を噛んだ。 「そうか、そうだよな。だからおまえといた思い出は、こんなに後になってからも、ずっと心に残っているのか……。なるほどなぁ、悔しいな……。雪音、おまえはおれのこと、少しでも好きでいてくれたか?」 絢斗の目のふちは赤い。 「……好きだったよ。でなきゃ、こんなに長く一緒にはいなかったよ……」 「そうだよな。身体の相性も良かったもんな。……おれとのこと、忘れないでくれよ」 絢斗がふっと片方の口角をあげて笑う、龍太郎への当てつけらしい。 「やめてよ! こんなところでバッカじゃないの!!」 「ふ、歪んだ愛だな。見苦しいぞ、絢斗!! おれは雪音を何度も昇天させているからな、貴様はおれには勝てん!!」 おぉぉい!!! なに言い出したんだ、龍太郎は。 昇天させられたことなんかないよっ!! てか、そういうこと、してないじゃん、まだ。 あ、まだって言っちゃった!! とにかくこの話題、もうやめてよ……。 「雪音、顔が赤いぞ……。そうか、おまえ、このひとと、やっぱりもうそういう関係なんだな。そりゃそうだよな、泊まってる時点で、そうか……」 絢斗の視線が|彷徨《さまよ》う。 ち、違う。……がここはもう|敢《あ》えて否定しない。する必要もない。 「さぁ、雪音、行こうか?」 龍太郎の背景にピンクの薔薇が咲き誇る。 「……雪音を幸せにしてやってください」 絢斗が龍太郎を正視しながら、大きな声で叫んだ。 「ふん、おまえに言われるまでもない。雪音はおれが一生涯かけて幸せにするから安心しろ。おまえはきちんと結婚して子育てをしろ。いいか? 子供にだけは悲しい思いをさせるなよ!」 最後の言葉は母子家庭だった龍太郎の思いが、詰まっていたように感じた。 突然、周りから拍手喝采された。気がつくと噴水の周りにたくさんのひとが集まっていた。 「なんだ。ドラマの撮影じゃなかったのか。すごいな、俳優かと思ったぞ」 「兄ちゃん達、幸せになれよ」 「あんた、父親になるのかい? 若いけど、きっとやっていけるさ」 「フラれたお兄ちゃんも頑張れよ~」 あちこちから声援が聞こえる。 二人の声が大きいので、ひとが集まったのと、龍太郎が目立ち過ぎだ。 ぎゃあ!! いつからこんなにひとが……!! 恥ずかし
「……雪音……」 絢斗は悲痛な面持ちだった。 「……いいお父さんになってね」 これだけのことが言えるようになったのは、きっと恋のチカラだ。 どこからか湧き上がってくる、強い感情、強さ。これがきっと本当の恋だ。 「絢斗とやら、もういいか?」 龍太郎が時計を見ながら、口にした。 時刻は午後三時だった。 絢斗はなにも言わない。うつむいて拳を握り締めている。 「どれだけそうしてようが、おまえになんかやらない。コイツはおれのもんだからな」 龍太郎が私の肩を、いきなり抱き寄せた。 絢斗が顔をあげて、龍太郎と私を見つめる。そして露骨に顔をしかめた。 「こんな面白いヤツ、逃したおまえが悪い」 龍太郎が絢斗に喧嘩を売り出した。 「ちょ、ちょっと……」 私は小声で龍太郎に抗議する。絢斗を興奮させて大丈夫か? 「フハハハハ。コイツを幸せにするのは、おれなんだよ! 残念だったなぁ? こんな面白い女を逃して……」 龍太郎は絢斗を|煽《あお》っている。なにか目的があるのか? 「……そうッスよね。そんな面白い女を手放した、おれが悪いんスよ」 絢斗がしんみりした声で返した。 え? このひと達、さっきから私を『面白い女』としか言ってないんだけど……? 普通、こんな可愛い女性とか、こんないい女とか、そういう言い方しない? まぁきっとどちらにも、自分は該当しないんだろうけど……。 うっ、言ってて悲しい。 「だが、おまえは父親にはなれたんだ。それは感謝しろよ。一度はコイツと別れて、別な女を愛したんだ。その結果だ。きちんと良い父親になれ」 龍太郎が絢斗を諭す。 「……おれが父親? ……ふふ。なれますかね? 実は結婚もまだ自信がなくて、戸惑ったまんま進んじゃったんスよね……。まぁ、半分は思い通りにならない雪音への当てつけっスよ。はは」 絢斗が乾ききった笑いを浮かべた。 はぁ? なにそれ? 結婚ってそういう気持ちでするものなの?? 「ふ、ははは。思い通りにならない?」 龍太郎が突然、笑い出した。 「だからこそ、いいんだろうが。雪音が簡単にいいなりになる女なら、おれはこんなに好きにはならない。つまらない。コイツは自分がないようで、きちんと自分を持っている。今までそれをただ出してこなかっただけ、それだけだ」
「知らねーよ。見てねぇもん」 絢斗の口から、信じられない言葉が飛び出した。 「け、結婚するんじゃないの? 日菜さんと」 「結婚? ああ、それな、どうしようかなぁ。最近、あいつといてもつまんねーんだよ。なんつーか、損得勘定のかたまりみたいな女でよ。幻滅したわ」 ……なにそれ……? なに言ってるの? 「……日菜さん、妊娠してるよ?」 自分のことじゃないのに、なぜか胸が痛い。 日菜は今も、お腹の赤ちゃんのことでいっぱいいっぱいだろう。 それに日菜は図々しいが、そこまで憎めない相手だったようにも思う。 「……な⁉︎ に、にに妊娠? う、嘘だろ?」 「嘘じゃないよ。さっきいた総合病院に切迫流産で緊急入院してる。絢斗、お父さんになるんだよ? 早く行ってあげて」 「……なんでだよ。おれは、おれは雪音、おまえのことが忘れられずに、こうして会いにきたのに……。なんでだよ!!! なんでこんな現実なんだよぉ!!」 「自分の行動にはきちんと責任を持て。それが大人だ」 落ち着いた口調で話したのは龍太郎だった。 「な、なんで、おれはおまえの存在のありがたさにようやく気づいたのに、こんなことってあるのかよ!!!!」 絢斗が力なく、その場にしゃがみこんだ。 意味がわからない。絢斗と別れた時、絶望したのは私だよ……。 ボロボロになって、ようやく立ち直って……、どこまでふざけてるの? 「なんか主導権が絢斗にあるみたいな言い方だね……。私はあなたとやりおなす気なんて、さらさらなかったよ?」 ずっと思ってた。 平等に付き合い出したはずなのに、いつからか相手の都合に合わせて、それで上下関係ができて、その中で生きるようになっていたって……。 それはただの依存に過ぎない。捨てられるのが怖くて、自分に自信がなくて、言いたいことも言えないような、弱虫な自分……。 でも少しずつでいいから、きちんと自分の人生を生きていきたい、自分の足で……!! 「なんかおまえ、短期間で変わり過ぎじゃねぇ? その男のせいか?」 絢斗が龍太郎を見た。龍太郎のメガネが光っていて、その表情は読めない。 「……そうかもしれない」 私は淡々と答えた。龍太郎のことは好きだ。 絢斗なんかどうでもよくなるぐらい、彼が好きだ。 だから、私は変わりたい……!!
「で? おまえはなにが望みだ? こんなことをしてなんになる?」 龍太郎が苛立ちを隠さずに訊ねた。 「……おれはずっと、思いどおりにならない雪音にイライラしていました。雪音は遠距離になってから、ますます笑わなくなって、全然可愛くなくて、おれの言ったことを守らないし」 「おれの言ったことってなんだ?」 私を差し置いて、二人で話をしている。 「たとえば、一人暮らしになって、朝起きる自信がないから、毎朝起こしてほしいって頼んだら、それすらも毎朝できないっていうんですよ? 普通、彼氏が頼んだら、それぐらいしてくれてもいいじゃないですか? 彼女なんだから。その点、日菜はおれのいうことをぜ~んぶ聞く女でした」 「|莫迦《ばか》が。雪音はおまえの母親じゃないぞ。それにおまえ社会人じゃないのか? 自分のことは自分でしろよ。雪音も夜勤があったりで大変だったはずだ」 龍太郎が心底呆れた声を出し、続けて口にした。 「おまえは、自分のことばっかりだな……」 龍太郎の声は底冷えがした。 「だっておれ、まだ二十二歳っスよ。おれはあんたみたいな大人とは違う。彼女に甘えて、なにが悪いんですか?」 開き直った絢斗が下唇を噛んだ。 「……絢斗は変わらないね。私も付き合い出した頃はそれでよかったよ。でも二十歳を過ぎたあたりから、これでいいのか、ずっと疑問だった」 私はずっと胸の中に溜め込んできたものを吐き出す。 「……なんだ、それ。おまえ、ずいぶんと偉そうだな」 絢斗が眉間に|皺《しわ》を寄せた。 「そうやって女性を下に見てるとこも、女性に順位をつけることも、ずっと嫌だった。きちんと私も嫌だって言うべきだった。それは反省してる」 絢斗は明るいが、そうした話題で男性陣とふざけ合って、笑いをとることもあった。 「……おれさ、おまえとやり直してやろうと思って、散々探したけど、今ので、もう冷めたわ」 絢斗が盛大なため息をついた。 やり直してやる? なに? その上から目線……。 「あのさ、日菜さんの今の状態、……知ってる?」 私は絢斗に訊ねた。日菜は入院にしてからも絢斗に一応連絡したと言っていた。
「明日から彼女も仕事なんだ。こういう不安になるようなことはやめろと、忠告したはずだがな」 話を切り出したのは龍太郎だった。 龍太郎はそれだけいうと、ベンチに腰掛けた。そして腕組みをしながら、長い足を組んだ。 私と絢斗は距離を空けて、向き合うように立っている。 「……ごめん。雪音。上の人間に賄賂のことをチクったの、おまえじゃないよな……」 絢斗のか細い声が聞こえた。声が震えている。 「違うよ。どうして私がそんなことしなきゃならないの?」 声にしてみると、案外自分は冷静だということに気がついた。 そばに龍太郎がいるからかもしれない。 「……実はさっき上司から連絡が来て、訊ねたら、不正行為のこと報告してきたのは男性だったっていうんだ。ごめんな。おまえがこんなことするわけがないよな。まっ、よく考えたら、おまえにそんな度胸あるわけないもんな」 絢斗が半笑いをする。どこまでも|癪《しゃく》に触る男だ。 「賄賂ってさ、ビール券とか、お酒のことだよね? まさかお金とかもらっていないよね……?」 私は絢斗に確認する。 「そ、そんなことするかよ! さすがにお金はやべぇだろ! だから今回だけは、上司も見逃してくれたんだよ!」 「……そうなんだ」 どうやら上司も大袈裟にはしたくなかったらしい。上の人間も監督不行き届きを問われるからだろう。 「まぁ、それも立派な賄賂だし、癒着を疑われて、場合によっては|収賄罪《しゅうわいざい》に問われてもおかしくはないがな。おまえは認識が甘いんじゃないか?」 龍太郎が長いまつげを伏せ、険のある言葉を絢斗に投げつけた。 続けて、 「おれはみかんのひとつも受けとらんぞ」 ふっ、と鼻で笑い、絢斗に軽蔑の眼差しを向けた。 「あ、あの、俺、雪音と二人で話しをしたいんです」 絢斗が眉をひそめて、龍太郎を見た。その目は怯えているようにしか見えない。 「ダメだ。おまえはなにをするかわからんし。雪音はもうおれの婚約者なんだからな。二人きりになどさせない」 龍太郎がきっぱりと言い切った。 「は? 婚約者?」 絢斗が心底、驚いた顔をして私の方を見た。絢斗の瞳は三白眼で獣のようだった。 私は目を逸らす。話をするとは言ったが、絢斗の瞳を正視するのは無理だ。 襲われ、怖い思いをしたのだ。
「……で、おまえはその元彼の女をここに連れてきたのか? しかも浮気相手だった女をか?」 龍太郎と私は病院の相談室で話をしていた。 ここまできたら、すべてを正直に話すしかなかった。 「……まぁ、ほらなんというか、成り行きってあんじゃん、それかなぁ……? はは」 私は必死に弁明する。 龍太郎は呆れを通り越して、もはや表情すらない。 彼は無言だった……。 「あ、いや、ほんと、馬鹿だよね、私。ははは……」 私は乾いた笑いでごまかす。 自分のことは本当に大馬鹿者だと思っている。いや、お人好しもここまで来ると愚鈍だ。 私は目の前に置かれた紙コップのソーダカルピスを一口飲んだ。 緊張が続き、ひどく喉が渇いていた。 「まぁ、普通の人間ならしないだろうな……」 龍太郎の声とともに、私の頭に彼の手が優しく乗った。 「おまえがしたのは人助けだ。お腹の赤ちゃん、あと少し遅かったら、やばかったそうだな……、よく頑張ったな」 私の頭を撫でる龍太郎の手も、穏やかな口調も、どれも私を涙ぐませるには、十分なものだった。 「龍太郎……」 私は彼の目を見つめた。そこには暖かい色が宿っていた。 龍太郎だけは、なんだかんだ言っても、いっつも私を理解してくれている気がした……。 「赤ちゃん、助かるといいな……」 「……うん」 「しかし、おまえというヤツはおれと初めて会った時も、馬鹿みたいに親切だったが……」 龍太郎が咳払いする。顔がなぜか赤い。 「親切? え? トイレの案内をしただけでしょ?」 「覚えていないのか? おまえ、たかだかトイレの案内だけで『右に曲がってすぐのところに段差があります。足元に気をつけてください。あと男性用トイレの一番前は水の流れが悪いらしいです。一番奥は扉の建て付けが悪く、鍵が閉まらないらしいです』って言ったんだぞ。トイレの案内で、ここまで詳しく言われたことはないな」 「へ、へぇ……。覚えてないや」 「ほんと、無愛想で可愛げがない」 龍太郎が淡々と言い、私の頭から手を離した。 「わ、わかってるよ。言われなくても、どうせ可愛くないですよ」 「だけど馬鹿がつくほど親切で、おまえはめちゃくちゃ優しいヤツだ……」 龍太郎の瞳に宿った光は、驚くほど柔らかかった。 な、なんなの? え? は、恥ずかし
Komen