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禁欲系の彼を諦めた後、彼は後悔した

禁欲系の彼を諦めた後、彼は後悔した

By:  シンデレラCompleted
Language: Japanese
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禁欲系御曹司である陸奥俊彦(むつとしひこ)を追い求めて三年、私は結局、彼と結婚することはできなかった。 仏教を信仰している陸奥家には代々のしきたりがある。陸奥家の人間と結婚するためには、自ら「大吉」の御籤を引かなければならない。 だが、私が引いた九十九回の御籤は、すべて「大凶」だった。 そして百回目を引く直前、私はこの目で、俊彦が籤筒の中身をすべて入れ替えるところを見てしまった。 「何度引こうと、彼女は必ず大凶しか引けないさ」 その瞬間、私はようやく悟った。彼は確かに私を愛していないのだ。 もういい。私だってもう彼と結婚したくない。 私は籤筒を投げ捨て、振り返って両親に電話をかけた。 「葉山(はやま)家との縁談、私、承諾するよ」

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Chapter 1

第1話

仏教を信仰している陸奥家には代々のしきたりがある。陸奥家の人間と結婚するためには、自ら「大吉」の御籤を引かなければならない。

だが、私が引いた九十九回の御籤は、すべて「大凶」だった。

そして百回目を引く直前、私はこの目で、陸奥俊彦(むつとしひこ)が籤筒の中身をすべて入れ替えるところを見てしまった。

「何度引こうと、彼女は必ず大凶しか引けないさ」

その瞬間、私はようやく悟った。彼は確かに私を愛していないのだ。

もういい。私だってもう彼と結婚したくない。

私は籤筒を投げ捨て、振り返って両親に電話をかけた。

「葉山家との縁談、私、承諾するよ」

寺を出るとき、私は再び俊彦に出会った。

彼の視線が私の腫れているまぶたに二秒ほど留まると、すぐにいつものように視線を逸らした。

代わりにその隣にいる、彼の友人である木村隼也(きむらしゅんや)が沈黙を破った。

「江崎さん、もう帰るの?」

私は泣き腫らした喉が声を出すのも辛く、ただうなずいた。

そして私は切符売り場へ行き、ケーブルカーで下山するつもりだ。

すると、隼也の少し訝しむ声が響いた。

「江崎さん、ケーブルカーで下りるの?歩かないの?」

振り返れば、隼也と俊彦の不思議そうな目があり、私は胸の奥がひどく苦くなってきた。

この三年間、私は九十九回もおみくじを引いてきた。私は毎回、膝をついて山を登り、その後、足を引きずりながら下山していた。神様に誠意を示し、一日も早く「大吉」を授かりたい一心だった。

だが結局、私がどれほど誠意を示しても、俊彦が与える気のない「大吉」は得られなかった。

ならば、なぜこれ以上苦しむ必要がある?

私はケーブルカーのチケットを買いながら、何気なく答えた。「疲れたの。歩きたくない」

私のかすれた声が落ちるや否や、隼也は手の中の車のカギを揺らした。

「ちょうど俊彦と一緒に下山するところだ。よかったら乗っていく?」

私が断る前に、俊彦の冷たい声が響いた。

「これから人を迎えに行くんだ。暇はない」

すれ違う瞬間、彼の足が止まり、私の蒼白な顔を見て、彼は結局口を開いた。

「疲れるなら、次からは跪いて登るのはやめろ」

彼は常に私に冷たい。その低い声色もまた冷たさを帯びている。かつては、どんなに辛辣な言葉でも、私は、彼の口から出れば心地よく感じたものだった。

その頃の私は、彼の口から紡がれる優しい言葉も、熱を帯びた吐息も、きっともっと美しいに違いないと思っていた。

今思えば、結局それだけのものだろう。

山を下りた私は焼肉屋へ直行した。

三年間、あの馬鹿げた「大吉」のために、私は肉や魚に一切口をつけず、無理やり菜食主義者のように生きてきた。

私が肉を頬張っている最中、扉が開き、耳障りなほどに、ある馴染んだ声が響いた。

「わあ、この匂いだけで涎が出そう!海外にいた間、ずっとこれが恋しかったの!」

顔を上げると、少し離れたところに江崎心美(えざきここみ)が立っている。

私はさらに気分が悪くなった。早く食べ終えて出よう。

次の瞬間、俊彦の、少し困ったようで甘やかす声が聞こえてきた。

「唐辛子は控えろ。胃に悪い」

私は驚き、顔を上げると、俊彦の姿が見えた。

江崎心美……心美……

そうか、俊彦の「大吉」は、心美のためだったのだ。

よりによって心美か。

私は胸が痛くて苦しくなり、食欲は一気に消え失せた。箸を置き、席を立とうとした。

バッグを手に振り向いた瞬間、心美と正面からぶつかった。

「きゃっ!」

心美は悲鳴を上げ、そのまま俊彦の胸に倒れ込んだ。

私は衝撃でよろめき、手が熱い鉄板の上に落ちた。

じゅっと焼ける音と共に、私は思わず息を呑んだ。立ち直ったときには、手の甲はすでに真っ赤に腫れている。

痛みに冷水で冷やそうと立ち去ろうとした瞬間、私は俊彦に手首を掴まれた。

「江崎望(えざきのぞみ)!心美に謝れ!」

手の甲の痛みが、心までじんわりと締めつけた。

私は必死で俊彦の手を振りほどき、一言も言わずに冷水を探そうとした。

しかし、彼は私の前に立ち塞がり、冷たい声で言った。

「謝れ!」

私は顔を上げ、涙を必死に堪えながら硬い声で返した。

「どうして?」

すると、俊彦の胸にいた心美は顔を上げ、いじらしく言った。

「俊彦、私は大丈夫よ。うっかりお姉さんにぶつかっちゃっただけだから」

私の目が一瞬で冷たく光った。

「誰が、あなたに私をお姉さんって呼んでいいって言った?」
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第1話
仏教を信仰している陸奥家には代々のしきたりがある。陸奥家の人間と結婚するためには、自ら「大吉」の御籤を引かなければならない。だが、私が引いた九十九回の御籤は、すべて「大凶」だった。そして百回目を引く直前、私はこの目で、陸奥俊彦(むつとしひこ)が籤筒の中身をすべて入れ替えるところを見てしまった。「何度引こうと、彼女は必ず大凶しか引けないさ」その瞬間、私はようやく悟った。彼は確かに私を愛していないのだ。もういい。私だってもう彼と結婚したくない。私は籤筒を投げ捨て、振り返って両親に電話をかけた。「葉山家との縁談、私、承諾するよ」寺を出るとき、私は再び俊彦に出会った。彼の視線が私の腫れているまぶたに二秒ほど留まると、すぐにいつものように視線を逸らした。代わりにその隣にいる、彼の友人である木村隼也(きむらしゅんや)が沈黙を破った。「江崎さん、もう帰るの?」私は泣き腫らした喉が声を出すのも辛く、ただうなずいた。そして私は切符売り場へ行き、ケーブルカーで下山するつもりだ。すると、隼也の少し訝しむ声が響いた。「江崎さん、ケーブルカーで下りるの?歩かないの?」振り返れば、隼也と俊彦の不思議そうな目があり、私は胸の奥がひどく苦くなってきた。この三年間、私は九十九回もおみくじを引いてきた。私は毎回、膝をついて山を登り、その後、足を引きずりながら下山していた。神様に誠意を示し、一日も早く「大吉」を授かりたい一心だった。だが結局、私がどれほど誠意を示しても、俊彦が与える気のない「大吉」は得られなかった。ならば、なぜこれ以上苦しむ必要がある?私はケーブルカーのチケットを買いながら、何気なく答えた。「疲れたの。歩きたくない」私のかすれた声が落ちるや否や、隼也は手の中の車のカギを揺らした。「ちょうど俊彦と一緒に下山するところだ。よかったら乗っていく?」私が断る前に、俊彦の冷たい声が響いた。「これから人を迎えに行くんだ。暇はない」すれ違う瞬間、彼の足が止まり、私の蒼白な顔を見て、彼は結局口を開いた。「疲れるなら、次からは跪いて登るのはやめろ」彼は常に私に冷たい。その低い声色もまた冷たさを帯びている。かつては、どんなに辛辣な言葉でも、私は、彼の口から出れば心地よく感じたものだった。その頃の私
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第2話
心美は怯えたように身をすくめ、俊彦の胸に縮こまった。俊彦も一瞬、驚いた顔をした。「君たち……」心美は俊彦の手をぎゅっと握った。「俊彦、もう聞かないでくれる?私……」私は心美のわざとらしい仕草に耐えられず、その場を離れようと背を向けた。だが再び俊彦が私を引き止めた。「二人の関係がどうであれ、人にぶつかった以上、謝るべきだ。心美は医者で、手は大事なんだ。さっき彼女の手が怪我をするところだったんだぞ!」手の甲の傷は蟻に噛まれるように痛み、胸までじんじん響いてくるようだ。私は手を上げ、真っ赤に腫れた手の甲を彼に見せつけた。「こんなに広い通路なのに、私は自分の席の横に立っていただけ。ぶつかってきたのは彼女のほうだ。それに、怪我をしたのは私だ。私のせいじゃないし、謝るか!」俊彦の視線が私の手の甲に注がれ、その無表情な瞳に一瞬だけ揺らぎが走った。私はそのまま二人を押しのけ、店員から氷袋をもらった。店を出るとき、私は何気なく振り返れば、窓際の席に心美が不機嫌そうに座り、その隣で俊彦が柔らかな目元を見せながら、彼女に肉を焼いてやっている。手にした氷袋の冷たさが心にまで沁み、最後に残っていたわずかな期待も跡形もなく消えていった。冷ややかな禁欲系男子が自らほかの女のために肉を焼く。この追いかけ続けた想いは、私の完敗だ。家に帰るなり、母親が私を寝室に引き入れ、朝に葉山家との縁談を承諾したのは本当なのかと問い詰めてきた。母親の心配そうな視線を受け、私は鼻の奥がつんと痛み、胸の苦さがまた広がっていった。知らぬ者はいない。私が俊彦に一目惚れし、彼以外とは結婚しないと誓ったことを。どんなに俊彦が冷たくしても、私はいつも彼の後ろを追いかけてきた。母親は痛ましげに私を抱きしめ、何か辛いことがあったのかと尋ねた。私は笑みを引きつらせた。「お母さん、私は本気よ。彼の心は温まらないもの。これ以上は続きたくない。今こそ引き返すときなの」間もなく、階下から人の声がし、母親は立ち上がると、すぐに顔を蒼ざめさせて戸を閉めた。私は心美の声を耳にした。階下へ降りると、父親がソファに座り、心美に腕を絡まれながら冗談を言われ、楽しげに笑っている。その隣には俊彦もいる。私に気づいた心美は、すぐに身を縮めた。父親はぎ
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第3話
当時、私は心の中で彼をロボットみたいだと呟いた。その後、私は彼が半月かけて写したお経の束を投げ捨てそうになったが、彼は相変わらずあの無表情のままだった。わざとネットで覚えた下品な甘い言葉で彼を口説こうとしたこともあるが、彼はやはり反応しなかった。私は彼が本当に情も欲も断っているのだと思っていたのに、今では私が心美に放った一言で彼が怒るなんて。父親が私の言葉を聞き、また立ち上がって私の頬を平手で打った。「これは俺が決めることだ!偉そうにするんじゃない!」そう言うと、父親は使用人に、私と母親の持ち物を外へ放り出すように指示した。私は阻止しようと前に出たが、父親に腕をつかまれて押し出され、玄関の外へ突き飛ばされた。「俺と心美を見るのが我慢できないなら、お前とお前の母親は出て行け!」ドアがバタンと閉められ、母親は床にしゃがみ込んで嗚咽を漏らしている。ほどなくしてドアが再び開き、心美が私の荷物を抱えて満足げな顔で現れた。「お姉さん、何をそんなに我を張ってるの?ほらね、家から追い出されちゃったわ!」私は目ざとく彼女の腕に抱かれている陶器の壺を見つけ、瞳孔が収縮して鋭い声で言った。「その物をよこせ!」心美は私のその必死な様子を見て、ふっと笑い、急に手を離した。陶器の壺はパリンと音を立てて床に落ち、粉々になった。私は怒りで目が赤くなり、彼女に飛びかかって掴み、頬を一発叩いた。「わざとやったのか?」心美はすぐに悲鳴を上げ、いじらしい口調で謝った。一方、私は彼女を殴り殺したいほどだ。その陶器の壺は、小学校の時に父方の祖母と一緒に作ったもので、私にとってそれが唯一残された彼女に関する思い出だ。背後のドアがすぐに開き、俊彦が鼻を腫らした心美の顔を見て、怒りに満ちて私を引き離した。私はちょうど階段のところに立っており、彼に強く引かれたら、そのまま階段から落ちて地面に転がった。足首に激痛が走った。俊彦の目は氷のように冷たい。「望、心美は無実だ」地面に落ちて割れた物を見ても、彼は眉一つ動かさなかった。「そんなものは大した価値のない物だ。割れたなら割れたでいい。心美を責める必要があるのか?」私は痛みで冷や汗をかき、反論の声すら出なかった。俊彦はそれきり私に一瞥もくれず、痛ましげに心美を抱いて
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第4話
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第5話
私がそう言い終わった瞬間、エレベーターの扉が閉まり、私は俊彦の顔に一瞬だけ浮かんだ驚きを目にした。エレベーターはあっという間に最上階に到着し、母親がドアの前で私を待っている。私が上がってくるのを見ると、特に変わった様子がないのを確認し、母親はようやくほっと息をついた。私は母親に微笑みかけ、二人で宴会場に入った。誠は急いで駆けつけ、ドアの直前で慌ててスーツを着た様子だ。私のそばに立つと、軽く口笛を吹いた。「なかなか綺麗だね」私は笑って彼の腕に手を絡めた。「そう?私も自分が綺麗だと思う。でも、あなたのスーツ姿より、レーシングスーツ姿のほうがかっこいい気がする」誠の目に一瞬の驚きが浮かんだ。「俺のレース、見たのか?」私は頷いた。「去年の全国スーパーカー選手権の優勝のニュース、三日間もトレンド入りしてたの。むしろ知らないほうがおかしいでしょ」誠は少し興味を持ったようだ。「終わったら一緒にレースに行く?」私は迷わず頷いた。式の進行は早く、婚約指輪の交換の段階にまで進んでいる。誠が指輪を取り出し、私の指に嵌めようとしたそのとき、隣のスマホが震えた。画面を見ると、俊彦からのメッセージだ。【望、婚約式を今すぐやめろ。次回は必ず大吉を引けるようにする】かつて私は一年かけてようやく俊彦のラインを取得し、毎日おはようとおやすみを送ったが、彼は一度も返信しなかった。まさか、彼からの最初のメッセージが婚約式の場で来るとは思わなかった。しかも、その内容は、私が求めても得られなかった「大吉」を施してくれるというものだ。誠もメッセージを見て、興味深そうに私を見やり、軽く頭を上げた。「婚約式、続けるのか?」私は彼の視線に従い、外に立っている俊彦を見た。彼の表情が読めず、ただ手のひらの数珠をぎゅっと握っている。私は気にせず視線を戻し、誠の手を取り自分の指に指輪を嵌め、すぐに彼の指にもつけてやった。宴会場の外で、俊彦の瞳孔が一瞬震え、顔色も幾分蒼白になった。誠は驚いた顔で私を見た。私は声を低くして囁いた。「自信を持って。陸奥俊彦なんかと比べたら、まったく引けを取らないよ」誠の目に喜びが浮かんだ。私は彼のネクタイを掴み、さらに近づいた。「さあ、次はキスの時間よ」私が軽く触れる
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第6話
私は素直に頷いた。「ええ、とっくに知ってた。最初からあなたが私のことを嫌がって、こんな方法で私に諦めさせようとしていたって分かっていたら、最初から諦めてたのに。だから、もう私はあなたのことを好きにならない」俊彦は信じられないというように目を見開き、顔色が青ざめた。しばらくすると、彼は呟くように口を開いた。「俺……違う、俺は嫌だなんて……」私はもう彼の無駄話を聞く気もなく、振り返ってエレベーターに入った。俊彦は黙ったまま私を見送り、目に一抹の痛みを浮かべた。エレベーターを出ると、また心美と鉢合わせた。彼女は父親に抱きつき、笑顔が止まらない様子だ。私と、私と手を組んでいる誠を見て、心美の目に嫉妬の色が一瞬浮かんだ。父親も誠を見ると一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに笑顔を作って挨拶に歩み寄った。私は誠の手を引いた。彼は私の険しい顔を見て、口を閉じたまま言葉を飲み込んだ。「葉山さん、はじめまして」私が誠の腕を組んでいるのを見て、父親は少しためらい、また私に笑顔を向けた。「望、葉山さんと知り合いだったのになんで早く言わなかったんだ?」私は心の中で苦笑するしかない。以前は私に冷たい顔しか見せなかったのに、今私と誠を見て、急に態度を柔らかくしてくる。私は冷笑した。「娘さんは江崎心美でしょ?今さら何言ってるの?」父親の顔色が一瞬硬直し、ぎろっと睨んできた。誠は私がもう長居するつもりがないのを見て、私の手を取り、父親に挨拶をした。「おじさん、望と俺はレースに行くので、これで失礼します」私たちが車に乗ろうとした瞬間、心美はしょんぼりしている俊彦を見て、彼の腕を抱き寄せた。「お父さん、私もレースに行きたいの。俊彦、一緒に行ってくれる?」父親は喜びで目を輝かせ、何度も頷いた。「よしよし、君たち四人で楽しんでこい。若者は一緒に時間を過ごして、仲を深めるんだ」心美は嬉しそうに俊彦を引っ張って車に乗った。誠は私を見ながら言った。「ここから離れて、別の場所に行く?」私は気にせず首を横に振った。「いいわ。あいつらがついてきたいならついてきても構わない」私たちが車を発進させる直前、母親とおじさん、そして弁護士が父親の後ろに来た。「江崎冬木(えざきふゆき)、離婚の件について話をし
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第7話
隣のレーシングカーがゆっくりと停まると、俊彦の陰りを帯びた視線が、誠が私を抱く手に落ちた。その横では、私をじっと睨んでいる、不服そうな心美がいる。誠が面白そうに私の耳元で囁いた。「君がもっと早くこのドレスを着て陸奥を追いかけていたら、禁欲系でもとっくに戒律を破ってたかもな」私は俊彦を一瞥し、そして誠を見た。「嫉妬してるの?」誠は一瞬きょとんとしたが、すぐにまた何気ない顔に戻った。「誰が嫉妬なんか。君、こんなドレスで笑ってるんだぞ?ここにいる連中、誰だって見惚れてるさ。三年間君が必死に追いかけてた陸奥ですら、ぼんやりしてたぜ。君のその、人を惹きつける手、ほんと……」言葉が喉で途切れ、誠の頬がうっすら赤くなった。私は手を彼の首筋の後ろに回し、ぐっと引き寄せて耳元に低く囁いた。「じゃあ、もう嫉妬しなくていいよ。だってこのドレス、最初からあなたのために着てるんだから」背後で車のドアがバンと鳴り、俊彦が冷たい顔で不機嫌そうに車から降りた。心美も慌てて降り、私を不満そうに睨みつけている。「あなたたち、ルール守ってないじゃない!先に出るなんて!」誠の頬の赤みがまだ残っている一方、私は冷たく心美を睨んだ。「私たちがいつレースするって言ったの?」心美は顔をこわばらせ、つまらなそうに私を見返し、そして悔しげに俊彦の手を取ろうとした。「俊彦……」だが俊彦は初めて、その手を冷ややかに避けた。心美の私を見る目が、いっそう怨めしげになった。そのとき、他の人たちが入ってきて、誠を見つけると、口々に「一緒に走ろう」と誘った。私は急かして誠に練習に行くよう言った。誠は心配そうに私を見て聞いた。「大丈夫か?」私は少し不満げに言った。「私をなめないでくれる?早く行って。私はここで待ってるわ。夜は家に帰って夕飯食べないとね」私がずっと誠に視線を向けているのを見て、俊彦は顔がさらに険しくなり、私の前に立ちはだかった。「望、話がある」私はうんざりして顔を上げた。「あなたと話すことなんてない」そう言って背を向けようとした瞬間、俊彦が私の腕をつかんだ。彼の顔に一瞬ためらいが浮かび、最後は何かを決意したように口を開いた。「君、葉山家との縁談はやめろ」私は可笑しくなってその手を振
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第8話
「どうしたの、心美、どうした?」俊彦の心配そうな表情を見て、心美はさらに泣きじゃくり、顔を覆いながら、私に叩かれたと言った。私は呆れて目を白黒させ、手を挙げてスタッフを呼んできた。「すみません、近くの防犯カメラを確認したいのですが、よろしいですか?」心美は驚いたように顔を上げた。スタッフは、私が誠と一緒に来ていることを確認すると、すぐに誰かに映像の確認を指示した。心美は慌てて阻止しようとした。「だ、だめよ!」俊彦の疑問そうな視線を見て、心美は口ごもりながら弁解した。「俊彦、私の言うこと信じてくれないの?映像を確認しなくてもいいでしょ?」俊彦は軽く眉をひそめたが、何も言わなかった。心美は焦って目を泳がせ、阻止できないと見るや、再び得意げな演技で可哀想ぶった。「俊彦、信じてくれないなら、私、もう行くわ!お姉さんがちょっと怒って叩いただけで、私は平気だもん」俊彦は思わず彼女の手を引いた。心美は私に得意げな笑みを向けた。そのとき、スタッフがタブレットを持ってやってきた。「江崎さん、映像が出ました」心美はまだ口元に笑みが残っているまま、慌てて取りに行こうとした。私は素早くタブレットを奪い取り、俊彦に手渡した。監視にははっきりと映っている。心美が突然自分で自分を叩いたのであり、私は一度も手を出していない。心美は完全に言い訳の余地を失った。彼女は顔を真っ青にして地面に座り込み、俊彦の手を必死に握りしめて縋った。「俊彦、私……私が間違ってたの。あなたを失うのが怖かっただけなの」俊彦は冷たい顔で心美の手を避けた。突然、彼は何かを思い出したようで、表情に一瞬迷いが走った。「君、帰国したその日に、焼肉のお店で望にぶつかったのは、うっかりだったのか、それともわざとだったのか?」心美の目に慌てが走り、すぐに首を横に振った。「うっかりで……本当に……」俊彦はすでに判断を下しており、顔に鋭さが浮かんでいる。「つまり、故意に望にぶつかって手を怪我させ、わざとお父さんをそそのかして彼女を家から追い出したってことか?」心美は顔を真っ青にし、必死に俊彦の手を握っている。「違うの、怖かっただけなの……」誠はここでの騒ぎに気づき、車から降りて私のところに駆け寄った。私が無事なのを見
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第9話
俊彦の目に、かすかな傷つきがよぎった。私は鼻で笑った。「割れたらもう元には戻らないの。たとえあなたが自分の手で作ったものでも、あの時のものとは違う」私がドアを開ける前に、俊彦は再び私の手をつかんだ。今度は、その瞳に懇願の色が浮かんでいる。「望、俺……俺が悪かった。これまで自分の気持ちが分かっていなかったけど、気づかないうちにずっと君を好きになっていたんだ」好きだと言いながら、その顔にはまだ確信めいた色がある。まるで私がその言葉を聞けば、また喜んで彼の後ろをついて行くと思い込んでいるようだ。一方、誠はちょうどいいタイミングで私の腰を抱き寄せた。「望は今俺の婚約者だ。俺の目の前で告白するのはどうかと思うが?」俊彦は一瞬固まり、私の腰に置かれている手を不機嫌そうに見たあと、私を見た。「望、俺、君が好きだ」私は笑った。「だから何?私はもうあなたが好きじゃないけど」その瞬間、俊彦の顔から血の気が一気に引いた。私の目に浮かぶ真剣さを見て、俊彦はようやく慌て始めた。彼は慌てて懐から大吉のおみくじを取り出し、私の手のひらに押し込んだ。「望、俺……俺だって君が好きなんだ。これは大吉だ。君だけに渡したい」私は無理やり押しつけられたおみくじを彼に投げ返した。「あの時は確かに『大吉』が欲しかったけど、今はもういらないの。私は執着しない人間だ。あなたが江崎心美を好きなら、正直に言ってくれたら、私だって追いすがらなかった」俊彦の目に血のような赤が宿り、頑なに首を振った。「違う……望、今ようやく分かったんだ。俺には彼女への恋愛感情なんてなかった。好きなのはずっと君だけだ!」私はもう聞く気もなく、誠の手を引いて中へ入った。夜、誠は窓辺に立ち、しばらく外を見てから、振り返って私を見た。「本当にあいつに会わなくていいのか?」私はベッドに布団を放り投げた。「そんなに彼のことが気になるの?だったらあなたも寝ないで外で付き合ってあげれば?」誠はおどけた笑みを見せ、すぐにベッドに横になり布団をかぶった。私は呆れながら寝室へ戻り、カーテンを閉めて眠った。翌朝、俊彦はもう外にはいない。その後数日間、私はよく贈り物を受け取っている。ときに花束もあれば、ときに丁寧に包装されたアクセサリーもある。
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第10話
番外編俊彦が望に初めて会ったのは、寺の裏庭だった。望は願い事を書いた紙を木に投げようとし、跳び上がる勢いが強すぎたせいで、うっかり足をくじいてしまった。俊彦は駆け寄り、怪我はないかと尋ねた。望は顔を赤くしながら、痛さで泣きそうだった表情に、笑みを浮かべた。あの日以来、望は彼を追いかけたいと言い出した。俊彦は、なぜ望が突然自分を好きになったのか理解できなかった。彼女を送って帰る時には、望がこっそりと自分のことをロボットみたいに冷たいと言っていたのに。だが翌日には、彼女はまた笑顔で俊彦の目の前に寄ってきた。俊彦はいつも通り断った。しかし望は頑固で、どんなに冷たくされても、平然と近づいてくる。仕方なく、俊彦は望にくじを引かせることにした。「大吉」が出たら、彼女と結婚すると約束した。望はとても嬉しそうに笑った。彼女が喜ぶ様子を見て、俊彦の胸にふと異様な感覚が走った。「大吉」は彼が取り上げており、望は永遠に引くことができないのだ。望にとても残酷なことをしてしまったと、彼は思った。しかし心美のことを考えると、俊彦は「大吉」を隠しておき、望は一年また一年と引き続けることになった。心美は孤児で、陸奥家の援助で学業を終えた。志望校の願書を出す日、心美は俊彦に電話をかけ、とても興奮しながら、医学を志望し、これから彼を守ると言った。俊彦の冷静な心は、まるで静かな湖に石を投げ入れたかのように波紋が広がった。彼が八歳の時、両親と共に孤児院に行き、うっかり手を切ってしまった。幼いころの心美が彼の傷口を押さえ、そっとフーフーしてあげながら「守る」と言った。その日から心美は陸奥家の援助対象となった。普通の援助対象であった心美はだんだんと、俊彦の心の奥にひそかにしまわれた存在となった。心美が学業を終えたら告白しようと、彼は思っていた。だが、海外での留学を終えて帰国した心美は、どこか変わったと彼は思った。孤児だった彼女は、いつの間にか望の妹になった。しかも、何度も望に対して強い敵意を抱いているかのようだ。彼の記憶の中の心美とは、まったく違う。俊彦が自分の心美への感情を整理する前に、望は先に婚約してしまった。彼の後を追いかけ、結婚を誓っていた望も、もはや彼だけを見てはいなくなった。望が別の
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